第0夜 1節

文字数 1,771文字


───この街は、世界で最悪の治安を誇る場所。窃盗、薬物、暴力、虐待、密売、殺戮、全てが日常茶飯事。寝て目が覚めたら明日がやって来る?家に帰れば温かい食事を得られる?……否。ここでは雨風を凌ぐ場所があることも、食べ物が手に入ることも「当たり前」では無い。そもそも、生きていくことさえ誰も保証できないのだから。
そんな街を、誰かがこう呼んだ。
曰く、「裏社会」……と。
















「───だからね、レナちゃん。夜は自分のお部屋から出ちゃ駄目よ。特に子供は悪〜い人に狙われがちなんだからね。貴女は女の子なんだからもっと危ない。ママとの約束よ?いーい?」

「お母さーん、それ昨日も一昨日も聞いたよ……?」


とある一般家庭───「一般」と云うには少し裕福そうな家庭だが───で、母親がまだあどけなさの残る少女に向かってそう言い聞かせる。
…常に治安が悪い【裏社会】だが、夜は一層治安が悪くなる。近頃は窃盗団や殺人鬼もちらほら闇に溶けて彷徨いているとラジオで放送していた。家に鍵を掛けていると云えど、彼等は荒事のプロ。そんな薄っぺらいセキュリティが身を守ってくれるとは言い切れない。……子供は宝だ。親としては何としても守りたい。そういうわけで、この少女───名を「レナ」と云う、ブロンドのボブヘアに青いリボンを巻いた子供の母親も、また口を酸っぱくして「夜は階下に降りるな」と言っているのである。


「毎日でも言って聞かせなきゃ駄目なの。本当は家族揃って引っ越したいのだけどねぇ……パパの会社の社長さんが煩いんですって。もう、毎日ヒヤヒヤするったらありゃしない。ママはあなたのことが心配でたまらないのよ。だから今夜もいい子でおやすみ。おやすみのキス、しましょうか?」

「私もうそんな子供じゃないもーん!ひとりでもちゃんと眠れる。ロゼが一緒だもん!」


ねー!としゃがんだレナが右隣を向けば、わん!と元気な声を上げて、彼女と同じブロンドの毛並みを持つゴールデンレトリバー、「ロゼ」が尻尾を振ってレナの顔を舐めた。くすぐったいよぅ、ところころ笑いながら戯れ合う1人と1匹。レナとロゼは、種族こそ違えど姉妹のように仲良しだった。
……ロゼは、捨て犬だった。保健所に勤めているというレナの父が、殺処分寸前だった子犬のロゼを連れて帰ってきて、それからずっと愛情を注いで面倒を見ている。「ロゼ」という名前を付けたのはレナで、ロゼはレナにいちばん懐いていた。家に迎え入れた当初は、人に怯え、曇った瞳を不安気に揺らしながら鳴くことも食べることも寝ることもしようとしなかったのだが、レナ達家族からの寵愛を受け、今は庭を元気に駆け回ることが出来るようになっている。【裏社会】には猟奇趣味な輩も稀に居て、庭から外に出ることは危険なため、散歩に行ったことは無い…というのはここだけの話だが。
ともかく、レナは自身の境遇と似ているからか……ロゼの気持ちを汲み取るのが上手く、甲斐甲斐しく面倒を見て、ロゼもそれを分かっているのかレナには特に気を許しているようだった。
「自身の境遇と似ている」と云ったが、実はレナも捨て子だった。この【裏社会】の路地裏に、バスケットに入れられて捨てられていた。それをこの家の夫婦が拾い、自分達の子供として面倒を見てきたというわけだ。夫婦は自分達のことを「ママ」「パパ」と呼んでほしいようだが……レナは恥ずかしがって未だに「お母さん」「お父さん」と呼んでいる、という余談もついでにしておこう。

戯れ合うふたりを眺めながら、母親は眉を下げて笑う。戯れ合うのが楽しくて寝るのが遅くならないといいが…などと思いながら。


「…もう、ふたりは本当に仲良しね。それじゃあ今日も一緒に寝ていいから、早く二階に上がりなさい。電気を消すわよ、早くベッドに入らないと真っ暗だからお化けが出ちゃうわよ〜?」

「きゃー!お化けこわい!…えへへ、もう寝るね!おやすみなさい、お母さん。ロゼ、行くよ」

「おやすみなさい、レナちゃん、ロゼ」


軽やかな足取りで二階へ上がったレナを見送って、母親は階段と廊下の灯りを消す。……ここからは、悪い大人達の時間。この街が、【裏社会】と呼ばれる由縁となる、仄暗い悪夢のような…それでいて咎人達にとっては居心地の良い時間。そんな時間に、そんな世界に、レナは無関係な筈だった。

……筈、だった───。
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登場人物紹介

夜国 玲菜(やくに れな)


実験体A-11316-01


ブロンドのボブヘアに青いリボンと青い瞳の小柄な少女。

【発狂症】持ちにして、【ヤミカガミ】の適合者。妖の血を引いており、身体能力が高い。誰かを助けたいと強く思う反面、敵には容赦しないなど残酷。

白橋 雪奈(しらはし せつな)


実験体A-11316-02

 

紫がかった黒髪と黄金の瞳を持つ背の高い少女。類稀な「霊力」を秘めている。

神事【神憑り(かむがかり)の儀式】で繁栄を築いてきた「御光(みこう)家」の生まれ。 だが、儀式に出られるのは男児のみだったため一族から出来損ない呼ばわりされ虐待されて育つ。

白夜 雪音(びゃくや ゆきね)


実験体F-40556-E3


先端脳科学研究所で育ち、【クレナイ】に移ってきた実験体。

髪はもともとは黒かったが実験の影響で色が落ちてしまった。

実験を通して人間の限界まで身体能力を磨き上げられている。 おどおどしていて丁寧、優しい性格。

星野 有希(ほしの ゆき)


実験体L-90996-A4

 

学校でいじめを受けていた黒髪で眼鏡をかけた内気な少女。

レナの強さに勇気を貰っていじめっ子に反発したことでいじめが悪化し、屋上から身投げをする。その後【クレナイ】に拾われて二代目【ヤミカガミ】として完成する。だが、彼女は精神を破壊されており───。

サツキ


レナに助言を与える、銀の髪に紅の瞳を持つロリィタ服の少女。

対象の精神を汚染する「人を壊す力」を持ち、【クレナイ】の研究員と実験体に精神汚染を行っている【クレナイ】幹部にしてお姫様。

レナを特別視しているが、その理由とは…。

研究長:郷原雅人(さとはら まさと)


【Dolce】の職員にして能力開発研究所【クレナイ】の所長兼研究長。

人当たりがよく物腰柔らかで紳士的だが、倫理観がどうかしており、非人道的な人体実験だと理解した上で実験を行なっている狂人。
実は彼にも事情があって────。

ヒナ(緋那)


【感情の権化】───妖の1人にして、【死】そのものを司る、生きる厄災。

全てを奪い、失いながら永劫を生きる地獄に耐えられなくなり、禁呪を用いて命を絶った。だが、彼女の死が全ての物語の運命を歪める事となった───。

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