第24話 夜に漂う事件の香り

文字数 4,621文字

※――――――――――――――――――――――

「づがれだぁ」

 わざとらしい濁音の付いた男の声がロビーに響いた。肩が凝りそうなレザージャケットを脱ぐと、その下もまた随分派手なシャツ。俺はファッションに疎いが、彼の服装が流行からは遠く、自分流を貫いていることはよくわかった。何せこの数日の旅行の間で、健吾のような恰好をした人は見当たらなかったからだ。

 しかし彼の言葉に誰も共感しなかったのは、奇抜な恰好が原因ではない。一様に小さく息を切らす中で、健吾はこう続けた。

「時間にゆとりはあったと思っていたけれど……実際にやってみたらもう夕方だ。修学旅行だったら、台風がこなくても間に合わなかったかもね」

「これをやろうとしてたんだから、中学生の体力って末恐ろしいわ」

 中学生かつ運動部の弟を持つ茉莉菜は、もの凄く実感のこもった様子だった。あの頃は疲れたと思っていても無限に動けた気がする。体格的には高校生である今の方が逞しいはずなのだが、年端もいかない方が頭が冷静にならないから、疲れなんて感じなかったのだ。

「明日の昼過ぎには新幹線の中よ。今日は早めにお風呂に入って寝なさい?」

 後藤先生から言われたことがあまりにも家庭的な会話過ぎて、相手が本当に教師か疑わしくなる。しかしながらそんな些細なことを気にしている余裕もなく、俺たちは揃って「はーい」と伸びた返事をした。

「すずちゃん。お風呂行こ」

「……」

「すずちゃん?」

「えっ。あ、なに……?」

 ぼうっとしていたのか、鈴涼は驚いたように聞き返す。普通の人なら何も気にならないが、鈴涼はよく周りに気を配っているので、まったく話を聞いていなかったことが珍しかった。

「大丈夫? 風邪とかひいてない?」

 茉莉菜も同様の違和感を抱いており、過保護なくらいの視線で彼女の顔を覗き込む。俺たちの会話を聞いていた後藤先生が自分の額と鈴涼の額に片手ずつ当ててみた。

「熱は無いみたいね。純粋な疲れじゃないかしら?」

「一日立ちっぱなしだったもんね」

 午後の清水寺でも一人だけ疲れを見せていた。旅行に行けるほど元気になったと言っても、元々華奢な鈴涼には、健吾が息切れしてしまうレベルの運動量は厳しかったのだろう。ずっと隣に居た彼女の母親は心配そうにしながらも、励ますように言った。

「明日はお父さんが駅まで迎えに来てくれるから、元気な顔じゃないと心配させちゃうわよ」

「うん。大丈夫だよ」

 日頃からテンションの起伏が激しい訳ではないが、付き合いが長くなれば元気のある返事でないことくらいわかる。しかしその返事の言い方が清水寺の時と重なった気がしたのは俺だけだろうか。

「やっぱり今日はハードスケジュールだったかな」

「……あぁ。そうかもな」

 上の空気味(ぎみ)に答えてしまったことで、健吾は呆れ笑いをしながら言った。

「なんだい一晴。きみまでお疲れなのかい。せっかく最後の夜くらいは盛大に夜更かししようと思っていたのに」

「やらん。ちょっと前に先生にした返事は何だったんだ」

「そう言うと思った。今日のオレは無策じゃないよ」

 何やら自信満々なのはろくなことを考えていない証拠だ。健吾は立ち上がって、そろそろと同級生たちの元へ向かった。

「ねぇねぇ岩本さん、最上さん。後で撮った写真の振り返り会がしたいんだけど、どうかな?」

 なんと参加型の企画を考えていやがった。絶妙に断る理由が浮かばない辺り、彼が頭を回した時の末恐ろしさを感じざるを得ない。まったく疲れている人を誘うのはいかがなものか、とも思ったが、部屋で動きもしないのなら残る敵は睡魔くらいである。案の定、茉莉菜は「まぁ、それくらいは」と返したし、弱々しいが鈴涼も小さく頷いた。

「参加者三名だよ。さあ、空気が読めないやつはどこの誰晴(だれはる)さんかな?」

「わかったよ。起きとけば良いんだろ」

 就寝が一時間以上は遠ざかっただろう。いつかこの策士が策に溺れてくれる日を願うことにして、今晩は疲れを取り切ることを諦める。茉莉菜はそんな俺の反応を見て釘を刺した。

「言っとくけど、あんたたちの夜更かしにまで付き合わないからね」

「もちろんさ。お風呂に入って一息ついたら男子部屋集合で」

 そんな会話の後、男子部屋に戻った俺と健吾は、ポットや茶葉の置かれた机を挟んで寝っ転がった。座布団だけ頭の下に敷いていると、日頃は馴染みのない畳の香りが精神を落ち着かせて眠くなる。

 これから女子陣がくるまでに風呂にも行かねばならないのだが、いかんせん疲れが先行してすぐに動く気にはなれない。歩き回って疲れを見せていた鈴涼は果たして大丈夫だろうか。言葉にはしない憂慮が残る中、ふと机の対岸から声がした。

「ねぇ一晴。こんな時にする話じゃないってわかってるんだけどさ」

「何だよ。嫌に神妙な声して」

 健吾はポットの向こうであぐらをかいた。言いにくそうな様子を見せるも、少し改まってその話題に触れる。

「あの件の犯人がわかったかもしれない」

「なんだって」

 怠さを忘れて、思わず体を起こしていた。俺たちの間で『あの件』なんて言い方をすれば、指し示すのはあの出来事しかない。中学三年生の夏、文学部の四人がバラバラになるきっかけになってしまった嫌がらせ。黒板にでっかく書かれた俺と鈴涼の相合傘は、今でもあまりに悪質な悪戯だったと思う。その犯人はずっと謎のままで、俺も敢えて探ろうとしたことは殆ど無かった。しかし、犯人が分かったかもなどと言われれば聞かずにはいられない。

「誰なんだ」

「三田校に居る反石ってやつ。覚えてる?」

「あの時の……!」

「そうそう。一晴にぶつかったあの男子だよ」

 痩せこけた顔と不健康な隈が目に浮かぶ。文化祭で『文学部物語』の脚本を担っていた中峰桜と話した後、俺は一人の男子生徒と肩がぶつかって倒されてしまった。その生徒こそ、今まさに話題に挙がっている反石だ。

「何であいつが犯人だってわかったんだ?」

「まだ確定じゃないけどね。中学の時のツテで、あいつだったらやるかもしれないって」

 確かに、中学の頃は悪質なおふざけを率先してやりそうなやつではあった。金持ちの家で根拠の無い自信家。後半については俺も当て嵌っていたような気もするが、悪い噂の数で言えば反石の方がよっぽど上だった。同級生の間では校内で未成年喫煙しているという話まであって、いわゆる問題児、不良生徒としてそこそこ有名だった。さしもの俺だって犯罪には手を染めたことがないのだ。

「だけど仮に反石だったとして、動機がわからないぞ。俺たち、別にあいつと関わりなかったし」

「それはミステリーの読み過ぎだよ、一晴。現実の行動の殆どに動機なんて無いさ」

「……そうだな」

 世の中には犯人の動機を聞いても全く理解できない事件もある。当時中学生だった人間の悪戯なんて、「面白そうだったからやった」と言われたって納得するしかない。しかし、それを実際に聞くかどうかで大きく変わるものは、間違いなくあるだろう。

「オレなら直接問いただすことも、何なら一晴と会わせることだってできるよ。そうだとしても、以前の考えは変わらないかい?」

 茉莉菜を鈴涼に引き合わせてからのこと。ファミレスで二人きりの時にされた質問と類似していた。つまり、直接的な被害者である俺に対して「犯人を野放しにしていて良いのか」と問うているのだ。

「――ああ」

 迷いつつも、やはり答えは一緒だった。

「今は、鈴涼の記憶が第一優先だ。それに……仮に犯人がわかったとして、俺はどうしたら良いのかわからないんだ」

「わからない?」

 率直に溢れた答えに明確な理由がつけられなくて、頭の中の思考をそのまま口にする。

「そりゃ、中学生の頃は報復でもしたいと思ってた。だけどよくよく考えたら、今さら何をどうすれば良いんだ? 犯人が困ることをしたら良いのか? ……本当に鈴涼がそれを望むのか、って」

 最上鈴涼が望むものは自身に纏わる過去の記憶だ。それを思い出して初めて彼女の時間は動き出す。この数か月間、俺はそのためだけに生きてきた。彼女の望みの中には、まだ誰かに対する恨みはない。

「犯人に明確な悪意があったとしてもかい?」

「犯人が反石だろうが他の誰だろうが、多分変わらないと思う。俺たちがやるべきことは過去を取り戻すことなんだから」

「――そうか」

 健吾はいつかと同じ返事に聞こえる声を吐いた。

「そういうことなら無理強いはしない。だけどオレはあの件を追い続けるつもりだよ。もし何か情報が得られそうなら協力してくれ」

 話の締めまでいつかと一緒だった。二度も聞いてくると言うことは、やっぱり健吾はあの事件を過去のものにするつもりは無いのだろう。健吾には何度も助けられているのに、俺は二度も曖昧な返事をしてしまっている。全てがうまくいった暁には、彼に協力する義務があると思った。

「そう言えばお前、見てたんだな」

「え?」

「ほら。俺が文化祭でコケたところだよ。てっきりずっと教室に居たと思ってた」

 少し記憶を探る様子を見せ、二か月前の光景を呼び起こそうとする健吾。まさか人のかいた赤っ恥を都合良く忘れてくれていたかと思ったけれど、物覚えの良い彼に限ってそんなことはあり得なかった。

「あぁ! そうそう、ぶつかった人間が二人とも顔見知りだったからさ。印象に残ってたんだよ」

「嫌な印象の残り方だな……」

「悪かったね。楽しい旅行の最後に変な話をしてさ。オレも旅行の疲れにやられてたみたいだ」

 鈴涼が居る時を除いて、俺たちの会話では、中学の頃の話はある種タブー視されている。暗黙の了解とも言えるかもしれない。安易に持ち出そうものならヤケドする――そんな爆弾じみた物を抱えて歩くアンバランスな友人付き合い。鈴涼の記憶を取り戻したら、きっとその危険物を上手に片付けないといけないのだろう。

 しかし今日は、後顧の憂いは捨て去ってしまいたかった。鈴涼の記憶を呼び起こすことは叶わなかったけれど、京都旅行自体はつつがなく終えることができたのだ。この計画で少しでもみんなの糸に縒りを繕えたのなら、それ以上の収穫はない。後のことは地元に戻ってからで。悠長な考えを表すようにごろっと寝転んだら、机の向こうで憂いを帯びたような声が聞こえた。

「ただ一晴も、過去のことを清算しないと、止まっちゃったままなんじゃないかと思ってね」

「俺が、止まったまま……?」

 日向一晴は文学部が空中分解してからのうのうと生きてきた人間だ。寝たきりだった鈴涼が目覚めてからは、ようやく生き甲斐にも似た目標を手にすることができた。しかし彼が「止まったまま」と言うからには、今も俺が機械のように一人きりで『死んでいた』頃と何も変わらない要因があるのだろう。

「なぁ、それってどういう……」

 実感が湧き切らない台詞に答えを求めようとして、質問は外から聞こえたドタドタという足音によってかき消された。「入るわよ!」と聞き慣れた声と、鍵をかけていなかった扉が勢いよく開かれたのは殆ど同時だった。

「茉莉菜?」

 俺は慌てて上体を起こした。血相を変えた栗色髪の少女。表情がよく見えるショートカットの下は、疲れとは別に顔色を青くさせてしまっていた。

「やっぱり、ここにも居ない……」

 ただ事ではない雰囲気だけは伝わってきた。俺たちは明らかに冷静さを欠いた茉莉菜の近くへ寄り、「どうしたんだ」と聞くと、彼女はわななきながら言う。

「すずちゃんが居ないの」
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