第20話 図書室が抱える問題

文字数 5,569文字



 桃川中学の坂道に咲いていた桜がすっかり舞い落ちた五月の半ば。入学してから約一月が過ぎて若干の暑さを感じるようになった頃、あたしたちにとって大きな転機が訪れた。

「茉莉菜! 部活やろう!」

 金曜日の休み時間、突如としてクラスの違う一晴が教室に現れるなり言ったのだ。あたしが友達の女子たちと談笑している途中で言ってくるものだから、ついカッターシャツの袖を掴んで廊下に引きずり出す。

「あんたねぇ! もうちょっと場所とか考えなさいよ!」

「場所……? って、何でそんなの考える必要があるんだよ! お前と話そうと思ったら教室行くしかないだろーが」

 確かに中学校に上がってからと言うもの、海渡は時折日向家にお世話になっているが、あたしはあまり立ち寄っていない。もう一人でも心配ないことも多くなったし、いつまでもおばさんに迷惑をかけるわけにはいかないのである。あたしと一晴の接点は、それこそ学校の中にしかないのが現状だった。

「時と! 場所よ! 友達に変な勘違いされたらどうすんのよ!」

「何をだよ!」

 なぜかムキになっている自分がいるのが、余計にイライラを加速させてしまっている。このままではまた入学式の時みたいな口論になりかねないと判断して、あたしは少しだけ冷静になった。

「それで何よ、部活って。あんた、結局どこか入ったりしたの?」

 あたしが知る限り、一晴はどこの部活にも所属していないはずだ。彼自身にそれとなく確認する度、見学の時に惹かれるものがなかったと言っていた。かく言うあたしも色々と回った末にどこの部活にも入っていない。やりたかった気持ちはあったが、いざ何かをしようと思ったら、放課後の熱量を注げる程に惹かれる場所は図書室以外に無かったのだ。

「いや、入るつもりはねーんだよ。特に気になるの無かったし」

 ほらやっぱり、と心の中でしたり顔をする。あたしは自分の記憶が正しいことに勝手に自慢げになるけれど、そうなると彼の言うことの意味がいまいちわからない。気になるものは特になく、けれども部活動はやりたいと言う。

「それなら、どうやって部活するって言うのよ」

 あたしは率直に疑問をぶつける。そして返ってきた答えは、昔から変わらない突飛な発想だった。

「作るんだよ! 新しくさ!」

「……は?」

 この瞬間のあたしは結構間抜けな顔をしていたと思う。作る、つまり一から部活を立ち上げようと言っているのだ。そんなことが入学したてのひよっこ一年生に可能なものなのか。それでも彼の瞳はどうやらわかりやすい現実は見ていないらしい。あたしの理解が追いつく前にどんどんと一晴の口が回る。

「生徒四人以上と顧問の先生がいればできるって聞いたんだ。お前もまだ何も入ってないんだろ? だから俺とお前が一人ずつメンバーを探せば四人だ! あ、顧問はアテがあるからその先生に頼むとして……」

「ちょ、ちょっと待って! ストップ。あたし、入るなんて言ってないし。そもそも何部なのかも聞いてないんだけど」

 ヒートアップする少年はその詳細を一つも話していない。こいつは突っ走ると周りが見えなくなるタイプだから、いつも危なかっしくて心配になる。ただ当人はあたしの心配を他所に爛々とした眼差しで言い切った。

「本読む部活だよ!」

 あまりにも単純明快な答えに数秒脳の処理が固まった。確かにウチの中学校には文芸部的な部活は無いが、わざわざ本を読むためだけに作ってしまおうとは発想が飛躍し過ぎている。

「そんなのできると思ってるの?」

「そりゃできるだろ! 絵描いてるだけの部活だってあるんだからさ」

「……あんた今すぐ美術部員に謝って来なさい」

 何とまぁ失礼な物言いだ。友達に聞けば、彼らはちゃんと模写なんかをして描き方というものを学んでいる。言わば勉強の一環だ。あたしがその旨をきちんと伝えてやると、一晴はそれを理解しながらも言う。

「でも読書だって勉強だろ!」

 こうなったら一晴はなかなか止まらない。と言うより、一度決めると止まるということを知らないのだ。先月開催された一年生のオリエンテーション合宿では、どうやら学級委員でもない彼がクラス別の出し物の企画を考え、寸劇を実現させてしまったらしい。挙げ句、最優秀賞をかっさらってしまうのだから、つくづく日向一晴という人間の底力は果てしない。あたしは諦めるようにして言った。

「わかったわよ……それで、何かアテはあるの? 本を読む部活を作らせてくださいなんて、そうそう上手くいくもんじゃ……」

 そこまで言ってあたしは一つの違和感に気づいた。なぜ今の今までこんなに自然に会話をしていたのか、と疑わしくなるほど。

「って、ちょっと待ちなさいよ。一晴は何であたしが読書部なんかに入ると思ったのよ。あたし、別に本を読むとか言ってな……」

「え? そりゃ図書室の先生から聞いたからだけど」

 ガーン、という漫画のような衝撃が現実にあることを知った。まさかの情報漏洩である。あの子までとは言わなくとも、せめて読むことに慣れるまでは一晴に内緒にしておこうと思っていたのに。

「それに、俺もたまにお前が図書室に居るの知ってたし」

「ふぇっ!? な、何で!?

 さらなる追い討ち。あまつさえあたしが図書室に通い詰めていたのすらバレてしまっているようだ。確かに彼だって図書室を利用するだろう。しかしあたしはそれを見越して、あの場では借りるだけしかしていない。その間に一晴と会ったことなど一度もないはずだ。

「いや、だってお前いっつも友達と話してんじゃん。それに俺が居る間に入って来たことも結構あったろ」

「え、えぇっ!? どこに居たの?」

「図書室の机の一番奥」

 あたしはぐるぐると混乱する頭で記憶を思い起こす。確かあの部屋の長机の奥にはいつも眼鏡の少年が座っていて、そう言えば最近一人ではなくなっていたような……

「あれ一晴だったの!?

「気づいてなかったのかよ」

 彼はそれを聞くと笑いながら言った。普段なら文句の一つも言ってやるところだが、今回は恥ずかしいやら顔が熱いやらでもう何がなんだか、という感じだ。語彙力を失ったあたしは一晴の腕をバシバシ叩いた。

「いっ、お前、いった! 何すんっ……いった! ちょ、今回多いな! いたいいたいいたい!」

「うっさいバカ! バーカバーカ!」

 ――何してんだあたし。

 頭の中で僅かに残った冷静な部分が今の自分に向かって言ってくる。わかっている。別に一晴を叩く理由なんてどこにもない。しかしながら、あたしは感情のままに喚く一晴に平手をぶつけ続けるのだった。

「痛い! たんま、降参、参った、ごめん!」

 ――別に謝る必要、何も無いんだけどなぁ。

 あたしは心の隅っこで考えつつ、それでもモヤモヤする感情を全て吐き出した。

「うるっさぁーっい!」



 放課後になると、例によって図書室に向かう。今度の本は二日で読み終えることができた。文庫の中でも薄かったということもあるけれど、自分の着実な進歩に嬉しくなる。跳ねるような足取りで四階までの階段を上る間に、あたしの前で揺れる綺麗なロングヘアーを見つけた。

「すーずちゃん!」

 あたしはその背にいつもより弱めを意識して、手を当て呼びかけた。ぱっと振り向いてくれたのは、一月前からあたしに本の紹介をしてくれている少女――最上鈴涼だ。

「こんにちは。まりちゃん」

 礼儀正しさを感じさせる挨拶は変わらないが、変わったこともある。それはあたしたちの呼び方だ。二人揃って下の名前から取ったあだ名。女子中学生同士という間柄は、気が合ってしまえばその距離を縮めるのはかなり早いものである。あたしが図書室に行く度話かけていれば、近しい関係になるのは当たり前と言えた。そして下らない話もできる友人として、あたしとすずちゃんは仲良くなっていた。

「ねぇ聞いてよー。今日メチャクチャな相談されてさぁ」

「相談?」

「んー。と言うよりは頼み事だったかも。なんか本読む部活に入ってくれとか何とか」

「へぇー、面白そう。そんな部活ここにあったっけ?」

「いや、何か作るんだってさ。すっごい息巻いてて――」

 聞き上手なすずちゃんはいつもあたしの話を楽しそうに聞いてくれる。そして話が飛び飛びでも、話したいことの要点をちゃんと掴んで彼女なりの考えも示してくれる。彼女は自分で友達は少ないとは言っていたが、話してみればきっとみんな好きになるだろう。あたしの自慢の友達だ。

 そして図書室に入れば話は一旦中断し、あたしたちは先生に挨拶をする。今日は不機嫌そうな見た目の先生ではなく、妙に艶っぽい不健全な方の先生だった。

「こんにちは、後藤先生」

「こんにちはー」

「いらっしゃい二人とも」

 カウンターで返却本の整理をしていた後藤先生はあたしたちに微笑み顔を向けてくれる。この前読んだ小説の中で『扇情的な女教師』が校長にハニートラップを仕掛けていたことを思い出した。

「ゆっくりしていってね」

 後藤先生はそれだけ言うとすぐに元の仕事をし始める。しかしあたしは先生に聞きたいことがあったので、できるだけカウンターの近くに寄ってみた。

「先生」

「何かしら?」

「一晴にあたしのこと話したのって、先生?」

 別に犯人を探してどうこう、というわけではないが、方々にそんな話をされては恥ずかしい。あたしはちょっとだけ口止めをしようと思っていた。

「カズハル? ……もしかして、日向くんのことかしら?」

「そうです! 先生、あんまりあたしのこと他の人に言わないでくださいよー」

「あら、ごめんなさい? あなた達、仲が良いと思っていたから」

「え?」

 先生のその言葉にぽかんとした。あたしと一晴は図書室で話したことなど――ましてや目を合わせたことすら無いはずだ。事実、あたしは彼に気づくことなくこの一月の間図書室に通っていたのだから。

「岩本さんは気づいてなかったかしら? 彼は随分前から知っていたわよ。幼馴染み、なんですって?」

 ――結構話してるし。

 どうやら後藤先生と一晴の距離感はかなり近いらしい。それにあたしの話題まで出てきているあたり、こちらの努力は筒抜けの可能性が高い。

「そ、そうですか」

 多分一晴の影響ということまではバレていないだろうが、これでは隠す意味などどこにもないではないか。あたしは海渡にまで釘を刺しておいたのに、と静かに落胆する。その中で黙っていたすずちゃんが気づいたように手を打った。

「あ。じゃあもしかして、読書部を作りたいって言ってた人はその日向くん?」

 察しが良い少女はいとも簡単に物事を結びつけてしまった。こうなってしまえば何を言わないかなど考える必要もない。

「そうよ」

「その様子じゃ、日向くんから話は聞いたみたいね」

「話って……もしかして部設立の話をしたのも、先生?」

 後藤先生はゆっくりと頷いてみせた。

「日向くんが何もやりたいことが無いって言っていたから、もし良ければ部を作っちゃうのはどうかって」

「案の定ですよ。あいつ、すっごいやる気でしたし」

「うん、やっぱりね。あの子なら乗ってくれると思っていたわ」

「乗る?」

 先生の言い方に何となく引っ掛かりを覚える。まるでそれを一晴に期待していたみたいな。すると彼女はまた微笑んで、ちょいちょいとあたしたちを手招きすると、そのワケに触れた。

「今年度の図書室の予算、減らされちゃったのよね。だから部活動の部費で賄ってやろうと思って」

 ――良いのそれ!?

 あたしはつい叫びかけ、すずちゃんなんかは信じられないような目で先生を見ている。やはりこの先生はハニートラップの一つや二つ簡単に仕掛けてしまいそうな人である。唇に人差し指を当てて、内緒ね? と言われれば、恐ろしさにも似たよくわからない感情で従わざるを得なくなってしまった。

「でもそうですよね。予算が減っちゃったってことは、この図書室に入る新しい本が減っちゃうんですもんね」

 一早く平静に戻ったすずちゃんが言った。確かに、図書室の予算の殆どは本そのものに使われているのだろう。貸し借りの管理も紙媒体で、教室の中にはパソコンなんかも見当たらない。以前後藤先生が入る時に覗いた準備室にはあったようだが、それも古そうで、おそらくデータ管理するほどの本の貸し借りがないことの証左なのだ。

「ここ数年、利用者も減っているのよね。それもあって予算の削減対象になっちゃったんだけど……ってこんな愚痴、生徒に言っても仕方ないわね」

「でも部活動があれば、一定の利用者を確保できていることの証明にもなるし、本の入荷も行えると」

 今気づいたが、さっきから隣にいる少女はやけに真剣だ。あたしには突拍子もない話ばかりで何がなんやら、という感じでその横顔を見守る。そして彼女は少し考えると、持って来た本をカウンターに置いて、ばっとあたしの手を取った。

「乗ろう!」

「へっ?」

 いつも穏やかな彼女の瞳が、いつになくギラギラと輝いている。

「私達も協力しよう! 読書部を作って、図書室の危機を一緒に救おう!」

 ――危機とは?

 しかしながら忘れていた。この子はあたしの友人である以前に、ザ・本の虫なのだ。見たこともないようなこの眼差しは避けられそうにない。彼女の顔が発言とともに近づいてくる。心象距離じゃなくて、物理的に。

「え、えっとぉ……」

「まりちゃん、私を日向くんに紹介して! みんなで一緒に頑張ろう!」

 すずちゃんはすっかりその気である。そして駄目押しのように後藤先生が言った。

「部の創設の条件は生徒四人以上よ。顧問は私がしてあげるから、頑張って集めてね」

「はいっ」

 いつになくやる気に満ちたすずちゃんは、まるで一晴みたいだった。つくづくあたしは、こういうタイプに縁があるらしい。こうしてあたしたちの図書室を巡る戦争は幕を開けた。
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