第2夜 1節
文字数 2,022文字
───能力開発研究所、通称【クレナイ】…。その最下層の実験室でレナが引き起こした波乱は、結局のところ、研究員五人の犠牲で幕を下ろした。これが大きな犠牲なのか小さな損失なのか……それは、仲間達の無事を願うのに精一杯だった雪音やセツナには知る由も無いし、階上でデータ解析に努める多数の研究員達、それから研究長やサツキにとってもたいして重要な事では無いようだった。
セツナの傷が癒え、代わりにレナが意識を失ってから、雪音とセツナは何とかしてこの実験室から出ようと試みたが、専用のICカードの無い二人がこの実験室から出て居住区域の自室に戻る事は出来なかった。そうこうしている内に階上の研究室から研究長に「実験体の暴走が収まった」と云う旨の無線連絡が入ったらしく、研究長が「やぁ、本当に何とかなるとは思わなかったよ」と何食わぬ顔で現れた。敵意を剥き出しにする二人だったが、研究長が「もう今日は何もしない、居住区域に連れて行ってあげるから」と言うので、渋々従う事にするのだった……。
───居住区域、レナとセツナ、それから雪音の部屋。
レナは未だ意識が戻らず、研究員達が彼女を自室の簡素なベッドの上にそっと寝かせてくれた。脈拍や呼吸数、血圧などのバイタルは安定しているようなので、ただの疲労だろう…と研究員達は判断し、命の危険は無く大丈夫だと云う事を雪音とセツナに伝えた。ほっと胸を撫で下ろした二人だが、目を覚ますまで心配が解けそうになかった為、共同の談話室でレナが起きるまで待機する事にしたのだった。
時計の秒針が時を刻む音だけが、コンクリートで造られた部屋の壁に反響する。時刻は零時を回っている。寝静まった居住区域は、あまりに静かだ。消灯時間はとっくに過ぎているため部屋の主照明は切ってあり、間接照明の朧げな灯りだけが部屋を薄暗く照らしている。
暫く黙っていた二人だったが……どちらからともなく、沈黙に耐えられなくなって……また眠気を覚ます為に、小声で話を始めた。
雪音がレナの部屋を見て、呟く。
「……レナちゃん、まだ起きないね……」
「もうこんな時間だし、ひょっとしたら……普通にぐっすり寝てるのかも。レナって昔から寝付きいいから」
「そうなんだ…そうだったら良いんだけど…。セツナちゃん、レナちゃんに詳しいね。幼馴染なんだっけ……同じ学校だったとか?」
「同じ学校ってのもあるけど、学校に行く前から一緒だったよ。なんなら寝るのも一緒だったかな……一緒『だった』って言うか、今も一緒か。流石に寝るのは違う部屋だけど」
あはは、と笑うセツナ。
……そういえば、自分の話は二人に話したが、二人の昔話は聞いていない。セツナの話を聞くに、どうやら一緒に住んでいた…という事は伺えるが、どうして一緒に住む事になったのか雪音は知らない。……レナは「自分も雪音と同じ捨て子だった」と言っていたっけ。もしかすると、二人の身の上話にレナの力の秘密が隠されているのかもしれない……。
そう思った雪音は、セツナにこう訊いてみるのだった。
「…あのさ、もし、良ければなんだけど……。」
「ん?どしたの雪音」
「…セツナちゃんと、レナちゃんの話を、聞かせてくれないかな。二人の事を、もっとちゃんと知りたいんだ……」
「………。」
「過去なんて、思い出しても…そして知っても辛くなる事の方が多い事は分かってる。でも、ちゃんと知りたいんだ…。二人の事を知って、二人の力になりたいから」
それを訊いたセツナは黙り込んでしまったが、数十秒悩んだ末に「……そうだね」と覚悟の篭った声で雪音に応えた。セツナのその表情は、微笑んでいるが…どこか痛々しいような、悲しんでいるような…そんな印象を受ける。雪音は無理強いをしてしまったかと少し不安げに瞳を揺らした。
「そうだね、私も…ちゃんと雪音には話しておくべきだと思ってる。それに、しっかり思い出したらレナの事も分かるかもしれないしね。」
「え、っと…ほんとに大丈夫…?ああは言ったけどしんどかったら無理はしなくても…」
「あぁいや、雪音に話すのが嫌とかそういうのじゃ無いよ。ただ……この記憶自体、あまりいい話じゃないからさ。私は軽く思い出してもトラウマの発作が起きなくなるくらいには克服してるから多分大丈夫……まぁしんどくないかと言われると嘘になるけど……、どちらかと云うと雪音が嫌な気持ちにならないかの方が心配だよ」
「僕の事は気にしないで。どんな過去でも受け止めるつもりだよ。……セツナちゃん、本当に無理しないでね……?」
「大丈夫大丈夫、しんどくなったら止めるから。…それに、さっきも言ったけど雪音にはちゃんと知ってほしいんだ…。私達の、汚い部分だとしても。…それが、私達が此処に居る理由でもあるから」
セツナはそう言うと、二人分のコップに麦茶を注いだ。片方を雪音に渡すと、椅子に座って間接照明を眺めながら、一呼吸おいて紡ぎ始める。
───それじゃあ始めようか、私の……私達の物語を。