第3夜 5節
文字数 3,986文字
スーパーマーケット、コンビニエンスストア、商店街………朝倉は、「これから此処で暮らすなら最低限この店は知っておきましょうね」と言って色々な店に連れて行ってくれた。目がちかちかする程の商品の量。その情報量に混乱しながらも、特に家事をこなしていたセツナはしっかりと場所を覚え……。
───あっという間に午後三時を迎えた。楽しい時間って、本当にあっという間なんだ……レナはそう思った。
「最後に、二人に提案があるんだけど……」
そう朝倉が言うので「何ですか?」と言うと、彼女はレナとセツナの手を取ってこう言った。
───学校に、行ってみない?
……と。
「学校……」
レナがそう鸚鵡返しすれば、朝倉はそう…と言って語りかける。
「【表社会】では、子供は基本的に学校に行くのが義務付けられているの。同年代の子達に囲まれて過ごせば、私から色々聞くより学べる事も多いと思うわ。……うちの学校の校長先生も【裏社会】に理解がある人でね。きっと話を聞いてくれると思うの」
学校。それは、自分達には縁が無いものだと思っていた。
特にセツナは虐待されて育ってきたので、自分は学校には行けないのだと諦めていた。……その夢が、叶うの?心がなんだか踊って、気付いた時には「行きたい、です」と口に出していた。……しまった、レナの意見を聞いていない───そう思って彼女の方を見れば、レナも瞳を輝かせて「私も」と笑った。
朝倉はにっこりと笑うと、よし、と意気込む。
「そうと決まれば早速電話してみようかな!善は急げって云うものね!」
……朝倉の行動力には目を見張るものがある。流石にいきなりすぎるのでは……とセツナは思ったが、朝倉を止められそうではなかったのと、少なからず自分も気持ちが昂っていたので何も言わなかった。
朝倉は校長に電話をかけ────「あ、もしもし校長先生──朝倉です、休日にすみません、実は───」と言って、アポイントメントを取ってくれた。
電話の向こうの校長ははじめ「そう云うのは親御さんの意見を聞かなければ…」などと言っていたが、【裏社会】と云う単語が出た途端に何かを察したのだろう……「分かった、今から学校に来られるかね」と言った。……どうやら、面接の許可は取れたらしい。朝倉はウインクをしながらサムズアップした。
休日の静まり返った学校に到着し、朝倉は職員室の鍵を開ける。たくさんのデスク、書類の山、高そうなパソコン、大きな印刷機、壁一面に貼られたプリント……どれも見慣れないものばかりで、レナは息を呑んだ。二十分もしないうちにそこに校長がやってきて、朝倉が礼をする────釣られてレナとセツナもぺこり。
「朝倉くん、もう着いていたのか。私も急いだつもりだったんだがね……はっはっは…」
「校長先生…!すみません、休日にわざわざ…」
「いや、いいんだ。……それで、そこの二人が言っていた転入生候補、かな?」
校長が此方を見るので、もう一度深くお辞儀をするレナとセツナ。朝倉が「そうです」と言い、二人はその後に続いた。
「夜国、玲菜です……」
「白橋雪奈…です」
「夜国くんに白橋くん。初めまして……此処、國宮学園の校長…そして理事長をしている東宗一郎と云う者だ。よろしく頼む」
「あずま、校長先生……よ、よろしくお願いします…!」
「はは、そう緊張しないでくれたまえ……何、立ち話もなんだ。校長室へ来なさい…。ソファにでも掛けるといい」
そう言いながら職員室の奥へ向かう校長。……校長室と職員室は繋がっているようだった。デスクの合間を縫って一同は職員室を進み、奥にある扉を開く────その先は、アンティーク調の家具が置かれた校長室だった。
たくさんのトロフィーがガラス張りの棚に納められている。校旗が正面の入り口の手前に置かれていて、壁の上側にはずらりと歴代校長の写真が飾られていた。……少し、緊張感が走る。
座りたまえ、と促されてぎこちなくソファに腰掛ける一同。その向かいに校長も腰を下ろし……校長は「……君達は【裏社会】から来て、この学校に入りたいそうだね。その話を聞こう」と告げた。……セツナが、ゆっくりと口を開く。
「……私達、【裏社会】で散々な目に遭って……途方に暮れて……そんな時に【表社会】へ行ける列車が運行開始する、とチラシで見て、此処に来たんです。そこで朝倉さ…朝倉先生と出会って。彼女に『学校に行ってみないか』と言われて、それが嬉しくて……」
「散々な目……それは、噂に聞く通り虐待や暴力、なのかね」
びくり。セツナの身体が跳ねた。「え…と……」と言葉を詰まらせるセツナ。……思い返そうとすると、心に真っ黒な感情が蘇ってきて、苦しい。……そんなセツナを見たレナが、校長の質問に代わりに答えた。
「……そう、です。もしかしたら、今日死ぬかもしれない……そんな毎日でした」
「夜国さん……」
「……そうか。思い出させてしまっただろうか……辛いだろう、すまない…。」
校長と朝倉は、しばらくじっと考えていた。
……朝倉の貸した服の隙間から、痣や傷跡が見え隠れしている。「今日死ぬかもしれない、そんな毎日」とレナは一言で言ったが……それは、【表社会】の住人である校長や朝倉にとって異常な発言。生命が脅かされ続ける毎日など、経験した事がない。……彼女のその言葉は比喩や過大表現ではなく…寧ろ過小表現だ。……なんて痛々しい。彼女達を、少しでも幸せにしてやりたい───。
………重い沈黙を破って、校長は応える。
「……いいだろう。夜国くん、白橋くん……君達を、我が國宮学園の一員として、認めよう」
レナとセツナは顔を上げた。朝倉はほっと息を吐いた。
校長は二人に問いかける……それに、レナは答えた。
「恐らく住人票なども無いだろう……資料は此方で作成させてもらうが、それで構わんかね」
「は、はい…、大丈夫、です」
「分かった。制服は…発注するとして、あとは住む場所だ。いきなり寮……は敷居が高いだろう。二人暮らしの方が気が楽かね」
「え、えと……」
「そう、ですね……私とレナ、今までずっと二人で暮らしてきましたから」
「セツナ…」
「では、私の知っている不動産で用意しよう。今後自分達で家計をやりくりするなら値段も安い方がいいだろうな……賃貸で探させよう。朝倉くんの家にいつまでも寝泊まりさせる訳にもいかない」
……本当に、至れり尽くせりだ。まさか、住む場所まで用意してくれるとは思わなかった。セツナは野宿でもいいんですけど……と言いかけて、いや、こういうのはお言葉に甘えておくべきだ…と言葉を飲み込んだ。
「…明日から転入、と云う訳には残念ながらいかない。色々手続きがあってな……学園自体も新学期で忙しい……転入は早くて二ヶ月後になるだろう」
「その二ヶ月で【表社会】に慣れてもらわないとね」
朝倉はそう言って微笑んだ。……正直、「明日から学校に来なさい」と言われても戸惑いが隠せなかっただろう。猶予を与えてくれるのは寧ろ嬉しい事だった。レナは「分かりました、お願いします、有難うございます」と言うとぺこりと頭を下げた。セツナもまた頭を下げると……校長は「うむ、礼儀正しい子達だ」と笑った。
────こうして、二人の【表社会】での居場所が、少しずつでき始めた。
校長との面談の三日後には新居が見つかり、レナとセツナ、それから朝倉は校長に連れられてそこへ向かった。築二十年、1Kの賃貸アパートのその物件は、病院や駅からはやや遠いが、学校からも商店街からもそこまで離れていないためレナ達にとっては好物件だった。コンロが一口だったり、二人の個室が無かったり、お風呂がユニットバスだったり……とこだわりのある人にとっては少し住み難い部屋かもしれない。しかし、レナとセツナにとっては十分すぎる物件だ。家賃も月二万円ほどと安い。校長は「安い家賃だとこの物件が限界でな…」と申し訳なさそうに話したが、レナとセツナはいやいやと手を振ってそれを否定した。
ちなみに、冷蔵庫や洗濯機、電子レンジ、テレビなどの電化製品は物件に備え付けてあった。
校長は物件だけではなく、社会保障の仕組みも利用して、二人を支援してくれた。具体的に云うと、生活保護の申請をしてくれたのだ。レナもセツナもまだ子供だ。就職してお金を稼ぎ、生計を立てる事は出来ないだろう。そして、身近に頼れる大人は存在しない……しかし、この国はそんな国民を見殺しにはしない。そのためにあるのが、生活保護というシステムだ。生命保険に入れない、車を所持できない…など条件は色々あるが、そもそも【裏社会】から来たレナとセツナは保険になど入っていないし車も所持していない。そのため、ほぼ無条件で生活保護を受けられる。
……とはいえ、レナとセツナは自立して暮らそう、と決心していたので、仕事を見つけるつもりでこの三日間、朝倉にも協力してもらって色々調べていた。十五にも満たない自分達が働ける場所は限られている───そんな中見つけたのが、新聞配達の仕事だ。試しに商店街にある新聞社の子会社に足を運び、頭を下げてお願いしてみると、「学校の許可があるなら…」と了承を得る事が出来た。新居に案内してもらった時に校長にその事を伝えると、「夜間や早朝は許可出来ないが、夕刊ならいいだろう」と許可を下ろしてもらえたので、当分の間の仕事は新聞配達になりそうだった。
そのような感じで新居と収入源を得た二人。食器や布団を購入したり、掃除をしたり、その合間に仕事をしたり、服を何着か買ったり、転入の手続きをしたり、【表社会】の事を勉強したり……そんな事をしていると、二ヶ月と云うのはあっという間に過ぎた。あまりに平和で、楽しい毎日。
そして、季節が春から夏に移り変わりかけた六月初旬───レナもセツナもすっかり【表社会】に慣れた頃、二人はついに國宮学園に転入する事になる。