第1夜 6節
文字数 4,651文字
研究員達の指示を聞いていて察するに、此処での【能力】というのは「種」のようなものを直接脳に植え付け、根を張らせ開花させることで発現するものらしい。今日レナに行うのは「種」を植え付ける実験。「種」を植えたところで根が張る確証は無いし、土壌が悪ければ種も腐ってしまう。根が張って成長し、開花しなければ能力の発現はしない……。だから、この実験の第一段階を終えたからといってレナが能力者になったとは云えないのだ。
……実験は、思いの外早く終了した。台の上に座ったレナに、研究員達があれこれと質問をしている。雪音やセツナの位置からその質問の内容は聞き取れないが、おそらく脳波や精神異常などが無いかのチェックをしているのだろう。
「大丈夫です」「いえ、特に…」を繰り返しているレナに異常は見られない。それを確認した研究長はにっこりと笑い、高らかに「第一段階は成功だ…!」と宣言した。研究員達から巻き起こる拍手喝采。張本人のレナは、何が何だか……と言いたげな表情をしていた。
「……え、終わり…?」
「終わりだよ。実験は成功だ…!何の異常も見られない。まさかこれほどまで順調に行くとは…!ふふふ、はははは…ッ!重ねて聞くが、何も異常は無いんだね?」
「……無い、けど……」
「先程、『【ヤミカガミ】に耐えられた実験体は居ない』と言ったね。……その7割は、この第一段階の実験で精神に異常をきたし……次いで全身の骨が砕け、大量出血をして息を引き取った。……君みたいに何の異常も無く実験をクリアできるのはレアケースなんだよ……素晴らしい、本当に素晴らしい…!」
「……そう……じゃあ、もう今日は終わり?…帰っていい…?」
レナは1人高笑いをしている研究長に若干引いた様子を見せながらそそくさとその場を立ち去ろうとする。研究長も嗚呼構わない…と言おうとし───
『帰っちゃダメだよ、レナ』
突如、そんな声が頭上から降ってくる。
見上げれば、そこには、銀のミディアムヘアに真紅の瞳を持ち、もこもこのうさぎの耳をあしらった帽子とお菓子をイメージしたロリィタファッションに身を包んだ少女が非常用の鉄の梯子に腰を掛けていた。……さっきまで、こんな少女…居ただろうか…?
3mは越えている高さなのにも関わらず、ひょいと軽い身のこなしで飛び降りた少女。
彼女はセツナと雪音の間を縫ってレナと研究長の元へ歩み寄る。
研究長が、「……サツキ」と呟く。
……彼女が、【サツキ】…?
『……また、自分の手下を【サツキ】に……!』
『それが彼女の仕事であり、私と交わした契約だ──』
レナと研究長のやりとりが雪音の脳をよぎる。……どうやら、レナと研究長は、このサツキという少女の事を知っているようだった。
『…サトハラ、随分と慎重ね?第一段階だけして今日はお終いだなんて……そんなスローペースじゃアタシ待ってられないんだけど。』
「……慎重にもなるさ。今まで成功した試しが無いんだから……」
『成功するわよ。アタシが言ってるんだもん、成功しない訳がない……レナはね、今までの実験体とは違うの』
「実験の進め方は私に一任されている筈だが。例え君が言うように【必ず成功する】としても、一気に進行させてしまえば彼女にかかる負荷も絶大だ……身体が耐えられたとしても、精神が耐えられるとは、」
『精神なんてどうでもいいわ。アタシが操って仕舞えばいいもの。……早く次の段階へ。これは命令よ、サトハラ』
「……君は何を焦っているんだ?焦る事なんて無いだろう、我々の【計画】だってまだ猶予が───」
『……焦ってるんじゃない。待ち侘びてるの。……何年待ったと思ってるの?……なんて言っても、アンタには判らないだろうけど。……もういいわ。アタシが進めてあげる……」
「なッ……!やめ───!!」
研究長がサツキを制止しようと飛びかかる。
だが、サツキの身体はまるでそこに「居ない」かのようにすり抜け───否、正確には「すり抜けている」のでは無い。研究長が飛びかかった先にサツキは既におらず、高速移動してレナの目の前に姿を現した。
───【種】はね、こうやれば直ぐに根を下ろすのよ───
くい、とレナの目の前で人差し指を下ろすサツキ。
その刹那、レナがその場に崩れ落ちた。
駆け寄ろうとした雪音を、セツナが制した。
「セツナ、ちゃん…!?」
「…雪音、これ…私の勘が間違ってなければ…やばいやつかも」
「え──」
「────ッッ!?あぁぁぁあぁぁあぁぁぁあぁぁぁあぁぁぁぁあぁぁぁあぁぁぁぁあぁぁぁぁぁああぁぁあぁぁぁぁぁぁぁぁぁあああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッッッッ!!!!」
地下8階、【クレナイ】最下層の実験室に、レナの悲鳴が木霊した。
頭を片手で押さえ、もう片方の手で床を掻きむしる。
研究長が「押さえろ!」と指示を出し、研究員達が駆け寄って体を拘束しようとする。
『もう、遅いわよ』
サツキだけがそう、嗤っていた。
───その意味を、雪音達は知る事になる。
ぱん、と。
くだらない音が実験室に響いた。
それははじめ、水風船を破る音に聞こえた。
だが、破れたのは勿論水風船では無い──。
──それは、レナを押さえ込んでいた研究員達の体だった。
「………え」
ある者は鳩尾から真っ二つに。
ある者は四肢がばらばらに。
ある者は首が転げ落ち、ある者は───。
研究室がレナを中心に真紅に染まる。
その色は、サツキの瞳と……そして、顔を上げて立ち上がったレナの瞳と、全く同じ色をしていた。
……雪音は、悟った。…これが、此処が【クレナイ】と呼ばれる本当の理由なのだ、と。
卒業生に赤い薔薇が贈られるというのもブラフだ。
本当は、きっと……こんな風に、悪夢の華──そう、「血」の華が咲き誇る実験室だからなんだ……。
「れ、な……?」
「──。」
セツナの呼び掛けに、レナは応えなかった。
鮮やかに輝く鮮血のような紅の瞳。そこに光は無く、何を映しているのか分からない。ただ、その瞳は……レナ元来の澄んだ青い瞳とは、全く違っている……それだけは確かだった。
研究長が「【発症】……」と漏らす。…発症?レナは、何らかの病気を抱えているのか?それの発症とこの状況に、何の関係が……。雪音のその混乱は、いつの間にか声に出ていたらしい。
…研究長が小声で教えてくれる。
「【発狂症】……聞いた事あるかい?」
「無い…です……何ですかそれ…」
「だろうね…非常に稀な病気でね…。外的、及び内的な要因で精神的な負荷がかかり続けると、心を守る為に攻撃的になったり、逆に鬱になったりするだろう。その仕組みがなんらかの理由で暴走し、理性…意識…自我…そして、感情と痛覚を失ってしまう症状がある。それを【発狂症】と云うんだ……。理性と痛覚を失った患者は、ストレスの元凶を排除すべく破壊衝動に呑まれ破壊人形と化す。それが…【発症】…。」
「そんな……レナちゃんが、」
「でも、あの力は何ですかッ!何度か今までに発症したケースはあったけど、あんな……あんな、人が爆散するような事……ッ」
「……それが、恐らく【ヤミカガミ】の暴走だ…。何しろ【ヤミカガミ】に適合出来た者が居なかったから、これほどの力を発するものだとは……素晴らしいが、【発症】と同時に暴走してしまうのは考えものだな…」
「言ってる場合ですか…ッ!レナは…元に戻るんですか…!?」
「【発症】が落ち着けば、或いは…」
「それって、身体の限界を待つって事ですか…ッ!?」
「……」
「そんな……」
研究長が逃げるように視線を逸らす。それは「打つ手無し」と断じているようなものだった。……無理も無い。今レナに近寄れば、運次第では研究員達同様に肉塊になってしまうのだから。
その絶望的な状況の中、サツキだけがくるくるとロンドを踊りながら笑っている。
『あはッ、流石レナ!アンタならちゃんと【ヤミカガミ】に「成って」くれると思ってた♪……ずぅっと楽しみにしてたのよ。ずぅっと待ってたのよ。ああ、アタシの可愛いお人形サン。もっとちゃんと適合して、早く【こっち】においで──』
「……」
レナは横目でちらりとサツキを一瞥すると、そちらに意識を向けた。鷹が獲物をロックオンするように、サツキを次の獲物に選んだようだった。ふ、と残像を残してその場から消えるレナ。次の瞬間、サツキとレナは肉弾戦を始めていた。レナの不意打ちをサツキは軽くいなしたようで、攻撃を軽く受け止めている。勿論それはレナも同じで、サツキの攻撃をものともしない。……サツキの口元が弧を描く。
『ただのお人形サンの癖によく動けるじゃない…気に入ったわ。でもちょっと動きがぎこちないのね……【発狂症の深度】を上げてあげる。ほら……もっと動いて?』
「……ッ!?」
空いた指でくいと虚空を押し上げる動きをすれば、一瞬レナの動きが鈍くなる。よろりとふらつき……しかし、次の瞬間にはサツキの目の前から姿を消し、背後に回り込んでいた。その動きは最早、「人間」のものでは無い……。
雪音は二人の戦いを見ながら、レナの動きがだんだんと人ならざるものに変化しているのを感じて危機感を覚えていた。……雪音の戦闘能力は、「人間が出せる最高地点」まで磨き上げられている。脳波を弄り、神経伝達速度を弄り、筋肉や血液の動きを活性化させ、極限の身体能力を得ている。だがそれでも、出せる速度や力量には限度がある。……それが、「人間の限界」だ。……だが、目の前のレナはどうだ?姿を視認出来ない程の高速移動、軽い衝撃波が発生する程の攻撃威力、そしてほぼ音速の戦いについて行ける動体視力と思考速度……。それは、人の範疇を超えている。人の体でそのような力を使い続けたら、脳が焼き切れ、全身の細胞がボロボロになってしまう……。それはつまり、肉体の死が迫っている事を表している…!
……止めなければ。
レナを、止めなければ。
そうでなければ彼女は、十分と持たず死んでしまう…!
「止めなきゃ…!このままじゃ、レナちゃんは……!」
「分かってる、でも…今は近付けない…!」
「……はは、これが君の望んでいた事か…。【発狂症】と【ヤミカガミ】を同時に発現させ、1+1で2以上の結果を引き出す……成る程、だから【発狂症】持ちのレナを【ヤミカガミの能力者】として推薦していたのか……」
「あんた……この状況で悠長にそんな事言ってる場合ッ…!?」
「レナが壊れて死ぬのは此方としても大きな損害だ…だが、どうやら我らがお姫様は『生きてさえいれば壊れていても構わない』というスタンスのようだ。サツキ───彼女がそう言うのなら、私は何も出来ないね……それが、彼女と交わした契約であり、私という駒の役割だ。」
「なッ……」
「レナを取り戻したいなら、君達がやってみるといい。万が一にも正気を取り戻せたらそれに越した事は無い……【ヤミカガミ】の能力も、根を下ろしたとはいえ完全では無いしね。……私はこの辺で失礼しよう。幸い此処は【クレナイ】の最下層……君達が全滅しても彼女が死んでも爆発しても、大した騒ぎにはならない……。さぁ…くれぐれも命を落とさないようにね───ふふ、ははッ……!」
研究長はそう言い残してその場から溶けるように消えた。セツナが唇を噛む。
……僕達に、止められるのか?…雪音の胸に不安がよぎる。
…いや、止めるんだ。僕達で止めるんだ。
こんなところで大事な友達を失ってたまるか……ッ!