第30話 獺祭魚* - 土脉潤起(つちのしょううるおいおこる)

文字数 443文字

 やわらかな香りが肺腑におくりこまれてゆく。土のよろこぶ気配に触れられるようで、小雨の中、とりとめなく歩を進めるは愉しみである。
 長兵衛は安兵衛の屋敷に立ち寄る。菓子屋の大旦那は書き付けを散らかして考え込んでいる。桜餅の準備をと思うてな。
 川沿いを下っていくと源兵衛の庵。反物屋の大旦那、今は道楽で染め物屋。そこかしこの壺をのぞきこんでは、紅と翠を合わせた絞りを桜の頃までに、と言う。
 お社さんに着いてみると、久兵衛と倅の宗兵衛が幾つか(すだれ)を並べて、宮司さんとあれはこちらに、いやこちらはあちらにと話し合っておる。
 きびすを返してもう一度川に出る。渡ろうとすると石が光る、いや魚である。三匹ほどが無造作に並べられて。
 通りを曲がってふらりふらりしていると、あちらから声が。長兵衛、良いところへ来た、調べものを手伝うてくれぬか。巻物を抱えて畳の上へ並べてゆく、金兵衛のさまは。
 (かわうそ)、春の狩。長兵衛は独りごちる。


 <了・連作短編続く>

注*
古くは「土脉潤起」の候は、「獺祭魚」であったという。


 
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