第76話 細小波 - 蒙霧升降 (ふかききりまとう)

文字数 427文字

 朝が早いと、もう、霧が出る。木々の息遣いと共にそこいらを漂っておる。
 安兵衛の供をして、銀兵衛は峠のてっぺんにたつ。
 このところ心が晴れぬ。何をしくじったわけでもないが、どうも調子が狂う。金兵衛の弟子が己ひとりであったなら、感ずることはなかった、些細な違和感。
 もう一人の弟子、長兵衛の振る舞いが心から離れぬ。驚くほど、ものを識らぬかと思うと、たれも気付かぬところで心憎い働きを見せる。
 わたしは、器が小さいのであろうか。

 いにしえに霧の香きりのかという菓子があってな。
 菓子屋の大旦那、安兵衛が口を開く。霧のさまを香の煙に見立てて。
 倅は細小波(いさらなみ)、という菓子をこさえたのだ。うむ、霧のことだ。

 儂にはつくれなんだ。ここで一つため息をつくぞ。よいか銀兵衛、ため息が集まり霧になって、いずれ天地を潤す。お主も、溜めたものみな吐いてしまえ。
 
 安兵衛の屋敷へ戻ると、お内儀が西瓜を切ってくれた。
 銀兵衛の肌から心の奥から、熱が引いてゆく。

<了・連作短編続く>
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