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文字数 1,023文字

未来永劫訪れないシチュエーションに心を痛めながら、昨日頑張って手洗いした短ランを羽織った。

 ゲロと臭いが取れて本当に良かった。

 なにせ、先祖から受け継いだ一点ものの短ランである。

 これからも着るのだから、大事にしなくては。

 前もって分別しておいた捨てて良いゴミを引っ張り出すと、玄関を出た。ウォークマンのデータを回して、リストの『愛の歌』を流した。

 ガラテアの心地よさそうな顔を思い出して、イヤフォンを装着したソロの耳も心地よかった。

 だが、外へ出ると、ちょっとした騒ぎが起こっていた。

「うちのきのこが消えた」

「あんなに咲いてたノウゼンカズラとムクゲが一斉に花を落とした」

粘菌(ねんきん)が消えた」

「捕食者の食害を受けたんじゃ」

 親水緑道へ目をやると、昨日までジャングルのような状態だった木々がすっかり葉を落としている。

 花に至っては全て地面に落ちて、茎や(つる)は枯れ果ててしまっている。

「まだ秋なのに。端から端までこんな状態かよ」

 葉が落ちたせいで朝日が眩しい。

 江戸川区の上空を占拠していた浮島は江東区の空に移動している。

 たぬキノコと一緒にプロトタキシーテスを眺めた桜まで様子を見に行ったが、ノウゼンカズラの(つる)は枯れて乾燥しており、掴むと粉々になってしまった。

 これでは木登りができない。

「食害だ」

 色とりどりだった粘菌(ねんきん)も消えてしまった。

 今は代わりに、落ちた花が地面を彩っている。

 ノウゼンカズラの蜜をあてにしていたヒヨドリたちも、この惨状に戸惑ってしきりに鳴いていた。

 オレンジ色のノウゼンカズラの花を手に取ると、蜜が(したた)り落ちた。

 落ちたノウゼンカズラの蜜で地面に染みができており、その周辺を蟻が(たか)り始めていた。

「オレ、この花好きなのに」

 蟻の行進を眺めながら、ソロは昨晩のことを思い出した。

 ガラテアが「連れて行く」と言っていた。

「もしかして」

 嫌な予感がして、ソロは急いで自宅へ引き返した。

「お母さん! 」

 悲鳴まじりの声をあげて庭先を見ると、白いノウゼンカズラが花も葉も落として木化(もっか)しており、祖父と母の姿も無かった。

 根を下ろしていた場所に何もない。

 庭に直植えの植物も皆、枯れ果てている。

「お母さん! やだ、置いて行かないで! 」

 すがるように地面に気配を探すと、まだ二人の気配が残っていた。

「良かった、まだいる」

 ガラテアの『食害』で、他の植物やきのこ同様、養分を持っていかれてしまったのだ。

 ソロは立ち上がると、茫然(ぼうぜん)と庭先に立ち尽くした。
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