番外編 在りし日の非日常1

文字数 5,111文字

 中学三年生、春。図書室の人の入りようは、新一年生が入学した今年も大して変わらない。しかし去年の卒業生が居なくなっても変化が見受けられないということは、顔を変えて利用されている証拠でもある。あたしは二年間ですっかり慣れた足取りで四階への階段を駆け上がり、今日もまた図書室の扉を開く。

「こんにちはー」

「こんにちは、岩本さん。今日は委員会だったのかしら?」

 本を読みながらカウンターに鎮座するのは図書室の番人たる後藤先生だ。彼女はあたしが一年生の頃から学校司書をしていて、こちらが成長していくのに対してまるで時が止まっているかのようにその美貌を維持している。こんな女性になりたいなぁ、とか密かな憧れを抱きつつも、彼女のような魅惑的な要素はあたしにはさっぱりだ。タイプが違うと諦めることはしばらく前に覚えている。あたしは先生の質問に声を小さめにして答えた。

「そうです。学級委員会で」

「あら? じゃあ岩本さんは三年連続で学級委員なのね。皆勤賞なんて凄いじゃない」

「いやぁ……えへへ、それほどでも」

 率直に褒められて素直に喜ばしい気持ちになる。年度の終わりには「来年はこんな面倒な仕事絶対にやるものか!」と心の中で叫び回るのに、春頃になるとどうしてか毎年この役に手を挙げてしまうのだ。先生の使いっ走りになりがちな業務だが、未だ人となりを知らないクラスメイトと関わることができる機会も多い。合う合わないはあるにせよ、やり甲斐は感じられるからどうせならやるか、という気になってしまうのだ。

「後藤先生、そろそろ時間じゃないですか?」

 先生の隣に座っていた図書委員の男子生徒が言った。すると先生は思い出したように、そうね、と呟く。読んでいた新書判の本を閉じてそそくさと席を立った。

「職員会議ですか?」

「そうなの。文学部のみんなにも伝えてあるわ。部活の終わり頃には戻ってこれると思うけど、戻れなかったら鍵をお願いね?」

「わかりました」

 それじゃあよろしくね、という一言はあたしと図書委員に向けられた言葉だったのだろう。揃って会釈をしてから、あたしはカウンターの内側に入って図書室裏のドアノブを握る。ガチャ、と控えめに扉を開けると、そこには三人の見知った生徒が揃っていた。

「ごめんみんなー。委員会で遅れちゃった」

 本当は謝る必要なんて無いことはわかっているけど、彼らはあたしが委員会で遅れる日はいつも気遣って活動を合わせてくれる。ありがたいことだとは思いつつも、みんな本が好きなことを知っているがためにほんの少しの申し訳なさがあるのだ。さぁ、今日は何の本を読もうか――そう息巻こうとした瞬間、とんでもないスピードで接近してくる影があった。

「茉莉菜! 先生行ったか?」

「――ちっかい! 何なのよ藪から棒に!」

 ドタバタとこちらにやって来たのは、黒髪を動きやすい長さにした少年――幼馴染みの一晴だ。いつも通り騒がしいが、何だか今日はやけに目が輝いているように見える。まるで散歩中に「待て」をさせられている中型犬のようだ。

「行ったか?」

「あぁもう、何なのよ! 行ったわよ! 職員会議だって!」

「よっしゃあ! お前らちょっと待っててくれ!」

 後ろで待つ二人に言うなり一晴は駆け足の姿勢で部屋を出て行く。「走んなー!」と後ろ背に投げかけてみるが、予想通り効果は無かった。

「まったく……何だって言うのよ」

「こんにちは、まりちゃん。委員会お疲れ様」

 呆れ顔を作る私に向かって、すずちゃんはいつも通りの穏やかな調子で挨拶をしてくれた。この学校は染髪が禁止なので殆どの生徒が黒髪だけど、すずちゃんはその中でも群を抜いてツヤのある漆色をしている。彼女のことはクラスが分かれてしまった今でも、全校集会で後ろ姿を見れば簡単に見分けがつくくらいなのだ。

「うん、そう。二人とも、待たせてごめんね」

「委員会は仕方ないよ。気にしないで、岩本さん」

 振り向き気味にこちらを見た健吾が労いの言葉をくれる。あたしは二人の優しさにありがとうを言いつつも、さっき脱兎のごとく飛び出して行った奴のことが気掛かりで仕方がなかった。

「一晴、何しに行ったの?」

「なんか面白いものがあるー、ってずっと言ってたの。私と健吾くんでそれを当てようとしてたんだけど、全部違うって言われちゃって」

 残念がるすずちゃんを見るに、かなり本気で当たりを狙いにいったのだろう。文学部きっての頭脳派二人をもってして当たらない答えとは一体何なのだろうか。気になったあたしは席に座ることも忘れて聞いていた。

「ふーん……ちなみにどんな候補があったの?」

「えーっと……トランプでしょ? UNO、ゲーム機、パズル、レゴブロック……」

「あとはフエラムネ、チョコエッグ、ねるねるねるね、おすしやさんグミ……」

「後半なんでそんなに思考が知育菓子に偏ってるのよ! 明らかに迷走でしょ!」

 まぁ一晴だから何となくそういうのがあれば楽しんでいそうなイメージはあるが。というか、二人の中であいつの精神年齢はどれだけ低く設定されているのだろう。しかしあたしの勘違いを察したようにすずちゃんが弁解する。

「一晴くんのヒントがね、子どもでも楽しめるおもちゃみたいな物、だったの。それで学校にも持って来れそうな物で色々考えてみたんだけど、どれも外れちゃって」

「だからってねるねるねるねを嬉々として自慢しにくる歳ではないでしょ……」

 幼馴染みとして良くも悪くも変わらない一晴を見ていると、なんだか安心するようなハラハラするようなよくわからない気持ちになる。もしもあいつの雰囲気ががらりと変わるとするなら、それはもう天変地異でも起きないと無理だろう。あの見栄っ張りが自信を失くすなんて、太陽が沈み続けるくらいあり得ないことだろうけれど。

「一体何を持って来たのかしら。子どもでもできる……ボードゲーム的なやつとか?」

「それは一番に候補に出て、僕と最上さん二人して否定したよ。さすがに学校に持ってくるのは無理があるだろうって」

「……ま、それもそうよね」

 迷走した二人と言えど、序盤はまともな思考回路が働いていたらしい。そうなってくると考えられる候補は殆ど出尽くしているはずだ。学校に持ってくることができて、かつ子どもでも楽しめる物。あたしはすぐにお手上げのサインを出して、問題の出題者を待つことにした。

「たっだいまぁー!」

 やがて意気揚々と帰って来た一晴の肩には、学校指定のバッグが下げられていた。やはりというか思った通りというか、全力で走って来たらしく若干息を荒らげている。

「さぁー。正解発表の時間だ」

「あんた……一体何を持って来たっていうのよ」

 彼は自分のバッグを合わせた机のど真ん中にどさりと置き、そのファスナーを勢いよく開いた。そして中に見えたのは、バッグにぎっしりと詰まったカラフルなボードやルーレット。

「じゃじゃーん! 人生ゲームだ!」

「ボードゲームじゃん!」

 あたしたちは三人揃って叫ぶように言った。よもやこんな大規模な玩具を本気で学校に持ち出す者が居ようとは。一晴の型破り加減に呆れて言葉を失う中、素行不良の男は悪びれもせずに苦労話を語り出した。

「鞄すっからかんにして突っ込んで来たんだ。いやぁ、だいぶギリギリだったぜ」

「だから今日、毎授業僕のところに教科書を借りに来てたんだね……」

「バッカじゃないの!? どんだけ健吾に負担掛けてんのよ! それに先生に見つかったらどうするつもりだったわけ!?

 これだけのために全ての教材を持ってこないとは、もう不良生徒もいいところだ。一晴の学力だって決して低くはないが、それはテスト期間になると文学部の他の部員を頼っているからこそであり、本人単体では結構酷いものだ。そのバカさ加減が今は如実に出ている。

「だーいじょうぶだって! どうせこんなデカいもん没収できねーよ」

「そういう問題じゃないでしょ! あんた部活を何だと思ってんの!? ここは『文学部』よ! いつも通り本を読み合うって話だったでしょ!」

「異議ありぃ!」

「い、異議……?」

 一晴は突然弁護士みたいに高らかに宣言した。いや、実際の法廷ではこんなあからさまなことはしないと聞くが、いつかに聞いたゲームのせいでそんな印象が強いのだ。

「そうだ。茉莉菜、今って何月だ?」

「え……えっと、五月になったばっかりね」

「そう。そして今年の十月には何がある?」

「十月? そりゃ志望校決めとか受験勉強とか色々あるわよ」

 中学生活も早二年が過ぎ去り、私にとっては初めての受験というものを経験する年だ。桃川中は公立中学だし多くの生徒がそんなものだろう。先生たちが声を揃えて油断大敵だと言うものだから、つい身構えてしまっている。

「優等生かっ。そんな青春が腐りそうな発想は要らん! もっと若々しい答えが聞きたいんだよ! だから頭でっかち委員長なんて言われるんだ」

「言われたこと無いわよ! 張り倒すわよ!」

 確かにお堅いだの融通が効かないだのと言われたことはあるが、そんなものは一晴のような一部の積極的に校則を破ろうとするような輩だけだ。そしてそんな奴らに文句を言われても知ったこっちゃない。正義はこっちにある。するとやり取りを見ていたすずちゃんが、あ、という声を出してから回答した。

「ひょっとして、一晴くんが言いたいのは文化祭かな?」

「さっすが鈴涼! その通りだ!」

「あぁ、そう言えばそうだったわね……」

 桃川中学は例年、九月の終わりに体育祭、十月初め頃に文化祭を開催している。夏休みが明けたらそれら二大イベントがあるせいで、教師生徒ともども九月中はてんてこ舞いだ。一体誰がこんな非合理的な伝統行事にしてしまったのだろうと不思議に思う。

「はいここで問題です! 俺たちは文化祭の時期になったらいつも大変な苦悩を抱えることになります! その苦悩とは一体何でしょう?」

「……小説を書かなくちゃいけないってこと?」

「ピンポン大正解ー! ……そんなわけでだ。やろう、人生ゲーム」

「何がそんなわけでなのよ! 理由の一つも見当たらないじゃない!」

 一晴の破綻した理論に突っ込まずにはいられない。確かに文学部は毎年の成果発表として各々が書いた小説をまとめた部誌を制作している。その度に二か月前には全員で頭を突き合わせながらうんうんとネタに悩んでいるのだ。しかしながら、それが何一つとして人生ゲームに繋がるのかさっぱりわからない。あたしが睨むような視線をぶつけていると、一晴は大袈裟な身振りをしながら言い放った。

「良いか? 大人ならともかく、俺たちはまだ十五年も生きてない未熟者なわけだ。そんなやつらが小説を書こうとしたって深みは出ない。そこで、人生ゲームを通して別の人間の一生を体験してみよう! ってことだ」

「なるほど……って、納得できるわけないでしょ!」

 それっぽく語ってはいるが、要はただゲームがしたいというだけの話である。他の部活でも生徒が先生の目を盗んで遊び出すということは偶に聞くが、規律を守る生徒の比率が高い文学部でもそんな事態が起こりかけようとは。

「そんなのやらないからね! 先生には言わないであげるから、さっさと持って帰んなさい!」

「えぇー! 良いじゃんやろうぜ人生ゲーム! 絶対楽しいからさぁ!」

「子どもか! 海渡でもそんなねだり方しないわよ!」

 今年で小学五年生になった弟は、すっかり同級生の友だちとスポーツをするのが楽しくて仕方がないらしい。もうあたしと一晴が一緒に居ても遊びたいなんて言い出さないが、それは姉として少し寂しいような気持ちもある。だからと言って、同級生の幼馴染みにゲームをせがまれるなんて嬉しくも何ともない。

「このっ……! なぁ健吾、お前もやりたいだろ? 人生ゲーム」

 なおも一晴は諦めようとせず、それまで苦笑いで私たちの口論を眺めていた健吾に助けを求めた。う、うーん、と答えづらそうにするのは彼の押しに弱い性格ゆえだろう。ただ彼が真面目であることは間違いないので、いけないこととだとわかっていて頷くこともまたできないのだ。

「じゃあ、鈴涼は? お前もやりたいだろ、人生ゲーム」

「すずちゃんがそんなことやりたがるわけないでしょ! ほらすずちゃん! ここはビシッと言ってやって!」

 彼女はいつも部室に真っ先に現れて読書を楽しんでいる文学淑女だ。こんな子どもじみた遊びはとっくに卒業しているであろう。ゼロに等しい希望にまで縋ろうとする一晴の醜さに一発決めてやらねばならないと思った、その時だった。

「わ、私もやりたいかも……人生ゲーム」

 部室の空気が一変した。
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