第39話 花時 - 桜始開(さくらはじめてひらく)

文字数 426文字

 久兵衛(きゅうべえ)の手にある黒塗りの横笛を、お天道様が撫でていく。うららかな日和に、川べりをゆく足取りも軽くなる。
 ひとつふたつ、いやみっつ。
 開いたの。目を細めて桜を見上げ、そこに腰を下ろした。
 おのずと半眼になる。吹くのでなく、笛と共に息をする。己が鳴らすのではない、ただ、笛に委ねていくのみ。
 音に包まれると次々と花が開き、みるみる満開となる。水鏡は桜色を映し、水紋はすべるように流れて、彼方まで久兵衛を連れてゆく。

 家へ戻り、丁寧に笛をみがいていると幼馴染の金兵衛の声がする。
 久兵衛、聞き惚れたぞ。
 久兵衛はちょっとはにかむ。かかあが、褒めてくれると良いがの。つれあいのものであった笛を、仏壇に戻すと手を合わせる。
 こう、ひとつ、上がったのであろうな。金兵衛が身ぶりで長い(きざはし)をつくる。
 稽古を始めてそろそろ八年。(わし)花時(はなどき)かの。
 二人で笑い合う。

 後ろに控えていた長兵衛が、恭しく包みを差し出した。
 久兵衛は破顔し、桜餅に手を伸ばす。

<了:連作短編続く>
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