第7話 反省会、野郎二人
文字数 4,215文字
元気な子どもたちが走り回っている。砂場に無数の穴を掘ってみたり、滑り台を逆走しようとして母親に叱られたり。これだけ体力を使うことがあれば、最近の熱帯夜でも彼らは安らかに眠ることができるだろう。高校生になってからというもの、体育ですら『いかに先生に気づかれずサボれるか』の研究を続けてきた俺にとっては、子どもというのはもはや別次元の存在だ。
「俺は子どもはあんまり好きじゃないんだが、今だけは無垢で無知な赤ん坊になりたい」
「なーに馬鹿なこと言ってんのさ、一晴。オレらは十五年くらい前に生きているだけで褒められる生活は終わったんだよ」
「二、三歳くらいならまだどんなおふざけも好奇心旺盛で誤魔化せたろ」
「下らない反論するなよ。オレらは赤子にも、ましてや貝にもなってる暇はないんだ。岩本さんにフラれた以上、野郎二人で次のプランに移行するしかなくなっちゃったんだから」
岩本家に程近いやや大きめの公園に、俺と健吾は真っ昼間からお通夜ムードでベンチに腰掛けている。計画は初手から盛大に躓き、新たな協力者を得ることができなかったからだ。前途多難な贖罪の始まりに、俺は深いため息を抑えずにはいられない。
「……正直、茉莉菜があそこまで取り合ってくれないとは思ってなかった。あいつなら、鈴涼の名前を出せば一番に協力してくれると思ったんだが」
「それが驕りだったのかもね。もし岩本さんが最上さんのために何かしようとしていたら、きっと三年前から動いていたはずだったろうから」
考えてみればその通りなのだ。あの責任感の強い幼馴染みは、友人があんなことになったら自分でできることを模索し続けるだろう。それをしていないということが、一体何を意味するのか。
「俺たちよりもっと早く行動した結果、何も出来なかったのか。それとも何か事情があるか」
「少なくとも前者ではないだろうね。挫折しただけならきっとオレらに協力してくれただろうし、何より岩本さんは最上さんが意識を取り戻していたことを知らなかった。もし、もっと前に何か行動を起こしていたなら、最上さんママから連絡の一つも届いているはずだよ」
健吾の指摘に、だよなぁ、と呟きながらまた重苦しい息を吐く。茉莉菜を引っ張り出したいなら、彼女が鈴涼に対して持つ事情を把握し、払拭しなければならない。無論いくつか考案した計画については彼女が必ずしも必要というわけではないが、茉莉菜という存在は鈴涼の記憶を刺激するのに有効なはずなのだ。
あの文学部の部室――図書室裏の机を並べただけの簡素な部屋で、鈴涼と茉莉菜は同性同士多くを語り合ったはずだ。きっと俺や健吾も知らない、鈴涼の中学時代を知っているに違いない。
遮られることもない日差しの下で、地域の奥様方に怪しまれない程度にうんうんと唸る。どれだけの汗が流れても一向に良案は浮かばず、俺はひとまず茉莉菜に対する思考を休息させることにした。
「そういえば茉莉菜は知らなかったのに、なんでお前は鈴涼が目覚めたことを知ってたんだ? 正直、お前の家と鈴涼の家が繋がりあると思ってなかった」
「えーっと、確か母親同士がPTA役員で一緒になったことがあるって言ってたよ」
「……そういや、茉莉菜の家は昔から両親とも忙しいから、そういう機会はなかったのかもな」
小学生の頃、茉莉菜は弟の海渡の面倒を見るため、すぐに家に帰ることが多かった。俺は放課後に遊べない彼女を見ているのが忍びなくなって、異なる方向の帰り道に付き纏っては図々しくも家に上がって三人で遊んでいた。やがては二人を家から引っ張り出して、外での遊びに興じさせるなんてこともした覚えがある。
今にして思えば本当に恐ろしい子どもだった。目の前を駆ける幼児たちと同じように、周囲の心配なんて一切考えず行動していたのだから。それどころか、何か想像や試行錯誤をしている彼らの方が余程高い次元にいるのかもしれない。
黒く染まりそうな幼少時代を思い出しかけた時、健吾の言葉が俺の自己嫌悪を遮った。もっとも、その発言も救いとはかけ離れた言葉だった。
「さっきのはさ、一晴も悪かったと思うよ」
「え……」
健吾が指し示すのは、間違いなく茉莉菜を説得しようとした俺の態度のことだ。しかし断られた原因もわかっていないのに、健吾が何を問題視しているのか掴めない。俺は考えた後、やや不服ながらも観念して彼に尋ねた。
「……どこが悪かったんだ」
「さっきの一晴さ、最上さんのことしか説得材料に話してないでしょ」
彼は俺に鋭くなった視線を向け、責めるような一言を言う。左耳に付けたピアスがちらりと太陽を返して、俺へと突き刺さった。
「一晴言ってたよね。岩本さんは岩本さんなりに、新しい学校生活を楽しんでるかもしれないって。もしその可能性があるなら、彼女にもいつかの一晴と同じように最上さんへの関わりを拒絶する可能性があったんじゃないのかな」
「そ、れは……」
「友達のために必死になって突っ走れるのは、昔から一晴の美徳だよ。でも、最上さんのことを一番不幸だと思うあまり、他の人が傷ついてる可能性があることを忘れちゃいけない」
ぐうの音も出ないほど正論だった。鈴涼が誰よりも大変で、一番同情してしまっているからこそ、俺は岩本茉莉菜という一人の人間を蔑ろにしていたのだ。健吾はその考えに至るくらい、この三年で大人になった――いや、彼は昔から他者の心を慮っていた。ただ、真っ向から誰かを諭す勇気が欠けていただけで。
「すごいな、お前」
俺があらゆる物事を煩わしく思い、目に見える成績の数字だけを伸ばす中で、健吾の時間は確かに進んでいた。俺はまだ、目先のことしか見えていない。
「別に、褒められたもんじゃないさ。偉そうに言ってるけど、オレは岩本さんを説得するのも一晴に任せたし、その先の失敗が見えていてもあの場をどうこうできる手段は持ってなかった。結局、一晴の持つ可能性が、オレらの賭けられる可能性の全てだったんだ」
自嘲気味にそんなことを言った健吾は「でもね」と言って、おどけた調子で人差し指を俺に向けた。
「オレは脈アリだと思ってるよ」
「……なにがだよ」
「そりゃ、一晴と岩本さんがさ」
急激に感情が冷める感覚があった。この男、よもや三年前の一件のことを忘れたわけではあるまい。当時の同級生の間ではかなり話題になっていたし、ましてや俺と鈴涼の関わりの場であった文学部の一員なのだ。真面目さと一緒に都合の悪いことは放り捨ててきてしまったのか。じとりとした視線で健吾を睨むと、彼は両手を大袈裟に振ってから弁解する。
「別に昔のことをからかってるわけじゃないんだよ。そういう意味じゃなくて、岩本さんが一晴を手伝ってくれるって意味でさ」
「あんな盛大なフラれ方をして、何をどう考えたら脈アリだなんて冗談が言えるんだ」
「やる気スイッチはどこにあるかわからないだろ。背中を押したら全力猛ダッシュを始めるかもしれないじゃないか」
「そりゃテレビの見過ぎだ」
仮に茉莉菜のどこかにやる気のスイッチがあったとして、それは俺たちが安易に触れられるところには存在し得ないだろう。もしそんなにわかり易ければ、きっと彼女は鈴涼の容態を聞いた途端に動き出していたはずなのだから。
――でも、最後に見えたあの表情が、心のどこかに言い知れない切なさの影を落としている。
もし彼女の中に少しの揺らぎも無いのなら、あんなにわかりやすい動揺はしなかったのではないだろうか。茉莉菜の中にあるのはスイッチだけではなくて、まだ癒え切っていない傷跡だってあるのかもしれない。
「男が女の子の感情を決めつけるなんて傲慢な話さ。それにちょっと強引だけど、策を一つ思いついた」
「策? なんの」
健吾は年相応な笑み――随分と悪役じみた顔――を浮かべて笑っていた。
「そりゃもちろん、見つけてあげるんだよ。岩本さんだけのやる気スイッチを」
言い回しの下らなさはともかくとして、頭の回転の良い健吾のことだ。きっと何かしら有効な手段を思いついたのだろう。このままでは彼に頼りっぱなしになってしまいそうで少々気後れするが、今はつまらない意地を張っている場合ではない。
「じゃあその話はまたしてくれ。そろそろ約束の時間だ」
「そうだね」
男二人は揃ってベンチから尻を離し、今度は駅に向かって歩き始める。俺たちの次の行き先は、本件の中心人物の居る場所だ。
「茉莉菜は回収できなかったが……想定内ではある。このまま鈴涼を迎えに行こう」
「強がりだね。まぁそれしかないから仕方ない。行こうか」
俺たちの今日の作戦は、茉莉菜を加えて文学部の全員がいる状態が望ましかった。最初から彼女を呼ぶことすら叶わなくて不安しか残らないけれども、予定を組んでしまった以上はやることは変わらない。
本日の午後の日程――最上鈴涼を桃川中学校へと連れて行く。あの思い出と因縁が残る地に、彼女自身を踏み込ませる。
「初手からなかなか過激な手段だよね。正直、その提案は相当酷いと思ったんだけど」
「そりゃ俺が一番わかってる……でも、俺たちの繋がりが最も根強く残ってるのは、間違いなくあそこだろ」
三年間――正確には二年と少しの間を一緒に過ごした場所。俺たちの繋がりは全てあそこに集約していると言っても過言ではない。俺は昨日、母親経由で鈴涼の母に連絡を取り、一緒に外出する許可を貰った。両母親にはてっきり反対されるものだと思っていたが、意外にもあっさりと要求は通ったのだ。
――母さん、驚いてたな。
高校生になってからというもの、友達と遊びにだって行くことのなかった息子だ。それが急に卒業した学校に行こうと言うのだから、不自然に思うのが普通だろう。しかし相談をした直後に二つ返事で引き受けてくれた母は、少しだけ、ほんの少しだけ嬉しそうな表情を浮かべていたように思う。気恥ずかしさでろくに顔を見れなかったから、思い違いかもしれない。
「約束したんだ。もうあいつから逃げない。必ず記憶を取り戻させてやる」
「その意気や良し、なのかな。まぁオレから誘った手前、最後まで付き合わせてもらうよ……っと、その前に」
健吾は目の前に広がる、熱々に仕上がったコンクリートの坂を指さす。
「この坂、今日だけであと二回は登ることになるわけだけど、大丈夫かい? おじいちゃん」
俺は実に嫌な角度を攻める相棒に引き攣った笑みを返すしかなかった。
「俺は子どもはあんまり好きじゃないんだが、今だけは無垢で無知な赤ん坊になりたい」
「なーに馬鹿なこと言ってんのさ、一晴。オレらは十五年くらい前に生きているだけで褒められる生活は終わったんだよ」
「二、三歳くらいならまだどんなおふざけも好奇心旺盛で誤魔化せたろ」
「下らない反論するなよ。オレらは赤子にも、ましてや貝にもなってる暇はないんだ。岩本さんにフラれた以上、野郎二人で次のプランに移行するしかなくなっちゃったんだから」
岩本家に程近いやや大きめの公園に、俺と健吾は真っ昼間からお通夜ムードでベンチに腰掛けている。計画は初手から盛大に躓き、新たな協力者を得ることができなかったからだ。前途多難な贖罪の始まりに、俺は深いため息を抑えずにはいられない。
「……正直、茉莉菜があそこまで取り合ってくれないとは思ってなかった。あいつなら、鈴涼の名前を出せば一番に協力してくれると思ったんだが」
「それが驕りだったのかもね。もし岩本さんが最上さんのために何かしようとしていたら、きっと三年前から動いていたはずだったろうから」
考えてみればその通りなのだ。あの責任感の強い幼馴染みは、友人があんなことになったら自分でできることを模索し続けるだろう。それをしていないということが、一体何を意味するのか。
「俺たちよりもっと早く行動した結果、何も出来なかったのか。それとも何か事情があるか」
「少なくとも前者ではないだろうね。挫折しただけならきっとオレらに協力してくれただろうし、何より岩本さんは最上さんが意識を取り戻していたことを知らなかった。もし、もっと前に何か行動を起こしていたなら、最上さんママから連絡の一つも届いているはずだよ」
健吾の指摘に、だよなぁ、と呟きながらまた重苦しい息を吐く。茉莉菜を引っ張り出したいなら、彼女が鈴涼に対して持つ事情を把握し、払拭しなければならない。無論いくつか考案した計画については彼女が必ずしも必要というわけではないが、茉莉菜という存在は鈴涼の記憶を刺激するのに有効なはずなのだ。
あの文学部の部室――図書室裏の机を並べただけの簡素な部屋で、鈴涼と茉莉菜は同性同士多くを語り合ったはずだ。きっと俺や健吾も知らない、鈴涼の中学時代を知っているに違いない。
遮られることもない日差しの下で、地域の奥様方に怪しまれない程度にうんうんと唸る。どれだけの汗が流れても一向に良案は浮かばず、俺はひとまず茉莉菜に対する思考を休息させることにした。
「そういえば茉莉菜は知らなかったのに、なんでお前は鈴涼が目覚めたことを知ってたんだ? 正直、お前の家と鈴涼の家が繋がりあると思ってなかった」
「えーっと、確か母親同士がPTA役員で一緒になったことがあるって言ってたよ」
「……そういや、茉莉菜の家は昔から両親とも忙しいから、そういう機会はなかったのかもな」
小学生の頃、茉莉菜は弟の海渡の面倒を見るため、すぐに家に帰ることが多かった。俺は放課後に遊べない彼女を見ているのが忍びなくなって、異なる方向の帰り道に付き纏っては図々しくも家に上がって三人で遊んでいた。やがては二人を家から引っ張り出して、外での遊びに興じさせるなんてこともした覚えがある。
今にして思えば本当に恐ろしい子どもだった。目の前を駆ける幼児たちと同じように、周囲の心配なんて一切考えず行動していたのだから。それどころか、何か想像や試行錯誤をしている彼らの方が余程高い次元にいるのかもしれない。
黒く染まりそうな幼少時代を思い出しかけた時、健吾の言葉が俺の自己嫌悪を遮った。もっとも、その発言も救いとはかけ離れた言葉だった。
「さっきのはさ、一晴も悪かったと思うよ」
「え……」
健吾が指し示すのは、間違いなく茉莉菜を説得しようとした俺の態度のことだ。しかし断られた原因もわかっていないのに、健吾が何を問題視しているのか掴めない。俺は考えた後、やや不服ながらも観念して彼に尋ねた。
「……どこが悪かったんだ」
「さっきの一晴さ、最上さんのことしか説得材料に話してないでしょ」
彼は俺に鋭くなった視線を向け、責めるような一言を言う。左耳に付けたピアスがちらりと太陽を返して、俺へと突き刺さった。
「一晴言ってたよね。岩本さんは岩本さんなりに、新しい学校生活を楽しんでるかもしれないって。もしその可能性があるなら、彼女にもいつかの一晴と同じように最上さんへの関わりを拒絶する可能性があったんじゃないのかな」
「そ、れは……」
「友達のために必死になって突っ走れるのは、昔から一晴の美徳だよ。でも、最上さんのことを一番不幸だと思うあまり、他の人が傷ついてる可能性があることを忘れちゃいけない」
ぐうの音も出ないほど正論だった。鈴涼が誰よりも大変で、一番同情してしまっているからこそ、俺は岩本茉莉菜という一人の人間を蔑ろにしていたのだ。健吾はその考えに至るくらい、この三年で大人になった――いや、彼は昔から他者の心を慮っていた。ただ、真っ向から誰かを諭す勇気が欠けていただけで。
「すごいな、お前」
俺があらゆる物事を煩わしく思い、目に見える成績の数字だけを伸ばす中で、健吾の時間は確かに進んでいた。俺はまだ、目先のことしか見えていない。
「別に、褒められたもんじゃないさ。偉そうに言ってるけど、オレは岩本さんを説得するのも一晴に任せたし、その先の失敗が見えていてもあの場をどうこうできる手段は持ってなかった。結局、一晴の持つ可能性が、オレらの賭けられる可能性の全てだったんだ」
自嘲気味にそんなことを言った健吾は「でもね」と言って、おどけた調子で人差し指を俺に向けた。
「オレは脈アリだと思ってるよ」
「……なにがだよ」
「そりゃ、一晴と岩本さんがさ」
急激に感情が冷める感覚があった。この男、よもや三年前の一件のことを忘れたわけではあるまい。当時の同級生の間ではかなり話題になっていたし、ましてや俺と鈴涼の関わりの場であった文学部の一員なのだ。真面目さと一緒に都合の悪いことは放り捨ててきてしまったのか。じとりとした視線で健吾を睨むと、彼は両手を大袈裟に振ってから弁解する。
「別に昔のことをからかってるわけじゃないんだよ。そういう意味じゃなくて、岩本さんが一晴を手伝ってくれるって意味でさ」
「あんな盛大なフラれ方をして、何をどう考えたら脈アリだなんて冗談が言えるんだ」
「やる気スイッチはどこにあるかわからないだろ。背中を押したら全力猛ダッシュを始めるかもしれないじゃないか」
「そりゃテレビの見過ぎだ」
仮に茉莉菜のどこかにやる気のスイッチがあったとして、それは俺たちが安易に触れられるところには存在し得ないだろう。もしそんなにわかり易ければ、きっと彼女は鈴涼の容態を聞いた途端に動き出していたはずなのだから。
――でも、最後に見えたあの表情が、心のどこかに言い知れない切なさの影を落としている。
もし彼女の中に少しの揺らぎも無いのなら、あんなにわかりやすい動揺はしなかったのではないだろうか。茉莉菜の中にあるのはスイッチだけではなくて、まだ癒え切っていない傷跡だってあるのかもしれない。
「男が女の子の感情を決めつけるなんて傲慢な話さ。それにちょっと強引だけど、策を一つ思いついた」
「策? なんの」
健吾は年相応な笑み――随分と悪役じみた顔――を浮かべて笑っていた。
「そりゃもちろん、見つけてあげるんだよ。岩本さんだけのやる気スイッチを」
言い回しの下らなさはともかくとして、頭の回転の良い健吾のことだ。きっと何かしら有効な手段を思いついたのだろう。このままでは彼に頼りっぱなしになってしまいそうで少々気後れするが、今はつまらない意地を張っている場合ではない。
「じゃあその話はまたしてくれ。そろそろ約束の時間だ」
「そうだね」
男二人は揃ってベンチから尻を離し、今度は駅に向かって歩き始める。俺たちの次の行き先は、本件の中心人物の居る場所だ。
「茉莉菜は回収できなかったが……想定内ではある。このまま鈴涼を迎えに行こう」
「強がりだね。まぁそれしかないから仕方ない。行こうか」
俺たちの今日の作戦は、茉莉菜を加えて文学部の全員がいる状態が望ましかった。最初から彼女を呼ぶことすら叶わなくて不安しか残らないけれども、予定を組んでしまった以上はやることは変わらない。
本日の午後の日程――最上鈴涼を桃川中学校へと連れて行く。あの思い出と因縁が残る地に、彼女自身を踏み込ませる。
「初手からなかなか過激な手段だよね。正直、その提案は相当酷いと思ったんだけど」
「そりゃ俺が一番わかってる……でも、俺たちの繋がりが最も根強く残ってるのは、間違いなくあそこだろ」
三年間――正確には二年と少しの間を一緒に過ごした場所。俺たちの繋がりは全てあそこに集約していると言っても過言ではない。俺は昨日、母親経由で鈴涼の母に連絡を取り、一緒に外出する許可を貰った。両母親にはてっきり反対されるものだと思っていたが、意外にもあっさりと要求は通ったのだ。
――母さん、驚いてたな。
高校生になってからというもの、友達と遊びにだって行くことのなかった息子だ。それが急に卒業した学校に行こうと言うのだから、不自然に思うのが普通だろう。しかし相談をした直後に二つ返事で引き受けてくれた母は、少しだけ、ほんの少しだけ嬉しそうな表情を浮かべていたように思う。気恥ずかしさでろくに顔を見れなかったから、思い違いかもしれない。
「約束したんだ。もうあいつから逃げない。必ず記憶を取り戻させてやる」
「その意気や良し、なのかな。まぁオレから誘った手前、最後まで付き合わせてもらうよ……っと、その前に」
健吾は目の前に広がる、熱々に仕上がったコンクリートの坂を指さす。
「この坂、今日だけであと二回は登ることになるわけだけど、大丈夫かい? おじいちゃん」
俺は実に嫌な角度を攻める相棒に引き攣った笑みを返すしかなかった。