第0夜 6節

文字数 2,028文字

くあ、と欠伸をひとつして、行商人はどっかりと露店に置かれたパイプ椅子に腰掛ける。半ば錆びかけている椅子がぎい、と軋んだ音を鳴らすが、そんな事は気にならない。……もう、夜が明けようとしている。そろそろ店仕舞いの時間か───。
そう思いながら二度目の欠伸をしたところで、あの、と女の小さい声が聞こえた。行商人は商品──並べられているのはナイフや拳銃などの武器──の向こうに目をやる。…そこにははじめ、誰も居ないかのように思われた。だが、すーっと目線を下げると、そこに十代前半…まだ幼さすら感じる顔立ちの少女が、微風に肩で切り揃えられたブロンドの髪と青いリボンを揺らしながら此方をじっと見つめて立っていた。……お客だろうか。それにしては些か若すぎる…それに女だ。何かの間違いか…道でも訊ねに来たのかもしれない。行商人は表情を柔らかくして、少女に声を掛ける。


「お嬢ちゃん、こんな夜更けに散歩かい?駄目だよー、この辺は知っての通り治安が悪いからね。おじさんの商品もホラ、こんなのばっかだし?危ないから早くお家に帰りなさいな。それか、どうした?道にでも迷ったかな?」


そう言うと、俯きながら少女は少し視線を泳がせ……それでも数秒後には何か意を決したようで、「あの、えっと、」と言葉を続けた。


「ナイフ、を探してて……。前持っていたものを、失くしちゃったから……」

「……ナイフ?お嬢ちゃんが?……はは、冗談はいけないよ、お嬢ちゃんのような子供がナイフだなんて───」


そこまで言ったところで行商人ははたと気付く。目の前の少女の瞳の奥に、底知れぬ闇が眠っている事に。それは絶望の色。恐怖の色。そして……殺意の色。
……彼もこの【裏社会】で武器の行商をして短くない。彼の元を訪ねる客は、マフィアや咎人……時には殺人鬼…。そういう「何か武器を手に入れなければならない事情がある」者達が殆どだ。そしてそんな者達の瞳には、濃さは違えど負の感情が渦巻く闇が潜んでいた。
それは、目の前の少女も同じで───。
……どうやら、彼女は嘘や冷やかしなどではなく、本当に武器を求めて此処を訪れた客人らしい。それを悟った行商人は「子供はお家に帰りなさい」という社交辞令的な台詞を飲み込んで、客人対応をするのだった。


「……いや、何でもない。ナイフなら、そこに並べてあるのが今日持ってきた全部だ。すまないね、こんな小さな露店だから、そんなに種類が無くて。それでも……その道の者御用達の品だ、品質は保証するよ。どれでもしっくり来るものを選ぶといいさ」

「ん……と……」


そう、彼女の「此処に来た目的」に理解を示した事を態度で示すと、少女はほっと肩の力を抜いて行商人が指差すナイフ置き場に視線をやった。幾つかの商品を持ち上げては柄の部分の握り具合を確認し、それから値札を見て…暫く悩み始める。
それを見ながらふあ……と三度目の欠伸をする行商人。気を抜けば微睡みに包まれそうだ……。昼間は別の仕事をしており、夜は裏ルートで入荷した武器の露店販売。毎日露店を構えているわけではなく、行商をしない日の夜は大人しく寝ているのだから、夜から早朝は眠くて当然だ。そんな眠気に負けそうな行商人を、少女の「これ…」という声が起こす。
こくりと落ちかけた頭を急いで持ち上げて見れば、少女が手にしていたのは少し小さめのサイズのランボーナイフだった。サバイバルナイフとも呼ばれるそれは、本来は戦闘用ではなくサバイバル用のナイフで、ノコギリを想起させるギザギザの刃が印象的だ。…サバイバル用、と言ったが、勿論戦闘にも使用できる…そういう実用的な軍用ナイフだった。
こんな夜更けに1人、ナイフを求めて訪ねてくるような少女だ。家には帰れないそれなりの理由があるのだろう。それなら尚更、このサバイバル用としても戦闘用としても扱えるナイフを買うというのは、最適解のように思える。


「え、と……お金、これで足りますか…?」

「一、十、百………うん、足りるね。毎度あり。…いや、ちょっとまけてあげよう。これをお釣りに。……気にしないで受け取ってくれ、これっぽっちのお金でも、何か買えるものがあるだろうからね。ちょっとラッキー、みたいな感じで。」

「え……あ……えと……有難う……」

「ん…。それじゃあおじさんはそろそろ店仕舞いするからね。お嬢ちゃんも気を付けて。」

「は、はい、さようなら、有難うございました…!」


ぺこりとお辞儀をすると走り去って闇に溶けてゆく少女を見送って、再び辺りが静寂に包まれる。
……あの少女の瞳の奥でひしめいていた感情…。絶望。恐怖。殺意。……それは、間違いなく本物だった。十五にも満たないような子供にそのような感情を抱かせるこの街は、本当に狂っているし間違っている。だが、かと言って自分がそれを正せる筈も無い。
はぁ…と溜息をひとつ吐いて、行商人は闇夜に呟いた。


「残酷な世界だ。あんな子供が、人を殺める道を選ばなければ生きていけないなんて───。」



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登場人物紹介

夜国 玲菜(やくに れな)


実験体A-11316-01


ブロンドのボブヘアに青いリボンと青い瞳の小柄な少女。

【発狂症】持ちにして、【ヤミカガミ】の適合者。妖の血を引いており、身体能力が高い。誰かを助けたいと強く思う反面、敵には容赦しないなど残酷。

白橋 雪奈(しらはし せつな)


実験体A-11316-02

 

紫がかった黒髪と黄金の瞳を持つ背の高い少女。類稀な「霊力」を秘めている。

神事【神憑り(かむがかり)の儀式】で繁栄を築いてきた「御光(みこう)家」の生まれ。 だが、儀式に出られるのは男児のみだったため一族から出来損ない呼ばわりされ虐待されて育つ。

白夜 雪音(びゃくや ゆきね)


実験体F-40556-E3


先端脳科学研究所で育ち、【クレナイ】に移ってきた実験体。

髪はもともとは黒かったが実験の影響で色が落ちてしまった。

実験を通して人間の限界まで身体能力を磨き上げられている。 おどおどしていて丁寧、優しい性格。

星野 有希(ほしの ゆき)


実験体L-90996-A4

 

学校でいじめを受けていた黒髪で眼鏡をかけた内気な少女。

レナの強さに勇気を貰っていじめっ子に反発したことでいじめが悪化し、屋上から身投げをする。その後【クレナイ】に拾われて二代目【ヤミカガミ】として完成する。だが、彼女は精神を破壊されており───。

サツキ


レナに助言を与える、銀の髪に紅の瞳を持つロリィタ服の少女。

対象の精神を汚染する「人を壊す力」を持ち、【クレナイ】の研究員と実験体に精神汚染を行っている【クレナイ】幹部にしてお姫様。

レナを特別視しているが、その理由とは…。

研究長:郷原雅人(さとはら まさと)


【Dolce】の職員にして能力開発研究所【クレナイ】の所長兼研究長。

人当たりがよく物腰柔らかで紳士的だが、倫理観がどうかしており、非人道的な人体実験だと理解した上で実験を行なっている狂人。
実は彼にも事情があって────。

ヒナ(緋那)


【感情の権化】───妖の1人にして、【死】そのものを司る、生きる厄災。

全てを奪い、失いながら永劫を生きる地獄に耐えられなくなり、禁呪を用いて命を絶った。だが、彼女の死が全ての物語の運命を歪める事となった───。

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