第3夜 10節
文字数 3,073文字
「へぇー?ほんとに来る勇気、あったんだ」
レナを迎えたのは、そんな小馬鹿にしたような笑い声だった。スカートを折り曲げて短くし、バッチリ校則違反のメイクをしているクラスのカースト上位の女子生徒。……朝、ユキに意地悪をしていた人達だ。確か、名前を───
「…‥宮下、鈴香さん」
「あ、名前知ってるんだ。ひょっとしてユキから聞いた?」
「……」
「え、だんまりとかウケる」
「スズカがビビらせるからでしょー」
「スズカ怖いもんなぁ」
「サラとアズミは黙ってろって!」
「……それで、私に何の用?」
レナはそうぴしゃりと言い放つ。きゃいきゃいと楽しげに話していた女子達が途端に真顔になり……鈴香がレナに詰め寄った。
「……あんたさ、ユキとどういう関係?」
「……友達、だけど」
「友達ぃ?あの陰キャ根暗女のぉ?あはッ、本気で言ってんの?ウケるんだけど」
「ユキの事、悪く言わないで」
「悪く言ってないでしょ、だって事実じゃん。……あのさ、単刀直入に言うけど────友達ごっこ、ウザいからやめてくれる?」
ギロ、と見下しながら睨みつける鈴香。
だが、レナは怯まなかった。……動じないレナを見て、鈴香はチッ…と舌打ちをする。
「……やだ。やめない。…それに、友達『ごっこ』なんかじゃない。私は……本気でユキの事を友達だと思ってる」
「綺麗事?キモッ……あんた、めちゃくちゃムカつくんだよね。癪に障る。……折角転入してきたんだろうけどさ、消えてくれない?死んでくれない?」
「………。」
レナは面と向かって「死んで」と言われると、俯いてしまった。……ああ、気持ちいい。自分に歯向かってくる奴らの心をずたずたにする……なんて快感。鈴香はにやぁ、と口角を持ち上げた。後ろで沙羅と亜澄がくすくすと嗤っている。
……そこで、レナがぼそりと呟いた。
「………死んで、って………人が死ぬって云うのがどういう事か、知らないくせに……」
「……は?」
「白目を剥いて、口から泡を吹いて死んでいく姿なんて、知らないよね。肉を抉る感触も、骨を砕く感触も、生温かい血のにおいも、腐敗した身体に集る蝿の悍ましさも、知らないよね。知らないくせに───簡単に死んでなんて、言っちゃ駄目だよ」
……それは、あまりに現実味を帯びた表現で。
まるで目の前にいるコイツは、人が死ぬのを間近で見た事があるかのように……人を殺めた事があるかのように語る。……そんな筈が無い。そんなの有り得ない。けれど…ホラ話だと断じてしまうには、あまりに説得力があって。
………鈴香はごくりと唾を飲み込んで……それでも、顔色を変えずに罵った。
「……はッ、馬ッ鹿みたい。そんなの知らないし。てかあたしにお説教するのほんとキモい。いいからとっとと消えろよ。ウザいんだよ。キモいんだよ。」
「………じゃあ、そんなに死んで欲しいなら……殺しに来ればいいよ。別にいいよ、殺そうとしてもらっても。」
レナはそこで顔を上げた。……その目に笑みは含まれていなかった。どうやら、本気で言っているらしい。……どうせ口だけに決まっている。殴りかかって、ぼこぼこにしてしまえば泣いて縋ってくるだろう。そうしたら今度は「殴るのやめてあげるからあたし達に逆らうなよ」と釘を刺して、コイツもいじめてやろう。コイツはあたしに逆らう事すら出来ずにユキと二人でがくがく震えるんだ。……あはは、何それ、めちゃくちゃ面白いじゃん。
鈴香は後ろの二人にも目で合図する。三方から囲って、一斉に殴りかかれば余裕でしょ。
「……へぇ?言ったね。じゃあ────覚悟してよねッ!」
人を殴った事はある。最近だと掃除の時間にユキを転ばせて友達と殴ったり蹴ったりした。……痛い、やめて、ごめんなさいと泣くから、大声出すなよ先生が来るだろ…と言いながら腹部を蹴り付けたら言葉を発さなくなった。……すごく滑稽だった。殴る、蹴る…そういう身体的な痛みを与えるのは気持ちがいい。自身の身体も動かしているから、「自分がコイツを征服している」感があってサイコーにテンションが上がる……。
そう思いつつ、絶対攻撃が通ると確信しながら殴りかかって────だが、レナはそれをひょいと軽く避けた。次いで後ろから殴りかかった沙羅と亜澄の打撃も、最小限の動きで避けた。……彼女は、恐怖で目を瞑る事さえしなかった。
…チッ。「殺してもいいよ」なんて煽ってくるだけあって武道を習っていたのだろうか───戦い慣れている。自分は彼女の掌の上なのかもしれない……そう思うと、苛々してくる。
「舐めてんじゃねぇよッ!!!」
「………」
もう一度。当たらない。もう一度。駄目。もう一度───!!
……何度殴りかかっても、蹴りかかっても、鈴香の攻撃は虚しく空を切るだけだった。くそ、くそ、なんで、なんでッ!!!
レナは憐れみにも似た表情で語りかける。
「……無理なんじゃないかな。今日のところは諦めてまた日を改めて来た方が───」
「黙れッッ!!……あんたこそ全然攻撃してこないじゃん?逃げるだけのくせに偉そうに言わないでよね」
鈴香がそう言うと、レナは一瞬きょとんとしたような顔をして……そして、こう言った。
「……私も、殺しに行っていいの?」
ぞくり。
一同の背筋に、化け物に舐められたような悪寒が走る。
喉がからからと渇いてくる。心臓がばくばくと煩く吼える。………危機感?なんで?だって、本当に、殺される訳が─────。
「…そうだよね、殺しちゃえば……もうユキに酷い事、出来ないもんね。大切なものを護る為には……何かを壊す事を躊躇しちゃ、いけないもんね────」
なんで、何も、声が出ないの?
なんで、こんなゴミカスの事に釘付けになってるの?
動け、何でもいいから喋れ、動け動け動けッ───!!!
「…は、ははッ…!出来もしないくせによく言うよ、口だけが─────」
そう言いかけて気付く。
目の前に、もうレナが居ないと云う事に。
────え?だって、さっきまで、そこに………。
ちくり、とうなじに何か突きつけられた感覚。
それは、爪先だった。……回り込んだレナの、右手の爪先。
「───ッ!?」
「……私が武器を持ってたら、もうあなたは死んでるね。武器を持ってなくてよかった……本気で、殺しちゃうところだった」
武器を持っていないとレナは言っているし、実際にナイフや拳銃を突きつけられている訳ではないと理解している。けれど、その場に固められたように……鈴香は、そして沙羅と亜澄は動く事が出来なかった。レナは語りかける。その言う事を聞くしか、鈴香に道は残されていない。
「……ね?死ぬって怖い事だって分かった?簡単に人に死ねなんて言っちゃ駄目だよ。」
「…わ、か…った……」
「……そう。分かってくれてよかった。」
そう言うと、レナはうなじから自身の指を離した。
自身を縛り付ける石化魔法から解放されたかのように、一同の身体に感覚が戻ってくる。呼吸が荒くなっていた。心臓はまだ煩く鳴り続けていた。
レナは「ユキとセツナを待たせてるから、帰るね」と踵を返して戻っていく。その姿が見えなくなるまで……鈴香達は、話す事すら出来なかった。
「……なん、なの……あいつ……ッ」
鈴香のその恨みを孕んだ声は、誰にも届く事は無く消えていった───。