第18話 色、限りなし

文字数 6,149文字



 天気は予報通りの晴れ模様。日が照っているおかげで肌寒さは軽減されているが、何より隣に立つ人間の興奮が体感温度を引き上げていた。

「さぁ、観光日だぁー! 楽しみ過ぎて昨日はろくに寝れなかったぜー!」

 京都の宿に泊まった翌日、つまりは健吾が言った通り旅行本番が始まった。テンションを上げて叫ぶチャラ男を茉莉菜が冷ややかな目で見ている。鈴涼の視界を塞ぐように立っているのはおそらく偶然ではなかろう。いつの間にか謎の抗争を繰り広げるようになっていた二人に呆れつつ、俺は旅行のしおりを開いた。

「今日の日程は、中学の時の一日目そのままだ。時間こそ早めにしてあるけど、同じような景色が見られると思う」

 まずは金閣寺。その後は京都御所に行って、最後は宿が近かった二条城だ。順番はともかくとして、平安、室町、江戸とそれぞれ時代の違う場所を選んだのはそれぞれの歴史にわかりやすく触れさせるためなのだろう。

 自分たちで書き出したスケジュールに推測が混じるのは、順路を中学校時代の修学旅行そのままにしてあるからだ。少しでも鈴涼に昔気分を味わってもらうための配慮なのだが、見れば見るほどに疑問が浮かぶ。

「何度見ても思うんですけど、なんで学校側は嵐山とか清水寺とか、有名どころを全体で動く日程に組み込まなかったんですか?」

 普通は著名な場所からラインナップする方が理に適っているだろうに、桃川中学校は狙っているかのごとくその二箇所を弾き出した。普通の修学旅行なら、そういった場所ほどぞろぞろ大人数で行くイメージがある。

 質問を投げ掛けられた後藤先生は司書教諭だからそんな事情は知らないかとも思ったが、彼女は少しだけ記憶を探る様子を見せただけで解説に至ってくれた。

「確か先生たちいわく、生徒たちが自由行動で行く場所の目星がつきやすいように、っていう配慮だったらしいわよ。もちろん、その方が自由時間でも生徒を管理しやすいからっていうのが本音でしょうけど」

「要は大人の事情だったんですね……」

 茉莉菜がやや複雑そうな表情で言った。中学生の頃は旅行と言うだけで浮かれ気分になっていて、先生の決めたことに異を唱えるなんて考えもしなかった。高校三年生になって改めて振り返ってみるまで気づかなかったのだから、教師たちは上手くやったなと思う。

「そのせいで、オレたちは清水寺を逃したんですけどね」

「今回はそのリベンジも兼ねてるんだ。せいぜい雨が降らないことを祈るとしよう」

 教師陣の思惑通り、二日目に嵐山と清水寺の観光をしようとしていた俺たちは、当日に直撃した台風により宿への帰還を余儀なくされた。元々それなりに距離がある二箇所だ。午後から訪れるはずだった清水寺に行くことは叶わず、大いに落胆した記憶が鮮明に残っている。

 今回は卒業アルバムにあった写真を撮ると共に、昔は行けなかった名所にも訪れるという目標がある。しかしながらそれらの予定は全て明日のこと。今から行くのはかつての修学旅行一日目の轍をそのままなぞる日程である。

 旅館と目の鼻の先のバス停には数人を乗せた車輪付きの箱が流れて来た。俺たち全員が足を踏み入れた時には身じろぎも難しい車内になってしまう。この後に待ち受ける喧騒の片鱗を垣間見て、小さく息を飲みながら窓の外の大きな宿を尻目に置いて行った。



 移動時間は健吾でさえいつもよりは静かなものだったが、珍しい景観が退屈なんて言葉すら地元に残してきたらしい。今の時代にはなかなかお目にかかれない古風な日本家屋。かと思ったら環状線に突入して都会の雰囲気に飲み込まれる。緑も決して少なくはなく、動く度に違う街を歩いているようだった。

 見知らぬ土地もバスに任せていれば目的の場所にたどり着く。前方を歩く観光客たちが即席の道案内になって、やがて一際輝く建造物が見えて来た。

「着いたね。金閣寺だ」

 健吾の言葉の先にあるのは、名前通りの眩さを放つ金色の寺であった。池に天守閣だけがぷっかりと浮かんだような豪華な建物。その上を住処にする鳳凰の像は誇らしさすら感じられる。金色の折り紙で作ったと言うのならどれだけ現実味があったか。しかしながら、その寺院が纏うのは全て本物の金箔である。

 少しの緑と真っ赤な紅葉。自然の中に造られた人の権威の象徴が見事に調和している。これだけ派手な建物を建てる前にこの景観が想起できたというなら、昔の人はファンタジー小説もかくやという想像力を有していたのだろう。神秘的にさえ映る金閣は、ここまでに見てきたかつての日本風景とも一線を画していた。

「金色が水面に浮かんでる……すごい」

 鈴涼の感想でウユニ塩湖だとかプロジェクションマッピングなんて言葉を思い出す。鏡湖池に浮かんだ高級クルーズみたいな黄金色は太陽の光を反射しているようだ。今日の天気も相まって、三年前に見た時よりも胸を打たれる。恍然とする中、人差し指を立てた健吾が得意げに言った。

「正式名称は鹿苑寺舎利殿金閣。室町幕府三代将軍足利義満が建てさせた……なんて、教科書にあるようなことはみんな知ってるか」

 国公立大学を狙う茉莉菜は当然として、一応俺だって高校の間はまともに勉強をしていた。少なくとも歴史的建築物の基礎知識くらいは身に付けている。唯一鈴涼だけが口だけで「へぇ」と頷いていた。

 するとみんなを後方から見てくれている後藤先生が、観光客たちに紛れないくらいの声で問題を出した。

「じゃあこういうのはどうかしら。この金閣寺という建物は、どうして建てられたでしょう?」

 理由を聞いてくるなかなか憎い問いである。表面上のワード暗記ではなくて、背景まで知っていなければ正解には至れない。健吾が再び表情をにやつかせているので朧気な記憶を掘り起こそうと躍起になる中、一緒に考えていた鈴涼の母親が答えた。

「キンキラキンの建物を建てて、権力を誇示した、みたいな話ですか?」

 言い回しに昔の鈴涼らしさを感じてしまって笑いをこぼしかけていると、近くに居た茉莉菜と顔が合った。その唇がわざとらしく真一文字に結ばれているのを見て「同士よ」と言いたくなる。

 一蹴されそうな声掛けはひとまず飲み込んでおいて、鈴涼の母親が出した答えに立ち返ろう。これほどまでに煌めいた建築物は現代でもなかなかお目にかかれない。再建がされているとは言え、義光公が金ピカの寺を建てたという歴史は変わらないのだから、かなり好い線を行っているように思えた。

「お母様が言ってくださった答えも、もちろん一つの理由だと思います。でも、教科書にはもう少し詳しく書いてあるはずよね?」

 回答に満足し切らない様子の後藤先生は、言いながら覗き込むように俺の方を見てきた。俺は目の前の金色と記憶の彼方を行き来しつつ、ぼんやりと浮かび上がった思考を口にする。

「え、えっと、確か仏教がどうの、みたいな理由だった気が……」

「もちろん、お寺ですから」

 当然の指摘を受けてうっ、と言葉に詰まった。最上親子は揃ってハテナマークを浮かべている。茉莉菜にも答えを求めてみるが、彼女もまた困り顔で次のように言うに留まった。

「確か仏教の何かを表しているのよね。それが何だったのかまでは……」

 悔しそうにお手上げの顔をした茉莉菜を見ても後藤先生は微笑を浮かべたままだ。やがてこれまでのやり取りを悪趣味に眺めていた男が大手を振って語り出す。

「岩本さんが思い浮かんでるのは、極楽浄土ってやつだね。仏教における、そうだなぁ。天国的な場所をこの世で表現したのがこの金閣寺だって言われてる」

「なんだ。的な、って。歯切れ悪いな」

 健吾はうーん、と一つ唸ってから、煮え切らなかった答えに補足を付け加えた。

「天国はキリスト教の考え方で、極楽浄土は仏教なんだよ。正確なことを言うと全然違うんだけど、便宜上こういう例えが伝わりやすいかなって」

「死んだ後の行き先は違うにせよ、どっちもあの世みたいなものはあるってことか」

 考えてみれば死後、神に召されるという考えのキリスト教と、仏になろうという仏教では行き着く先が違うのは道理だ。健吾が言いたいのは肉体を失った魂が向かう先という意味合いで一致しているというところだろう。

「さすがは野沢くん。博識っぷりは健在ね?」

「いやぁ。それほどでも、あります」

 調子良く頭を搔いた健吾を横目に、現役受験生である茉莉菜は膨れっ面を作っている。この辺りの話がテストで出題されるかと言えばおそらく無いと思うのだが、まともに勉強していないと豪語する男に負けるのはプライドが許さなかったのだろう。

「一般的には野沢くんが言ってくれた通り、金閣寺はこの世に極楽浄土を表したと言われているわ。そしてその造りから、文化の発展に寄与した場所……北山文化と言えば伝わりやすいかしら?」

「あ。それは知ってます」

 公家の文化と、当時はまだ真新しかった武家の文化が融合したものが北山文化。明治時代に和洋折衷と言って海外文化を取り入れたのと似たような感じだろうかと想像しながら記憶した覚えがある。『公武なんちゃら』とかいう言葉もあるのかと思って調べてみたが、出てきたのは幕末期の『公武合体』だったから歴史とは難しい。

 閑話休題。目の前の先生は文化どうこうの話をしたかったわけではないようで、人差し指を口元に立てながらこう言った。

「ただ、先生はこうも考えることができると思うの。極楽浄土が目に見える形であれば――死ぬのが怖くなくなる」

 声を潜めて言うものだから、妙に背筋がぞくりとした。後藤先生の発言を解釈するならば、金閣寺を建てさせた足利義満は命の終わりを悟っていたということになるのだろう。そうして栄華を極めた彼の終着点には、一体何が残るのか。自分がこの世界から消えたなら、果たして数々の偉業は何の意味を為すというのか。全てを失う恐怖に駆られて黄金郷を建てたと言うなら、随分やるせない気持ちに包まれる。

「ず、随分ブラックなこと考えますね」

「でも、可能性としては無くはないわよね。造られた当時のことなんて、誰にもわからないんだから」

 茉莉菜は彼女なりに納得した部分があったらしく、後藤先生の考えを一理あるものとする。個人的にはキラキラの建物にあえて泥を塗るような話な気がして腑に落ちてはいないのだが、だからと言って必ずしも不正解のスタンプは押せないだろう。

「岩本さんの言う通り。真意なんてものは、製作者にしかわからないわ」

 現役の学校司書は妙な説得力と一緒に深々と頷いた。数え切れないほどの創作物に触れてきた後藤先生は無限の思考を重ねて生きてきたはずだ。そんな彼女ですら悟っている。正解を求める途中式を考えることはできても、点数が付けられることはないのだ。

「だからこそ、私たちは小説を読んで十人十色の考え方をするの。その思考を言語化するのが文学部生というものよ。ねぇ、日向くん?」

「そ、そっすね……」

 ここで言っている文学部とは、俺たちのかつての部活のことではない。実際に大学にある学部のことだった。俺の進路が私大の文学部だと話したことがあるからだろう。全教科オールマイティにできるつもりではあるが、やはり昔から本を読んでいただけあって国語の点数が安定して高い。だから進路には文学部を選んだ。
しかし後藤先生の言ったようなことは、設問を解く高校生までの授業とは大きく異なる。決定した進路先に若干の不安が紛れ込む中、これまで後藤先生に尋ねたことがなかった話題を鈴涼の母親が聞いた。

「後藤先生も大学は文学部だったんですか?」

「はい。もうずっと昔の話ですけれど」

 とは言え十年くらい前と言われても全然驚かない美貌だ。しかしながら俺たちが中学生になる前から長く図書室に居るという話だったし、そうなると大学を卒業してからは優に十五年二十年は経っていそうである。

「日向くん? 何か失礼なことを考えていないかしら?」

「いえ、滅相もございません」

 昔から謎のままである後藤先生の年齢問題は追い求めていた期間が長過ぎて否が応でも考えてしまう。さすがに失礼を自覚して口に出すことはなくなったが、彼女には黙っているだけの気遣いなんて通用しない。

「日向くんは何でも顔に出やすいんだから、相手に気を遣わせるようなことをしちゃ駄目よ?」

「精進致します……」

 表情から図星を読み取られてしまえば平謝りになる他なかった。やはり後藤先生には注意される運命なのである。俺と後藤先生のやり取りに健吾と茉莉菜がいつもの呆れ顔を浮かべる中で、一人金閣寺に釘付けだった鈴涼が唐突にこんなことを言い出した。

「じゃあこの場所は、その人にとって、行きたくない場所だったのかも」

 今度は他の全員が鈴涼に釘付けになる番だった。どういうことかと意味を問うと、鈴涼はだって、と接頭語を置いてから自らの考えを教えてくれた。

「誰も天国には行きたがらないから」

 至って単純、と言わんばかりだった。安直と言えば安直だが、「折角建てさせた豪華建築に対して行きたくないと言う訳が無い」という先入観が俺たちからその思考を奪っていた。全員が理解と納得の狭間で難しそうな顔を作る。

「まぁ言い切れはしないけど……」

「生きてる間は、そうよね」

 健吾が煮え切らなかったように必ずしも死を拒絶する人ばかりではないだろう。しかし大概の場合は、長寿を願ったりだとか、夢や進路を掲げて生きている証を刻もうと足掻いている。日本を統べるなんて大志を抱いていた男が、敢えて死を悟ることはあったのだろうか。

「絶対死なない。絶対生きてやるって、その人は思っていたのかも」

 歴史上の人物の思考なんてわかるはずもない。ただ、人間はどこまでも欲張ると言うし、一度高みを知った足利義満は不老不死でも望んでいた可能性だってある。彼は金閣を建てることである種の安心を得たかったのかもしれない。

 死を恐れていたという後藤先生の解釈にも似た、実に人間味のある意見だった。

「強固な意志の表れ……それも一つの考え方だわ。最上さん」

 後藤先生は自分の解釈とは異なる彼女の考え方を肯定した。俺たちにはわからない故人の想い。それこそが後藤先生の求める「十人十色」の答えなのだ。鈴涼の肩に優しく手をかけた先生はいつになく優しさを孕んだ声で言う。

「考えることを大切にしてね。それを止めない限り、あなたの人生は価値を生み続けるわ」

「うん。こういうのは、好き」

 鈴涼は発言も増えてきたが、自然な笑みをこぼすことも多くなっていた。考えた結果は目の前の金閣寺みたいに綺麗だなんて言われない意見だとしても、間違いなく彼女が知った新しい色の産物である。最上鈴涼を彩るものは、これからも広がり続けるのだ。

 黄金色を眺める瞳に、先生は少しだけ息を整えていたように思う。だけどすぐにいつもの微笑みを向けて鈴涼に一つのお誘いを投げ掛けた。

「じゃあ、たまに図書室に顔を出して、本を読みにいらっしゃい? そうしたら、最上さんの考えをたくさん聞かせてね?」

「うん」

 どうやら彼女には、また新しい日課が生まれたらしい。後藤先生と鈴涼が小さな約束を交わしたのを見守って、俺たちは華やかな色彩に止めていた歩みを再び踏み出し始めた。
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