p53 捕食者のガラテア

文字数 1,063文字

「人間は不思議だ。必要のないものまで、なぜため込むのか」

「それはオレにもわからねぇ。送ってくれてありがとよ、オレんちのじいちゃん食ってくか? 」

「お構いなく」

 玄関の軒下まで来ると、ソロは学ランを捕食者に返した。

「兄ちゃんの匂いがオレからもする」

「服じゃなくて、俺の体の一部だからな。悪いな」

 学ランは捕食者の肌に触れると、一瞬で上半身を覆った。

 詰襟(つめえり)のカラーや刺繍(ししゅう)(ほどこ)されたデザインが洗練されており、自分に何が相応(ふさわ)しいのか良く理解しているように思える。

 捕食者なのに、人間以上に人間に刺さる美的感覚にこだわりを持っているように見えた。

「自分の一部じゃ貸せねぇな。兄ちゃんは名前なんていうんだ。オレは松本ソロっていうんだ」

 捕食者は身をかがめると、酔芙蓉(すいふよう)が植えられている鉢に手を伸ばした。

 曲がリストの『愛の夢』に変わって、捕食者が聞き入るように目を閉じた。

 ソロは自分の好きな曲を、捕食者と分かち合っている時間が、このうえなく幸せに思えた。

 目を閉じて家族と雷に浸ったように、ソロも『愛の夢』を味わった。

 やがて、甘くスッキリとした清涼感のある香りが鼻を掠めて、ソロは目を開いた。

 酔芙蓉(すいふよう)に絡まるように白い根と茎が伸び、星形の花が咲いていた。

「すげぇな、そんなことできるんか」

「この植物は、夜だけ咲き夜だけ香るランの仲間で、ガラテアと呼ばれている」

「ガラてゃ」

 捕食者のガラテアは、ソロの滑舌(かつぜつ)の悪さを笑わなかった。

「俺もそう呼ばれている」

 ランのガラテアは、捕食者のガラテアと同じ香りがした。

 ランの姿は、捕食者のガラテアの髪や眉と同じ色をしている。

 夜行性の植物だから暗闇で目立つよう、この色に進化したのか。
 
 その速やかな自己紹介に、ソロは呆けた顔でガラテアを見つめたまま頷いた。

「おやすみ、ソロ」

 ガラテアは(きびす)を返すと、覚えたばかりのキャピタルの鼻歌を口ずさみながら暗闇へ消えていった。


 今まで散々一緒に聞いていた音楽ではなく、目を閉じて聞き入っていたリストの『愛の夢』でもなく、キャピタルの鼻歌を口ずさんで・・・・・・。


 納得いかないものがあったが、その白い影が見えなくなるまで、ソロはガラテアを見送った。

「なんだアイツ、めくちゃカッコイイ」

 しばらく玄関で「オレもそう呼ばれている」とか「このブナシメジ(仮)は夜だけ香る松本ソロというきのこだ」とか、ガラテアの自己紹介の再現を試みた。

 結構練習したが習得が難しく、疲れ果てたソロは玄関に入るなり眠ってしまった。
 
 帰宅したら黒のポリッシュを探そうと思っていたのに。
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