第4夜 4節
文字数 2,457文字
レナが両親を殺めたところの追体験では、次いで傑が殺された。亜澄に続いての犠牲者に、一同はすっかり絶望し───そしてそれと同時に、「死」と云うものが身近に迫っている事を実感するようになった。……今まで生きてきて、「死」と云う事象は自分にとって遠い世界の出来事…テレビの中の絵空事と言ってもいいほどのものだった。それが、今はすぐ目の前に「死」があって。その事実は、ユキ達の心に「自分だけは生き残りたい」と云う闇の感情を芽生えさせた。郷原は「誰かを殺されたくない」と云うレナとは違う感情である事に溜息を漏らしながらも、「第二実験 完了」とメモをする。
【裏社会】を追体験する実験では、一ヶ月間、ろくな食事を与えてもらえず、ベッドも取り払われてしまった。冬が近づいているというのに、寒さも疑似体験するために暖房は切られ……過酷な状況の中で過ごす事を余儀なくされた。過度な空腹感で、頭がぼんやりする。徐々に精神も擦り減っていき、最終的には此処に来る研究員を、そして同室の人達を襲って殺して血肉を啜ってでも何かを食べたい、安全をもぎ取りたいとまで思うようになった。飢餓と云うのは人間を狂わせる───【表社会】に生きているユキ達には、その気付きは衝撃的なものだった。飢餓なんて、今までの人生で味わった事がない……こんな苦しみを、レナやセツナは味わいながら過ごしてきたのか。彼女達の瞳の奥でひしめいていた闇は、こういう最悪の環境から来たものだったのか………。同じように過ごしてみて、その気持ちがようやく分かった。郷原は、手元のレポートに「第三実験、負の感情のベース 作成済」と記載した。
【発狂症】が発症してセツナの追っ手を殺したシーンでは、サツキ……と云うらしい少女が実験室を訪れた。彼女は一同をぐるりと見渡すと、『さぁ、お人形サン達───アンタ達一人一人にとって、此処に居る人は全員が敵。生かしてはおけない、敵。……壊してしまいなさい。殺し合うの。さぁ、さぁ───!!』と高らかに告げた。その声は脳にガンガンと響き、聞いていると思考能力が奪われていって────。
………次にユキが目を覚ました時、そこには鈴香だけが立っていた。…あれ、沙羅は…雄介は…?そうぼんやりと思いながら動こうとして…。…そこで身体が軋むように痛む事に気が付き、自分の両手足を見る────それは、真っ赤な液体で汚れていて。よく見れば、鈴香もまた赤い液体に……ううん、赤い液体だなんて……もう、分かっているだろう。そう───返り血に、染まっていたのだ。地面を見れば、顔面がぐちゃぐちゃになっている沙羅と…雄介の死体が転がっていた。
誰が、こんな、酷い事を………そうやって「誰か」に責任転嫁をしようとするが、返り血を浴びた自分の手が、「私が殺しました」と悠々と物語っていた。………殺した?私が?私達が……?
人殺し。殺人犯。犯罪者────そんな世間一般的な声が頭の中で鳴り響いて、ユキはその場に崩れ落ちた。…いじめをしていた経験があった鈴香は、狂ったように「ごめんなさい」を繰り返しているユキよりは…精神的なダメージを負っていないようだった。
『レナはあの時どうしたんだったかしら?』
サツキが嗤う。
「人を殺すのはこれが初めてでは無かったようだからね……。『あなたは私に負けたんだから』と財布からお金を抜き取って【表社会】に行く資金に充てた、と本人から聞いているよ」
郷原はそう答えながら、レポートに「第四実験、冷酷な思考 得られず。経験不足か」と書き込んだ。『ふうん……』とサツキは思案して、郷原にこう言った。
『本当にこの子達が【ヤミカガミ】に適合できると思ってるの?【裏社会】の人間ならともかく、この子達、【表社会】の平和ボケした子供達でしょ?アタシには、レナの代わりが務まるとは思えないけど』
「実験と云うのは、結果が出てから次に活かす事が重要だ。もし今回が駄目なら次は君の言うように【裏社会】から実験体を探すよ…。だが、結果が出る前にサンプルを捨てるのは勿体無い。【ヤミカガミ】を植え付けるところまではするつもりさ」
『捨て駒のつもりで実験してるのね。…きゃはッ、アンタのそう云う残酷な思考、嫌いじゃないわ。……ま、アタシも出来る事はやってあげるわよ…もし万が一にも【ヤミカガミ】に適合できたら、アンタの株も上がるでしょうしね』
「私のためかい?」
『だってレナが【ヤミカガミ】に成る事以外、アタシは望んでないもの。これでもアンタには感謝してるのよ?だからこうやって、アンタの為にやってるんじゃない』
「はは、それは有難いね……」
………。
私は…私達は、レナちゃんの代替品のマリオネット…なの、かな…。
人を殺めた罪悪感で押し潰されそうになって震える体を押さえつけ、郷原とサツキの会話を聞きながら…ユキはそう考える。
敵意。憎悪。殺意………レナが「奪われた」時に感じていたであろうそれらの感情は、「自分のため」ではなく「奪われた大切な人のため」に抱く感情だ。だが、ユキ達にはそれが抱けない。
悲嘆。絶望。恐怖……負の感情を覚えたところで、それ止まり。「自分が傷つくのを恐れる」以上の事を考えられないのだ。レナはそれを恐れないのだろう。自分の身など、顧みないのだろう。……彼女はどこまでも優しく、自己犠牲的だ。
そもそも、【表社会】で十数年を生きてきたユキや鈴香は、負の感情と云うもの自体そんなに多く抱いた経験が無い。レナ達とは違うのだ。それをいきなり「抱け」なんて……それは、あまりに無理難題だ───。
兎も角、そのような感じで……年が明け、初夏から夏に移り変わろうとするまで、そんな実験が繰り返された。人数は、亜澄と傑、沙羅、雄介の四人の犠牲を出し……ユキ、鈴香の二人のまま変わらなかった。皐月が訪れる頃には二人はすっかり心を擦り切らせており、実験に反抗する勇気を───そして、自身に与えられた悪夢の実験劇を嘆く気力を、全て失っていた。