第79話 桃 - 天地始粛 (てんちはじめてさむし)

文字数 429文字

 銀兵衛は山へ柴刈りに。
 まとめたものを背負い下ってゆくと、辻の地蔵さんが暑そうにしておられる。せめて埃だけでもと、腰の手拭いを外して払って差し上げる。
 
 蜻蛉が日に日に赤くなる。
 しゃがんで手拭いをゆすいでおると、川辺にもこうして秋が集うてくるのが見える。
 おや。
 上流からゆっくり、何かが流れてくるのである。目をこらすと、大ぶりな桃の実のようで。
 ―どんぶらこ、どんぶらこ
 (きり)の先のようなものが胸の奥に差し込まれてくるのはなぜか。
 そうだ確かにそんなひと時が。母様(かかさま)婆様(ばさま)の膝で一緒に唱えた昔が、わたしにもあったような。
 銀兵衛は思わず立ち上がると、桃の方へ手を伸ばす。

 ならぬ、それは鬼だ。

 低い声に銀兵衛の動きが止まる。
 桃はそのまま岩まで流れ、木っ端微塵(こっぱみじん)に砕け散った。
 桃太郎など、おらぬ、と地蔵さんが。
 濡れた手足に風があたると、もう随分と涼しいのだな。
 銀兵衛は呟く。

 長兵衛はその様子を見届け、桜の古木の陰から姿を消した。
 
<了・連作短編続く>
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み