第12話 四人だけ

文字数 4,593文字



「おーい、茉莉菜。こっちだこっち」

 目の先に見えたのは、通い慣れない公園とその一角にある木製の頑丈そうなガーデンテーブルだった。そこに腰掛けるのはたった今あたしに呼び掛けた一晴と健吾である。青々とした葉を揺らす桜の木々の下はちょうど日差しを遮っていて、良いロケーションだなと思った。

 あたしは気持ち歩幅を大きくして本日の集合場所へ向かう。五分前には着く予定で家を出たのに、男子二人が先に着いているのは無性に癪に触る。二人とも集合時刻に余裕を持ってくるタイプではないから、恐らく示し合わせて先に集まっていたのだろう。別に仲良しこよしを求めたりしないが、人を待たせたような気持ちになってしまうのが嫌だった。

「……おはよう」

 だから「待った?」なんて聞いてやらない。絞り出したような挨拶が不機嫌に聞こえたのか、一晴が身構えるのがわかった。こういうところがまた腹立たしい。

「おはよう、岩本さん。協力してくれて嬉しいよ」

 健吾は最近会ったにも関わらず、随分白々しい態度をする。この様子では以前に話をしたことを一晴に伝えていないのだろう。それは多分、あたしを『説得』したことが彼に知られるとまずいから。

 お菓子でも入っているのであろうコンビニのレジ袋をひらひらさせる健吾に向かって細目を作る。

「全く、食えなくなったものね」

「な、何言ってるんだ、茉莉菜?」

「何でもないわよ」

 しかしあたしとしても、一晴に健吾の悪印象を与えるメリットは無い。彼らはようやくまた仲良くなってきたのだから、あえてそれを壊すような真似はしたくないのだ。

「そんなことより、すずちゃんの家に行くんでしょ?」

「そうそう。相談があるって言ったら、わざわざ日曜日に家に招待してくれるって言われてね。どうせご両親とも話をしなくちゃいけなかったし。いやぁ、運はこちらに向いてるよ」

「お前、頼むからそんな失礼なことを口走ってくれるなよ……」

「前も言ったろ。弁えてるよ」

 一晴の心配を妙な説得力で一蹴する。そもそも健吾が失言なんて性格的に似合わない。二人が木の椅子から立ち上がると、あたし達は横並びになって歩き出した。特徴の薄いスニーカーや、そろそろ時期外れになってしまいそうなサンダルが揃って動くのを見ると新鮮味を感じる。昔は上履きか、せいぜい運動靴だった。

「そう言えば茉莉菜。京都旅行の件は、もうおじさんやおばさんに伝えてあるのか?」

 がさがさとレジ袋が擦れる音が響く中、隣を歩く一晴から唐突に尋ねられて、あたしの胸が嫌な跳ね方をした。

「う、うん。一応、それとなくは」

 嘘だった。家族には、本当はまだ一つだって伝えられていない。すずちゃんに協力したい気持ちと家族に対する罪悪感に板挟みにされ、問題を先延ばした。駄目な事だとはわかっていたが、最上家の了承があってからでも遅くはないと甘えてしまったのだ。

「そっか」

 それだけ言うと、彼はすぐに前を向き直す。一晴の心配はあたしを気遣ってのことだろう。健吾から聞いた通り、彼は彼なりに周囲のことを考えているらしい。きっと苦手な分野で四苦八苦していることだろう。

 拒絶するあたしを一晴が引っ張り出した時、あたしは彼を責め立てた。すずちゃんの前から逃げたこと。でもそれは岩本茉莉菜という人間だって同じだった。変わらないといけないのは、間違いなく彼だけではないはずなのだ。

 ――でもどうすれば良い? 間違いじゃない道って、一体何なの?

 暑さのせいじゃない汗が頬に伝った。彼が目指すものの中に、もしあたしが求める答えがあるのなら。

「一晴。あんたは……」

「ん?」

「い、いや。あんたこそ、おばさん達の許しは出てるの?」

 聞けるはずがなかった。彼に追い縋る資格はあたしには無い。かつてのあたしは、それだけのことをしてしまったのだから。

「俺は進路も決まってるしな。みんなが良いならってことで」

「……そ」

 短く答えただけの自分が、酷く矮小に感じられる。コンクリートを踏んだ靴の音がじんと鼓膜を叩いた。あたしがそれだけ言って黙ると、また彼との会話に変な間が生まれてしまった。

「気楽で良いなぁ一晴は。オレもさっさと進路決めないと、先生たちがうるさいんだよねぇ」

 話を繋ぐように割って入ってきたのは健吾だった。不自然さを感じさせないようなタイミングで、彼がどれだけこの場を意識しているのか窺える。それが彼の変化だと言うのなら、悔しいがあたしは感謝を伝えることしかできない。

「お前の進路って何希望なんだ? 大学は行くのか?」

「うぅん。正直何でも良いなぁ。学びたい分野も無いし、就きたい職業も無し。やりたいことはあるんだけど、それも進路とは関係無いしなぁ」

「やりたいこと?」

「目下、この京都旅行かな」

「何だそりゃ。気楽な奴だな」

「それは褒め言葉として受け取っておくよ」

 ヒラヒラと躱す健吾に呆れて一晴はこれ以上、追及しなかった。その様子を眺めて、あたしはほんの少し羨ましいと思った。二人とも――特に健吾なんかはかなり変わってしまったが、二人には共通の世界がある。やり取りの中のテンポやノリにはどこか昔の面影があって、あの図書室裏で隣同士話している様子とブレながらも重なるのだ。

 もしあたしがこんな光景を望むなら、それはすずちゃんの記憶を取り戻すことで初めて成せる。だけどそうして思い出した時、彼女は過去を少しでも欲しがるのか?

 ――まただ。また、バカなこと、考えてる。

 咄嗟に小さな深呼吸をして鬱屈する気持ちを入れ換える。これからすずちゃんに会うのだから笑顔で居なくては。せっかくかつての文学部が全員集まっているのに、楽しげな表情一つ浮かべられないなんてあり得ない。

 ふと横を見上げたら、いつからか見ていたらしい一晴と視線が当たった。この昏迷を、彼はわかってくれるだろうか。期待してはいけないあたしは「何よ」と不機嫌な態度を続けるしかできなかった。


 時折くだらない話を振ってくる二人――主に健吾ではあるが――を程々にいなしつつ歩いていると、十数分くらいで最上家に到着した。緊張する男どもを一瞥してからインターホンを押すと、すぐにウッドカラーのドアが開いた。短髪のすずちゃんがひょっこりと顔を出し、あたしたちに挨拶してくれる。

「いらっしゃい。みんな」

 白い菊柄が綺麗なワンピースに、最近少しずつ見慣れてきた長袖のパーカーという出で立ち。部屋からあまり出ていない彼女の肌は真っ白で、次の季節を思わせる。

「やぁ最上さん! 今日はわざわざありがとうねぇ」

 グイグイと彼女に近づく健吾の後ろ襟を一晴が引っ張り、危うく人の家に上がる前に尻もちをつきかける。危なっかしいことをする男子たちにすずちゃんが驚くものだから、あたしは割って入り、極力落ち着いた声で話し掛ける。

「やかましくてごめんね。驚かせちゃった?」

「ううん。野沢くんの声が大きいのは、いつものこと」

 すぐに冷静な表情に戻った彼女にホッと安心しつつ、家の前で騒がしくするのも悪いので入れてもらうことにする。すると玄関の靴の中に、見慣れない男性物の革靴が置いてあることに気づいた。

「今日はお父さんが居るんだね」

「うん。日曜日だから、お休み」

「なるほどね。それじゃあしっかり挨拶しないと。お邪魔しまーす!」

「何が『それじゃあ』なんだ。いつも真面目にやれ」

 一晴がツッコミながらも、あたしたちは口々に大きめの声で挨拶をする。そしてすぐにすずちゃんのお母さんが遠くから返事をしてくれたのだった。

 すずちゃんの部屋に入ると男二人は物珍しげにキョロキョロと内装を見回していた。女子の部屋に興味があるというよりは、最上鈴涼という人間のプライベート空間が気になるのだろう。彼女との接点はあたしでも学校ばかりだったのだから、彼らはもっと知らないことばかりのはずだ。

 ラグは男子たちに譲って、あたしは彼女のベッドの上に誘われた。すずちゃんは少し後からお盆を持って入って来て、あたしたちに麦茶を出してくれた。枯れそうだった喉に受け付けやすい清涼感が通り抜ける。

 健吾はよく見るスナック菓子の袋を開けた。今日の本来の目的は京都旅行についてだが、四人集まればすぐにそんな話をするでもない。思えば四人だけというタイミングは、すずちゃんが記憶を失ってから一度も無かったのだ。

「岩本さんはよくここへ来ているんだよね?」

「よくって程じゃないと思うけど、まぁ」

「良いねぇ女子会。どんな下世話な話題で盛り上がるんだい?」

「女子会が専ら下世話って決めつけるんじゃないわよ、セクハラチャラ男!」

 「げせわ……?」とすずちゃんが聞き慣れない単語に興味を持つものだから、一晴が覚えなくて良いと呆れ顔で伝える。教育に悪いことばかり言いやがる健吾のせいで、純真無垢なすずちゃんのボキャブラリーが侵食されたらどうしてくれようか。

 ――と言うか、すずちゃんがたまに変なこと言うのはこいつの影響じゃないでしょうね?

 至って信憑性の高い妄想だから余計に敵意が湧く。もしそうならば彼への鉄拳制裁は免れ得ないわけで、今から拳を温めておくのもやぶさかではない。あたしの心配を他所にすずちゃんが健吾の質問に答える。

「話題なら、みんなのこと。記憶を失くす前の私のこと。まりちゃんの、思い出」

「違うぞ鈴涼。それはお前の思い出だ。茉莉菜はお前が出てこない話なんてしないだろ」

 一晴はぽりぽりと菓子をつまみながら言った。

「……」

「……え。何だよ、この空気」

 何の気なしに言うものだから、見事に揃って固まってしまった。さもあたしたちの会話を聞いたことがあるみたいな口振りだが、そんなことはあるはずがない。どこに信頼を置いたのか知らないが、一晴が言い切ってみせたことに驚いたのだ。

「……本当だ。全部、わたしがいる」

 すずちゃんは顎の辺りに指を添え、考える素振りをしてからぽつりと呟いた。

「うん。居なかったのは、まりちゃんが一晴くんを好きで嫌いって話くらい」

「お、おぉ?」

「ちょっ、すずちゃん!」

 思わず飲み物をこぼしそうになった。話が読めるはずもなく、実に微妙そうな表情をする一晴のせいでこちらも言葉を失う。変な空気が流れそうになった途端、健吾が意味深にニタニタ顔をしてすずちゃんを促し始めた。

「へぇー。それは何だか興味深いなぁ。最上さん、ぜひ続きを……」

「た、ただの昔話の延長よ! 好き嫌いなんて、割合で言ったら九割九分九厘嫌いよ!」

「お前どんだけ俺のこと嫌いなんだよ! いや、わからんこともないけど!」

 余計なことまで言った、と自覚したら急に顔が熱くなる。しかし口走ってしまった手前、もうどうにでもなれと半ばヤケクソになって叫ぶ。

「うっさいバカ! バカずはる! 元はと言えばあんたが変なこと口走るからでしょうが!」

「ぜってぇ俺は悪くねぇだろ!」

 人の家で騒ぎ立てるなど小学生以来だった。複雑ではあるものの、油断したら昔の距離感を思い出してしまっていた。みっともなくて、実に徒爾である。

「わたし、まずいことした……?」

「いいや、これがいつもの調子なのさ」

 あたしたちを眺めていたすずちゃんは、不安げな顔を作って健吾に尋ねていた。とりあえず満面の笑みを浮かべている健吾の足を蹴飛ばして机にぶつけてやる。ガタンと揺れた拍子に、コップの中だけで麦茶が跳ねた。
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