第13話 鴨 <冬至>

文字数 1,096文字

 地蔵さんのまわりを清めおわると、このよだれかけもきれいにして差し上げよう、と長兵衛は思うた。腰を伸ばして遠くに目を遣ると、ついぞ前まで賑わっておった山肌から赤らみが減っておる。晩翠が落ち着きをみせてくれるけれども、もう間も無く白く染まってしまうのであろう。
 長兵衛さん。
 おお、銅十郎、おつかいかね。
 金兵衛さんに餅をな、ほら餅をもろうたよ。安兵衛さんのところの真っ白な餅じゃ。坊は目を輝かせ、風呂敷包みを抱えて山道をものともせずに駆け上がっていく。
 橋向こうの安兵衛は、菓子屋の大旦那である。楽隠居したのちも、ときに色々とこさえては振る舞ってくれる。
 ほれぼれするような餅ができたぞと安兵衛の声が聞こえたような気がして、長兵衛は口元を緩ませながら川へ向かう。

 小さな赤いきれを洗おうかとすると。
 長兵衛さん。
 あちらから手招きするのは源兵衛である。
 渡されたのは、真新しいよだれかけ。丁度地蔵さんにお持ちしようかと思ってね、こしらえておったのです。ひとつよろしく頼みます。
 源兵衛は反物屋の大旦那で、早々に隠居して道楽のように染め物をしている。この川をみな源兵衛川と呼ぶ。
 あからかな布を結んでさしあげると、地蔵さんがいよいよにこりとされた。

 屋敷では金兵衛と、その幼馴染の久兵衛が膳の支度。
 金兵衛の弟子銀兵衛は風呂の焚きつけ。
 長兵衛が一番じゃ。
 くじをひいたらそうなった。本日は無礼講、遠慮は無粋であると言われて、一番風呂をいただいている。柚子がぷかりぷかりとするさまは、まさに極楽。
 

 この南瓜(かぼちゃ)(わし)が煮つけたのだ、なかなかであろう。ほんのり赤くなった久兵衛が得意げにいう。
 そうそう、金兵衛は店子のお主らに餅を配るではないか、あの安兵衛の旨い餅を。儂も、なんぞと考えてほれ、これをな。
 久兵衛が差し出したのは、茜と藍が綾をなす手ぬぐい。源兵衛染ではないか。長兵衛は目を()はる。隣で銀兵衛の口が軽く開いた気配がする。
 これからもっと寒うなるがな、これを一つ首回りに巻くとぬくいぞ。
 そのやりとりを見ていた金兵衛が含み笑う。なんぞ言いたげであるのう、長兵衛よ。
 お心遣いかたじけのうございます、その少々、伊達(だて)であるように思いまして。
 久兵衛はからからからと笑ひ転ぶと猪口を空にする。長兵衛よ、少々堅物が過ぎる。少しは、色気と言うものを心得よ、鴨のように。
 鴨、でございますか。
 そうよ、艶やかな方が雄、地味なのは雌であろうが。
 長兵衛が銀兵衛と顔を見合わせて吹き出すと、屋敷はかんらかんらと(わら)いに包まれてゆく。
 
 外では、風が松ぼっくりをかんらからと転がしておる。


<了・連作短編続く>
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