第19話 最上さんは本の虫
文字数 4,596文字
※
『カーマインの鈴蘭』は、架空の高校を舞台にした学園怪奇ミステリーだ。まず四つの短編がそれぞれ異なる主人公の視点から書かれ、彼らは自分自身の身に降りかかる謎を解決していく。そして最終章にて、彼らの物語は学園の七不思議と結びつく。四人はやがて紅の液体を垂らす一輪の鈴蘭を見つけ、隠されたその意味を知ることになる――
「面白い!」
読み終えた瞬間、あたしは思わず自分の部屋で声を上げていた。一日一章。一冊の本をどうにか五日で読むという計画で挑戦してみたのだが、四日目――つまり今日には先が気になってしまい、全てを読み切ってしまった。目覚まし時計の針を見れば、普段の寝る時間よりも二時間は多く回っている。明日も学校があるというのにという後悔と、きっと最終章を読まずには眠れなかっただろうという確信がせめぎ合っていた。
「本ってこんなに面白いんだなぁ」
正直食わず嫌いだったと思う。しかし短めの話を追うごとに、ドラマみたいに目が離せなくなっていった。各話の謎が、最後には一つの大きな謎にたどり着く。それまで感情移入していた主人公たちが出会う瞬間は、今まで以上の冒険を示唆していて胸が高鳴った。
そして伏線は最初から仕掛けられていた。『カーマインの鈴蘭』が意味するのは、ただの不気味な花じゃない。花言葉と言葉遊びが絡み合った怨嗟の証。その昔交通事故で命を落とした女性の車には、陰謀の名の下に加圧式の爆弾が忍ばされていて……
「明日……図書室行ってみよ」
毎日後藤先生が居るわけではないが、居たらこの本が面白かったこともちゃんと伝えて、感謝したい。そしてあわよくば、他にもあたしが楽しめそうな小説を紹介してもらおう。あたしは無意識に笑う自分に少し気持ち悪さを覚えながら、急いで布団に入り込んだ。
「そう言えば、あの子もいるのかな」
脳裏をよぎったのはあの礼儀正しい黒髪の少女だ。クラスも違い、結局あれから彼女とは話していない。しかしながら、あの図書室に通う以上きっとまたどこかで会うことになるだろう。
「仲良くなれたら良いな」
本好きの先輩として、彼女には教えてもらいたいことが山ほどできた。同世代として共感できるストーリー。モチベーションのある今ならどんな本でもトライできそうだ。
あたしはもう一度気持ち悪く笑った。再会が待ち遠しい気分を高揚させながら、ゆっくりとまどろみに落ちていく。
翌日の放課後、あたしは予定通り図書室を訪れた。そして気づいたのは、この学校の図書室はとにかく人が少ないということだ。もちろんゼロとは言わないが、いつも五人くらいしか入っていない。静かに本を読むというコンセプトには合っているからそれは良いのだろうけれど。
図書室の長机の奥にいる眼鏡の少年なんかは、この前もここに居た気がする。彼もまた熱心に本を読んでおり、シリーズと思しき文庫本を高く積んでいる。いわゆる本の虫たちは、みんな一日であんなに読み切れてしまうのかと感心していた。
今日の担当は後藤先生ではなく、少し――いや、結構ふくよかな女性だった。何だか気難しい表情が板についているような感じがして、いまいち笑顔の想像ができない。多分苦手なタイプだろうなぁ、と直感だけで感じ取ってしまい、カウンターに行くのを少し躊躇する。
「……岩本さん? どうかしましたか?」
後方から唐突にあたしの名前を呼ぶ声がした。凛と響く涼しげな声色は、どこかで聞き覚えがある。えっ、と振り向くと、またも何冊かの本を抱えた最上さんが居た。あたしは驚いて、予定していたのとはだいぶ違うたどたどしい返事をしてしまう。
「あ、あの、本を借りに来たの。次はどれにしようかなー……って」
「そうだったんですね。でも、次の本を借りるなら、まずその本を返さないといけませんよ」
「えっ、あっ。そ、そうよね!」
まさか先生が怖そうで足踏みしていたとは言えず、あたしは急いでカウンターに向かおうとした。すると最上さんはあたしだけに聞こえるようにぼそりと言う。
「三嶋先生って、見た目怖いですよね」
柔和な態度の彼女から急にそんな悪口が出たことにぎょっとする。さらに言えば、まるで確信を持って心を見透かしたみたいな発言をしたことにも驚かされた。そして彼女は自分の見立てに間違いなど微塵も感じていないようで、さらにこう繋げる。
「でも大丈夫ですよ。話してみたら優しい先生です。もし苦手でしたら、私から言いますよ」
言うが早いか、彼女はカウンターの先生の元へ近寄って行く。あたしは面食らいながらも慌てて最上さんの後を追った。
「三嶋先生。本の返却だそうです」
最上さんの言葉に仏頂面が反応する。眉間にシワを寄せた表情があたしに向けられた。
――メンチ切られた!
あたしは飛び出そうになった言葉を心の中にギリギリのところで押し留める。やはりこの先生は苦手なタイプだ……と確信を得る直前、彼女の顔が嘘みたいにぱあっと明るくなった。
「あらそう。一年生かしら?」
「は、はい」
「じゃあ、自分の図書カードと返したい本を出してちょうだい。あ、自分のカードはわかる? わからなかったら何でも聞いてちょうだいね」
――親切じゃん!
少し焼けたような声で、思いがけないくらい手厚い面倒を見てくれる先生だった。見かけで判断したことを今日ほど猛省した日もない。あたしは安心し切った表情を最上さんに向けると、耳元に口を近づけて、ね? という一音だけを発していた。思えばあたしはこの子に対しても少し近寄り難さを感じていたが、実はと言うかやっぱりと言うか、彼女もまた同い年の女の子なのだ。
あたしは返却の手続きを終えると、思い切って最上さんに相談してみることにした。
「も、最上さん」
「はい、何でしょうか?」
「えっとね。前、後藤先生から聞いたと思うんだけど、あたし読書を頑張ってみたいと思ってるの。それで……」
「お勧めの本を教える、という約束でしたよね。もちろん大丈夫ですよ」
「ありがとう!」
最上さんはしっかりと四日前の会話を覚えていてくれたらしい。後藤先生といい最上さんといい、図書室は優しい人が集まる場所なのだろうか。多分運が良いだけなんだろうけど、あたしは自分の運勢がそこまで良いとは思っていないのだ。
「それで、読みたいジャンルとかはありますか? 恋愛、ミステリー、SF……興味がある分野があれば、そういうところからも探すのを手伝いますよ」
「え、えっとぉ……その、恥ずかしいんだけど、まだ読むのに慣れてないから、簡単なやつ……とかないかな」
我ながらあまりにも漠然とした要望にがっかりする。あたしの勝手なイメージの中で頭の良さそうな最上さんに対して、馬鹿丸出しの返答だ。しかしながら彼女はそれを聞いても特に困る様子を見せず、数秒考えただけで本棚に向かった。
「これなんかどうでしょうか? 『新天地の殺人事件簿』」
「ミステリー……?」
「そうです」
渡された本の表紙は、近未来的な街が柔らかなタッチで描かれているものだった。しかしそのタイトルは不穏極まりない。
「ちょっとサスペンス的な部分もあるんですけど、この作家さんは過激な表現はあまりしないのでグロテスクに感じないんです。それに、これも短編集になっていますから、読みやすいんじゃないかと」
「……これも?」
「はい。前に借りていたのは『カーマインの鈴蘭』でしたよね。あの作品が楽しめたなら、きっとこっちも楽しめますよ」
短編であり、ミステリー。『新天地の殺人事件簿』もまた『カーマインの鈴蘭』と同じような構成というわけか。彼女なりの考えを聞き、あたしは後藤先生との会話を思い出した。
「あ……もしかして、後藤先生がこれを面白いって言ってた子って……」
「先週、後藤先生にこの本の感想を伝えましたけど……そのことでしょうか?」
「やっぱり!」
やはり『カーマインの鈴蘭』を読んだのは最上さんだったのだ。入学してすぐだったから読んだのは上級生かと思っていたが、彼女の読書スピードならばそれも有り得るのでは、というのが頭の片隅で考えていたことだった。
「これ、最上さんが面白いって言ってくれたから後藤先生が勧めてくれたんだよ」
「そうだったんですね……ちょっとだけ、恥ずかしいです」
「そんなことないよ! すっごい面白かったもん!」
顔を赤くする最上さんにあたしは必死になって言う。少なくとも今まで本に触れてこなかった人間がもう一度図書室に足を運んでしまうほどだ。それくらい『カーマインの鈴蘭』はあたしにとって鮮烈だった。
「お力になれたなら、何よりです」
「うん! だからこの本も、借りてみる!」
今度はあたしが即決する番だった。すると最上さんは少し焦ったように言ってくる。
「好みは人それぞれですから、他に興味がある本があれば、そちらを借りてくださって結構ですよ」
しかしながらあたしが『新天地の殺人事件簿』に抱く期待値はその控えめな説得を遥かに上回っていた。
「ううん。『カーマインの鈴蘭』も、最上さんが勧めてくれたみたいなもんだから。とにかく読んでみる」
後藤先生は昔に読んだだけと言っていたし、もし最上さんがこの図書室で見つけて読まなければ、あたしに『カーマインの鈴蘭』が伝わることはなかっただろう。きっと彼女は神様が使わしてくれた、あたしと本のキューピットなのである。
「そうですか。また、何かあれば言ってくださいね」
「うん、ありがとう!」
あたしは本を借りる手続きを済ませると、その本を持って階段を下って行った。家に帰ったら、海渡に邪魔されないように自室で読んでみよう。晩御飯までは二時間以上あるだろうから、それなりに読み進めることができるはずだ。そして少ない課題を終わらせた後に、また……
今日のスケジュールを脳内で決めていたあたしは、忙しない様子だった。だからすぐ近くを横切った存在に気づかなかった。
「茉莉菜?」
実に聞き覚えのある声に驚く。階段をすれ違いになったのは、違うクラスになってからあまり話す機会のなかった一晴であった。
「か、一晴!?」
あたしは予想外の邂逅に思わず本を後ろ背に隠してしまった。何をしているのだろう。別に秘密にする理由もないのに、どうしてあたしはこんなことが恥ずかしいと感じてしまっているのだろう。
「……? お前、何隠したの?」
「べ、別に何でも良いでしょ! それより、一晴はどこに行くのよ」
無理矢理な話題転換をするあたしに一晴は随分怪訝な顔をしたが、特に気にするでもなく質問に返してくれた。
「俺? 俺は今から図書室行こうと思ってるんだ」
あんたも? という言葉はどうにか心の中に留まった。あたしは何とか二の句を継ごうとさらに質問を重ねる。
「へ、へぇー。何しに行くの?」
「何って……そりゃ本借りに行くんだよ。図書室なんだから当たり前だろ」
それは至極真っ当だ。あまりに考えのないこと言った自分が情けない。
「そ、そうなんだー。良い本見つかると良いねー」
「……なんかお前、今日おかしくないか?」
「おかしくないから! 失礼なこと言わないで!」
あたしは、じゃっ! と短く切り上げて去って行く。どうしてこう、あいつと話す話題を無駄に意識しているのだろう。少し前みたく、バカみたいな話で盛り上がれば良いではないか。これでは何だか、あたしがどこかおかしいみたいだ。
『カーマインの鈴蘭』は、架空の高校を舞台にした学園怪奇ミステリーだ。まず四つの短編がそれぞれ異なる主人公の視点から書かれ、彼らは自分自身の身に降りかかる謎を解決していく。そして最終章にて、彼らの物語は学園の七不思議と結びつく。四人はやがて紅の液体を垂らす一輪の鈴蘭を見つけ、隠されたその意味を知ることになる――
「面白い!」
読み終えた瞬間、あたしは思わず自分の部屋で声を上げていた。一日一章。一冊の本をどうにか五日で読むという計画で挑戦してみたのだが、四日目――つまり今日には先が気になってしまい、全てを読み切ってしまった。目覚まし時計の針を見れば、普段の寝る時間よりも二時間は多く回っている。明日も学校があるというのにという後悔と、きっと最終章を読まずには眠れなかっただろうという確信がせめぎ合っていた。
「本ってこんなに面白いんだなぁ」
正直食わず嫌いだったと思う。しかし短めの話を追うごとに、ドラマみたいに目が離せなくなっていった。各話の謎が、最後には一つの大きな謎にたどり着く。それまで感情移入していた主人公たちが出会う瞬間は、今まで以上の冒険を示唆していて胸が高鳴った。
そして伏線は最初から仕掛けられていた。『カーマインの鈴蘭』が意味するのは、ただの不気味な花じゃない。花言葉と言葉遊びが絡み合った怨嗟の証。その昔交通事故で命を落とした女性の車には、陰謀の名の下に加圧式の爆弾が忍ばされていて……
「明日……図書室行ってみよ」
毎日後藤先生が居るわけではないが、居たらこの本が面白かったこともちゃんと伝えて、感謝したい。そしてあわよくば、他にもあたしが楽しめそうな小説を紹介してもらおう。あたしは無意識に笑う自分に少し気持ち悪さを覚えながら、急いで布団に入り込んだ。
「そう言えば、あの子もいるのかな」
脳裏をよぎったのはあの礼儀正しい黒髪の少女だ。クラスも違い、結局あれから彼女とは話していない。しかしながら、あの図書室に通う以上きっとまたどこかで会うことになるだろう。
「仲良くなれたら良いな」
本好きの先輩として、彼女には教えてもらいたいことが山ほどできた。同世代として共感できるストーリー。モチベーションのある今ならどんな本でもトライできそうだ。
あたしはもう一度気持ち悪く笑った。再会が待ち遠しい気分を高揚させながら、ゆっくりとまどろみに落ちていく。
翌日の放課後、あたしは予定通り図書室を訪れた。そして気づいたのは、この学校の図書室はとにかく人が少ないということだ。もちろんゼロとは言わないが、いつも五人くらいしか入っていない。静かに本を読むというコンセプトには合っているからそれは良いのだろうけれど。
図書室の長机の奥にいる眼鏡の少年なんかは、この前もここに居た気がする。彼もまた熱心に本を読んでおり、シリーズと思しき文庫本を高く積んでいる。いわゆる本の虫たちは、みんな一日であんなに読み切れてしまうのかと感心していた。
今日の担当は後藤先生ではなく、少し――いや、結構ふくよかな女性だった。何だか気難しい表情が板についているような感じがして、いまいち笑顔の想像ができない。多分苦手なタイプだろうなぁ、と直感だけで感じ取ってしまい、カウンターに行くのを少し躊躇する。
「……岩本さん? どうかしましたか?」
後方から唐突にあたしの名前を呼ぶ声がした。凛と響く涼しげな声色は、どこかで聞き覚えがある。えっ、と振り向くと、またも何冊かの本を抱えた最上さんが居た。あたしは驚いて、予定していたのとはだいぶ違うたどたどしい返事をしてしまう。
「あ、あの、本を借りに来たの。次はどれにしようかなー……って」
「そうだったんですね。でも、次の本を借りるなら、まずその本を返さないといけませんよ」
「えっ、あっ。そ、そうよね!」
まさか先生が怖そうで足踏みしていたとは言えず、あたしは急いでカウンターに向かおうとした。すると最上さんはあたしだけに聞こえるようにぼそりと言う。
「三嶋先生って、見た目怖いですよね」
柔和な態度の彼女から急にそんな悪口が出たことにぎょっとする。さらに言えば、まるで確信を持って心を見透かしたみたいな発言をしたことにも驚かされた。そして彼女は自分の見立てに間違いなど微塵も感じていないようで、さらにこう繋げる。
「でも大丈夫ですよ。話してみたら優しい先生です。もし苦手でしたら、私から言いますよ」
言うが早いか、彼女はカウンターの先生の元へ近寄って行く。あたしは面食らいながらも慌てて最上さんの後を追った。
「三嶋先生。本の返却だそうです」
最上さんの言葉に仏頂面が反応する。眉間にシワを寄せた表情があたしに向けられた。
――メンチ切られた!
あたしは飛び出そうになった言葉を心の中にギリギリのところで押し留める。やはりこの先生は苦手なタイプだ……と確信を得る直前、彼女の顔が嘘みたいにぱあっと明るくなった。
「あらそう。一年生かしら?」
「は、はい」
「じゃあ、自分の図書カードと返したい本を出してちょうだい。あ、自分のカードはわかる? わからなかったら何でも聞いてちょうだいね」
――親切じゃん!
少し焼けたような声で、思いがけないくらい手厚い面倒を見てくれる先生だった。見かけで判断したことを今日ほど猛省した日もない。あたしは安心し切った表情を最上さんに向けると、耳元に口を近づけて、ね? という一音だけを発していた。思えばあたしはこの子に対しても少し近寄り難さを感じていたが、実はと言うかやっぱりと言うか、彼女もまた同い年の女の子なのだ。
あたしは返却の手続きを終えると、思い切って最上さんに相談してみることにした。
「も、最上さん」
「はい、何でしょうか?」
「えっとね。前、後藤先生から聞いたと思うんだけど、あたし読書を頑張ってみたいと思ってるの。それで……」
「お勧めの本を教える、という約束でしたよね。もちろん大丈夫ですよ」
「ありがとう!」
最上さんはしっかりと四日前の会話を覚えていてくれたらしい。後藤先生といい最上さんといい、図書室は優しい人が集まる場所なのだろうか。多分運が良いだけなんだろうけど、あたしは自分の運勢がそこまで良いとは思っていないのだ。
「それで、読みたいジャンルとかはありますか? 恋愛、ミステリー、SF……興味がある分野があれば、そういうところからも探すのを手伝いますよ」
「え、えっとぉ……その、恥ずかしいんだけど、まだ読むのに慣れてないから、簡単なやつ……とかないかな」
我ながらあまりにも漠然とした要望にがっかりする。あたしの勝手なイメージの中で頭の良さそうな最上さんに対して、馬鹿丸出しの返答だ。しかしながら彼女はそれを聞いても特に困る様子を見せず、数秒考えただけで本棚に向かった。
「これなんかどうでしょうか? 『新天地の殺人事件簿』」
「ミステリー……?」
「そうです」
渡された本の表紙は、近未来的な街が柔らかなタッチで描かれているものだった。しかしそのタイトルは不穏極まりない。
「ちょっとサスペンス的な部分もあるんですけど、この作家さんは過激な表現はあまりしないのでグロテスクに感じないんです。それに、これも短編集になっていますから、読みやすいんじゃないかと」
「……これも?」
「はい。前に借りていたのは『カーマインの鈴蘭』でしたよね。あの作品が楽しめたなら、きっとこっちも楽しめますよ」
短編であり、ミステリー。『新天地の殺人事件簿』もまた『カーマインの鈴蘭』と同じような構成というわけか。彼女なりの考えを聞き、あたしは後藤先生との会話を思い出した。
「あ……もしかして、後藤先生がこれを面白いって言ってた子って……」
「先週、後藤先生にこの本の感想を伝えましたけど……そのことでしょうか?」
「やっぱり!」
やはり『カーマインの鈴蘭』を読んだのは最上さんだったのだ。入学してすぐだったから読んだのは上級生かと思っていたが、彼女の読書スピードならばそれも有り得るのでは、というのが頭の片隅で考えていたことだった。
「これ、最上さんが面白いって言ってくれたから後藤先生が勧めてくれたんだよ」
「そうだったんですね……ちょっとだけ、恥ずかしいです」
「そんなことないよ! すっごい面白かったもん!」
顔を赤くする最上さんにあたしは必死になって言う。少なくとも今まで本に触れてこなかった人間がもう一度図書室に足を運んでしまうほどだ。それくらい『カーマインの鈴蘭』はあたしにとって鮮烈だった。
「お力になれたなら、何よりです」
「うん! だからこの本も、借りてみる!」
今度はあたしが即決する番だった。すると最上さんは少し焦ったように言ってくる。
「好みは人それぞれですから、他に興味がある本があれば、そちらを借りてくださって結構ですよ」
しかしながらあたしが『新天地の殺人事件簿』に抱く期待値はその控えめな説得を遥かに上回っていた。
「ううん。『カーマインの鈴蘭』も、最上さんが勧めてくれたみたいなもんだから。とにかく読んでみる」
後藤先生は昔に読んだだけと言っていたし、もし最上さんがこの図書室で見つけて読まなければ、あたしに『カーマインの鈴蘭』が伝わることはなかっただろう。きっと彼女は神様が使わしてくれた、あたしと本のキューピットなのである。
「そうですか。また、何かあれば言ってくださいね」
「うん、ありがとう!」
あたしは本を借りる手続きを済ませると、その本を持って階段を下って行った。家に帰ったら、海渡に邪魔されないように自室で読んでみよう。晩御飯までは二時間以上あるだろうから、それなりに読み進めることができるはずだ。そして少ない課題を終わらせた後に、また……
今日のスケジュールを脳内で決めていたあたしは、忙しない様子だった。だからすぐ近くを横切った存在に気づかなかった。
「茉莉菜?」
実に聞き覚えのある声に驚く。階段をすれ違いになったのは、違うクラスになってからあまり話す機会のなかった一晴であった。
「か、一晴!?」
あたしは予想外の邂逅に思わず本を後ろ背に隠してしまった。何をしているのだろう。別に秘密にする理由もないのに、どうしてあたしはこんなことが恥ずかしいと感じてしまっているのだろう。
「……? お前、何隠したの?」
「べ、別に何でも良いでしょ! それより、一晴はどこに行くのよ」
無理矢理な話題転換をするあたしに一晴は随分怪訝な顔をしたが、特に気にするでもなく質問に返してくれた。
「俺? 俺は今から図書室行こうと思ってるんだ」
あんたも? という言葉はどうにか心の中に留まった。あたしは何とか二の句を継ごうとさらに質問を重ねる。
「へ、へぇー。何しに行くの?」
「何って……そりゃ本借りに行くんだよ。図書室なんだから当たり前だろ」
それは至極真っ当だ。あまりに考えのないこと言った自分が情けない。
「そ、そうなんだー。良い本見つかると良いねー」
「……なんかお前、今日おかしくないか?」
「おかしくないから! 失礼なこと言わないで!」
あたしは、じゃっ! と短く切り上げて去って行く。どうしてこう、あいつと話す話題を無駄に意識しているのだろう。少し前みたく、バカみたいな話で盛り上がれば良いではないか。これでは何だか、あたしがどこかおかしいみたいだ。