第5話 『文学部物語』

文字数 4,595文字

 高校一年、春――主人公である一樹が入学した高校では、図書室が未曾有の危機に陥っていた。

 年々紙媒体利用者が減少する日本において、図書室を他教室として有効利用しようという『図書室解体法』が試作的に行われようとしていたのだ!

 本好きの一樹はこの状況を打開するため、紙媒体を利用する『文学部』を創設しようと画策する!

 メンバーは幼馴染みの麻莉恵、友人の健二、そして学年一の才女である鈴香。三人の同士とともに、学校へと働きかける。

 果たして、一樹は仲間とともに図書室を守ることができるのか!?

 これは、たった一瞬だけ存在した、とある部活の物語――



「なんっじゃこりゃあ!?

 俺は思わず大声を上げていた。あまりに素っ頓狂だったようで、周囲の人間から変な目を向けられる。しかしそうなるのも当然なほど、ステージで繰り広げられる展開は身に覚えしかないものだったのだ。

 横を見ると、同じく心当たりがあるであろう茉莉菜が、やはり口をあんぐり開いて唖然としていた。三年振りに会ってからは見たこともない阿呆面だ。さすがにこれはスルーできるはずもなく、俺はいつの間にか同じ驚愕を持つ少女に共感を求めていた。

「ま、茉莉菜。あれって多分……」

 『文学部物語』と銘打たれた露骨さ。さすがに彼女も話相手が俺だとか気にしていられないみたいで、素の声の高さのままわななく唇で応える。

「え、えぇ。多分、というか十中八九、間違いなくそうよね……」

「どうかしたの?」

 間抜け顔の間に挟まれていた鈴涼は俺たちを交互に見遣りながら問うてくる。何と説明したものか、突然「あの『鈴香』という少女はお前がモチーフなのだぞ」と言っても解説にはなるまい。学年一の才女という紹介はちょっと盛ってる部分もあるんじゃないか。鈴涼はもっと天然っぽい性格で、意外と間の抜けていた時も多かった、というのは本人の前で言うにはさすがに憚られた。

 そんな風にまごついている間に、後ろから聞き慣れた男の声が聞こえる。

「それはねぇ、最上さん。あの舞台劇がオレたちの物語だからだよ」

 バッと振り返ると、演劇の元ネタになった当事者の一人がふらりと現れた。さっきまで抱えていたパンフレットの束はどこかに置いてきたようで、実に軽快な足取りだ。

「け、健吾。どういうことなんだよ、あれ」

「見てそのままさ。あれはオレら文学部の記録。まぁ演出上、色々脚色、変更されてはいるみたいだけどね」

 それはもっともで、過去から今に至るまで日本では『図書室解体法』なるものはもちろん存在しない。あの頃は図書室の予算が危ういという生々しい実状を抱えていただけだ。ついでに言うと、舞台が中学校ではなく高校になっていることも。しかし話の大まかな流れや人物関係はまんまあの頃の文学部なのである。そこで健吾の発言の違和感に気づき、俺は思うがままに質問した。

「脚色されてるって……じゃああれはお前が書いた脚本じゃないのか?」

「そうだよ。オレはお願いしただけ。この文化祭で披露する物語に、オレの昔話を使って欲しいってね」

 よくもまぁそんな無茶が通ったものだ。ある種の感心を抱くが、決して讃えなどしない。正直、舞台上の『一樹』の一挙手一投足が、何だかむず痒くて頭から蒸気が噴き上げそうなのだ。動きが大変オーバーな気がするが、当時はもしかしたらこんな感じだったのではないかと錯覚してしまうくらいの演技力。まさかこんな辱めを受けるだなんて思ってもみなかった。

 ステージでは場面が切り替わり、麻莉恵と鈴香の出会いのシーンになった。この物語はどうやら一樹と鈴香、それぞれの視点から描いていくようで、ダブル主人公としての形式を上手に利用していた。

 二人はハリボテの扉を同時に勢いよく開き、頭をぶつけて互いに吹っ飛ぶように倒れる。本当に当たったような音がしていたけれど、すぐに二人は各々の台詞を言い始めた。素晴らしき役者根性に、敬礼。

「ちょっと! あたしたち、あんなに酷くぶつかった覚えないわよ!」

「えぇ、そうだったの? オレは昔そう聞いたと思ってたんだけど……」

 茉莉菜の文句からわかるように、健吾が実際に居合わせていなかった場面は、脚本家より前にこいつの地点で話がおかしくなっている。そこに脚色が加わっているから、物語としては『近からずも遠からず文学部物語』といった具合だ。

「……」

 しかしそんなことを他所に、鈴涼は食いつくようにステージを見ている。小さな体を手すりに乗せ、首を限界まで突き出して。特に熱心に追っているのは、彼女自身がモチーフになっている『鈴香』という少女だ。その様子を見て、健吾の真の狙いを悟ったのだった。

「鈴涼に俺たちの話を実際に見せて、記憶を刺激しようとしたのか」

「ご名答。百点だよ、一晴」

 文化祭という提案を最初に聞いた時、高校に通えていない鈴涼に対するせめてもの慰みなのかと思っていた。しかし実際はもっと用意周到に仕込まれ、彼女の記憶を取り戻すという最大の目的のために放たれた寸分違わぬ一矢だった。やはり健吾の頭の回転数は俺なんかに比べて桁違いである。鈴涼の興味の視線からも、今回の彼の行いは成功だと言えよう。しかし。

「恥ずかし過ぎる……」

「こんなことなら先に言っておいてよ……」

 俺と茉莉菜はとんだとばっちりである。せめて心の準備をする時間があればもう少しマシだったろうに。増幅と増大を重ねた共感性羞恥に耐えられず、二人して顔を両手で覆うしかなかった。

 場面はとうとう四人が揃ったところ。何をすれば図書室を救えるが議論が進み、やがて一つの方法を見出す。発案者はもちろん健吾がモチーフとなっている『健二』だ。

『みんなで図書室の本を読み回すんだ! そしてそれをクラスに、最終的には学校中を巻き込む企画にしちゃえば良いんだよ!』

「……『健二』くん、なんか元気過ぎない?」

 茉莉菜は開始直後から感じていたであろう疑問をアテもなくこぼした。健二の演者は髪を茶色に染めた骨格の良い生徒だ。言葉回しもハキハキしていて、俺たちの知る中学時代の野沢健吾とは似ても似つかない。それに心なしか、頭が回るだけでなく言動までイケメン風に作られている気がする。

「うーん、おかしいなぁ。オレは元々根暗陰キャだってちゃんと伝えておいたんだけど」

「今の健吾のイメージからじゃ、そんなの全く想像つかなかったんでしょうね」

「それだな」

 彼女の推測に同意。そもそも俺たちですら彼の変化には未だ違和感があるレベルなのだ。それなのに当事者から真逆のことを言われても、嘘とか盛った話にしか聞こえまい。

 物語は進んでいく。変わらない現状に打ちひしがれてしまった――もちろん過去にそんな体験をした覚えはない――一樹の家まで押しかける鈴香。彼女に励まされ、一樹はもう一度再起する。これは多分、鈴涼が初対面にも関わらずいきなり俺の家を訪ねて来たときのオマージュだろう。時系列的におかしいと指摘してやりたくなるが、そこは創作物だから良い。

 一番いただけないのは、主人公同士が意識し合う関係になっていることだ。フィクションだとわかっているけれど、ほんの少々でも掠る部分がある辺りに気まずさが生じる。

「なぁ鈴涼。俺たち、別にあぁいうんじゃ……」

「ほら一晴。最上さんも集中してるんだから、邪魔しないであげなよ」

 健吾に弁解を止められて、ひとまず今は熱心に見る鈴涼に水を差さないことにした。なぜか茉莉菜からも一睨されたので、黙って行く末を見守る。


 部活を創設しようという四人の働きによって、学校側も図書室を軽んじることができなくなっていった。文化祭での活動や生徒への積極的な呼び掛けの末、彼らはとうとう卒業まで図書室を守り切る。けれども文学部の活動は次代に引き継がれることはなく、結果として政策は翌年から施行されることが決定してしまった。

『守り切れなかったんだな、俺たち……』

 一樹の言葉に会場が静まり返る。舞台上の演劇部員たちはものすごく芝居が上手だ。プロなんじゃないかと思えるほど観客の心を掌握している。のちに健吾に聞いたところ、三田高校には部活動目的で入学する人も居るほどだと言う。つまりあの舞台上に居る誰かが、将来もっと明るいスポットライトを浴びるかもしれないのだ。

 健二も麻莉恵も、自分たちの力が及ばなかったことを嘆いていた。所詮は学生でしかなかった。こんな結末では、自分たちの努力は何だったのかと、悲しみの渦が彼らを飲み込んでしまう。暗く落とされた照明はまるで彼らの心を代弁しているみたいだった。静寂の中で、いつのまにか時計の針が止まってしまった。

俺たちの物語なら、これが正解だ。幕引きは重なり合う後悔。こうして紡がれることのない未来がいつまでも続き、やがて霞になって消えていく。壊れた物語の終幕――その長針に手を伸ばしたのは、一人の少女だった。

『でも、私たちの青春は、確かにここにあったよ』

 鈴香は片付けられようとしていた机をもう一度並べる。四つの机は、彼らが活動をした証。あの場所で語らった日々が、彼らの過ごした紛れもない時間だ。本の感想も、学校の話題も、主題なんてない笑顔だけの日も。俺には、俺たちにはそれが痛いほどに、わかる。

『これからみんながどんな道を選んだとしても、私たちは変わらない。無駄だったことなんて、一つも無かったよ』

 あたかも胸を抉るナイフのようで、そして傷を癒す希望のようでもあった。もしその台詞が『本物』から聞けたのだとしたら、どれだけ嬉しかっただろう。一瞬だけ駆け巡った古傷の熱は、いつかああして温かな光になってくれるのか。

『最後にみんなで、本を読もう?』

『――あぁ! そうだな!』

 そうして最後の部活動が行われ、舞台は終幕となる。天幕が降り切るその直前まで、彼らは笑顔だった。

 会場からは名演を見せてくれた演劇部へと温かな拍手が送られる。健吾なんかは両手を頭の上にまで挙げてスタンディングオベーションもかくやという大きな称賛を表していた。俺は控えめにぱちぱちと手を叩く。茉莉菜もステージを見ている間は複雑な表情だったが、今は「良いものを観た」という感想を抱いていそうなくらいには口角を上げていた。

 そして鈴涼は――瞬きもせず、一筋だけ涙を流していた。暗くなった体育館でまだ一人、あの世界を見ているかのように。

「す、すずちゃん? どうしたの……?」

 俺が触れられなかった彼女の変化に気づいたのは、隣に居た茉莉菜だった。慌てた様子で彼女の背中に手を伸ばし、小さな鞄からいそいそとハンカチを取り出す。それを頬から目にかけて当てると、鈴涼は擦れた声で言った。

「わからない……でも、あの光景が、すごく幸せなものに思えるの。わたしは、あの景色を、きっと……」

 それ以上の言葉を紡ぐことは嗚咽が許さなかった。俺は健吾と目を見合わせ、意思を通わせる。おそらく彼も同様のことを感じている。俺たちが辿り着くことのできなかったあの眺めが、鈴涼の記憶を刺激したのではないか、と。彼女が――否、俺たちみんなが密かに抱いていた憧憬には、きっと何か大きな意味があるのだ。

 午前中のステージ発表を締めるアナウンスがなされ、会場からは人が頻りに出入りする。でも俺たちは、鈴涼がその得体の知れない感情を仕舞い込むまで、全員で会場の余韻に浸っていた。
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