第2夜 4節

文字数 5,697文字

「………。」


明朝。神の像が置かれた部屋で、セツナは正座になり……かれこれ六時間、極寒の祈祷室にずっと座らされていた。お前の為に電力を使うなど勿体無いと、暖房を…もっと言えば灯りすら付けて貰えない。冷え切った手足には既に感覚が無い。指の先は恐らく、紫色に変色しているだろう…。……それでも、殴られて紫色になるより遥かにマシだが。
一日のうちの半分は、セツナはこの祈祷室で過ごす。両親曰く、「お前は呪われた子だから神に許しを乞い続けなければいけない」のだそうだ。……呪われた子。忌み子。不幸の子。…そして、裏切り者。私は生まれた時から、ずっと両親にそう言われながら育ってきた。全ては、私が女として生を受けたのが悪いのだ。「私」が生まれたせいで両親は得られる筈だった地位と金を奪われ、さらには一族を裏切ったとして本家からの信用を無くしてしまったのだから。……だから、私は自分が生まれた事をずっと、ずっと呪っている。私が男であれば、両親の寵愛を受け、両親も本家の厚誼に預かれただろうに。私が生まれたから。私が女だから。「私と云う私」が、存在しているから。
……そこまで憎く、存在を否定するなら殺してしまえばいいのに……と云う事は、昔から暇さえあれば考えている。だが、御光家は神や精霊と交流し、負のエネルギーから生まれる妖を退治する一族だ。故に、穢れてはいけない。負のエネルギーを持ってはいけない。……穢れは伝染する。一族の血を引く者が殺生をして……それも自分の子を手にかけたとなると……それは、この家の両親だけの問題に留まらず、穢れが本家の者にも伝染し、最悪家が潰れてしまう事になるのだ。そうなれば、両親は今よりもっと恨まれるだろう……そんな訳で、私は殺される事すら許されず、地獄のような虐待の日々に耐えるしか、道は与えられていなかった。

………セツナは、女として御光の一族に生を受けた。
普通、我が子であれば愛しい筈の産声が、夜泣きの声が、自分達の事しか考えられない両親からしたら耳障りな騒音でしか無かった。喜ばしい筈の成長が、女であると見せつけられているようで癪に障った。生きているだけで癇癪に触れる、まさに地雷原。
……そんなセツナが、それ程までに憎まれる所以は、単に「女だから」というだけでは無い。セツナは───生まれつき、本家の男児にも引けを取らない、類稀な規模の霊力の持ち主だったのだ。
霊力について簡単に説明するとすれば───それは、自然の持つ霊的エネルギーを化学エネルギーに変換する力、と云えば少しは分かりやすいだろうか。太陽神が自然の持つ霊的な力を光や熱というエネルギーに落とし込むように、水神や雷神が自然界に住まう精霊、そして気の流れを操って雷雨や災害を引き起こすように……。……上手く説明出来ない。説明出来ないし、貴方も理解出来ないだろう。それが普通なのだ、これを完全に理解出来ると云う事こそ、それ即ち「霊力を持ち、扱える」と云う事なのだから。
セツナは、自然の霊的なエネルギーを化学エネルギーに変える…というだけでは無く、空気中に漂う風、光、熱などの化学エネルギーを、逆に霊的なエネルギーに変換する力をも持っていた。この世のあらゆるところに化学エネルギーは蔓延している。それをソースに、セツナは自然と共鳴し、妖の妖気や邪気を抑え、精霊と神々の神力と霊力を高める………有り体に云えば、【気を鎮める】【気を昂める】力を持っていたのだ。
この事が本家に知れると、本家の者は尚更「男児であればどれほど良かったか」と嘆き……その嘆きは最終的に「セツナの両親の神々への信仰が足りなかった為に失敗作が生まれたのだ」という事に捻じ曲げられて終着した。……セツナの両親からすれば、そんなのあまりに酷い話だ、理不尽だと思うだろう。だが、それでも本家を否定など出来ないし……そして何より、神々を敬う一族として、神の祝福を望む形で受けられなかったのはやはり自分達の努力不足だったからなのかもしれない…という思いは、両親にも少なからずあるようだった。
その後悔、屈辱、僻みなどの負の感情は、セツナに虐待という形で向けられた。虐待という行為もまた穢れている事だろう。だから両親は、「セツナは妖が取り憑いて生まれた呪いの子だから、神様が赦してくれるまで罰を受け、耐え続けなければならない」「それこそがお前の業であり、呪いだ」と、セツナに───そして虐待を行う自分達に言い聞かせた。その言い聞かせは徐々に呪の力を含み、セツナが齢にして十三となった今、セツナ自身も、そして両親も、「悪いのはセツナであり、両親はそれを救う為に罰を与えている」という事になっていて、それを互いに疑う事は無くなっていた。

……少し、足を崩す事くらいは許されるだろうか。
もしかして、それも、許されやしないのだろうか。
セツナは血の気の引いた指先を温めようと、両手の人差し指を絡めてくるくると回しながら足の指同士をくっつけたり離したりを繰り返した。……だが、あまりの寒さに依然として指先が温まる様子は無い。
暗闇と静寂に包まれた室内───そこに、ぎぃ、ぎぃと軋んだ音が響き出した。
セツナの身体が硬直する。
この音は───母が、この部屋に近付いてくる音だ……。
母が近付いたらどうなるか?………暴力が始まる。それを身体がもう理解っているから、セツナは冷や汗で手をじんわりと濡らしながら少し小刻みに震える。両親が近付いてくる気配は、霊力を使わずとも空気の流れで何となく分かる。それが近付いてくると、身体は反射的に拒否反応を起こす。だが、拒否したからと云って、酷い仕打ちを受けずに済んだ試しが無い。……これは、避けられないのだ。だから、この拒否反応は全く無意味なもの。そう、分かっているのに……分かっているのに、それでもなお、怖い。
痛いのも苦しいのも、本当はもう味わいたく無い。それでも、自分は罰を受け続けなければならない。それが、私に与えられた運命だから。


「────セツナ。嗚呼、その名を呼ぶ事すら穢らわしい……早く立ちなさい。【懺悔】の時間よ。早く」

「………はい…」


か細く震える声で、自分を見下ろす母の機嫌を今以上に損ねないよう細心の注意を払って応える。【懺悔】……そう彼女は言ったが、これから行われる事は懺悔でも何でもなくただの虐待だ。それが分かっていても、なお、自分は逃げ出す事ができない。いや……正確には逃げ出す気力を失っているのかもしれない。籠の中でずっと飼われていた鳥が、錠を外されても大空へ自ずから飛び立つ事が無いように。

母はセツナを浴室へと連れて行った。窓はしっかりと閉められており、頑丈に目張りまでされている。……今日に限った事では無いが、嫌な予感がする。
──先ずは【お仕置き】から、ね。
母がそう言うので、セツナは「いつものように」浴室の床に膝をつき…次いで頭を床につけて土下座をした。両の手が、かたかたと震えている。


「………それじゃあ始めるわよ。───いーち、」


その掛け声と共に、母はセツナを蹴飛ばした。土下座している横から肋骨の辺りを蹴られ、一瞬呼吸が止まりかける。ヒュ、と変な息の音がして、遅れてズキズキと患部が痛む。それでも声をあげては五月蝿いと叱られるだろうと思い、必死に堪えるセツナ。
母は無慈悲にも、次の掛け声を唱えた。


「にーい、さーん、よーん……」

「……ッ!!ぐ、ぁ……ッ……あッ……!」


背中を踏みつけられ、頭を床に叩きつけられ、横腹を蹴飛ばされ……。セツナは苦悶に表情を歪めた。耐えろ。耐えろ。耐えろ。耐えろ。耐えろ……ッ!
痛いなんて言っちゃ駄目だ。怖いなんて泣いちゃ駄目だ。耐えなきゃ、耐えなきゃ、耐えなきゃ……。言い聞かせよう。繰り返そう。両親は何も悪く無いのだと。悪いのは、この世に生を受けた自分なのだと。この行いは、間違ってなどいないのだと……。
……間違っているなんて認めたら。……私は、気付いてしまうから。自分がこの上なく不幸で、この【懺悔】というシステムが狂っているものだという事に……。

記憶を飛ばしてしまおう。ただただ仕置きを受けているのを記憶していたら、心を壊してしまう。ほらセツナ、目を閉じよう?楽しい事を想像しよう?そうすればきっと、私に与えられたこの悪夢のような灰色な日々も、少し色付いて見えるようになるから……

………【お仕置き】は母が百を数えたところで終了した。
全身の痣が、じくじくと痛む。骨ががくがくと煩く哭く。何度も床にぶつけた額は赤く腫れあがり、擦れて血が滲んでいた。ひゅう、と掠れた荒い呼吸を繰り返すセツナ……だが、呼吸を荒くしているのはセツナだけでは無い。目の前の母もまた、顔を真っ赤にして肩で荒い呼吸を繰り返しているのだった。……どうやら【お仕置き】をしているうちに感情が昂ってきていたらしい。…通りで、五十を超えた辺りから殴ったり蹴ったりのスピードが上がったり乱雑になったりしていたわけだ……。
母ははぁ、はぁ、と息を繰り返し…呼吸が落ち着くと唾を飲み込んでセツナを見下ろした。


「……次。アンタはそのまま此処で寝ててもらうから。勝手に出ちゃ駄目だからね」

「……此処、って…お風呂場、に……?」

「そうよ、そんなの聞かなくても分かるでしょ、ほんと頭の中空っぽなんだから…この失敗作が」

「……ごめんなさい」


これ以上口を挟むと、また機嫌を損ねてしまうな。そうすれば、彼女は「今日する予定だった暴力」以上の仕置きをセツナにするかもしれない。大人しく言う事を聞いていれば、痛い目を見るのも最小限で済む……。セツナは目を伏せ、抵抗の意思が無い事を母に示す。…そうして無抵抗な素振りを見せてもなお、彼女はセツナの姿を見ているだけで苛つきを覚えているようだったが。


「一応、両手足縛っておくから、ほら手を出して」

「………」

「ッチ……ほら出せって言ってるでしょ!!何度も言わせないで!」

「……は、い……」


抵抗しようとしたわけでは無い。先程の仕置きで地面に何度も叩きつけられ、または踏みつけられた両の腕の関節が、筋肉が痛んで持ち上がらなかったのだ。……だが、そんな事はこの目の前の母には関係無い。…それに、ひょっとしたら……自分の中の本当の自分が、これからとても良くない事が起きると、警鐘を鳴らしているから……なのかもしれない。だから一度目の母の声には、素直に従う事ができなかった。……何やってるんだセツナ、抵抗してもろくでもない未来しか訪れない事を、もう私は知っているじゃないか。だったら、素直に従って、神様に早く赦しを乞うた方が……。
二度目の指示で両手を出すセツナ。それを頑丈そうなロープでぐるぐると巻いて拘束する母。両手が終わったら、次は両足を。…ここまで「逃げられない」ようにしておいて、ただ浴室で横たわっていろというのも何処か不自然だ。この人は、一体、何を企んでいるの───?

……それは、母の口から告げられた。


「今は蓋をしてあるけど、この浴槽の中に何が入ってると思う?十秒で当てられたら今日は夜ご飯を一緒に食べてあげてもいいわ。さ、どう思う?」

「え……」


それは一時でも孤独と暗闇の世界から抜け出せることが叶う、あまりに素敵なご褒美。…何故彼女がそんな条件を提示したのかセツナにはよく分からなかったが……それでも、家族で和やかに食卓を一日でも囲めるなら、全力を尽くしたいとも思う。
…なんだかんだ、自分は家族の事を愛しているのだ。
例え、家族の誰も自分を愛してくれないとしても。
十、九…と母がカウントダウンを始めるので、セツナは慌てて思考を働かせる。
逃げられないようにしている……つまり、逃げ出す可能性があるような危険な事。頑丈に目張りされた窓……密室……という事は、ガスか何か…?でも、ガスなんて簡単に買えるだろうか……いや、此処は【裏社会】、そういう密売のルートもあるのかもしれない。……でも、ガスは気体だ。この浴槽の中にどうやって入れた……?


「三、二、一─────」

「────ガスの固体、若しくは燃料がこの中に入ってて、火をつけるとかして、燃やして……」


限り無く正解に近い答えだと思った。燃料が入っていて、燃やして二酸化炭素…或いは一酸化炭素を放出させる事で酸欠を引き起こす拷問。風呂場なら、火を焚いたとしてもシャワーで流して仕舞えば消火できる。目張りした窓も、ガスを密閉するための下準備だろう。
……だがそれは、あまりにも恐ろしい拷問だ。
苦しいに違いない。辛いに違いない。そして何より、そんな事をしたら────死んでしまうかも、しれない。
母は舌打ちをして、「半分くらい正解」と言う。


「ドライアイスよ。ドライアイスをこの中に入れてある…ちょっと溶けてるかもしれないけどね。今からこの蓋を外して、この部屋に二酸化炭素を充満させる。半日経ったら解放してあげるわ……最も、それまで死ななければ、だけど」

「そ……そんなの、息が出来なくて死んじゃうよ……」

「死なないわよ。これは【神様の罰】。神様が助けてくれるわ。そうなるように祈っておけばいいじゃない。そして、神様の力を借りてみたらいいじゃない、できるものならね」

「………っ」


…どうやら、今回もまた【神の罰】だとか【神からの試練】だとかで濁して、この拷問が穢れの対象では無いとこじつけるつもりらしい。
………。
母がそう言うなら、そのような罰を望むなら、それは私にとって【神からの試練】であるのと同義だ。……そう悟ったら、話は早い。セツナは無言で浴室の床に座り込む。それを見た母は浴槽の蓋を開けて、扉を閉める。……ビビ、とガムテープで扉の隙間を目張りする音が聞こえる。どうやら……本当の密室にするようだった。
───ひょっとしたら、このまま、私は、死────。
いや、大丈夫。そんなの杞憂だ。私を殺す事は穢れを生む行為。故に、両親がその手で私を殺す事は先ず無い。

…けれど。
けれど、それを「事故」として処理するのだとしたら…?
……そんな一抹の不安と共に、セツナは密室に閉じ込められた。
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登場人物紹介

夜国 玲菜(やくに れな)


実験体A-11316-01


ブロンドのボブヘアに青いリボンと青い瞳の小柄な少女。

【発狂症】持ちにして、【ヤミカガミ】の適合者。妖の血を引いており、身体能力が高い。誰かを助けたいと強く思う反面、敵には容赦しないなど残酷。

白橋 雪奈(しらはし せつな)


実験体A-11316-02

 

紫がかった黒髪と黄金の瞳を持つ背の高い少女。類稀な「霊力」を秘めている。

神事【神憑り(かむがかり)の儀式】で繁栄を築いてきた「御光(みこう)家」の生まれ。 だが、儀式に出られるのは男児のみだったため一族から出来損ない呼ばわりされ虐待されて育つ。

白夜 雪音(びゃくや ゆきね)


実験体F-40556-E3


先端脳科学研究所で育ち、【クレナイ】に移ってきた実験体。

髪はもともとは黒かったが実験の影響で色が落ちてしまった。

実験を通して人間の限界まで身体能力を磨き上げられている。 おどおどしていて丁寧、優しい性格。

星野 有希(ほしの ゆき)


実験体L-90996-A4

 

学校でいじめを受けていた黒髪で眼鏡をかけた内気な少女。

レナの強さに勇気を貰っていじめっ子に反発したことでいじめが悪化し、屋上から身投げをする。その後【クレナイ】に拾われて二代目【ヤミカガミ】として完成する。だが、彼女は精神を破壊されており───。

サツキ


レナに助言を与える、銀の髪に紅の瞳を持つロリィタ服の少女。

対象の精神を汚染する「人を壊す力」を持ち、【クレナイ】の研究員と実験体に精神汚染を行っている【クレナイ】幹部にしてお姫様。

レナを特別視しているが、その理由とは…。

研究長:郷原雅人(さとはら まさと)


【Dolce】の職員にして能力開発研究所【クレナイ】の所長兼研究長。

人当たりがよく物腰柔らかで紳士的だが、倫理観がどうかしており、非人道的な人体実験だと理解した上で実験を行なっている狂人。
実は彼にも事情があって────。

ヒナ(緋那)


【感情の権化】───妖の1人にして、【死】そのものを司る、生きる厄災。

全てを奪い、失いながら永劫を生きる地獄に耐えられなくなり、禁呪を用いて命を絶った。だが、彼女の死が全ての物語の運命を歪める事となった───。

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