第71話 日向水(ひなたみず)- 土潤溽暑(つちうるおうてむしあつし)

文字数 422文字

 峠を下ってくると風が小さく、重たくなる。じい、じいと絶え間ない蝉の声に合わせるように肌が灼くる。
 この夏一番かもしれぬ。地面から立ちのぼる熱がゆらゆらと、やぶりとられた紙切れのように舞っている。むっとするような土熱(つちいきれ)
 長兵衛の後ろで、乾いた埃が小さな渦を描いては落ちる。

 ご苦労さんだったね、長兵衛。
 屋敷へ辿り着いて、あずかった書き付けを渡すと、大家の金兵衛が冷ました白湯と梅干しを勧めてくれる。
 さっぱりしていけ、日差しが強い日は、これに限る。勝手口のすぐ脇の軒下に大きな盥。一杯にたたえられた水は、ぬるく温まって行水(ぎょうずい)にうってつけだ。
 覗き込むと、まるまると肥えた雲が泳いでいる。長兵衛は金魚すくいのようにつかまえては、浴びる。
 
 おかげさまで生き返りましてございます。
 すまぬが長兵衛、残り水を庭に打ってはくれぬか。
 お安いご用にございます。

 お主も、雲を浴びるか。長兵衛が尋ねると、百日紅(さるすべり)の花が笑うように揺れた。


 
<了・連作短編続く>
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