第3夜 8節
文字数 2,408文字
「あ、あの……っ」
「ん…ユキ、どうしたの?…あ、席近いね!よろしくね!」
「あ、ええとっ、よろしくお願いします……、えと、そ、それで……」
「?」
今日の朝は、有難う。
今日の朝は、有難う。
今日の朝は………
それだけの言葉なのに、頭の中ではシミュレーション出来ているのに、それがなかなか口に出せない。あたふたと慌てる私を、レナさんは不思議そうに首を傾げながら見つめ…それでも、此方が何かを言い出すまでじっと待ってくれた。…彼女達はきっと、優しいんだ。なのに、なのに言葉が何一つ出てこない私って…!!
セツナさんはそれを見て「ああ!」と言うと、私の言いたい事を当ててくれた。
「……ひょっとして、今日の朝の事?」
「え、あ、そ…そう、です…お礼を、言いたくて……」
少し小声になりながら言うと、レナさんとセツナさんは顔を見合わせ……ふは、と笑った。レナさんが朗らかに言葉を紡ぐ。……その言葉は、とても温かくて。
「あはは、気にしなくていいよ。助け合うのは当然の事だもん」
「レナったら、あんなに脅さなくてもいいのにね……転入初日の朝からヒヤヒヤさせないでよー」
「あー……うーー……気をつけます……」
「で、でも、本当に助かりました…」
「いいのいいの、だって───私達、友達でしょ?」
「………え、とも、だち…?」
レナさんの言葉に戸惑ってしまう。
普通に話してくれるかもしれない、無視や意地悪をせず、普通に………そうは思っていたが、「友達」とまで言われるとは思わなかった。
レナさんがはっと気付いて両手を振る。
「あっ、え、いや…!急に友達なんて嫌だったかな…!?そうだよね、まだ知り合ったばかりだもんね…!」
……嫌な筈が無い。
ずっと、羨ましかったのだ。
周りの子達は「友達」と仲良く遊んでいて、白い目で見られないと信用出来る「友達」と一緒に笑えて、昼休みや放課後を「友達」と共に過ごせて……。私は、そんな「友達」と云う存在を、ずっと羨ましく思っていたのだ。
けれど、それは私には無縁な世界で。私は陰気で、弱虫で、気遣いが出来るわけでもなく、社交的な訳でもなく……兎も角、人付き合いに向いていないのだ。そして、「人間関係を構築できる訳が無い」と諦めていて、友達を作る努力を怠っていたのだ。だから……友達なんて出来る筈が無い、そう結論付けていて。
───それなのに、目の前の二人は、私を「友達」と呼んでくれた。
本当に?聞き間違いじゃないの?
本当に、本当に本当に「友達」って言ってくれるの…?
信じられない。
……後から絶望されたくなくて、失望されたくなくて……それで離れられて傷付きたくなくて、気付けば私は自分の嫌なところを並べていた。
「嫌、じゃないです……でも、私は根暗です…弱虫だし、すぐ泣くしうじうじするし、変なところが真面目でこだわりが強くて、心配性で、今まで人と関わった事もろくに無いし、特技も大して……」
ぎゅう、と両手でプリーツスカートの裾を握り締めた。……自分で言っていて惨めになってきた。なんだか目尻が熱い……涙が出てきそう。言えば言うほど自分がダメ人間な気がしてきて、苦しくなって………。
───そんな私の左手に、レナさんの手が触れる。彼女は両手で私の手をしっかり握って、「そんな事ないよ」と言った。
「………え」
「ユキは真面目なんだね。自分の事、すごくよく分析してる。……ユキはきっと、誰よりも優しいんだよ。そして、芯がしっかりしてる。だから、悲しくなったり心配になったりするし、こだわりがあったりするんだと思う。……それって悪い事じゃないよ。ユキはユキのままでいい……私達、ありのままのユキと友達になりたいな」
「……そうだね。私だって悪いところたくさんあるよ?怖がりだし、一度決めたらまっしぐらになっちゃうところとかあるし、すごく心配しがちだし……挙げ出したらキリがないくらい。レナだって悪いところがある。けど……それを支え合ってこそ『友達』じゃない?支えさせてよ、ユキの事。私達も支えてもらうかもしれないけど」
「ふたり、とも………」
「ね、大丈夫。だから……友達になろ?」
ここまで言ってもらって、私は何を躊躇しているんだろう。大丈夫。レナさんとセツナさんは私をちゃんと見てくれてる。理解ろうとしてくれてる。だから、きっと大丈夫……。
私はとびきりの笑顔を作って、応えた。
「……はいっ!」
目尻に溜まった涙が、つうっと頬を伝って落ちる。なんて泣き虫。なんて弱虫。……ううん、それでいいんだ。このままでいいんだ。私も、彼女達が認めてくれたありのままの私を好きになろう。大切にしよう。そして────私も、二人の事を支えられるようになろう。
「……あの、レナちゃんって……セツナちゃんって、呼んでも、いいですか?」
「勿論!」
「敬語も外しちゃっていいんだよ?私達なんて最初から砕けた話し方してるけど」
「で、出来るだけ外してみますがこっちの方が慣れていて……」
「まぁ無理にとは言わないけど……」
「ユキ、セツナ、そろそろチャイム鳴っちゃうよ…!早く理科室行かなきゃ!……でも理科室ってどこ?」
「そうだね、行こうユキ!」
「……はい!理科室、こっちです!」
三人は並んで廊下の向こうへ消えていく。
「───。」
誰も居なくなった教室に、一人残っている女子生徒。
宮下鈴香は、その三人が居なくなっても……彼女達の机を、じっと睨んでいた………。