第53話 簾 <小満>

文字数 766文字

 こう気持ち良い風が吹くと、昼日中(ひるひなか)にやる一杯がたまらなく美味い。
 久兵衛(きゅうべえ)はご機嫌である。行きつけの蕎麦屋でも、とりわけ日当たりの良い、半分往来に突き出しているあたりに腰を据えている。呑んべえというのではなく、銚子一本をちびりちびりとやる。
 勘定を済ませると、川に沿ってゆるゆると歩き、土手に腰を降ろす。久兵衛の背にお天道様が一杯に降り注ぐ。
 桜の木々はすっかり緑の葉を繁らせて、これも佳き哉。ああ佳き哉。
 まこと、この世の良きものを一身に引き受けていると思う。
 うちへ戻って、このまま昼寝をするがよかろう。
 つと立ち上がったのであった。
 おや。
 いつもとは違う身体の心地に戸惑う。なにやら、すう、とする。
 久兵衛はもう一度座る。
 おや。
 桜の葉は緑と思うておったのだが、周りから少しずつ白うなって、あれ、どんどん白うなって、白う。
 こてん。


 目を覚ましてみると、幼馴染の金兵衛が覗き込んでおる。
 気が付いたな。やれやれ、一安心だ。
 きょとんとする久兵衛。
 お主、川のほとりで転がっておったのだよ。たまさか長兵衛が通りかかって。大丈夫だ、と言い張ったらしいが、おぶって連れてきたという次第だ。
 見回せばここは金兵衛の屋敷であった。
 久兵衛は身を起こし、そんなに酔うたつもりはないのだが、面目ない、と頭をかいた。
 いや、日に当たりすぎたのであろうよ。お互いにひとりものであるから、こういう時には養生していくがよかろうて。水も飲んでおかぬと、干からびてしまうぞ。
 差し出された白湯と梅干しはまこと、胃の腑に染みた。


 長兵衛が留守の間にどなたかお見えになったものらしい。
 ()がり(かまち)の手前あたりに、真新しい(すだれ)の巻いたものが立てかけてあった。
 行きつけの蕎麦屋にも、葦簀(よしず)がお目見えしたそうである。
 久兵衛の(せがれ)は建具屋である。




<了・連作短編続く>
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