第33話 鳥の巣 〈啓蟄〉

文字数 1,423文字

 こんなところに。
 もし、金兵衛さん。
 銀兵衛の指差す先、瓦の隙間に雀の巣。卵は見当たらぬ。新しいものやら古いものやら。
 日中の寒さが緩みだし、金兵衛は屋根瓦の割れたのをいくつか、替えたいと思うた。そこで銀兵衛と長兵衛が駆り出されたのである。
 雛でも(かえ)れば、(にぎ)やかになろう。金兵衛の言葉に頷き、二人はほかの瓦に取りかかった。

 梯子をなおし、勝手口へ向かうと、先客がおる。
 おや、銅十郎じゃないか。銀兵衛が声をかけると、困り果てていた金兵衛が安堵の表情を見せる。一足先に飯の準備に中へ入ろうとしたら、この坊が居てね。何を聞いても首を振るばかりなものだから。
 地蔵さんから、少しばかり山に入ったあたりの子でございますよ、九つだったかな。
 十になったばかり、と思いがけずはっきりした声が返ってくる。
 銅十郎、金兵衛さんに御用なら、きちんと申しあげねばわからないよ。
 ややあって。
 金兵衛さん、おれを弟子にしてください。
 坊はひょこと頭を下げた。

 金兵衛の屋敷は小ぢんまりとして、質素だが上品な趣がある。囲炉裏に握り飯が炙られ、醤油がじゅうと音を立てる。
 銅十郎は三人の男に混じって焼きむすびを頬張る。金兵衛のつれあいはとうに鬼籍に入った。腕をみがいてきたやもめの飯は旨い。
 金魚を見たんで。坊はぽつりと言う。
 金兵衛の(へそ)(たらい)のようで。そこへ金魚を泳がせる。弟子の銀兵衛は、鼻の穴に蟋蟀(こおろぎ)を住まわせる。頼まれれば、子供の駄賃ほどの銭で見せている。
 以来、臍に指を突っ込んだり、鼻に木の枝を挿したりなどした。続ければ、おれにもできるのじゃないかって。
 こっそりやっていたのが、おっ(かあ)に見つかった。お(とう)まで出てきて、こっぴどく叱られた。馬鹿野郎、なんかあったらどうする、そんなひまがあったら薪の一つでも拾ってこい。
 坊の目に涙が溜まった。

 (わし)の臍は生まれつきよ。銅十郎、お主がいくら頑張ってもこうは成らん。無理に広げようとすれば、腹に穴が開いて死んでしまうやもしれぬ。おっかさんもおとっつぁんも、心配して言うておるのだ。
 でもおれ、なんも取り柄がない。(あに)いはお父みたいに身体がでっかくて、木を切るのがうまい。お(ねえ)は手先が器用で、おっ母みたいに縫い物ができる。おれだけ、なんもない。
 茶を啜りながら、金兵衛は尋ねる。
 (きじ)の雛をみたことがあるかね。
 もちろん。
 雀の雛はどうかね。
 もちろん。
 お主は、どちらかね。
 坊はぽかんとする。
 雉の雛は、卵から孵るともう目が開いていて、羽毛だって生えていて、すぐに歩くだろ。巣は地面にあるから、そうでないとすぐに襲われて食べられちまう。
 雀の雛は、しばらくは目が開かないし、毛が生えるまで時間がかかる。巣が高いから、それでいいのだ。
 でも雉は春に生まれて、秋にやっと大人になる。雀は、ひと月もかからんがね。
 早いが良いのか、遅いが良いのかも解らんよ。得手不得手ってやつは、大人になっても、見えぬことだってある。けれど、誰しもが辛抱強く探して、探して、探しながら過ごしておる。それが、人の生きるというものだ。
 儂の臍も、銀兵衛の鼻も、取り柄であるのかお釈迦様だってあずかり知らぬこと。
 金兵衛と目が合うと、銅十郎の面持ちが和らいだ。涙はもうない。

 梅の枝が揺れる。
 目白(めじろ)が、今年初めての姿を見せる。
 そういえばと金兵衛は草餅の包みを開けた。
 わしも自分の臍を眺めていたのは黙っていよう、と長兵衛は思った。



<了・連作短編続く>
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