最上鈴涼の恋思慕 2
文字数 4,623文字
※
「すずちゃん、ごめん!」
いつもの図書室裏。まりちゃんは部室にくるなり、ぱん! と手を合わせてきた。彼女以外の全員は委員会などの用事も特になくて先に集まっていて、待っていた間の取り留めのない会話を止める。まりちゃんが謝った理由は、間違いなく応援旗の係決めの話だろう。しかし彼女は何一つ悪くない。私は顔を上げないまりちゃんに笑いながら言った。
「まりちゃんが謝るようなことじゃないよ。それに、最終的には私が決めたことだし」
「そうかもだけど……」
こんなところで申し訳なさを感じてしまっている辺り、まりちゃんはお父さんとはまた違った意味で過保護だ。確かに私は頼りないかもしれないけれど、同級生である彼女には助けられてばかりではいられない。友達のためにと思うのはまりちゃんだけではないのである。
そんなやり取りをしていたら、本を読んでいた日向くんがちらりとこちらを見遣る。手に持っていたのは、夏休みの最後にまりちゃんへ渡した野沢くん紹介のミステリーだった。
「まぁ良いんじゃねーの? 本人はああ言ってたけど、鈴涼の絵は他の奴から見たら相当上手いんだし。女子から二人くらいサポート入ってくれるんだろ? 大丈夫だっ……いてぇ! おい茉莉菜、足! いてぇって!」
「ペン回しばっかしてたあんたが楽観的なのはおかしいでしょうが……!」
机の下で、まりちゃんの上履きがぐりぐりと彼の足の甲を突き刺している。私がまりちゃんを窘めていると、ミステリーの紹介人がおろおろと言った。
「ぼ、僕ももし必要なことがあるなら手伝うよ。絵自体は力になれないかもしれないけど……」
「おいおい健吾。お前はまず体育祭の練習だろ。あのままじゃ玉入れ一球も入らずに終わっちまうぞ」
どうやら野沢くんの投球は男子用のカゴの高さに届かないらしかった。手伝ってくれる気持ちは嬉しいが、彼らの手を煩わせて競技の練習に集中できなかったら大変だ。
「ありがとうみんな。でも大丈夫。この中で一番時間の余裕があるのは私だし。なんとか良い応援旗作れるように頑張るね」
「すずちゃんは今年の作品ももうできてるしね。あたしも頑張らないと」
体育祭と同時期にやってくる文化祭――私たちの本番は寧ろそっちだ。文学部は本を読むことと部誌を出すことが活動項目。どちらか一つでも欠けてしまったら最初の取り決めが意味を成さなくなってしまう。そしてそんなことになった暁には、顧問である後藤先生が部活動を停止させてしまうことだろう。
部活、クラス委員と、やはりまりちゃんが一番大変だ。野沢くんは体育祭に注力すべきだし、日向くんはもう少ししないと危機感を覚えないだろう。彼の書く物語はスケールが大きくて、誰よりも時間が必要だ。
「じゃあしばらくは全員揃えないかもしれねぇな。その時はどうする?」
その日向くんが当面の活動方針について尋ねた。とは言え、彼が聞く相手は実質一人である。眼鏡をかけた少年は僅か二秒の唸り声の後で言った。
「各々が本を机の上に置いたらどうかな? 来た人は勝手に読めるようにして、忙しくないタイミングでお勧め本を入れ替えるとか。もちろん後藤先生の許可は要ると思うけど」
「お、それナイスアイデア! さっすが健吾ね」
すぐにまりちゃんが飛びついた。野沢くんはこういう時、事前に準備していたんじゃないかというくらいすぐにアイデアを出してくれる。これが彼の最も凄いところだ。本人はし過ぎるくらい謙遜家だけど、日向くんの言葉を借りれば、「よっ、名参謀!」といったところである。
「じゃあ文化祭が終わるまで、各々頑張りましょ!」
かくして、それぞれの戦いは始まった。
※
クラスごとに作る応援期は、各クラスに割り当てられた色をテーマに大きな絵を描く。私たち二年一組のクラスカラーは赤色。『燃え上がれパッション!』というスローガンだった。提案したのは、実は日向くんである。当人にどうしてこのスローガンにしたのかを聞いてみたところ「それこそパッション」と言っていた。
ラフ画のアイデアは結構早く浮かんでくれた。折角秋の時期に行われるのだから、真っ赤に熟れたもみじをテーマに選ぶ。もみじと言えば何だろうかと考えて、たどり着いたのは花札の絵だった。
紅葉の葉の下に佇む一頭の鹿。鹿は力の象徴や福を呼ぶ縁起物などと語られることもある。スローガンには似合わないかもと思ったけれど、まりちゃんを始めとしたクラスの中心人物たちからは「非常に良い!」というお墨付きをいただいた。やはり良いと思ったことはすぐに伝えた方が得なものだ。
デザインをスケッチブックに書き起こし、さっそく大きな模造紙に着手する。実際の紙の大きさは私が膝立ちで四つん這いになっても余裕があるほどだ。これは大変な作業だぞ、と腕捲りをして気合いを入れた。
「よしっ」
鉛筆を使ってアタリを入れ、メインとなる鹿の全体像と降り注ぐ数枚の紅葉を描いていく。さらに僥倖だったのは、植物を描く練習が思わぬ形で役に立ってくれたことだ。イチョウの葉とは全然違う形でも、葉脈や影には似通った箇所もあり、手を着ける順番には迷わなかった。
そんな好調な出だしかと思えた応援期作りだったが、二日目くらいで早速翳りが見え始めた。悩みの種は同じ作業を割り当てられた二人の女子生徒のことだ。クラスに対して付かず離れずの距離感の人たちで、行事には│あまり《・・・》精力的ではない様子だ。人見知りな私は、緊張を勇気で解そうと努める。日頃話さないとは言え、失礼のないように頭の中のクラス名簿を念入りにチェックしてから声を掛けた。
「園田さん、前原さん。これなんですけど……」
広めのおでこを出しながら髪をポニーテールに括る女子生徒は園田さんといった。アーモンド型の吊り目ときゅっと結ばれた口が不機嫌な猫を思わせる。実際、彼女はこの応援旗係に乗り気ではなく、人数の関係で振り分けられた人だった。
隣にいるもう一人の女子生徒は前原さん。クラスでは園田さんとよく一緒に居るからという理由で同じ係に当てられた人だ。前原さんは普段から校則違反を指摘されることが多く、放課後になったらすぐさまスカートの丈を巻いて短くしていた。
「あー、あたしらそういうのわかんないから。最上さんの思った通りにやっちゃってよ」
「え……でも……」
「あたしらは色塗りだけで良いからさ。上手い人が下描きした方が良いものできるに決まってんじゃん」
園田さんが答えると、隣に居る前原さんは二つ結びの髪を揺らして「そーそー」と同調するばかり。私は反論を呈することもできずに立ち竦んだ。
正直なところ、私としても何を手伝って欲しいのかがわからない。部活動の時はイラストを見せる度に部員の誰かが意見を出してくれていたのだ。日頃から本の感想を言い合うだけあって、それぞれが自分の思いを的確に言語化してくれる。
しかしそれは当たり前ではない。国語の授業だって、多くの人は一言の感情かだんまりだ。その声があるだけでこんなにも励みになっていただなんて。私はこんなところで文学部の存在の大きさを実感した。
「あたしらでもできそうなことがあったら呼んでよ」
そんな言葉が決定打になってしまう。彼女たちは多分、悪意なんて抱いていない。本心から自分たちが力になれないと思い込んでいるのだ。実際、得手不得手を一度理解してしまえば何かに臆してしまう気持ちはよくわかる。それでもきっと、文学部のみんなと一緒だったならこんな気持ちにならないで済むのだと比較してしまう自分が嫌になった。無理を言って、人数が必要な色塗りの時に人手が減ってしまうのも辛い。私は打算的な気持ち悪さを飲み込むしかできなかった。
「……わかりました」
極力平静を装って作業に戻る。文学部で創作に取り組んでいるからこそ、芸術分野には孤独な時間が存在することを知っていた。慣れた者同士だと合作でも躊躇わないのだろうが、最上鈴涼にとって、それは十の作品を生み出すよりも難しい。
「それってもうちょい時間かかんの?」
暫く作業の手を動かしていると、今度は園田さんから話しかけられた。集中していた私にはとても突然のことに思えて、枯れそうな喉を気にしながら答える。
「え? ……そう、ですね。やっぱり土台作りはちゃんとしておきたいので」
「じゃあ終わったら呼びに来てよ。アタシら今日ホントは宿題の居残りでさ。教室に居るから」
「そーそー。終わったらまたくるから」
そう言って二人は立ち上がり、隣に置いてあった鞄を軽々と肩にかけた。私は咄嗟に声を上げてしまう。
「あ、その……!」
心の底で、引き止めなければという気持ちが浮かんだ。もし一緒の空間に居ることができなければ彼女たちと打ち解けるチャンスすら無いのだから。名前を呼ぼうとして、二人と目が合った。そんなはずは無いのに、四つの目から飛ぶ視線は刺すように厳しく思えてしまう。怖気付いた私に向かって、彼女らはまち針のままでは居てくれなかった。
「何かやった方が良いの?」
「……いいえ。大丈夫です」
「そ。じゃあ行くわ」
引き止めることは叶わず、二人はそのまま教室を出て行った。きっとまりちゃんや日向くんならうまくやるだろう。野沢くんなら、みんなが迷わないようなガイドラインを引けるはずだ。仕切り役でも誰かを引き込む熱量でも構わない。私に欠けている何かが一つでもあれば状況は違ったはずなのに。
「……ううん。私だって嫌々引き受けてるのに、他の人がやりたいわけないよね」
文学部を創る時、私は心の底から「やりたい!」と思った。その我儘は結果的にまりちゃんを突き動かしたけれど、一歩間違っていたらここまで仲良くなれる友達を失くしていたかもしれないのだ。あの時の成功は私の熱を受け止めてくれたまりちゃんのおかげに他ならない。だから私にできるのは精々、集中して真剣に取り組むことくらい。そうして時間さえかければ、通りがかりの先生にはこう言われる。
「最上さん、凄いわねぇ。美術部の子と同じくらい上手だわ」
お世辞と本心が半々といったところの台詞。文学部のために練習した絵の成果が、今だけはまるで呪いみたいに感じられてしまった。私はできる人ではない。ただ要領の掴み方がわかるだけ。ある程度の模倣が精一杯で、革新的な何かなんて生み出せようはずもない。
「頑張ってね」
「……はい」
日頃の授業でお世話になっている先生に空返事をしたら、また筆を動かした。話し合いをしながら進める他のクラスの人たちと、誰の手を借りることも叶わずに黙々と作業をする私。酷く哀れな構図が思考を遮って、この日はあまり進まなかった。加えて、一人ぼっちの下校中も、家でご飯を食べている間も余計なことを考えてしまうおまけ付き。文化祭に出す小説を書き終えていて良かったと心底思う。
「みんなに相談したら、何か変えられるのかな……」
声がよく返る浴室の中で、体を温めながら呟いてしまっていた。きっと油断したら学校でも本音をこぼしてしまう。それだけは絶対にいけない。もし現状を知ってしまったら、みんな飛び付いて心配してしまう。だって彼らは友達を大切にする人だから。しかしそんなことをさせたら、各々の戦いを大切にしようと言った約束はどうなってしまうのか。
私は口をついた妄言を湯船に置き去った。結わえていた髪を下ろした時に感じた重みは、心に生まれた鉛のせいだと思った。
「すずちゃん、ごめん!」
いつもの図書室裏。まりちゃんは部室にくるなり、ぱん! と手を合わせてきた。彼女以外の全員は委員会などの用事も特になくて先に集まっていて、待っていた間の取り留めのない会話を止める。まりちゃんが謝った理由は、間違いなく応援旗の係決めの話だろう。しかし彼女は何一つ悪くない。私は顔を上げないまりちゃんに笑いながら言った。
「まりちゃんが謝るようなことじゃないよ。それに、最終的には私が決めたことだし」
「そうかもだけど……」
こんなところで申し訳なさを感じてしまっている辺り、まりちゃんはお父さんとはまた違った意味で過保護だ。確かに私は頼りないかもしれないけれど、同級生である彼女には助けられてばかりではいられない。友達のためにと思うのはまりちゃんだけではないのである。
そんなやり取りをしていたら、本を読んでいた日向くんがちらりとこちらを見遣る。手に持っていたのは、夏休みの最後にまりちゃんへ渡した野沢くん紹介のミステリーだった。
「まぁ良いんじゃねーの? 本人はああ言ってたけど、鈴涼の絵は他の奴から見たら相当上手いんだし。女子から二人くらいサポート入ってくれるんだろ? 大丈夫だっ……いてぇ! おい茉莉菜、足! いてぇって!」
「ペン回しばっかしてたあんたが楽観的なのはおかしいでしょうが……!」
机の下で、まりちゃんの上履きがぐりぐりと彼の足の甲を突き刺している。私がまりちゃんを窘めていると、ミステリーの紹介人がおろおろと言った。
「ぼ、僕ももし必要なことがあるなら手伝うよ。絵自体は力になれないかもしれないけど……」
「おいおい健吾。お前はまず体育祭の練習だろ。あのままじゃ玉入れ一球も入らずに終わっちまうぞ」
どうやら野沢くんの投球は男子用のカゴの高さに届かないらしかった。手伝ってくれる気持ちは嬉しいが、彼らの手を煩わせて競技の練習に集中できなかったら大変だ。
「ありがとうみんな。でも大丈夫。この中で一番時間の余裕があるのは私だし。なんとか良い応援旗作れるように頑張るね」
「すずちゃんは今年の作品ももうできてるしね。あたしも頑張らないと」
体育祭と同時期にやってくる文化祭――私たちの本番は寧ろそっちだ。文学部は本を読むことと部誌を出すことが活動項目。どちらか一つでも欠けてしまったら最初の取り決めが意味を成さなくなってしまう。そしてそんなことになった暁には、顧問である後藤先生が部活動を停止させてしまうことだろう。
部活、クラス委員と、やはりまりちゃんが一番大変だ。野沢くんは体育祭に注力すべきだし、日向くんはもう少ししないと危機感を覚えないだろう。彼の書く物語はスケールが大きくて、誰よりも時間が必要だ。
「じゃあしばらくは全員揃えないかもしれねぇな。その時はどうする?」
その日向くんが当面の活動方針について尋ねた。とは言え、彼が聞く相手は実質一人である。眼鏡をかけた少年は僅か二秒の唸り声の後で言った。
「各々が本を机の上に置いたらどうかな? 来た人は勝手に読めるようにして、忙しくないタイミングでお勧め本を入れ替えるとか。もちろん後藤先生の許可は要ると思うけど」
「お、それナイスアイデア! さっすが健吾ね」
すぐにまりちゃんが飛びついた。野沢くんはこういう時、事前に準備していたんじゃないかというくらいすぐにアイデアを出してくれる。これが彼の最も凄いところだ。本人はし過ぎるくらい謙遜家だけど、日向くんの言葉を借りれば、「よっ、名参謀!」といったところである。
「じゃあ文化祭が終わるまで、各々頑張りましょ!」
かくして、それぞれの戦いは始まった。
※
クラスごとに作る応援期は、各クラスに割り当てられた色をテーマに大きな絵を描く。私たち二年一組のクラスカラーは赤色。『燃え上がれパッション!』というスローガンだった。提案したのは、実は日向くんである。当人にどうしてこのスローガンにしたのかを聞いてみたところ「それこそパッション」と言っていた。
ラフ画のアイデアは結構早く浮かんでくれた。折角秋の時期に行われるのだから、真っ赤に熟れたもみじをテーマに選ぶ。もみじと言えば何だろうかと考えて、たどり着いたのは花札の絵だった。
紅葉の葉の下に佇む一頭の鹿。鹿は力の象徴や福を呼ぶ縁起物などと語られることもある。スローガンには似合わないかもと思ったけれど、まりちゃんを始めとしたクラスの中心人物たちからは「非常に良い!」というお墨付きをいただいた。やはり良いと思ったことはすぐに伝えた方が得なものだ。
デザインをスケッチブックに書き起こし、さっそく大きな模造紙に着手する。実際の紙の大きさは私が膝立ちで四つん這いになっても余裕があるほどだ。これは大変な作業だぞ、と腕捲りをして気合いを入れた。
「よしっ」
鉛筆を使ってアタリを入れ、メインとなる鹿の全体像と降り注ぐ数枚の紅葉を描いていく。さらに僥倖だったのは、植物を描く練習が思わぬ形で役に立ってくれたことだ。イチョウの葉とは全然違う形でも、葉脈や影には似通った箇所もあり、手を着ける順番には迷わなかった。
そんな好調な出だしかと思えた応援期作りだったが、二日目くらいで早速翳りが見え始めた。悩みの種は同じ作業を割り当てられた二人の女子生徒のことだ。クラスに対して付かず離れずの距離感の人たちで、行事には│あまり《・・・》精力的ではない様子だ。人見知りな私は、緊張を勇気で解そうと努める。日頃話さないとは言え、失礼のないように頭の中のクラス名簿を念入りにチェックしてから声を掛けた。
「園田さん、前原さん。これなんですけど……」
広めのおでこを出しながら髪をポニーテールに括る女子生徒は園田さんといった。アーモンド型の吊り目ときゅっと結ばれた口が不機嫌な猫を思わせる。実際、彼女はこの応援旗係に乗り気ではなく、人数の関係で振り分けられた人だった。
隣にいるもう一人の女子生徒は前原さん。クラスでは園田さんとよく一緒に居るからという理由で同じ係に当てられた人だ。前原さんは普段から校則違反を指摘されることが多く、放課後になったらすぐさまスカートの丈を巻いて短くしていた。
「あー、あたしらそういうのわかんないから。最上さんの思った通りにやっちゃってよ」
「え……でも……」
「あたしらは色塗りだけで良いからさ。上手い人が下描きした方が良いものできるに決まってんじゃん」
園田さんが答えると、隣に居る前原さんは二つ結びの髪を揺らして「そーそー」と同調するばかり。私は反論を呈することもできずに立ち竦んだ。
正直なところ、私としても何を手伝って欲しいのかがわからない。部活動の時はイラストを見せる度に部員の誰かが意見を出してくれていたのだ。日頃から本の感想を言い合うだけあって、それぞれが自分の思いを的確に言語化してくれる。
しかしそれは当たり前ではない。国語の授業だって、多くの人は一言の感情かだんまりだ。その声があるだけでこんなにも励みになっていただなんて。私はこんなところで文学部の存在の大きさを実感した。
「あたしらでもできそうなことがあったら呼んでよ」
そんな言葉が決定打になってしまう。彼女たちは多分、悪意なんて抱いていない。本心から自分たちが力になれないと思い込んでいるのだ。実際、得手不得手を一度理解してしまえば何かに臆してしまう気持ちはよくわかる。それでもきっと、文学部のみんなと一緒だったならこんな気持ちにならないで済むのだと比較してしまう自分が嫌になった。無理を言って、人数が必要な色塗りの時に人手が減ってしまうのも辛い。私は打算的な気持ち悪さを飲み込むしかできなかった。
「……わかりました」
極力平静を装って作業に戻る。文学部で創作に取り組んでいるからこそ、芸術分野には孤独な時間が存在することを知っていた。慣れた者同士だと合作でも躊躇わないのだろうが、最上鈴涼にとって、それは十の作品を生み出すよりも難しい。
「それってもうちょい時間かかんの?」
暫く作業の手を動かしていると、今度は園田さんから話しかけられた。集中していた私にはとても突然のことに思えて、枯れそうな喉を気にしながら答える。
「え? ……そう、ですね。やっぱり土台作りはちゃんとしておきたいので」
「じゃあ終わったら呼びに来てよ。アタシら今日ホントは宿題の居残りでさ。教室に居るから」
「そーそー。終わったらまたくるから」
そう言って二人は立ち上がり、隣に置いてあった鞄を軽々と肩にかけた。私は咄嗟に声を上げてしまう。
「あ、その……!」
心の底で、引き止めなければという気持ちが浮かんだ。もし一緒の空間に居ることができなければ彼女たちと打ち解けるチャンスすら無いのだから。名前を呼ぼうとして、二人と目が合った。そんなはずは無いのに、四つの目から飛ぶ視線は刺すように厳しく思えてしまう。怖気付いた私に向かって、彼女らはまち針のままでは居てくれなかった。
「何かやった方が良いの?」
「……いいえ。大丈夫です」
「そ。じゃあ行くわ」
引き止めることは叶わず、二人はそのまま教室を出て行った。きっとまりちゃんや日向くんならうまくやるだろう。野沢くんなら、みんなが迷わないようなガイドラインを引けるはずだ。仕切り役でも誰かを引き込む熱量でも構わない。私に欠けている何かが一つでもあれば状況は違ったはずなのに。
「……ううん。私だって嫌々引き受けてるのに、他の人がやりたいわけないよね」
文学部を創る時、私は心の底から「やりたい!」と思った。その我儘は結果的にまりちゃんを突き動かしたけれど、一歩間違っていたらここまで仲良くなれる友達を失くしていたかもしれないのだ。あの時の成功は私の熱を受け止めてくれたまりちゃんのおかげに他ならない。だから私にできるのは精々、集中して真剣に取り組むことくらい。そうして時間さえかければ、通りがかりの先生にはこう言われる。
「最上さん、凄いわねぇ。美術部の子と同じくらい上手だわ」
お世辞と本心が半々といったところの台詞。文学部のために練習した絵の成果が、今だけはまるで呪いみたいに感じられてしまった。私はできる人ではない。ただ要領の掴み方がわかるだけ。ある程度の模倣が精一杯で、革新的な何かなんて生み出せようはずもない。
「頑張ってね」
「……はい」
日頃の授業でお世話になっている先生に空返事をしたら、また筆を動かした。話し合いをしながら進める他のクラスの人たちと、誰の手を借りることも叶わずに黙々と作業をする私。酷く哀れな構図が思考を遮って、この日はあまり進まなかった。加えて、一人ぼっちの下校中も、家でご飯を食べている間も余計なことを考えてしまうおまけ付き。文化祭に出す小説を書き終えていて良かったと心底思う。
「みんなに相談したら、何か変えられるのかな……」
声がよく返る浴室の中で、体を温めながら呟いてしまっていた。きっと油断したら学校でも本音をこぼしてしまう。それだけは絶対にいけない。もし現状を知ってしまったら、みんな飛び付いて心配してしまう。だって彼らは友達を大切にする人だから。しかしそんなことをさせたら、各々の戦いを大切にしようと言った約束はどうなってしまうのか。
私は口をついた妄言を湯船に置き去った。結わえていた髪を下ろした時に感じた重みは、心に生まれた鉛のせいだと思った。