第4夜 13節

文字数 3,948文字

里は、静かな祭りのような……神事を取り行っているような厳かな雰囲気があった。松明が灯され、幻想的な橙色の光が夜の里を包んでいる。どん、どん、と心臓の鼓動のような太鼓の音が何処からか聞こえて来た。
……何事だ?何かあったのだろうか。
里の中央に人混みが出来ている。ヒナはそちらへ向かった。

人混みを掻き分け、視界が開ける。
────ヒナは、息を呑んだ。






「ロベ……リア……?」






そこには、両手足と腕や脚、腹部、そして胸部に鉄の長い杭を打たれて磔にされ、血塗れになったロベリアの姿があった。その横で、祈祷師のような男数名が祝詞をあげている。
何故…?何故ロベリアが、こんな目に遭っている……ッ!?


「───やめろッッッ!!!」


思案を巡らせるより先に、ヒナはそう叫んでいた。人々の視線がヒナに集中する。太鼓の音が一度止んで、辺りに静寂が訪れた。……その沈黙を破ったのは、ヒナだった。


「ロベリアに……私の可愛い子に何をしている…ッ!」


それを聞いて、祈祷師の男はゆっくりと告げる。


「この妖を、汝は庇うと云うのですか。これは妖……人とは相容れぬ、相容れてはならぬ諸悪の根源────【穢れ】です。このような妖を生かしておけば、人々は神々のご加護を受けられない。妖とは、そう云うものなのです。」

「妖……?────何故、それを…」

「何故、と申しますか…。それは、我々が妖退治をする一族───【光族】だからです」

「光族…?聞いた事が無い、」

「この地の岩山に神が居る、と云う噂がまことしやかに流れていましてね。しかし神と云うのは、畏れを力にはしません。神は信仰心を力にするのです。だから我々は考えました────この地に巣食っているのは、神ではなく妖なのでは、と」


祈祷師の黄金の瞳がヒナを見据え、ヒナはびくりと身体を跳ねさせた。
……まさか、妖を退治する事を専門とする一族が居るなど、知らなかった。ヒナ達「洞窟に住む妖」を退治しようと彼らは里を訪れ……そのタイミングで供物に供えられた珍しい桜鯛などを持ってロベリアを里に寄越したものだから、妖だと怪しまれ…ついには見抜かれてしまったのだろう。もっと、注意を払うべきだった。いや、自分が里に向かうべきだった。自分のせいで、私のせいで、ロベリアが、ロベリアが……ッ!!!
瞳を揺らして焦るヒナを庇うようにサツキは立ち、祈祷師達を睨みつけて吼えた。


『でも、妖は死なないんでしょう?仮にその子が妖だとして……アンタ達はずっとずっといたぶり続けるの?それこそ穢れてる。狂ってる。どちらが本当の妖なんでしょうね?』


そうだ、妖に死と云う概念は無い。故に、ロベリアは死ぬ事は無い。大丈夫、なんとか助け出してこの地を去れば、また三人で───。
そう思うヒナを嘲笑うように、男は残酷に告げた。


「我々【光族】は神々の霊力を扱う一族です。故に────妖を【浄化】する事が出来る。つまり、私達は……妖を、殺す事が出来るのですよ。だって、ほら……」









────この妖はもう、死んでいるじゃないですか。









「し、ん………で………?」


ヒナの瞳が、絶望に見開かれる。
ロベリアが、死んでいる?
もう、目覚める事は無い……?

群がる民衆が、わああと歓声を上げた。ぱちぱち、と居心地の悪い拍手が辺りを包む。

死んだ。しんだ、シンダ、死んだ、死ンだ、死んダ───────
ぎゅう、と服の裾を握り締めるヒナ。爪が皮膚に食い込んで血が流れる。……そんなの、知った事では無い。ロベリアが死んだ……否、違う。ロベリアは殺されたのだ。人間に、殺されたのだ。
私は今までずっと、ずっとずっとずっと、何年も何十年も何百年も何千年も、人を傷つけまいと身を隠して静かに暮らして来たのに。もう奪わないと、もう殺めないと、もう穢さないと、そう誓って暮らして来たのに。
私が、ロベリアが、一体人間に何をした?
何故このような仕打ちを受けなければならない?
何故「妖だから」と云う理由で殺されなければならない?

憎い。
憎い、憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い。
許さない。許してなるものか。絶対に……!

………心の中にずっとあった「殺意」の火種に、ぼうと炎が灯った。
その炎はヒナの心を蝕み、真っ黒に変えてゆく。

憎い。苦しい。悲しい。辛い。心が、痛い。
どうすればいい?
私は、どうすればいい?

燃え盛る殺意の業火の収め方を知らないヒナは、サツキを見遣った。サツキは無言でつかつかと祈祷師の前に歩み寄る。「サツキ……?」とヒナは声を掛けるが───それはサツキには届いていないようだった。


「……どうしました、何か言いたい事でも?」

『そうね、言いたい事があるわ。とっても簡単で、とっても分かりやすい事。』

「聞いてあげましょう」

『有難う。それじゃあ──────【狂って壊れて死になさい】?』

「な─────」


サツキは、彼女の持つ「殺気」の妖力を用いて、祈祷師の男に処置しきれない大きさの殺意を抱かせた。それは男の精神をあっという間に汚染し、狂わせ壊し、知能や理性を崩壊させ───────


「あ、あぁ、ぁあああああああぁあ、ぐげぁらばばオあァあげクキききケぼらッッッッッッッ」

『ねぇ死んで?死んで死んで死んで死んで死んで死んで死んで死んでッッ???────キャハッ!!!そう……そうよ!アタシの大切な主サマを悲しませるヤツなんて、みんなみんなみんな壊して殺してあげる───ッ!!!』


狂気の笑みを浮かべながら、サツキはその言葉の一つ一つに「人を壊す力」を乗せて紡いだ。中心核らしき祈祷師の男はのたうちまわりながら、それでもなお精神を徐々に壊してゆき、そして────息絶えた。
ざわめく民衆。何も知らない彼らからすれば、急に祈祷師が気を狂わせて死んだように見えたのだろう。理解ができず、ひそひそ、ざわざわと混乱した様子を見せる。サツキはくるりとヒナの方に向き直って、無邪気に笑った。


『───人間なんて、とっても醜くて、どうしようもない生き物なのね。ねぇ、主サマ────気に入らないなら、壊して仕舞えばいいんですよ♪』


どくん。

サツキのその言葉を聞いて、ヒナの心臓が波打った。
壊す……?
壊せばいい……?
そうか……そうだったのか……。
壊して仕舞えばいいのか。殺して仕舞えばいいのか。
彼らと私達は相容れない存在。ならば、彼らのために心を痛める必要など無いのか。
私は───化け物だ。怪物だ。
そして私は、感情の権化だ。
妖らしく、感情のままに生きてもいいのか────


「お、おい…!?どうした……ッ、死んでる…!?」

「貴様……!貴様も妖の仲間か!!」

『さぁ?そんなのアンタ達には関係無いわよね?だってアンタ達も────』

「───サツキ。」


他の祈祷師をも狂わせようと身を乗り出したサツキを、ヒナは咎める。
サツキと祈祷師達は、ヒナを見遣った。ヒナは瞳を伏せ、ゆっくりと語った。


「……人間と云うのは、とても賢明な生き物だ。そして、穢れを嫌う生き物だ。そんなお前達からすれば……妖と云う不純物は、穢れていて恐ろしいものなのだろう。……だが、妖だって生きている。感情の力を従える妖は、人間より人間らしいと、私は思っている。花冠を作って喜ぶ心も、草子を読んで感動する心も、戯れて楽しく思う心も、芸術を美しいと思う心も、夜空の星に想いを馳せる心も持ち合わせている。そして……人間と仲良くなりたいと思う心も、持ち合わせているのだ。それを、一方的に悪者だ怪物だと決めつけるのは、些か無情すぎるとは思わんか。」

「………何を、」

「私は人間を、愛していた。尊んでいた。仲間だとすら思っていた。共に助け合い、認め合う世の中を、夢見ていた────」


───だがそれは、ただの夢物語だったのだな。

ヒナはそこで瞳をあげ、一番前に出ていた男を睨みつけた。
途端にその男は漆黒の闇に包まれ、頭部からぼろぼろと崩れて消えていった。彼の後ろに立っていた男は、呆気なく最期を迎えた仲間を信じられないと云うように見つめて………尻餅をついた。
ヒナは右手を高らかに掲げる。すると地面から大量の植物の蔓が伸びて民衆と祈祷師達の群れを囲み───それは熱を帯びて、炎を生んだ。ヒナの心を焼く業火を反映したかのように、人里を炎が包み込む。


「ひ、ッ……!?」

「私は失望したよ。お前達はどこまでも愚かで、多量の穢れを含んでいる。他の妖はお前達をまだ信じているのやもしれないが……私はもう、信じられない。愛するロベリアを殺したお前達を、私は絶対に許さない。」

「このッ…化け物…!!

「ああそうだ、私は化け物だ。好きに罵るといい。私は妖、【殺意の権化】……ヒナ。化け物の私は、今からお前達全員を地獄に送る。私の怒りに触れた事を、せいぜい嘆くんだな─────」


そうまで言うと、ヒナはばっと手を下ろし、同時に真紅の瞳で祈祷師全員を睨みつけた。
殺意の炎が、辺りを包み───それは逃げ場を失った民衆を次から次へ焼死体へ変えていった。祈祷師達は「待ってくれ」の助けを乞う余裕さえ与えてもらえず、灰となって消えていった。
里は、地獄絵図に早変わりした。
ヒナが呼んだ「死」の連鎖は里をあっという間に飲み込み────一晩にして里中のあらゆる命の活動を停止させた。


『───ああ、素敵…!主サマ、やっぱり主サマは、アタシの一番…!』


サツキは命の消え去った空っぽの人里で、そううっとりと告げた。
ヒナはくるりと里に背を向け───サツキに「帰るぞ」と言って歩き出した。『ま、待ってくださいよ…!』と後を追うサツキ。
ロベリアを失って、ぽっかりと空いた心の穴。それが埋まる事は無いのだろう。忘れる事は出来ないのだろう。痛みを忘れられないまま、私は永劫を生きるのだろうか────ヒナは悲しくて悲しくて……その紅い瞳を涙で潤ませた。
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登場人物紹介

夜国 玲菜(やくに れな)


実験体A-11316-01


ブロンドのボブヘアに青いリボンと青い瞳の小柄な少女。

【発狂症】持ちにして、【ヤミカガミ】の適合者。妖の血を引いており、身体能力が高い。誰かを助けたいと強く思う反面、敵には容赦しないなど残酷。

白橋 雪奈(しらはし せつな)


実験体A-11316-02

 

紫がかった黒髪と黄金の瞳を持つ背の高い少女。類稀な「霊力」を秘めている。

神事【神憑り(かむがかり)の儀式】で繁栄を築いてきた「御光(みこう)家」の生まれ。 だが、儀式に出られるのは男児のみだったため一族から出来損ない呼ばわりされ虐待されて育つ。

白夜 雪音(びゃくや ゆきね)


実験体F-40556-E3


先端脳科学研究所で育ち、【クレナイ】に移ってきた実験体。

髪はもともとは黒かったが実験の影響で色が落ちてしまった。

実験を通して人間の限界まで身体能力を磨き上げられている。 おどおどしていて丁寧、優しい性格。

星野 有希(ほしの ゆき)


実験体L-90996-A4

 

学校でいじめを受けていた黒髪で眼鏡をかけた内気な少女。

レナの強さに勇気を貰っていじめっ子に反発したことでいじめが悪化し、屋上から身投げをする。その後【クレナイ】に拾われて二代目【ヤミカガミ】として完成する。だが、彼女は精神を破壊されており───。

サツキ


レナに助言を与える、銀の髪に紅の瞳を持つロリィタ服の少女。

対象の精神を汚染する「人を壊す力」を持ち、【クレナイ】の研究員と実験体に精神汚染を行っている【クレナイ】幹部にしてお姫様。

レナを特別視しているが、その理由とは…。

研究長:郷原雅人(さとはら まさと)


【Dolce】の職員にして能力開発研究所【クレナイ】の所長兼研究長。

人当たりがよく物腰柔らかで紳士的だが、倫理観がどうかしており、非人道的な人体実験だと理解した上で実験を行なっている狂人。
実は彼にも事情があって────。

ヒナ(緋那)


【感情の権化】───妖の1人にして、【死】そのものを司る、生きる厄災。

全てを奪い、失いながら永劫を生きる地獄に耐えられなくなり、禁呪を用いて命を絶った。だが、彼女の死が全ての物語の運命を歪める事となった───。

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