番外編 在りし日の非日常2

文字数 3,687文字

 くっついて四倍の広さになった勉強机。いつもはそこに四冊の本があるはずなのだが、今日は二年間の文学部史においても異質な光景が広がる場となっていた。

「駒の色は、俺が赤、茉莉菜が緑、健吾が青、鈴涼が黄色な」

 当たり前のように『スタート』マスに駒を横並びにしていく一晴。机全体を侵食する大きくてカラフルなボードに、真ん中にはルーレットが鎮座して、プレイヤーから伸びる手を今か今かと待ち遠しそうにしている。それぞれの車型の駒にはエノキタケみたいなプラスチックパーツが一本ずつ突き立てられており、あれこそがあたしたちの分身というわけである。机に小さな世界が作られていく様子を眺めていると、さっきから申し訳なさそうな表情でこちらを覗き込んでいるすずちゃんと目が合った。

「ご、ごめんね、まりちゃん。つい、その……つい」

「うん、やりたかったんだもんね。もう良いよ、それは」

 唯一のストッパーになり得たすずちゃんが賛同してしまったことで、一晴は水を得た魚のように、ほらほら! とあたしに捲し立ててきた。あまりにうるさいものだから、もう全部ぶっ壊してやろうかとも考えたのだが。

「私、本ばっかり読んでて……人生ゲームって、一回やってみたいと思ってたんだ。そういう相手してくれる人、居なくて」

 すずちゃんに健気な様子でそんなことを言われたら、もう取り止めるという選択肢はすっかり奪われていた。彼女は一人っ子だし、大人数で遊ぶことに積極的ではない。しかし遊ぶこと自体は好きで、こういったことは機会に恵まれなかっただけなのだ。健吾も満更でもない様子だったので、こうなってしまえばあたしだけが真っ当なことを言うのは野暮になってしまうではないか。

「もう! 今度買いたい物があるから、付き合ってよね」

「うん!」

 屈託の無い笑顔は不思議と荒んだ心を和ませる。すずちゃんは頭が良いけど、悪どい奴みたいな胡散臭さが無い。いつも自然体だからこそ、その純真さが雰囲気となって周囲に届くのだろう。何もない場所に花開かせるすずちゃんの性格は間違いなく才能だった。

「っしゃあできたぞ! 全員配置につけーい!」

 準備を終えた一晴の指示に従って、あたしたちは席に着く。窓側にあたしとすずちゃん、教室扉側には一晴と健吾といういつもの席順。あたしの正面が一晴で、斜め右前が健吾だ。それぞれの机の手元には、明らかに日本紙幣ではない色の軍資金が配られている。

「そんじゃ、じゃんけんで勝ったやつから時計回りな。いくぞー……」

 一晴のにやりと上がる口角がやけに憎たらしい。彼のゆっくりと溜めるような声に合わせて、全員が握り拳を作ってじり、と目を合わせた。

「最初はグッ、じゃんけんぽん!」

 ちょっと早めの掛け声だったが、誰もタイミングを逃すことなく各々の「手」を出す。あたしがグーで、他の全員がみんなチョキだった。

「うお、茉莉菜の一人勝ちだな。じゃあ茉莉菜から時計回りってことで」

 一瞬ふふん、と鼻を鳴らしたくなったが、最後まで開催に対して抵抗していた身としてそれは自重した。順番としてはあたし、一晴、健吾、最後にすずちゃんである。あたしは一番手としてルーレットに手を伸ばすと、指先だけに力を入れてつまみを回した。色違いの一から十までの数字が残像を伴ってカラフルな円を作る。やがて失速していくと、ルーレットの隅に付いた小さな赤い矢印が運命を示した。

「三、だね」

 あたしは自分の緑の駒を摘むと、いち、に、さん、と数えて新たなマスに止まった。そこには文字が書いてあり、駒を置く前にそれを確認する。

「職業『看護師』になれます。選択する場合、職業カードを取って七マス進んでください、か」

「最初は職業選択ゾーンだな。もしかしたら他のになれるかもしれないけど、取るか?」

「こんなの最初に迷ったって仕方ないでしょ。取るわよ」

 あたしは一晴から『看護師』のカードを手渡される。カードにはいわゆるナース服を着た女性が描かれており、実にわかりやすい想像まんまの絵である。

「くっ、ふふっ」

「……何笑ってんのよ」

「い、いや、お前看護師って似合わねぇなーって」

「どういう意味よ! ちょっと表出なさいこのバカずはる!」

「そういうところだろ!?

 あたしはけらけらとしている男の足の爪先を上履きの上から思い切り踏んずけてやった。まぁまぁ、というすずちゃんの制止によって足を外してやるが、悶える姿にざまぁみろと思いながら精一杯の笑顔を向けて言ってあげる。

「ほら、一晴の番よ。早くやんなさい」

「認めねぇ……俺はこんな暴力ナース絶対認めねぇぞ……!」

 彼の手が震えながらルーレットにたどり着き、次の数字が出る。その数字は『二』で、また職業を選ぶ説明があった。

「えーっと……俺は『教師』か」

「ぶっ。あんたなんか、なれそうにもない職業引いてるじゃない」

「何おう!?

「まぁまぁ」

 今度は一晴が隣にいる健吾に止められる番だった。教師崩れの男はぎりぎりと歯ぎしりをしながら浮きかけていた腰を戻す。

「第一、今回のコンセプトは自分と違う人生を仮装体験してみようって話だ。俺は教師になるぞ」

「へいへい」

 呆れ混じりの空返事を送ってやると、また何か言いたげな視線が飛んでくる。あたしはそれを無視して健吾に次を促した。苦笑いの健吾がルーレットを回すと、今度は『十』の数字が出た。

「十……あれ?」

「あ、お前職業選択ゾーン抜けちまったな。抜けたら強制的にフリーターだ」

「僕、就職失敗したの!?

 健吾の青い駒がたどり着いた先は、職業選択を終えた人が強制的に移動させられる場所だ。しかしその場所はスタートマスから数えて十個目のところにあり、要は人生ゲームの意地悪設計である。

「良いじゃんニート。お前ならなそうだし。コンセプトには沿ってるぞ」

「確かに。野沢くんは何かしらお仕事就いてそうだよね」

「ニートはなさそうだよねぇ、ニートは」

「みんな……これ一応フリーターだから。ニートではないからね?」

 進学希望のあたしたちにとって就職はまだまだ遠い話だが、地に足が着かない状況になるのは結構怖い。だから自分が失敗している未来なんて夢にも見ないわけだけど、こういう機会に色々考えてみるのも意外と良いのかもしれない。それにしたって、いつも生真面目な健吾がフラフラしているのは至って想像できないが。

「じゃあ次は……」

「次、私!」

 待ち遠しそうにみんなの番を見ていたすずちゃんは、手を挙げて自分の番を主張する。余程楽しみだったんだろうなぁ、としみじみ思いながら、いつもの何割か増しの笑顔を横目で眺める。

「えいっ」

 可愛らしい掛け声とともに結構な勢いでルーレットを回す。ものすごい速さで動く数字を、彼女は爛々と煌めく瞳で追っていた。

「八!」

 やがて止まった場所の数字を大きな声で言うすずちゃん。数字を一つ一つ数えながら丁寧に駒を進めていく。その先にあった職業は……

「『アナウンサー』だね」

「うわぁ似合うぅ!」

 テレビの向こうで流麗に話す彼女の姿を想像して、あたしは思わず大声を出していた。

「そ、そうかな?」

 照れながら言う彼女だが、実際ルックスはテレビに出るタレントに引けを取らないと思う。肌はきめ細やかさが伝わる雪のような白さで、瞳は大きいのに顔は小さい。軽やかで、それでいて透き通る鈴のような声だって原稿を読み上げるのに最適だ。

「確かに、鈴涼って放送部とか似合う感じするよな」

「あぁ、なんかわかるかも。最上さんは本を読むのも早いし、読み上げもできそうだよね」

 男子陣からも納得の声が上がる。言葉には出さないが、彼らだってすずちゃんのことは少なからず可愛いと思っているだろう。想像すればするほど大きなカメラの前で微笑む姿が目に浮かぶようだ。

「そ、そうかなぁ」

 口元が明らかに緩んでいることからもわかるが、実はすずちゃんはちょろい。にやぁ、と溶ろけてしまった口角は、話したことのない人からしたらまるで別人に見えるだろう。丁寧な対応と、静かに読書をしていることが多いせいで高嶺の花のような印象がある――というのは同じクラスの友人の言葉だ。

「じゃ、じゃあ、今回はアナウンサーらしくマスの読み上げもしてみようかなぁ」

 そしてこの子どもみたいな意欲である。こうなってくると高嶺の花からは程遠く、海渡と同じくらいの妹を相手にしているような気さえしてしまう。一晴と健吾の温かい目がこっちを向いていたので、あたしはもちろん「良いよ」と彼らの代弁をした。すずちゃんはそれを聞くと、嬉しそうにしながらせっせと駒を数歩進める。

「じゃあ次はあたしだね」

 二度目のルーレットに手を伸ばす。各々の職業が決まって、ここからが本番だ。ゲームとは言えども勝負事。いざやるとなったら勝ちたいものである。

 ――まぁせっかくだし、楽しんでやろうじゃない!

 最初の手番という最大のメリットを生かすため、あたしは数字たちに大きな数を引けるよう願いを込めた。大いなる運命が、巡り、定まる。

「まりちゃんいち!」

 人の心中も知らず、ノリノリな少女の声が高らかに響いた。
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