第11話 虎の威を狩る

文字数 4,400文字



 ファミレスで一人で待つ、というのは意外と緊張する。休日の午後は家族連れで溢れているし、そもそもあまり利用しないというのも大きい。ましてや慣れない場所で待ち合わせなんて、店員さんが邪魔そうな視線を向けているんじゃないかと自意識過剰になってしまう。あたしは先んじて頼んでいたドリンクバーのコーヒーをちびちび飲みながら、できるだけ周りを見ないようにして待ち時間を過ごした。

 そろそろおかわりのために席を立たねばならなくなった頃、来店のベルを鳴らした男を見て安堵と怒りを覚えた。チャラついた趣味の悪い金系統のネックレスに同色のピアス。不良っぽい金髪まで相まって、待ち合わせの相手だと店員さんに知られるのも無性に腹立たしい。

「やぁやぁ。お待たせ、岩本さん」

「おっそい! さっさと座んなさいよ! なんかさっきから周りがあんたのこと見てんのよ」

「えぇ。待ち合わせ時間より早かったのはそっちだし、そんなに目立ってなくない?」

「十分目立ってるわよ!」

 先月まで着ていたアロハシャツみたいな、よくわからない派手色のグラデーションがあしらわれたシャツ。基調が青ということ以外わからないそれは、確かメンズの中ではちょっとした知名度があるブランドのものだったはずだ。海渡には着て欲しくないなぁ、などと思いながら、空のような海のようなシャツから視線を外した。

 健吾は怪訝そうな顔を浮かべながら席に着く。ドリンクバーを頼んでやっていることは後で教えようと小さく誓っていると、彼は話題を変えて話し始めた。

「それで、今日はどうしたのさ? 珍しいじゃないか、岩本さんがオレに相談だなんて。中学校以来だね」

 中学校の時の相談――いわゆる黒歴史というやつだ。一晴が好きだったあたしは、彼と何か秘密を共有することで親しい関係になろうとしていた。そのために協力してもらったのが目の前に居る健吾で、あたしは彼に「恋愛相談の相手に使わせて欲しい」と頼んだのだ。真面目な彼ならば秘密を守ってくれるだろうし、加えて言えば一晴との仲を応援してくれるんじゃないかという打算もあった。今となれば、こんな幼稚な作戦によく付き合ってくれたものだと思うしかない。

 飄々とした態度に身振り手振りを欠かさない様子は何だかわざとらしく感じる。しかし今はその“真意”を尋ねるよりも気にすべきことがあるのだ。無論、先日連絡を受けた一晴からの提案についてである。

「あれ、本気なの?」

「ほぅ、『あれ』って?」

「あんた、わかってて聞いてるでしょ」

「さぁ? オレができるのは推測までだよ。ちゃんと本人から聞かないと何とも言えないね」

「鈍い男は嫌われるわよ」

「それはぜひ一晴クンに言ってあげるといかがかな」

 頭の回転が早いやつの減らず口は厄介だ。あたしの地頭では健吾に勝てる気はしないし、どうやってもあたしの口から言わせるつもりだろう。そうやって会話の優位に立たれるのは癪だが、こんな初歩で立ち止まっている方が余計にイライラしてしまう。

「京都旅行の件についてよ」

「うん。やっぱりそうかい」

「このっ……!」

 何ともまぁ、昔の小心さからは考えられないほどの成長だ。主に悪い方向にしか傾いていないのがまた随分と痛々しい。あたしは会話が脱線しそうな苛立ちを殺して、健吾に言ってやる。

「あんまり変な喋り方を意識すると、ボロが出るわよ」

「ボロ? 何のことだい?」

「今はどうでも良いわ。とにかく、旅行については色々聞きたいことがあったのよ」

 突然畏まったメッセージが送られてきたかと思えば、内容はそれまた随分と突飛な話だった。まさか中学の修学旅行を模して京都を訪れようなど、考えたとしても実行に移そうとするものか。

「そういうことは、発案者の一晴に尋ねるのが筋ってモンじゃないかい?」

「一晴が何かする時は、あんたが一枚噛んでるのがいつもの流れでしょ。昔っから」

 あいつが何かをしたいと言う時は、大体健吾に作戦を丸投げする。すずちゃんが目覚めて、DVDを海渡に渡したのは間違いなく彼の立案だろう。一晴は実直で器用なことはできないから、健吾がそのお膳立てをした。全ての背景を知らないとしてもそれくらいの推測はすぐにできる。

 ブラックの苦味を口に含んでから健吾を見遣ると、彼は降参を示すように、瞳を閉じながら小さく両手を挙げた。

「いやはや、さすが幼馴染み。一晴のことについては良くわかってるねぇ」

「からかってるの? いい加減怒るわよ」

「失礼。じゃあここからは真面目モードってことで」

 言うなり目を開くと、その顔つきは勝負師のごとくギラリとこちらを覗いた。そんな表情を不意に披露することさえ彼の思惑なんじゃないかと思わされる。それくらいさっきまでの浮つきのある態度とは別人だった。

「まず岩本さんの聞きたいことっていうのを聞こうか」

 ワントーン落ちた声は中学時代や最近のおどけた態度よりずっと低い声だった。組んだ両手の指に顎を引っ掛ける姿は、虎視眈々と獲物を狙う獣のよう。あたしは空の猟銃で狩りにでも行く覚悟を決めて、口の中に残っていたカフェインの香りを吐き出した。

「旅行のことは、どこまで本気なの?」

「本気も本気、大マジだよ。一晴が卒アルにあったオレたち文学部の写真と、同じものを再現しようってなったのが発端さ」

「それを、あんたはできると思ったわけ?」

「思ってるよ。今もね」

 ――やっぱり嘘、じゃないよね。

 どこまでも真剣な眼差しで語る健吾に、言葉にして発せないまでもそう思わざるを得ない。だって健吾が「できる」と言うならばそれなりの根拠があるから。少なくともあたしが思い浮かぶような懸念を越えて、彼は「できる」と宣言してみせているのだ。

「大変なの、わかってるでしょう? それに、そんなことをしたってすずちゃんの記憶が戻るはずない。ただの徒労で終わるには随分手が込み過ぎだわ」

 不確定な要素を多分に含む今回の話には、正直賛同しかねている。もちろんすずちゃんの記憶に関することであれば協力を惜しむようなことはしたくない。しかし明確な結果を出せるとも限らないものに割くリソースとしてはあまりに過剰だ。

「時間を使うからね。岩本さんは、自分の受験の心配もあるんでしょ?」

 健吾の質問に、あたしは「そうよ」と答えるしかない。高校三年生、大学受験へ目掛けて努力を重ねているのを家族が一丸となって協力してくれている。そんな中で遠方への旅行へ行くなんて、みんなの気遣いを無下にするようではないか。

「怖いんだね。周りの人に否定されるのが」

 ドキ、と胸が萎んだ。瞬きを忘れた目が渇き、その痛みが内側の恐怖を現しているようだった。健吾はあたしを見透かして言う。

「こんな馬鹿げた話、真剣にしたって取り合ってくれるかわからない。ましてや弟くんみたいに岩本さんを応援してくれる家族も居る。応援してくれている人が居るなら、ちゃんと期待に応えたい――うん。至極真っ当で、尊敬すべき意見だよ」

 最後の言葉を言った時、彼は道しかない窓の向こうを眺めていた。瞳に映っていたのは流れる車だけじゃないような気がする。健吾はちょっと間を空けた後、視線をあたしに戻すと言葉を続けた。

「だから無理強いはできない。それで岩本さんが断ったなら、計画は潔く諦める。それが、一晴とオレの間で打ち出した結論だよ」

「一晴が?」

 その答えに、あたしは困惑していたのだと思う。発案者の一晴はあたしを説得することはあっても、逃げ道を進んで用意するとは考えてもみなかった。

「正直言うと、オレはどうにか連れ出す作戦を考えようって言ったんだけどね。相手にされなかったや」

「あいつ……」

「今日オレをここに呼んだのはさ、無理だって言って欲しかったから、なんじゃないかい?」

 あたしの喉は呼吸を詰まらせた。その微細な反応が、彼の答えの正解を告げる。健吾はあたしが何を言わずとも確信を持って続けた。

「一晴なら間違いなく岩本さんを説得する。そうして自分の心が揺れるのが怖くて、オレが理詰めでも何でも否定してくれるのを期待してた……そんなところ?」

 正鵠を射るとはまさにこのことだ。健吾の態度や喋り方はともかく、その頭脳は信じるに値する。だからこそ彼の否定の後押しがあれば、あたしははっきりと一晴の申し出を断れた。しかし頼みの綱は当の本人によってバッサリと切られてしまった。

「でも生憎と、岩本さんのことをちゃんと考えていたのは一晴の方だったよ。選ぶ相手、間違えちゃったね」

 間違えた――聞きたくなかった現実に、一瞬視界が眩んで正面を見上げて居られなくなる。こんな些細なことで選択をしくじっていて、本当にすずちゃんの助けになれるのか。言葉を失ってしまったあたしに、さらなる口先の弓が引かれる。

「少なくとも、オレはやれると思ってるよ。後は岩本さんの心次第。オレとしては良い返事を期待したいところだけど、どうかな?」

「……あたしは」

 もう一度後押しをした健吾に対して、すぐには返事を出せなかった。迷いを断ち切るためと選んだ人選は、寧ろあたしを酷く混迷へと連れて行く。いや、健吾が悪いことなんてない。全ては逃げ道を求めた岩本茉莉菜の失策でしかないのだから。

「すぐにとは言わないさ。ただチャレンジだけでも付き合ってくれたら嬉しい。オレも、もちろん一晴も、この意見は一致してるからね」

「ずるい。結局、しっかり相手の口説き方は知ってるんじゃない」

「鈍いのは一晴だけで十分さ。オレまで鈍かったら、また話が拗れちゃうでしょ?」

「『また』?」

「おっとこれは失言。とにかく、オレからできる話はこれで終わりだよ。お腹も空いてきたし、何か食べないかい?」

 健吾は言いながらお腹をぽんぽんと叩くジェスチャーをした。流石に腹の虫までは自由自在に操れないようである。

「あたしはいいわ。食欲無いから」

「え」

「後は勝手に食べて。あ、ドリンクバーは頼んであるから」

 手早く荷物を握ると、あたしは席を立ち上がった。店に来たにも関わらず料理も注文しないのはマナーとしてよろしくないが、それは食欲を奪った健吾が責任を取れば良いと無理矢理に解釈することにした。

「ちょ、ちょっとぉ? 久し振りに腹を割って話す機会じゃないか」

 面食らった健吾が慌てて腰を浮かせた。その様子を見て、ようやく彼に一矢報いてやった気がする。

「今のあんたは腹の底が見えないのよ。そのヘンテコな喋り方を止めたら、その時はお腹でも腸でも見せ合ってあげるわよ」

 健吾は見逃してしまいそうなほど一瞬だけ目を見開いて、その後ボソリとした声で「そうかい」とだけ呟いた。

 あたしはせめてもとドリンクバー二人分のお金をテーブルに置いて行く。健吾はあたしの考えを読んだのか、別段何も言うことはなかった。出口をくぐる頃、明るい声がチーズハンバーグステーキ! と注文する声が聞こえた。
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