第7話 変わる代わる

文字数 4,826文字

「じゃああたしたちはもう行くね。本当にありがとう、中峰さん」

「いえ! 私も貴重な体験ができて良かったです! ありがとうございました!」

 脚本家は終始感謝を忘れない少女だった。健吾が頼った理由が、部外者の俺ですら理解できるというものだ。彼女はそのまま演劇部の打ち上げに顔を出すからと去って行く。送り出してからしばし無言が続き、俺は茉莉菜に気になっていたことを聞いてみた。

「どのへんでわかったんだ?」

「……なにが」

「その、あの子が健吾のこと好きだって」

 彼の変貌ぶりについて触れようとした際、茉莉菜によって発言が物理的に止められた。別にそのことを中峰に積極的に話したいとは思っていなかったが、茉莉菜がそうまでする理由が知りたい。

「別に確証があるわけじゃないわよ」

「……女の、勘?」

「鈴涼。お前一体どこでそんな言葉を仕入れて来たんだ」

 彼女の元々のボキャブラリーからすると当たり前の言葉だが、日頃の口数が少ないと予想外の発言に聞こえてしまう。んー、と考える素振りを見せるので、そんなことしなくて良いと制止した。そんなやり取りの間に茉莉菜は顔をぷいと背けながら論付けをする。

「別に勘だけってわけじゃないわよ。普通、こんな無茶なお願い聞かない。それに劇中の健吾はヤケに格好良かったし」

 健吾から自分のことが正しく伝わらないということはまずあるまい。あいつはそういう見栄を張りたがるタイプではないし、それこそ中峰に対して特別な感情でも持たない限りは事実を優先するだろう。

「あの子、凄い健吾のこと信頼してたじゃない? だからあんまりにも自分の見ている健吾とかけ離れたものを言われても、良い気はしないと思ったのよ」

「そんなもんか?」

「そんなもんよ」

 好きな人が理想のままで居て欲しいと思うのはある意味当然のことだろう。減点さえ無ければ、その相手にずっと夢を見ていられる。しかしそれは幻想を抱く側のエゴでしかない。憧れを持つだけに留まらないのなら、その人間の一部分しか見ないなんてできないのだから。

「まぁ、わざわざあの子に知らせる義理も無いしな」

「そうそう。関係が続くなら、これから色んな面を見る機会もあるはずだわ」

 同じ学校の先輩と後輩という間柄がどこまで強固な繋がりなのか、該当する人物が居ない俺には全く想像がつかない。それでも茉莉菜の発言通り成り行きに任せるのが良いのだろうと思った。

「さて、これからどうするか」

 案内人が唐突に消えたせいでこの校舎内のどこに何があるのか把握できていない。こんなことなら、あいつが最初に抱えていたパンフレットを一部もらっておくべきだった。

「第一、案内人を名乗り出ておいてこの仕打ちはなんだ……」

 そうして文句を垂れていたら、見計らったように着信が鳴った。スマートフォンの液晶には野沢健吾の名前が浮かんでいる。茉莉菜に一瞥して、やれやれ顔で応答する。

「もしもし」

『やぁやぁ一晴! 中峰さんのお話はちゃんと聞けたかい?』

「お陰様でな。うるさいのが居なかったから実にスムーズだったぞ」

『それは何よりだねぇ。それはそうと、今から三年生の模擬店ブースに来て欲しいんだ』

 反省の色を求めるのはもはや無益と判断し、癪ではあるが話に乗っかることにする。皮肉をわかっていて躱すのだ、この男は。

「今度は何なんだ?」

『電気飴』

「は?」

『三年生の教室は二階だよ。そこからもう一度校舎に戻って、突き当たりの階段を上って右だ。間違えないでね』

「おい、お前今なんて……あ、切りやがった」

 耳に当てたケータイはうんともすんとも言わない。全く自分勝手な男にほとほと呆れながら、俺たちの会話を待っていた茉莉菜と鈴涼に告げる。

「三年の教室にこいってさ。道順は教えてもらった」

「今度は何なのよ」

「でんきあめ」

 意味がわからなかったので聞こえた言葉をそのまま返した。茉莉菜にまた怪訝な顔をされると思っていたが、彼女は少し上を向いて考える仕草を見せた後に言った。

「電気飴って、確か綿菓子の別名じゃない?」

「え、そうなのか?」

「ええ。確か昔はそんな呼び方だったって聞いたことがあるような……」

「何で電気?」

「機械で作るからじゃない? ……って、そんな話は良いのよ! こんな所に居ても仕方ないんだから、さっさと行くわよ」

「お、おう。だな」

 茉莉菜は一瞬だけわざとらしいような苦い顔を作ると、鈴涼の手を取ってパタパタと歩き出してしまった。二人の後ろ背を見ることになって表情は追えなかったが、どこか少しだけ懐かしさを覚えるやり取りに安堵している自分が居た。


 校舎内に戻ると、やはり外部生も多い。部活や催し物に注力しているだけあって、その校風に惹かれる人間も多いと言ったところか。茉莉菜が体育館の時よろしく鈴涼の手を引いてくれているのではぐれる心配は無いだろう。前方を歩く二人に向かって、目立たない程度に喉を広げて言う。

「その階段、上って右な」

 先陣を切る茉莉菜からは応答は無かったものの、聞こえていないということは無さそうだった。着いて歩く鈴涼が一瞬だけ振り向いて頷いてくれていたことからも指示は届いていよう。

 夏の気温に入り乱れる生徒たち。思えばこんな景色を見るのも今年が最後だ。来年からは広いキャンパスのある大学に行き、友人と高校を闊歩することも無くなる。そう考えたら、俺たちが卒業してしまうまでに鈴涼にこんな経験をさせてあげられたことは良かったのかもしれないと思った。

「……そんなこと、俺が思うのは間違ってるかも知れないけどな」

 それでも健吾が用意してくれたこの機会は、きっと後悔しないだろう。昔を思い出すという目的も大切だが、新しい思い出を作ることも、俺たちだからできる大切なことなのだ。

 考え事をしていたせいで、俺は少しだけ視野が狭まっていた。そのせいか正面から来た男子生徒と肩が当たり、バランスを崩してしまう。

「うおっ」

 思いがけない強さの衝撃に、途端に足がつま先から浮いてしまった。体幹を鍛えているわけでもなかった俺は、そのまま廊下に尻もちをついて倒される。

「いって……」

 こんなに盛大にコケたのはいつ振りだろう。しょっちゅう走り回っていた中学生までならともかく、こんなに大きくなってから随分とみっともない。恥ずかしさからすぐに立とうとして、見上げた場所にぶつかった男子生徒と目が合った。

 その姿をまじまじ見て、少しばかりの違和感を覚える。男子生徒は与えられた衝撃に比べると小柄な体格だった。身長は俺より少し低いくらいで、半袖のシャツから覗く腕は特別筋肉質というわけでもない。真っ黒な髪を長く伸ばしていてどこか陰湿な印象を受ける。

 そしてその髪に隠れる目がなんだか不気味に感じた。揺れることなく俺を見据え、その瞳孔は微動だにしない。申し訳なさや心配を抱えるわけでもなく、ただ淡々と感情を潰すように。

「……わり」

 男子生徒は殆ど聞き取れない声でそれだけ言うと、見下ろすのをやめてさっさと立ち去って行く。猫背で歩いて行く様子に失礼さを感じつつも、痛むお尻を庇いながら立ち上がった。

「ちょっと一晴。大丈夫?」

 いつの間にか戻って来てくれていた茉莉菜と鈴涼が心配そうにこちらを見ていた。人混みの中で倒れたせいで周りの人の視線も若干集めてしまっている。

「あぁ、平気平気。尻もちついただけだから」

 俺はあえて近くに居る人に聞こえるくらいの声量で言った。すると外野もするすると歩き始め、文化祭はすぐに様相を取り戻す。茉莉菜もほっとしたように空いた片手で胸を撫で下ろしていた。

「ったく、何なんだあいつ」

「あいつ、多分桃川中に居た反石よ。覚えてる?」

「え? ……あ! あの不良だったやつか」

 過去の記憶から何となく一致する顔が思い浮かんだ。確か素行が悪くて教師たちに目をつけられていた生徒だ。直接的な関わりはほぼなかったが、家が金持ちであるとか煙草を吸っているとか悪目立ちした噂には聞き覚えはある。

「なんか、あんな暗いやつだったか? もっとこう、やかましいイメージがあったんだけど」

「この高校は性格が反転する呪いでもかかってるんじゃない? 健吾もそうだし」

「それは言えてる。そのうち三田高七不思議の一つにでも列挙されるだろうな」

 脳裏に浮かんだのは身近な男のビフォーアフター。あいつの変容を思い返せば、反石の変化など面影があるのだから可愛いものである。茉莉菜は呆れ顔を作ってくるりと振り向いた。

「とりあえずあんたが大丈夫ならそれで良いわ。さっさと行くわよ」

「おう。って言っても、三年の教室って言われただけで、どこの教室か聞きそびれ……」

「おーい! 三人とも、こっちこっち!」

 遮られるようにしながら陽気な声が俺たちを呼ぶ。廊下の一番向こうの教室から、明らかに校則違反なんじゃないかと言いたくなるアクセサリー類を付けた金髪の男子が小走りして来た。そして手には、なんだかふわふわ甘そうなものを携えている。

「本当に綿菓子だった……」

 茉莉菜がふふん、と得意顔で鼻を鳴らす音がした。いわゆる雑学の方面にも詳しく、それでいて大学は国立を見据えているというのだから、決して悪くはなくなったはずの自分の知識との差を感じて虚しくなる。この文化祭の発端の健吾も含め、やはり俺はこのメンバーの中では学や地頭で劣るらしい。

「ごめんごめん! 電話で何組か教え損ねたから出迎えに来たんだよ」

「七不思議……」

「え? なんのことだい?」

「すずちゃん、変なこと覚えなくて良いから」

 このままでは鈴涼が健吾のことを妖怪か何かだと勘違いしかねない。彼女の前で話す時はあまり妙なことを口走らない方が良さそうである。茉莉菜から一瞬向けられたジト目がそう物語っていた。

「まぁいいや。これからはオレも案内役復帰するからさ。学外来客が居られる時間までは、目一杯楽しんで行ってよ」

「というかお前、後輩一人残して行くなよな。凄い困ってたぞ」

「いやぁ、それに関しては申し訳ない! クラスの人から人手が足りないって連絡貰っててさ」

「ならせめてそう言いなさいよ。これ以上、あの後輩ちゃんに変な迷惑かけないようにすることね」

「肝に銘じておくよ」

 客観的に見ても、現状彼の味方は居ないだろう。健吾はあっさり観念したかと思うと、急に俺の肩に腕を巻き付けて小声になった。

「上手くやれてるみたいじゃないか、岩本さんと」

 彼の一言を聞いて、まさかさっきの中峰との会話すら、その目的のためのダシにしたのかと懐疑する。二人して共通の人物と話さなければならない状況を作れば、否が応でも協力的に会話をする、と。

 さすがにそれは無いだろう。いくら何でも、もしもどちらかが対話拒否の姿勢を貫いていたら、恩ある中峰にすら迷惑をかけてしまう。それは俺の知る野沢健吾という人間には酷く似合わない。

 ただし、健吾ならばその状況を想定した上で画策できると思っている自分もいるのは確かだった。俺たちの行動パターンの先を見据えるなんて、彼にとっては朝飯前だろうから。

「結局、お前の手のひらの上だったのか」

「さぁ、何のことやら」

 白々しく離した手を顔の横に掲げた健吾に心底深い溜め息を吐くことしかできない。俺はこれからどれだけ踊らされたら気が済むのだろう。そんな俺たちの様子を見ていた茉莉菜が痺れを切らしたみたいに言ってきた。

「ちょっと、二人してごちゃごちゃ言ってんじゃないわよ。色々見て回るんでしょ」

「うん、任せてよ! これでも顔は広い方だからね。ここからは解説付きのウォークガイドとして働かせていただくよ」

「もうそれはただのガイドだろ」

 健吾は持ち合わせていた綿菓子をマイクに見立てて、くるりと手を返した。

「まずは右手から! 三年一組の綿菓子販売! 家庭用の小さい機械で作られた、祭りらしい一品でーす!」

 そうして三田高文化祭は、必要以上にやかましいガイドのもと進行したのだった。
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