第1夜 5節
文字数 4,350文字
冷たい感触に目が覚める。此処は何処で、一体何があったのか……それを思い出すのには相応の時間を要した。最下層の実験室での実験……研究長の微笑んだ悪い顔……此方を見て目を丸くするレナとセツナ……それらを順に思い出して、ようやく「自分は研究長に何かをされたのだ」という事を思い出した。その瞬間に冴える意識。がばっと起き上がろうとして……身体が何かに固定されている事に気付く。理解の追いつかない脳で右手を見遣れば、自身の両の手、そして両足が何らかの機械に拘束されている。その機械は床と平行にあるのでは無く垂直に立っていて…これではまるで、磔だ。
何とか拘束から逃れようともがいていると、「おや、お目覚めかな」と声が聞こえたので顔を上げる。そこには、研究長が立っていた。
「少し【手術】をさせてもらったよ。体を不自由にするものではないから安心してくれ」
「……まさか、僕の脳にチップを埋め込んだ……」
「察しがいいね。ご名答だよ……君に逃げられては困るんだ。我々の大事な駒を失う訳にはいかないからね。……これで君も、文字通り此処から『逃げられない』よ」
「……ッ」
この時、雪音は生まれて初めて「此処からどうにかして逃げ出したい」という感情を抱いていた。「実験施設」にはあれだけプラスな感情を向けていたと云うのに…!
落ち着け、大丈夫、まだ絶対一生このままと確定した訳じゃない、レナやセツナだって戦っているんだ……ぐるぐると渦巻く不安感を宥めようとしてそう思案し、レナとセツナの事を思い出す。
…そうだ、今日の実験は自分だけではなく、レナとセツナも居た筈だ。二人は一体……。
その質問には、研究長が答えた。
……さっき意識を失ったのも、恐らく研究長の仕業だ。彼は一体何者だ…?彼の【能力】が、それを可能にしているのか…?彼の【能力】……それが脳神経に関係したものだと云う事は、どうやら確からしいが一体…。
「2人も気絶させておいたよ。そして気絶している間にセツナへ行う実験も終えている。あとはレナだが……これは彼女の意志が必要だからね。起きたら話をしてみるつもりだよ……まぁ、話にならないだろうけれど」
研究長が「セツナ」と呼んだ声に反応したのか、横から「ん…」と声が聞こえる。…静かすぎて気付かなかったが、雪音の横にも同じ拘束機器があり、セツナも雪音同様に拘束されているらしかった。
目を覚ましたセツナは雪音と同じように身体を動かそうとして……そして両手足が拘束されている事に気付く。がたがたと力一杯拘束を解こうと身を捩るセツナ。…だが依然として拘束が解ける様子は無い…。
………レナは?レナは何処だろう。
雪音が辺りを見回す。……レナの姿を見つけるのには、十秒もかからなかった。
レナは研究長の足元に倒れていた。…どうやら、まだ気絶しているらしい。
どうして、僕ととセツナちゃんは拘束してレナちゃんだけが……?
雪音はそう不思議に思うが、セツナには察する事があるらしく、まさか…と小さい声を漏らした。
研究長がレナの肩をとんとんと叩き、「いつまで寝ているつもりかな?」と声を掛ける。レナは数秒唸ってから瞳を開けた。
「───………?」
「お早う、レナ。気分はどうかな?」
「……。……!」
ぼんやりした瞳で周りを見回したレナ。「研究長に何かをされたらしい」と云う事に気付くとばっとその場から飛び退いた。…周りを伺う。そこには研究長と、その後ろに五人の研究員と、それから……
「…!セツナッ!雪音…ッ!?」
「二人びはちょっと静かにしてもらっているよ。」
「お前…ッ!セツナと雪音を離せッ!!!!」
「勿論離してあげよう。君が此方の提案を呑んだらね」
「な……」
……まるで人質だ。
けれど、自分達を人質に取る程の事をしてレナにする「提案」とは──?
「レナ。君には───【ヤミカガミ】の能力を植え付けたいんだ」
「……は…?」
レナはその提案に唖然とする。
……無論、唖然としているのはレナだけでは無い。セツナも…そして雪音も唖然としていた。
……そもそも、【ヤミカガミ】とは何なのか…それすら知らない。
言葉からして危険そうな代物である事は伺えるのだが…。
それは張本人であるレナも同じようで、「なに…それ…?」と言葉を漏らしていた。
「【ヤミカガミ】。それがどのような能力なのかは定かでは無いが……【サツキ】と同じ能力だと言えば…君には分かるかな?」
「!!」
「それは【クレナイ】が誇る、最も戦闘に特化した…最も強い能力。全てを破壊し、全てを作り変える力を秘めた能力。……それをね、レナ……君に与えたいと思うんだ。それを受け入れてくれたら……セツナと雪音を解放しよう。」
「…ッ……なんで…なんで私に…?そんなの、嫌だって言うのは目に見えてるでしょ。私以外にも……」
「何故かって?それは、最も君が適合できる可能性が高いからだよ」
「適合…?それってどういう、」
「【ヤミカガミ】の力は強大だ。なにしろ、本来人間が扱う事を前提としていない能力だからね。今までに何度か強い耐久性を持つ実験体、実験レベル5に達した被験体に与えてみた事があるが……未だに成功した試しが無い。どんな被験体も、その力の大きさに耐えきれず…精神を壊してしまうか、或いは肉体が滅んでしまうかのどちらかだった。生きて【ヤミカガミ】の能力者に成った者は居ないんだよ」
「……そんなの、私が適合できる訳が…」
「そうかな?私はそうは思わないよ……だって、君は【持ってる】じゃないか。」
「………」
……さっきから、研究長とレナの話が理解出来ない。
何故研究長はレナにそんな危険な能力を与えようとしている?何故適合出来ると言い切れる?何をレナは【持っている】?【サツキ】とは一体──?
場に沈黙が訪れる。
息の詰まるような居心地の悪い沈黙。
……それを破ったのは、レナの決意を秘めた言葉だった。
「……そんなの、はい分かりましたって受け入れる訳がない…!お前達に都合の良い兵器になんて…なってたまるかッ!!」
はぁ、と溜息を吐く研究長。
だが彼も、諦めた様子は見せなかった。
「……そう。なら───君の友達は、どうなってもいいんだね」
「───なッ……!?」
すっと右手を軽く上げる研究長。
───瞬間、雪音とセツナの体に強電流が走る。それは手足を、内臓を、そして脳を通り抜け、頭をぐわんと揺らす。コンマ一秒遅れて襲いかかる、剣で貫かれたような…または鈍器で殴られたような……そんな、強烈な痛み。呼吸が一瞬止まり、心臓は動く事を忘れかける。十数秒遅れてやっとの思いで呼吸をするも、まともに酸素を取り込む事が出来ない。
「……ッ…!?か、は………ッ!?」
「ぁぐッ……あ……が…………ッ……!」
「雪音ッ!!セツナ…!!!!」
レナの悲痛な叫びが木霊する。
駆け寄ろうとする彼女の前に研究長が立ち塞がり、それを咎める。
レナの瞳は、焦りと怒りに燃えていた。
「やめろ…!セツナと雪音は何も関係無いッ!!解放しろ!!これ以上2人を傷付けるな…!!」
「これは交換条件だ。最初に言っただろう、君が提案を呑めば二人は解放すると。提案を蹴ったのは君だ……」
「ッ…!!」
「さぁ───どうする?君が兵器に成るか、彼等が壊れるまで抵抗を続けるか……選ぶといい」
ガンガンと脳を直に揺らされているような痛みを堪える雪音とセツナ。……こんな強電流、何度も流されては身体が耐えられないだろう。……だが、だからと云ってレナを兵器になんてさせたくない。……いや、させてはいけない。例え自分の身が滅びたとしても、そんなの仲間が殺戮の兵器にされるより遥かにマシだ!!
…それは、セツナも同じ様だった。ひゅうひゅうとか細い呼吸をいなしながら、途切れ途切れの言葉で研究長に抗議する。
「レ、ナ…を、兵器になんて……さ…せてたまるか……ッ!!駄目だよ、レナ…ッ、私達、は、大丈夫だから…!そん…な、奴の、提案を呑んじゃ…!」
「セツナちゃん……。……ッ、そうだよ、レナちゃん…!そんなの、絶対に…呑んじゃ駄目だ!」
「セツナ……雪音……でも、」
「まだこの条件を断れる元気があるようだね。だが……その威勢は長くは続かないだろう。もう一度、痛みを味わってもらってから決めようか」
無慈悲にも、再び挙げられる右手。
そして再び……身体を突き刺す強電流。
全身の神経が千切れたような、骨が砕けたような、内臓を破られたような、そんな痛み。
痛い、痛い、痛い、痛い、痛い……ッ!!!
痛みを通り越して、身体が燃えているような熱ささえ覚える。胃の中のモノが逆流してくるような不快感。脳が割れそうだ。心臓が破裂しそうだ…!
いつ心臓が止まっても可笑しくないという恐怖が心をじわじわと灼いてゆく。かたかたと血の気を失った白い手足が痙攣する。レナはそれをまざまざと見せつけられて、顔を苦痛に歪めた。
「う………ッあ、あぁああッッ───ッ!!!!」
「げほッ……あ、ぐ───ッ!!」
「〜〜〜ッ……!!ふた、りとも…!!」
「さぁ、まだやるかい?彼等もそう長くは持たないだろうね……あと十回くらい耐えられる事に賭けてみる?ひょっとしたらあと五回も持たないかもしれないけれどね…」
「…はッ……はぁッ………だ…め……そんな、こ…させ……ッ……」
「驚いた、まだ喋る事が出来るとは。随分タフだね…」
「はぁッ……ぁッ……ぐ……ッ………させ、な…い……!そん……こ……と…ッ!」
「……はぁ。じゃあ、もう一度───」
「やめてッ!!!!」
研究長が三度目の合図を出そうとするのを、レナの叫びが制止した。
雪音とセツナの方を向いていた研究長が振り返る。レナは覚悟を決めた声音で、「分かったから…」と告げた。
「……私を、好きにすればいい…。だから…雪音とセツナに酷い事しないで…ッ!!」
「いい子だ……そう、最初から言えばいいものを…」
「レ……ナ……ッ」
「……セツナ…。大丈夫、私なら…平気だよ」
「安心しなさい…今日は実験の第一段階をするだけ。最もこの第一段階ですら大多数は適合出来ないんだが……。…適合出来れば命を落とす事は無い。君なら大丈夫さ……私はほぼ確信しているよ」
「……ね、大丈夫だよ…」
「レナ、ちゃん……」
レナが抵抗の意思を持たない事を確認した研究長は、今度は左手を上げる。その途端雪音とセツナを吊し上げていた拘束は外れ、二人は解放された。レナは二人のそばに駆け寄る。……彼女はセツナと雪音の身を案じていたが、二人からするとレナの事が心配でたまらなかった。…だが、あのままではセツナと雪音の命は散っていただろう。………こうするしか、無かったのだろうか……。
「…あのさ、2人に、お願いがあるんだけど──」
レナは研究長の元へ向かう前に、最後にそう、言い残した──。