第3夜 9節
文字数 2,011文字
今日は移動教室だらけで、教室の場所を知らないレナとセツナは大混乱な一日だった。六時間目が終了して帰りのHRも終わり、ようやく自由を手に入れる。ユキはすっかり二人と打ち解け、朝よりも少し顔色が良くなっていた。レナは帰る支度をしようと机の中に手を入れ────
「……あれ、何か入ってる」
手先に違和感。それは、何か紙のような…。机から引っ張り出すと……それは折られたルーズリーフのノートの1ページだった。「初日にしてラブレター?やるぅ」とセツナが笑い、レナも「もー、そんな訳ないじゃん」と返しながらその紙を開いた。………そしてレナは、口をつぐんでしまう。心配そうに声を掛けるユキ。
「………」
「……レナ、ちゃん…?」
「…!あ、いや……何でもないよ」
「何でもないようには、見えなかったんですけど…何か、書いてあるんです?」
「あはは、実はちょっと呼び出し食らっちゃって……」
そう言いながら笑うレナに、セツナが「やっぱり告白じゃないー?」と囃し立てる。レナはあはは……と笑うと、カバンを机の上に置いてドアに駆け寄った。
「ちょっと待ってて!…あ、先に帰っててもいいよ!すぐ戻るからー!」
「あ、ちょ、レナっ!………あー、もう行っちゃった……」
「レナちゃんって…風みたいですね…」
「行動は早いんだから、もー……」
セツナはユキに、この後予定があるのかを聞いた。ユキは無いと答える。……お互いに予定が無いのであれば、レナを待って一緒に下校したい。教室で待つ事を選んだ二人は、開かれた窓から戦ぐ六月の風を浴びながら、窓の先───運動場を見遣った。運動部の生徒達がウォーミングアップを始めている。いーち、にーい、と規則的に聞こえる掛け声が清々しい。カーテンがふわりと揺れて、教室にまた生温い風が吹いてきた。
───ユキが、不意にセツナに話し掛ける。
「……レナちゃんって、強いですね」
「ん?」
「や……ええと……」
「………そうだよ、レナは強い」
「え、」
次の言葉を思いつかずに狼狽えていたユキに、セツナははっきりとそう言った。……ユキは、レナとセツナの過去や事情を何一つ知らない。けれど、「レナは強い」と言うセツナの顔が、あまりにも悲しそうで───。
……それもそうだ。レナの「強さ」は、彼女を取り巻いていた不幸や苦痛が生み出したものなのだから。セツナは、レナ本人から過去の話を聞いている。信じていた両親が猟奇趣味を持つ気狂いだった事。大切な家族を目の前で殺されてしまった事。自分自身も数年間の間拷問の対象とされていた事。そして、両親を…仕事で依頼された人を、そしてセツナの追っ手を殺める必要があった事。……それらの苦しみや嘆きと云う負の感情が、純粋で優しかったレナを壊してしまった。残酷で強いレナに変えてしまった。……‥いちばん悲しいのは、そうやって手に入れた「強さ」が、大切なものを護る為には必要なものだと云う事だ。
セツナはそう思案して……それでも全てはユキには話すべきではないと判断し、言葉を選びながら告げた。
「……レナは昔から、不幸体質でね。それらの不幸をひたすら耐えているうちに……強くなって『しまった』みたい」
「強くなって、しまった…?」
「そう。…レナは別に、強くなろうとして強くなった訳じゃないと思うんだよね。でも…強くならざるを得なかった。……それって、すごく悲しい事だよね」
「……そう、ですね……強さを強要されると云うのは、辛い事だと思います。……でも、私はレナちゃんのそんな強さに救われた」
「私も。」
「セツナちゃんも…?」
「うん、私もレナの強さにずっと救われてる。私は何も出来ないから、レナに頼りっぱなしで…」
「そう…なんですね……。…………」
「………」
「………私も、強く……なりたいな……」
「……ユキ」
伏せた目に、またじわりと涙が溜まってくる。……馬鹿、こんなところで泣いてたら、強くなんてなれないよ……。
ユキはそう思いながらも、強くなりたいと口にした。
「……あはは、私が…なんて、無理…ですよね。でも……私も、頼らずに自分の足で立てるくらいには、自分の身を自分で守れるくらいには、強くなりたいです」
「……私も、強くなりたいな。ユキと一緒。誰かを護る……とまでは出来ないかもしれないけど、少なくとも自分の身くらいは守りたいよね。…私が自衛出来るようになればレナの負担も減るし」
「そうですよね……強くなりたい、ですね…」
「うん………」
二人は再び、窓の外を見た。
陸上部がリレーの練習をしている。野球部がフライを取る練習をしている。サッカー部が、テニス部が……みんな、「強くなる」練習をしている。
……強くなりたいのは、私達だけじゃないんだ。少しだけ安心する。
二人はそのまま、お互いに沈黙を破らなかった。それは居心地の悪い沈黙では無かった。……私達は、同じ事を考えている。そんな一体感に包まれた、沈黙だった。