第14話 獣道を征く
文字数 4,051文字
京都旅行の交渉の結果は、見事なまでの敗走だった。すずちゃんのお父さんがふとした瞬間に見せていた翳りは、あたしたちを「妬ましい」と言ったあの言葉で納得した。
最愛の娘のため、彼は身を粉にして働いている。もっとすずちゃんと一緒に居たいと思っているのは当然で、そのためにずっと辛い思いをしながら彼女を待っていたのだ。
それだと言うのに、三年振りに彼女が目覚めたからと会いに来たあたしたちが歓迎してもらえるなど、なんて都合が良い話だろう。今日まで中学校に連れ出したり、家に足を運ぶのを許されていたことがすずちゃんの両親の優しさだったのだ。あたしたちが力になれるなんて、驕りでしかなかった。
「ねぇ」
あたしは俯きながら歩く一晴に呼びかけた。悩んでいる表情が、薄い明かりを点け始めた街灯のせいでとても惨めに見える。あたしは追い打ちになるとわかっていながら、それでも彼の迷いを確かなものにするために言った。
「さすがに、ああも正面から否定されちゃったんだもの。旅行の計画は、もちろん取りやめるわよね?」
「……」
一晴は唇を噛んで押し黙る。どうしてこんなにも崖っぷちで踏みとどまろうとしているのか。あたしは彼の優柔不断さが鼻について、思わず隠していた本音をぶちまけてしまう。
「仕方ないじゃない。ふざけたことを言って、怒られなかっただけマシよ」
しまった、と思った時には遅かった。一晴は足を止めてまであたしの方へと体を向けて反論しようとする。
「……っ。ふざけてなんかねぇよ! 俺は」
「そうやって出しゃばって、すずちゃんのお父さんとお母さんに嫌われたらどうするの? すずちゃんに会わせてもらえなくなったらどうするの? あたしはまだ、すずちゃんと一緒に居たい」
あたしは一晴が何かを言う前に遮ってまくし立てた。そうしないと、彼が立ち止まってくれるチャンスは無いと思ったから。
あたしの言葉は、もはや彼にとって裏切りと思われても仕方がない。一度は協力を受諾してここに来たのにも関わらず、すずちゃんの両親の態度を見て百八十度意見を変えてしまったのだ。一晴はぎり、と歯を噛み締めて何かを押し殺している。それはもしかしなくても、あたしが我慢できなかった鋭い言葉の数々だったのだろう。やがて選び取ったのは、あたしに相反する意見だった。
「……俺は諦めないぞ」
「やめてよ。余計なことしたら、またみんなバラバラになっちゃうかもしれないんだよ?」
「俺は鈴涼の願いを叶える。あいつの時間を動かすために、俺はもう一度向き合うって決めたんだ」
「じゃあ一晴は、あたしたちのことはどうでも良いって言うの!? すずちゃんのためだけじゃないって言ったのは、やっぱり嘘だったの!?」
「違う、そんなこと言ってねぇだろ! 鈴涼の本当の声を聞くことがみんなにとって大事だって思ってるんだ!」
「それですずちゃんが誰も受け入れてくれなかったらどうするの!? みんなで一緒に居られるなら、それが一番じゃない!」
絶壁の山で木霊をぶつけ合うようだった。あたしと一晴はこれまで何度も言い合いをしてきたけれど、今回はどこか違う。お互いが迷いを吐き出して当たり散らしているみたいな気持ち悪さ。ただ相手を傷つけてしまうだけだとわかっていることが、どこまでもあたしの心を締め付ける。
一晴があたしたちのことを考えていないわけがない。それは以前、三年越しの対話をして彼が信じさせてくれたことだ。
自分の意志の弱さが酷く醜い。所詮あたしは、あたし自身が現状維持をしたいだけなのだ。「すずちゃんのため」なんて綺麗事を都合良く言っているのはあたしの方だ。
――でも仕方ないじゃない。あたしたちが一緒に居るためには、こうしているしかないのだから。
「二人とも、今日はここまでにしよう。今はみんな、冷静じゃない」
静観していた健吾が間に入るようにして、ヒートアップするあたしと一晴を止めた。その声のおかげで浮かび続ける攻撃的な言葉を抑え込むことはできたけど、仲直りの言葉はすっかり底に埋まってしまっていた。
「あたしは……無理やり押し通すなんて反対だから」
どうにか絞り出せたそれだけを残して、あたしは逃げるように二人の元から走り出した。振り向けなかったのは、大きな夕日が眩しかったせいだ。きっとそうだ。
※
夜空には星々が出始めている。今日は夕飯までには家に帰るつもりだったが、茉莉菜と口論をした俺はどうにも冷静な顔で玄関をくぐれるとは思えなかった。迷惑になるとわかっていながら「ご飯はいらない」というメッセージを送るのは、酷い罪悪感があった。
「ほら、一晴」
公園のベンチで頭を抱えていた俺の前に、一本のアルミ缶が差し出される。キセルを咥えた男性のパッケージは、よくコマーシャルなんかをやっているコーヒーだろう。
「……サンキュ」
「ん」
頼んだ訳でもないのに、自分が飲み物を買うタイミングで買って来てくれるあたり、気遣いのできる男になったのだなと感心する。しかし飲み慣れないブラックは、空っぽの胃に入れるとキリキリと締め付けられる気持ち悪さがあった。
「にげぇ」
「コーヒーにはリラックス効果があるらしいよ。今の一晴に効くかわからないけど」
言いながら、彼も買ってきた小さめのペットボトルを口につけた。よく見たら健吾は甘そうなカフェオレを手にしている。そのチョイスの差は、おそらく俺に対して「落ち着け」とでも言いたいのだろう。
鈴涼の父親に計画を断られ、挙句の果てには茉莉菜とも喧嘩別れになってしまった。鈴涼を新しい場所に連れて行こうとして、寧ろ状況を悪化させてしまっては救いようがない。俯瞰して現状を見渡せば、事態は随分と最悪な方向に向かってしまったようだ。
「今からでも、みんなに謝りに行くべきか……」
最上家には、他人に話したくもない事情を話させてしまったこと。そして茉莉菜にも、食い違って喧嘩をしたのは本意ではないということをちゃんと伝えなければいけない。その上で今回の一件を「妄言でした」と謝れば、優しい彼らはまた笑顔を向けてくれるだろう。でも――
「一晴は、それで良いのかい?」
俺が抱いていた疑問は、俺じゃない声で公園に広がった。このまま退いた方が良いという理解と、それでも心の中では割り切れないという納得の部分とがせめぎ合っている。駄々をこねる子どもみたいに、纏まらない思考を吐き出した。
「茉莉菜の言う通り、仕方のない話だ。鈴涼のお父さんに言われたこと……当然だよな。目覚めたばっかりの子どもと離れるなんて、嫌に決まってる。そこまで考えが至らなかったのが、申し訳ないし、悔しい」
鈴涼が記憶を失ってから、俺は色々な人たちともう一度繋がりを持ち、心に触れる機会をもらった。三年前に交わせなかった茉莉菜の言葉を聞くことができて前進したつもりでいた。誰かの気持ちを考えた気になっていただけなのだ。
いつかに後藤先生に言われたことを思い出す。俺たちは大人になって、リスクや気持ちを慮って行動しなくてはいけない。そうしないとまた無遠慮に傷つけてしまうだけだ。まだ全然足りないことを自覚して、心はぎゅうぎゅうと痛みを増し続ける。
「諦めるのかい?」
健吾のその聞き方は、まだ希望があるみたいな言い方に聞こえた。こんな状況下でも、未だに策を腹に抱えているとでも言うのか。形容し難い募る気持ちのままに、健吾へと尋ねる。
「お前はこうなることまで予測できてたのか? 考えた上で、できるって言ってくれたのか?」
健吾は俺たちの中で、最も物事を客観的に見ることができる。それは疑いようもない。しかし、彼にすら見えなかったことくらいあるのではないかと思いたかった。もしそうだったなら、きっと潔く諦めがついたから。
彼を見てみると、俺の質問を受けてからカフェオレで喉を潤していた。その数秒間の思案の後で、率直な感想が飛んでくる。
「考えていなかった、とまでは言わない。だけど、思っていたより芳しくないね。当初のプランじゃ攻略させてくれそうにないや」
「そうか……」
つまり彼の中では、まだ可能性が残っているのだ。少しだけ冷たい風が吹いた。ブランコが揺れて、きぃきぃという音が俺の心を落ち着ける。頭に浮かぶ言葉が溢れてしまわないように、ゆっくりと。
「健吾」
「ん?」
「やっぱり俺、諦めたくない。鈴涼が両親の愛情をちゃんと受け入れるためには、少しでも早く記憶を取り戻さなきゃいけないんだ」
かつて鈴涼が俺に伝えたこと。向けられた愛情を素直に受け止められないことに苦悩する彼女を俺は救いたい。戸惑う彼女を導くことこそ、俺がやらなければいけないことなのだ。
でも、そのことを彼女自身から両親に伝えさせるなんてあまりにも残酷だ。あの日、俺だけに伝えてくれた鈴涼の気持ちを無駄にはしたくない。
健吾は俺を見ると途端に吹き出すように破顔し始めた。そして俺の驚き顔を見るなり、ごめんごめんと大袈裟にかぶりを振る。
「ようやっと、らしいことを言うようになったと思ってね」
「なんだよ、それ」
「別に。こっちの話さ」
意味ありげに言うと、健吾は何だか嬉しそうな表情を作っていた。その自然な感じが、どことなく彼の幼い頃の顔と重なった気がした。
「突っ走れよ、一晴。荒れた道の跡は、ちゃんと舗装してやるからさ」
俺は苦々しいコーヒーを喉奥に流し込んだ。痺れるみたいな苦味を受け取って、空っぽの缶を叩きつける。
「ありがとよ。少なくとも目は覚めた」
「それは何より」
再会してから、俺は健吾に育てられでもしているのではないか、なんて考えが浮かんでしまう。そのくらい彼は俺を突き動かして、前に進ませようとする。初めは鬱陶しいと思っていた言葉の数々が、今となっては目的を思い出すための羅針盤みたいだ。
俺は茉莉菜の言葉を頭の中で繰り返していた。
「無理矢理押し通すんじゃ駄目だ。みんなが納得する形でなくちゃいけない」
――鈴涼の一番大切な人たちに、彼女の声を届けるのだ。
最愛の娘のため、彼は身を粉にして働いている。もっとすずちゃんと一緒に居たいと思っているのは当然で、そのためにずっと辛い思いをしながら彼女を待っていたのだ。
それだと言うのに、三年振りに彼女が目覚めたからと会いに来たあたしたちが歓迎してもらえるなど、なんて都合が良い話だろう。今日まで中学校に連れ出したり、家に足を運ぶのを許されていたことがすずちゃんの両親の優しさだったのだ。あたしたちが力になれるなんて、驕りでしかなかった。
「ねぇ」
あたしは俯きながら歩く一晴に呼びかけた。悩んでいる表情が、薄い明かりを点け始めた街灯のせいでとても惨めに見える。あたしは追い打ちになるとわかっていながら、それでも彼の迷いを確かなものにするために言った。
「さすがに、ああも正面から否定されちゃったんだもの。旅行の計画は、もちろん取りやめるわよね?」
「……」
一晴は唇を噛んで押し黙る。どうしてこんなにも崖っぷちで踏みとどまろうとしているのか。あたしは彼の優柔不断さが鼻について、思わず隠していた本音をぶちまけてしまう。
「仕方ないじゃない。ふざけたことを言って、怒られなかっただけマシよ」
しまった、と思った時には遅かった。一晴は足を止めてまであたしの方へと体を向けて反論しようとする。
「……っ。ふざけてなんかねぇよ! 俺は」
「そうやって出しゃばって、すずちゃんのお父さんとお母さんに嫌われたらどうするの? すずちゃんに会わせてもらえなくなったらどうするの? あたしはまだ、すずちゃんと一緒に居たい」
あたしは一晴が何かを言う前に遮ってまくし立てた。そうしないと、彼が立ち止まってくれるチャンスは無いと思ったから。
あたしの言葉は、もはや彼にとって裏切りと思われても仕方がない。一度は協力を受諾してここに来たのにも関わらず、すずちゃんの両親の態度を見て百八十度意見を変えてしまったのだ。一晴はぎり、と歯を噛み締めて何かを押し殺している。それはもしかしなくても、あたしが我慢できなかった鋭い言葉の数々だったのだろう。やがて選び取ったのは、あたしに相反する意見だった。
「……俺は諦めないぞ」
「やめてよ。余計なことしたら、またみんなバラバラになっちゃうかもしれないんだよ?」
「俺は鈴涼の願いを叶える。あいつの時間を動かすために、俺はもう一度向き合うって決めたんだ」
「じゃあ一晴は、あたしたちのことはどうでも良いって言うの!? すずちゃんのためだけじゃないって言ったのは、やっぱり嘘だったの!?」
「違う、そんなこと言ってねぇだろ! 鈴涼の本当の声を聞くことがみんなにとって大事だって思ってるんだ!」
「それですずちゃんが誰も受け入れてくれなかったらどうするの!? みんなで一緒に居られるなら、それが一番じゃない!」
絶壁の山で木霊をぶつけ合うようだった。あたしと一晴はこれまで何度も言い合いをしてきたけれど、今回はどこか違う。お互いが迷いを吐き出して当たり散らしているみたいな気持ち悪さ。ただ相手を傷つけてしまうだけだとわかっていることが、どこまでもあたしの心を締め付ける。
一晴があたしたちのことを考えていないわけがない。それは以前、三年越しの対話をして彼が信じさせてくれたことだ。
自分の意志の弱さが酷く醜い。所詮あたしは、あたし自身が現状維持をしたいだけなのだ。「すずちゃんのため」なんて綺麗事を都合良く言っているのはあたしの方だ。
――でも仕方ないじゃない。あたしたちが一緒に居るためには、こうしているしかないのだから。
「二人とも、今日はここまでにしよう。今はみんな、冷静じゃない」
静観していた健吾が間に入るようにして、ヒートアップするあたしと一晴を止めた。その声のおかげで浮かび続ける攻撃的な言葉を抑え込むことはできたけど、仲直りの言葉はすっかり底に埋まってしまっていた。
「あたしは……無理やり押し通すなんて反対だから」
どうにか絞り出せたそれだけを残して、あたしは逃げるように二人の元から走り出した。振り向けなかったのは、大きな夕日が眩しかったせいだ。きっとそうだ。
※
夜空には星々が出始めている。今日は夕飯までには家に帰るつもりだったが、茉莉菜と口論をした俺はどうにも冷静な顔で玄関をくぐれるとは思えなかった。迷惑になるとわかっていながら「ご飯はいらない」というメッセージを送るのは、酷い罪悪感があった。
「ほら、一晴」
公園のベンチで頭を抱えていた俺の前に、一本のアルミ缶が差し出される。キセルを咥えた男性のパッケージは、よくコマーシャルなんかをやっているコーヒーだろう。
「……サンキュ」
「ん」
頼んだ訳でもないのに、自分が飲み物を買うタイミングで買って来てくれるあたり、気遣いのできる男になったのだなと感心する。しかし飲み慣れないブラックは、空っぽの胃に入れるとキリキリと締め付けられる気持ち悪さがあった。
「にげぇ」
「コーヒーにはリラックス効果があるらしいよ。今の一晴に効くかわからないけど」
言いながら、彼も買ってきた小さめのペットボトルを口につけた。よく見たら健吾は甘そうなカフェオレを手にしている。そのチョイスの差は、おそらく俺に対して「落ち着け」とでも言いたいのだろう。
鈴涼の父親に計画を断られ、挙句の果てには茉莉菜とも喧嘩別れになってしまった。鈴涼を新しい場所に連れて行こうとして、寧ろ状況を悪化させてしまっては救いようがない。俯瞰して現状を見渡せば、事態は随分と最悪な方向に向かってしまったようだ。
「今からでも、みんなに謝りに行くべきか……」
最上家には、他人に話したくもない事情を話させてしまったこと。そして茉莉菜にも、食い違って喧嘩をしたのは本意ではないということをちゃんと伝えなければいけない。その上で今回の一件を「妄言でした」と謝れば、優しい彼らはまた笑顔を向けてくれるだろう。でも――
「一晴は、それで良いのかい?」
俺が抱いていた疑問は、俺じゃない声で公園に広がった。このまま退いた方が良いという理解と、それでも心の中では割り切れないという納得の部分とがせめぎ合っている。駄々をこねる子どもみたいに、纏まらない思考を吐き出した。
「茉莉菜の言う通り、仕方のない話だ。鈴涼のお父さんに言われたこと……当然だよな。目覚めたばっかりの子どもと離れるなんて、嫌に決まってる。そこまで考えが至らなかったのが、申し訳ないし、悔しい」
鈴涼が記憶を失ってから、俺は色々な人たちともう一度繋がりを持ち、心に触れる機会をもらった。三年前に交わせなかった茉莉菜の言葉を聞くことができて前進したつもりでいた。誰かの気持ちを考えた気になっていただけなのだ。
いつかに後藤先生に言われたことを思い出す。俺たちは大人になって、リスクや気持ちを慮って行動しなくてはいけない。そうしないとまた無遠慮に傷つけてしまうだけだ。まだ全然足りないことを自覚して、心はぎゅうぎゅうと痛みを増し続ける。
「諦めるのかい?」
健吾のその聞き方は、まだ希望があるみたいな言い方に聞こえた。こんな状況下でも、未だに策を腹に抱えているとでも言うのか。形容し難い募る気持ちのままに、健吾へと尋ねる。
「お前はこうなることまで予測できてたのか? 考えた上で、できるって言ってくれたのか?」
健吾は俺たちの中で、最も物事を客観的に見ることができる。それは疑いようもない。しかし、彼にすら見えなかったことくらいあるのではないかと思いたかった。もしそうだったなら、きっと潔く諦めがついたから。
彼を見てみると、俺の質問を受けてからカフェオレで喉を潤していた。その数秒間の思案の後で、率直な感想が飛んでくる。
「考えていなかった、とまでは言わない。だけど、思っていたより芳しくないね。当初のプランじゃ攻略させてくれそうにないや」
「そうか……」
つまり彼の中では、まだ可能性が残っているのだ。少しだけ冷たい風が吹いた。ブランコが揺れて、きぃきぃという音が俺の心を落ち着ける。頭に浮かぶ言葉が溢れてしまわないように、ゆっくりと。
「健吾」
「ん?」
「やっぱり俺、諦めたくない。鈴涼が両親の愛情をちゃんと受け入れるためには、少しでも早く記憶を取り戻さなきゃいけないんだ」
かつて鈴涼が俺に伝えたこと。向けられた愛情を素直に受け止められないことに苦悩する彼女を俺は救いたい。戸惑う彼女を導くことこそ、俺がやらなければいけないことなのだ。
でも、そのことを彼女自身から両親に伝えさせるなんてあまりにも残酷だ。あの日、俺だけに伝えてくれた鈴涼の気持ちを無駄にはしたくない。
健吾は俺を見ると途端に吹き出すように破顔し始めた。そして俺の驚き顔を見るなり、ごめんごめんと大袈裟にかぶりを振る。
「ようやっと、らしいことを言うようになったと思ってね」
「なんだよ、それ」
「別に。こっちの話さ」
意味ありげに言うと、健吾は何だか嬉しそうな表情を作っていた。その自然な感じが、どことなく彼の幼い頃の顔と重なった気がした。
「突っ走れよ、一晴。荒れた道の跡は、ちゃんと舗装してやるからさ」
俺は苦々しいコーヒーを喉奥に流し込んだ。痺れるみたいな苦味を受け取って、空っぽの缶を叩きつける。
「ありがとよ。少なくとも目は覚めた」
「それは何より」
再会してから、俺は健吾に育てられでもしているのではないか、なんて考えが浮かんでしまう。そのくらい彼は俺を突き動かして、前に進ませようとする。初めは鬱陶しいと思っていた言葉の数々が、今となっては目的を思い出すための羅針盤みたいだ。
俺は茉莉菜の言葉を頭の中で繰り返していた。
「無理矢理押し通すんじゃ駄目だ。みんなが納得する形でなくちゃいけない」
――鈴涼の一番大切な人たちに、彼女の声を届けるのだ。