第4夜 14節
文字数 2,860文字
妖退治をする人間に見つからないよう拠点を転々と変え、サツキとヒナは二人で穏やかに暮らした。……けれど、ヒナの心の穴は、いつまでも癒える事は無かった。
それは、とある春の日。
ヒナは花冠を編んでいるサツキに、静かに声をかけた。
「………なぁ、サツキ」
『はい、なんでしょう主サマ?』
「サツキは……永遠を生きる事について、どう思う?」
『?』
「私達妖には死と云う概念が無い……故に、永遠を生きなければならない。それについて、サツキは……何か思ったりしないのか?」
『……アタシは、主サマが隣に居てくれるなら、自分の命が須臾だろうと永遠だろうと構いません。主サマの隣で、いつまでも笑っていたい……それだけがアタシの願いであり、存在理由です』
「そうか……。なぁ、サツキ────私はもう、永遠を生きる事に、疲れてしまった。」
『────え』
サツキはぱさ、と花冠を落とし…そう言葉を漏らした。
生きる事に、疲れた?
主サマは、死にたいと仰るのだろうか。
だが……サツキにも、ヒナの心情はよく理解できている。ヒナは無邪気で残酷なサツキと違い、あまりにも優しい。だから、ロベリアの事も忘れられなければ……人間を敵に思う事も、簡単には出来ないのだろう。忘れる事が出来ない───それは、心の負担を軽くする事が出来ないと云う事。ヒナは、この数千年の人生で心を擦り切らせている。だから彼女は、生きる事に疲れたと────そう、言っているのだ。
「私は、化け物。それはよく分かっている───けれど、もう……化け物でありたくないと、無慈悲に命を狙われ続け、奪い続けるだけの生など欲しく無いと……そう願ってしまう。笑ってくれて構わない……私は、人間になりたいのだと、最近気付いたのだ」
『主サマ………』
ヒナは読んでいた本をぱたんと閉じると、立ち上がってサツキに向き直った。その瞳には、決意の色が感じられた。
「サツキ。私は………代替わりをしようと、そう思っている。だが、新たに生まれた【私】にも、同じ苦しみを味わせたくない。そこで、だ。禁呪を用いて…次の代に人間の遺伝子を織り込もうと思っている。そうすれば生まれてくる次世代は半妖となり、それらは代を重ねるごとに妖としての力を弱め───」
『ま、待ってください…ッ!!アタシは、主サマが死ぬなんて…ッ、代替わりするなんて、そんなの………!』
そう言葉を遮ってヒナに向かって悲痛に叫ぶサツキ。だが、サツキは最後まで反論する事が出来なかった。ヒナの瞳は悲しそうな色を映しながら…その決意は、もうあまりにも固かったからだ。サツキは視線を泳がせ、何度か言葉を飲み込み………そして、時間をかけて…静かに決意した。
『………主サマが決めた事なら…アタシがどうこう言うのは、よくない、ですよね…。分かりました。次の主サマが生まれても……きっと、アタシが導きます。道標となって、主サマをお守りします。』
「………そう、か。すまない………私の我儘に、いつもお前は……愚痴を吐かず、付き合ってくれるな。振り回してばかりですまない……次の私は、もっと我儘を言わない私であればいいのだが」
ヒナは哀しげに、サツキの頭を撫でた。サツキは目を涙でいっぱいにしながら、『そんなこと、いわないで、ください…』と震える声で応える。ヒナは頭を撫でながら……禁呪を発動するための言霊を紡いだ。ぼう、と足元が淡く光り輝いて……様々な種類の植物が芽吹いた。
『大好きな主サマ………アタシを作ってくれた、愛する主サマ。アタシは……あなたの眷属で在れて幸せでした。幸せ、でし……っ…………ッ』
ぼろぼろと、大粒の涙がサツキの頬を伝う。……だめ、泣いちゃ、駄目。主サマを引き止めちゃ、駄目。でも……でも、本音は?
………いや、だ。主サマと、離れたくなんてない。死んで欲しくなんてない。永遠に、ずっと一緒に居たいっ……!いやだ、嫌だ嫌だ嫌だ。主サマ、主サマ主サマッ……アタシを……アタシを、ひとりぼっちにしないでよぉ……ッ!!!
………けれど、サツキはヒナには逆らえない。逆らえるように、作られていない。だから……ヒナの決断を、咎める事など出来ない。
だから……笑顔で、送り出さなきゃ。これ以上、ヒナの心を痛めてはいけない。それが、唯一サツキに出来る事なのだから。
淡い光に包まれて、足元の植物達が成長する。……チューリップ。パンジー。ユリ。コスモス。シクラメン。そして─────一番大きく、凛と咲き誇ったのは……向日葵だった。
ヒナはその向日葵を見遣ると、それに全神経を集中させた。
自分の中の「殺意」と云うエネルギーを、全てそれに注ぎ込む。
コンピュータがデータを移行するように、自分自身の全てを注ぎ込む。
向日葵はその力を受けて、蔓を伸ばし揺籠を形作った。
ぼんやりと、その揺籠の中に……幼児の姿が作られる。
ヒナより薄い色の、グレージュの髪。白い肌。サツキやヒナと違って、妖らしい特徴を持たない……そんな、限りなく人間に近い容姿をした子供だった。ヒナは彼女を見ると、優しげに「フタバ」と呟く。そして、サツキに言い聞かせた。
「………この子は、二代目の私であり……そして、私の娘。【愛情】の妖にして、半分は人間の血を持つ。名を────フタバ。」
『フタバ………』
「サツキ……フタバを頼む。彼女は…私達と違い、半妖だ。故に、死と云う概念が存在する。どうか…どうか彼女を護ってやってくれ。それが、私の…眷属に与える最後の命令であり……友に紡ぐ、最後の願いだ」
『主、サマ……』
揺籠の中のフタバが、ゆっくりと瞳を開く。それと対照的に、ヒナはゆっくりと瞳を閉じる。……彼女の身体は、徐々に透明になっていた。主サマ、と呼び止めようとして────だが揺籠の中のフタバが泣くので、サツキはそちらに意識を向けた。フタバの瞳の色は、ヒナと同じ……紅だった。
揺籠からフタバを抱き上げて、あやすサツキ。ヒナはそれを細めた目で優しげに眺めると………「よろしくな、サツキ」と言い残して─────空気中に溶けるように姿を隠した。
サツキは、それを聞き、ヒナが消えた事を確認すると……フタバを抱き締めたまま、へたりとその場に崩れ落ちた。真っ赤なサツキの瞳から、涙が頬を伝ってぽたぽたとフタバの顔に落ちた。
主サマ、主サマ、主サマッ……。
胸が、痛い。張り裂けるように、痛い。
悲しい。悲しい。悲しい─────そして、寂しい。
「あー?さ、つ、き?」
───泣いているサツキの頬を、フタバの小さな手が触れた。そして彼女は、ヒナの面影を残した声で…サツキの名を、呼んだ。
泣かないで。
そう、ヒナが笑いかけているような気がした。
『────ッ。泣いて、ないわ。フタバ、サツキは……泣いてなんて、無いわよっ……』
にこ、と無理矢理笑顔を作ってみせれば、フタバもきゃっきゃと笑った。
……この子は、主サマの残り香。
アタシに託された、これからの生きる理由。
きっと、きっと導いてみせる。それが、主サマと交わした約束なのだから───。