第3夜 14節
文字数 2,967文字
いつも通り、校門前で風紀委員と生徒会が挨拶と風紀検査をしている。
いつも通り、運動部員が朝練に励んでいる。
いつも通り、日直の人が廊下の窓を開けている。
きっと、教室の中もいつも通り─────
………そう思いながら教室のドアにレナが手を掛けたところで、ドアの向こうから甲高い悲鳴が聞こえた。その声は、ユキの声にそっくりで───。
「ユキッ!?」
レナは慌ててドアを乱暴に開く。そして、息を呑んだ。
ユキの三つ編みの髪はぐちゃぐちゃにされ、袖から覗く腕には打撲と切り傷の痕があった。彼女は怯えて身体を小さく丸め、それを鈴香達が囲んで殴ったり蹴ったり、掃除用具で叩いたりしている。他の数名のクラスメイトは、鈴香達を恐れて……ひそひそと噂話をするばかりだった。誰も、助けようとしない。誰も、助けられない。
鈴香達は、頭に血が昇っているようで、口汚く罵りながらユキに暴力を振るっていた。
レナはドアの前に荷物を落としたまま、そこに割り込んだ。
「いた、いッ、痛い、痛いの、やめてッ……!」
「っるせぇんだよゴミ虫!!あんたが!!あんたなんかがあたしに楯突くなんて───」
「ちょっと、やめて……やめなよ!!!」
「黙れッ!!根暗陰キャのくせに、あたしに対してエラッソーにッ!!」
「やめなって───言ってるでしょッッ!」
「う────ッ!!」
仲裁しようと組み付いても鈴香はユキに危害を加えようと身を乗り出すので、レナは膝で鈴香の腹部を蹴った。余程その一撃が綺麗に入ったらしく、鈴香は後ろに一歩後退る。
ぎろり、とレナを睨みつける鈴香。レナもユキの前に立つと睨み返した。
「邪魔、すんなよクソが……!」
「ユキに酷い事しないで……何に、そんなに苛ついているの」
「うるっさいなぁ、あんたには関係無いでしょッ!!」
「関係あるよ……ねぇ、もしこれ以上ユキをいじめるなら───」
───私も、本気で怒るよ。
レナは声を低くしてそう吼えた。
その声には、殺意と敵意が篭っている。
鈴香達は思わず息を呑み───深層心理で「彼女には敵わないから引いた方がいい」と、そう思った。……は?こんなゴミに怯えてるの?私が?私達が?そんな馬鹿な───。
そう思おうとしたが、自身の心は以前として目の前に立つレナに対して警鐘を鳴らしていて。……それに気付くと、苛々する。むしゃくしゃする。けど、彼女と正面から戦っても勝ち目は無い……!
鈴香はチッ、と舌打ちすると、沙羅と亜澄…それから時々いじめに加わっていた男子生徒……加納雄介と町田傑の二人を連れてその場から逃げるように立ち去った。
レナはくるりと振り返ってユキのそばにしゃがみ、ハンカチを差し出しながら問いかける。そこに、セツナもやって来た。
「……ユキ、大丈夫……?」
「あ……すみ、ません……大丈夫…だと、思います…」
ハンカチを受け取ったユキの手は、まだかたかたと細かく震えていた。……セツナが問いかける。
「……何があったの?昨日まではこんなに酷くなかった───」
「……っ。……反抗、したんです」
反抗した。
そう、ユキは言った。……反抗?セツナは「どう云う事かな」と優しく続きを促し……ユキはゆっくり、泣きそうになりながらもそれに応えた。
「強く、ならないとと思って……こんな事やめてよ、って強い口調で言ったんです。『こんな子供みたいな事やってて恥ずかしくないの?』とも言いました……それが、煽りに聞こえたんだと思います。宮下さん達をすごく怒らせてしまって……」
「そんなの……」
「私……わたしッ、やっぱり強くなんてなれなかった…ッ!強くなろうとしたのに、宮下さん達には敵わなかったッ……!私なんて、私なんて………なんて、弱いんだろう…っ!!」
「そんな事、無いよ…」
セツナはそう慰めながらも───その言葉が綺麗事であると、気付いていた。
「強さ」と云うのは、元からその素質がある人間しか扱えないものだ。家に居た頃の自分が、幾ら強くなろうと両親に反抗したところで……両親は圧倒的な力を持って自分をより酷い目に遭わせるだけ。反抗して相手を怯ませる事が出来るのは、「強さ」の素質を生まれ持った人だけなのだ。……それは、目の前のユキも同じ。反抗したところで……彼女にとって圧倒的な力を持つ鈴香達には敵わないし、逆に酷い目に遭ってしまうだけだ……。
ユキは、両手で顔を覆って静かに泣いた。レナとセツナは、何も救いの言葉を掛けられない自分達を、呪った───。
───それが、悪夢の日々の幕開けだった。
その日から、ユキに対するいじめはエスカレートした。
それらは決まって、レナやセツナが居ないうちを狙って行われた。
例えば、給食当番の時に階段から突き落とされたり。
例えば、掃除中にバケツで水をかけられたり。
例えば、トイレに居る時にカッターで切りかかって来られたり。
……それらはあまりに陰湿で、明確な悪意を持って行われるいじめ。ユキは次第に心をすり減らしていった。……先生や両親に相談する、レナ達に打ち明ける……そんな無駄な事をする気力すらも失ってしまった。日々表情が暗くなるユキを心配するレナとセツナだが……ユキは二人を危害から遠ざけようとして、「何でもないです」と首を振るばかりだった。当然レナ達は助けようと動くが……二人の居ないうちを見計らって行われるいじめを止めるのは、とても難しい事だった。
そんな物語が急展開を迎えるのは、十月の中旬だ。
……その頃にはユキは、一日中ぼーっとして……そしてレナ達と行動を共にする事が少なくなっていた。レナやセツナは一生懸命にユキに声を掛けるが…決まって「今はちょっと、」と距離を取られてしまうのだ。
嫌われている訳じゃない。それはレナもセツナも勘付いている。ユキは……一人で耐える事を選んだのだ。ずっと一人で何でも抱え込んできたレナはその気持ちが分かるから……彼女に、「一人で抱え込まないでよ」と簡単に言う事が出来なかった。
そんなある日。
一時間目の休み時間、ユキの机にルーズリーフのノートの1ページが入っていた。ユキはそれを無言で読んで……そして、ぎゅうとその紙を握る手に力を込めた。
後ろの席のレナには、その姿がよく見えた。……その手口を使うのは自分達のクラスだと鈴香くらいだ。鈴香に、何か呼び出されたのだろうか。………今日一日は、様子を見た方がいいかもしれない…。
そう思って、一日ユキと鈴香の動向を伺ったが……放課後になるまで、特に目立った事は起こらなかった。「特に目立った事は起こらなかった」───それはつまり、嫌がらせが今日は何も行われていなかったと云う事だ。勿論、ユキが傷付かずに済むならそれに越した事はない。……今日は平穏だ。心配のしすぎだったのだろうか。
……レナが放課後に荷物をまとめながらそう思案していると、ユキが「久しぶりに、一緒に帰りませんか」と誘ってくる。断る理由は無い。笑顔で了承すると、レナとセツナとユキは久しぶりに三人で下校をするのだった。
たわいない話をして、笑い合って───道の分岐点へ辿り着くのはあっという間だ。「じゃあね」「また明日」そう言いながら手を振って別れて。
今日は本当に、久しぶりに平穏な一日だった。
一時間目の休み時間に感じた嫌な予感は、気のせいだったのだろうか───。