第4夜 2節

文字数 6,146文字

あれは、学校の屋上で事件が起きた、その周辺の時期だったと思う。何せカレンダーを見ていないし携帯電話も手元に無かったので、何月の何日の出来事か断言出来ない。遅くて、事件が起きた数週間後。早くて───事件が起きた当日。
気付けば真っ暗な空間の中に、意識だけがあった。ふわふわと宙を浮いているかのような不思議な感覚。今この感覚を感じているのは「自分」と云う当たり前の事に気付くのに、かなりの時間を要した。………これは、私?私は、生きている?だって私は────。
………だって私は……?
私は、何をしていたんだっけ。何処に居たんだっけ。私は……誰だっけ。
何も………何も、思い出せない。
記憶の糸を手繰り寄せてばらばらのピースを集める。学園………友達………いじめ………屋上………そして、転落……。そうゆっくりと思案して、「自分は追い詰められて屋上から身を投げたのだ」とようやく思い出す。その途端、記憶が一気に蘇ってきて。……そうだ、私はユキ。星野、有希。友達にレナちゃんとセツナちゃんが居て、仕事で忙しい両親が居て、いじめてくる宮下さん達が居て………。
一気に思い出したものだから、膨大な記憶の処理のために脳がフリーズしそうになる。落ち着こう、早く思い出さなければ死ぬ訳じゃないんだから、ゆっくり思い出せば───

………「死ぬ」?

そうだ………私は、死んだんじゃ無かったの?
間違いなく屋上から飛び降りた。気持ちの悪い浮遊感も、終われると云う確信も確かにあった。けれど今、自分はこうやって意識があって………。………此処は、天国か地獄なのだろうか。それにしては些か暗くて何も無さすぎる気がするが。
………流石にその推理は無理があるか。
現実的に考えれば、「一命を取り留めた」と云う事だろう。それに、少なからずホッとする自分が居た。………私は、別に死にたい訳では無かったのだから。けれど………もし復帰出来たとして、またあの悪夢のような日々が続くと思うと………少し、苦しくなる。

………辺りが、ぼんやりと明るくなってきた。
精神世界にも日の出と云う概念があるのだろうか。
────いや、これは日の出では無いな。
「私」が、目覚めようとしているのだ。
病院のベッドの上だろうか。レナちゃん達や両親を、心配させてしまっただろうか。
意識がノイズ混じりになっていく。
こうして、また日常に戻っていくのだろう────────






「………お目覚めかな?」






はじめに聞こえたのは、知らない男性の声だった。
ゆっくりと目を開き……ぼやけた視界で辺りを見遣る。白くて、清潔で、広くて………目の前には白衣を纏った赤茶の髪の男性が居て……。
やはり病院か。救急車などで運ばれたのだろう………そう思っていると、医師らしき男性が声を掛けてくる。


「目覚めたのは君で最後、だね。……全く、屋上から転落した君と彼女の【発症】に巻き込まれた子達が同じ程度の傷とは……君が運が良いのか、はたまた【発狂症】が驚異的な力を発揮しているのか…どちらなんだろうね」


………?
何を言っているのか分からない。「彼女の発症に巻き込まれた子達」………自分の他に、誰かいるのだろうか。ユキはそう思いながら、はっきりしてきた視界でもう一度辺りを見る。
真っ白な部屋。壁には時計が一つ付いている。
そこは病室などではなく……自分の寝かせられているベッドも医療現場のそれではなく、拘束台のようなものだった。………病院にしては、少しおかしい。此処は、一体───。
背中に何故か、冷や汗が伝った。
なんだか、来てはいけない場所に連れて来られたような気がして……。
からからに乾いた喉から声を絞り出して、ユキは「此処…どこ、ですか…」と尋ねる。白衣の男性は笑顔を貼り付けたまま答えた。


「能力開発研究所………通称【クレナイ】だよ。学校の屋上に、それから地上に君達が倒れているものだから保護させてもらったんだよ」

「能力開発………研究所………?」

「そう。色々な実験を行なっている所だね。」

「………それ、保護って云うか、拉致……じゃないんですか…?だって、私達の意思とは無関係に……」

「意識を失っているのに同意を得る事は出来ないだろう。あのまま放置していたら、君は間違いなくあの世行きだったよ。……【クレナイ】の医療班の速やかな処置があってこそ、今の君の命がある。救急車なんて待っている余裕は無かったんだ」


………なんだか上手く丸め込まれた気がする。けれど、あのまま放置されていたら死んでいたかもしれない…と云うなら、彼はユキの命の恩人なのだ。……怪しむのは程々にしておいた方がいいだろう。
白衣の男……命の恩人の名前くらいは知っておきたい。ユキは恐る恐る男に声を掛ける。


「あの……お名前、伺っても……?」

「うん?あぁ……郷原と云うよ。郷原雅人。此処【クレナイ】の研究長をしている者だ。」

「郷原、さん……あ、私の名前は…」

「ああいいよ、君の事は調べてあるから名乗らなくて構わない。……意識がだいぶはっきりしてきたみたいだね。起き上がってみるかい?」

「あ、えと……はい、」


郷原に補助されながらゆっくりと起き上がる。視界が少し高くなって、周りの様子がよく見えた。
───そこに居たのは、ユキ一人では無かった。鈴香、沙羅、亜澄、雄介、傑……ユキをいじめていた生徒達五人もまた、拘束台の上に横になって……或いは座っていたのだ。不意に鈴香と目が合って、ユキはびくりと身体を強ばらせた。彼女はぎろりとユキを睨むと……はぁ、と目線を逸らしながら話しかけた。


「あんたと同じ空間に居るとかマジでキモすぎ。………でも、私達も死ぬかもしれなかったから……今なら、あんたの事、ちょっと分かるかも。………悪かったわね、色々。」

「宮下さん………」

「別に許しを乞う気とか無いけど!?……ま、ちょっと反省したって云うか…そんなとこ」

「………」


許さないと云う選択も取れた。
それは今までの彼女達の行いを鑑みれば当然の判断だろう。
……けれど……。
レナやセツナなら、こんな時どうするだろうか。………きっと、許すのだろう。だってあの時、二人はいじめっ子ですらも救いたいと言っていたのだから。
───「強くなる」、それは誰かを護る事。自分が変わる事。
なら、私も………


「いいですよ」

「え、」

「私もうじうじしてばかりで、申し訳なかったです。これからはもう少し…しゃんとしますね」

「………」

「え…と、あの………そ、それで………」

「……ぷっ、あっはははは!!面白すぎ!…………うん、ごめん。あたしも……もう少し大人になるよ」

「!」


わだかまりが、少し解けた気がした。その様子を眺めていた郷原は眉を下げながら笑い……咳払いを一つした。一同はそちらに視線を遣る。


「……全員、無事で良かったよ。なにせ此処に運んできた時は誰もが生死を彷徨っていたんだからね。」

「……郷原さんって言ったわよね。助けてくれたのは有難いけど、これって拉致でしょ?やっちゃいけない事だと思うんだけど。早く家に帰してくれない?」


鈴香が不審そうな顔で郷原を見遣る。郷原はそうだね、と顎に手を遣ると…表情を崩さずこう言った。


「勿論帰してあげるよ。けれど……君達には少し、私達に協力して貰いたいんだ。見返りを求めるのは本意では無いが……命を助けた礼に、お願い出来ないかな?」

「協力…?」

「そう───此処、能力開発研究所は君達人間に実験を行う研究所。待遇は良くする事は約束しよう。生活に不自由はさせないよ。私の要求は一つ。君達には………レナと同じ実験を受けて貰いたい、と云う事だ。」


レナちゃんと…?
何故そこにレナの名前が出てくるのかが分からないユキは眉をひそめる。それに、「人間に実験を行う」だなんて……それはつまり、人体実験の研究所だと云う事だ。そんな事、社会的に許されるの?……否、少なくともこの国では許されない行為だろう。こんな提案、さっさと断って───。
だがそこで、郷原は言った。「レナやセツナも、実験を受けているよ」と───。


「………え、」

「君達が目覚めるまでの間に、彼女達には実験を進めている。最初は嫌がっていたが……慣れとは恐ろしいね。それが彼女達の『強さ』なのだろうか」

「……なんであいつらに?あたし達と違ってあんたはレナやセツナの命の恩人じゃないでしょ。だって───レナがあたし達を………。………ねぇ、レナって何者なの?あの時…明らかにおかしかった。まるで、人間じゃない化け物だった…ッ!」

「レナ…ちゃんが…?」


一部始終を見ていないユキがそう零す。
鈴香達は顔を見合わせ、郷原に問いかけた。……転入してきたときから、レナは異質だった。普通に生きていては有り得ない程の殺気を身に纏い……そして、その殺気は偽物ではなく実力を伴った本物だった。どう考えても、「普通の人間」では無い。
郷原はにっこりと笑うとそれに応えた。


「彼女の強さは、【発狂症】によるものが半分と…もう半分は今までの人生経験だろうね。【発狂症】と云うのは……君達が体験した【あの状態】の事だよ。精神に負荷が掛かりすぎると自我と理性、痛覚を失い───周囲のものを全て破壊しようと動くんだ。理性や痛覚がない分、人間の体の可動域を無視した動きをするようでね…それがあの驚異的な強さを発揮しているのだろう」

「んな……」

「じゃあ……もう半分の、人生経験って……」


鈴香が唖然とし、その後に沙羅が続いた。


「……彼女は、【裏社会】の出身だ。それが彼女をあそこまで強くしたんだろう」

「【裏社会】…?」

「この世界は【表社会】と呼ばれていてね。此処からかなり離れたところに…【裏社会】と呼ばれる街があるんだ。そこは最悪の治安を誇る街で…窃盗や殺人、虐待や密売などは日常茶飯事。子供が学校に通える事も、衣食住が与えられる事も、そして命がある事も当たり前じゃない───レナやセツナは、そんな街で生まれ、育った。」


初耳だった。
レナやセツナが、そんな恐ろしい場所で生まれ育ったなんて知らなかった。

………海や山を見た事が無いと言っていた。
『この世界では』無意味に人を傷付けるような人が居ないと信じたい、とも言っていた。

それらの真意。
それは…二人が、郷原の言う【裏社会】の劣悪な環境で生まれ育ったから、と云う事なのだろう。

───白目を剥いて、口から泡を吹いて死んでいく姿なんて、知らないよね。肉を抉る感触も、骨を砕く感触も、生温かい血のにおいも、腐敗した身体に集る蝿の悍ましさも、知らないよね。知らないくせに、簡単に死んでなんて、言っちゃ駄目だよ───

……鈴香もまた、思い当たる節が幾つかあった。
あの時…レナはまるで死体を見た事があるかのように、殺した事があるかのように語っていた。それに、彼女から感じるびりびりと世界が揺らぐような殺気は本物だ───それはつまり……。【裏社会】で、そういう経験があったからなのだろう……そう今悟る。
レナは……きっとあるのだ。
人が目の前で死んでいく姿を見た事も────そして、その手を汚して殺めた事も。
そう思案して……背筋にぞっと鳥肌が走る。
あんな、無害そうで小動物みたいな子が……本当に、化け物のような気がして。
そしてそれと同時に、苛立ちを覚える。
レナに対して?……多分そうじゃない。そんな「強さ」を持つ彼女には絶対に敵わないという無力感から来る……そんな苛立ちだ。

……郷原は続ける。


「話を戻すが……私が君達に受けて欲しい実験は、レナにする実験と同じものだ。あの子はうちのお姫様曰く【特別】でね……【ヤミカガミ】の器として選ばれたんだ。だが……【ヤミカガミ】に適合できるとは言い切れない。だから君達にも───」

「ちょ、ちょっと待って、特別?ヤミカガミ?説明してくれないと理解出来ないんだけど!」


鈴香が慌てて制止する。混乱しているのは鈴香だけでは無い……沙羅も亜澄も、雄介も傑も……そしてユキも、何が何だかさっぱりだった。
レナの過去は分かった。彼女が【発狂症】なる病を抱えている事も。……けれど、特別とは一体?それから、【ヤミカガミ】とは何?


「…あぁ、説明しなければならないね。…此処、【クレナイ】では、人間が能力を扱うための実験をしているんだ。【ヤミカガミ】と云うのは……此処【クレナイ】の最高の攻撃力を誇る能力の事だ。レナはその器として選ばれた……けれど、【ヤミカガミ】の力は強大だ。適合できるとは一概に言えないんだ。だから他にも同じ条件を満たす被験者が必要でね……君達には、それになって欲しい」


………拉致されていきなり能力者になれと言われても、頭が追いつかない。私達は普通に生きたいだけであって、そんな力を望む事は───。


「……君達、強くはなりたくないのかな?」

「え、」


郷原は、不意にそう問いかけた。……強く?
その言葉は、ユキの……そして鈴香達の心の水面をざわざわと揺らす。


「レナのように、強くはなりたくないかい?彼女の隣に並ぶ人になりたくはないかい?そして───彼女を超える人に、なりたくはないかい?」


隣に…。
ユキはそう頭で繰り返す。
あの時───放課後の教室でセツナと交わした言葉を思い出す。私は確かに、強くなりたいとずっと願っていた。ずっと、願っている。けれど、私が出来る努力では強くはなれなくて。……郷原さんの言う事を聞けば、強くなれる…?

超える…。
鈴香もまた、そう繰り返す。
話を聞く限り、レナは強い人間だ。経験からそうならざるを得なかったのだろうが……それでも、彼女の強さを妬んでいるのは本当だ。もし、あいつより強くなれたら……あんな目には、もう遭わないのだろうか……。


「なれるよ。君達が、【ヤミカガミ】の実験を受けてくれたら。……断る選択肢は、実は与えられないのだけれど。君達には此処に来てもらった以上…実験に協力する以外の選択は選べない。けれど……出来る事なら、君達の口からYESと聞きたいんだ。君達の意思で、実験を進めたいからね」

「………」


背水の陣。
その言葉が、ぴったりだった。
今の自分達には、この実験を受ける以外の選択は出来ない。それは、あまりに酷い真実だ。けれど……レナの、隣に立てるなら。レナを、超える事が出来るなら。強くなれば───自分の手で幸せを、掴めるのだから。
鈴香がはじめに、口を開いた。その後に沙羅が、亜澄が、雄介が、傑が続く。


「………やる。」

「私も」

「うち、も…」

「俺だって…」

「やってやるよ」


………ユキは、少し悩んだ。
これから行われる「実験」が、いいものでは無いと何処か確信じみたものを感じていて。
けれど───


「……やり、ます」


もし、本当に強くなれるなら。
レナちゃんの事を、痛みを、苦しみを知る事ができるなら。
…こんな話、もう二度と訪れないだろう。
だから……私は実験を受ける。
今度こそ、強くなるんだ。絶対に、絶対に───!!

郷原は表情を柔らかくすると、ユキ達の決断に拍手し……そして、こう告げた。


「有難う。君達には、レナと同じ体験をして貰おう。彼女の過去を追体験するんだ……【ヤミカガミ】に必要な闇の感情を、植え付けるために。」


【クレナイ】に、新たな実験体が誕生した。
一同は強さへの渇望を胸に───悪夢の実験を受ける事となる。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

夜国 玲菜(やくに れな)


実験体A-11316-01


ブロンドのボブヘアに青いリボンと青い瞳の小柄な少女。

【発狂症】持ちにして、【ヤミカガミ】の適合者。妖の血を引いており、身体能力が高い。誰かを助けたいと強く思う反面、敵には容赦しないなど残酷。

白橋 雪奈(しらはし せつな)


実験体A-11316-02

 

紫がかった黒髪と黄金の瞳を持つ背の高い少女。類稀な「霊力」を秘めている。

神事【神憑り(かむがかり)の儀式】で繁栄を築いてきた「御光(みこう)家」の生まれ。 だが、儀式に出られるのは男児のみだったため一族から出来損ない呼ばわりされ虐待されて育つ。

白夜 雪音(びゃくや ゆきね)


実験体F-40556-E3


先端脳科学研究所で育ち、【クレナイ】に移ってきた実験体。

髪はもともとは黒かったが実験の影響で色が落ちてしまった。

実験を通して人間の限界まで身体能力を磨き上げられている。 おどおどしていて丁寧、優しい性格。

星野 有希(ほしの ゆき)


実験体L-90996-A4

 

学校でいじめを受けていた黒髪で眼鏡をかけた内気な少女。

レナの強さに勇気を貰っていじめっ子に反発したことでいじめが悪化し、屋上から身投げをする。その後【クレナイ】に拾われて二代目【ヤミカガミ】として完成する。だが、彼女は精神を破壊されており───。

サツキ


レナに助言を与える、銀の髪に紅の瞳を持つロリィタ服の少女。

対象の精神を汚染する「人を壊す力」を持ち、【クレナイ】の研究員と実験体に精神汚染を行っている【クレナイ】幹部にしてお姫様。

レナを特別視しているが、その理由とは…。

研究長:郷原雅人(さとはら まさと)


【Dolce】の職員にして能力開発研究所【クレナイ】の所長兼研究長。

人当たりがよく物腰柔らかで紳士的だが、倫理観がどうかしており、非人道的な人体実験だと理解した上で実験を行なっている狂人。
実は彼にも事情があって────。

ヒナ(緋那)


【感情の権化】───妖の1人にして、【死】そのものを司る、生きる厄災。

全てを奪い、失いながら永劫を生きる地獄に耐えられなくなり、禁呪を用いて命を絶った。だが、彼女の死が全ての物語の運命を歪める事となった───。

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み