第22話 『文学部』の理由
文字数 6,218文字
※
すずちゃんと一緒に一晴の家に訪問――もとい突撃した翌週の火曜日。都合四日後となる今日は、一晴によって図書室の一角に招集をかけられていた。
「紹介します! 一年三組の野沢健吾くんです!」
一晴の改まった口調で紹介されたのは、彼の横に座る小さな男子だった。小さな、というのは身長のことでもあるけれど、どちらかと言うと座っているその様子が俯きがちだからかもしれない。元気がウリの一晴とは正反対で、物静かな目立たないタイプの男子である。学ランのホックまで締めていて真面目な印象を受けるし、眼鏡をかけていることがその点をより助長していた。
「日向くん、図書室では静かにしないと」
人差し指を唇に当てて注意したのはあたしの隣に座るすずちゃんだ。一晴の席からは斜め前の位置で、少しだけ身を乗り出した時にふわっと黒束が動いた。わりぃ、と慌ててトーンダウンした一晴は隣の少年の背中を叩く。
「ほら健吾。お前が自分で自己紹介しないでどうすんだよ」
「ご、ごめん……」
促された男子生徒はもじもじと恥ずかしがりながら自己紹介をする。
「三組の野沢健吾……です。よろしくお願いします」
どうやら彼は初対面の人と話すのは苦手なようである。上がり症気味に喋る様子は、一晴の勢いに連れ込まれたクチだと理解する材料になった。あたしは一晴や海渡といった快活な人たちに引き摺られる感覚を思い出して同情し、すぐに助け舟を出す。
「よろしくね、野沢くん。あたしは岩本茉莉菜。あたしも健吾って呼んで良い?」
「あ、えと、はい……ご、ご自由に、どうぞ」
これは慣れるまでに少し時間が要りそうだ。しかし一晴がよく図書室で一緒に話していると言っていたし、多分悪い人ではないのだろう。別段会話を嫌がっている感じはしないので、根気良く付き合えばいずれは素の様子で話してくれるかもしれない。
「私は一組の最上鈴涼です。よろしくお願いします、野沢くん」
いつも通り丁寧な口調で挨拶をしたすずちゃんにも、健吾は少し緊張気味に「よろしくお願いします」と返す。初対面ならば同級生でも敬語になるあたり、二人は距離感の取り方が似ているのかもしれないと思った。一通りの顔合わせが終わると、一晴がわざとらしい咳払いをして本題に入る。
「今回集まってもらったのは他でもない! この図書室を守るために、俺たちで部活を作るって話だ」
それは接点の少ない四人の一年生が一同に会することとなった理由だ。やや大袈裟な表現な気もするが、あながち間違ってもいないのだろう。大きな作戦を前に、隣に座るすずちゃんなんかはうんうんと頷いて興味津々だ。こうして見るとちょっと子どもっぽい一面がある。
――ま、あたしもちょっとは楽しみなんだけど。
興味のある分野も無かったので、結局やることはないだろうと思っていた部活動。それがこんな形で実現しようとしているのだ。周囲には幼馴染みと仲の良い友達。さらにこうして新しい出会いもあった。それだけでも、あたしが今ここに居る意味はあると思う。
一晴がビシッと虚空に人差し指を立てた。
「内容は本を読むこと! とにかく俺たちで読んで読んで読みまくって、この図書室は生徒に使われてるってことをとにかくアピールするんだ」
「貸し出し冊数を増やせば良いってこと?」
「そーゆーこと。でも先生が言うには、ひたすら貸し借りをするだけの不自然なやり方はダメらしいんだ。だから、ちゃんと読んでから返す。これがルールな」
「まぁ、そりゃそうだよね。何かこう、本にも申し訳ないし」
先生が否定した理由は、図書室を冒涜してしまうやり方だからだろう。図書室を守ろうとする人間が施設から本質を取り上げてしまっては本末転倒だ。
「私も賛成です。それに、ここにいるみんなは本を大事にする人だから、そんな心配は要らないと思いますよ」
時折すずちゃんは相手のどこを見ているのか、断定的なことを言う時がある。根拠が無いと言ってしまえばそこまでだが、どうにも彼女は何かに確信を得ている気がするのだ。観察眼がある、と言ったところだろうか。
「そんで! 出てきたのが本を回し読みするって方法。全員が同じ本を読んで、感想を言い合う。これなら不自然に貸し出しの数も増えないし、みんなが読んだってことの証明にもなるわけだ」
「あ、それ良い! 一晴が考えたの?」
「いや、これは健吾の案。俺が昨日相談したら、すぐに思いついてくれたんだ」
へぇ、と思わず声を出して感心した。読書をするという大枠しかなかった計画だが、方針も決まっているとなれば学校側への申請も通りやすくなるだろう。あたしの隣ですずちゃんが正面の健吾を向き直り、素直な賞賛を送る。
「野沢くん、凄いんですね。私も何が良いか考えていたんですけど、全然思い浮かばなくて」
「い、いや……大したことじゃない、です。それに上手くいくかは実際にやってみないと……」
「どうだ、健吾はすげぇだろ! 伊達に本ばっか読んでねぇんだぜ」
「なんであんたが誇ってんのよ! 明らかに健吾のおかげでしょ! あと言い方失礼」
さも自分の手柄のように言う一晴に突っ込む。しかし別に健吾も嫌がっている様子ではないようだ。彼は影の参謀タイプ――と言うと格好つけ過ぎだが、裏方で本領を発揮できる人間なのかもしれない。
「元気ね? あなたたち」
あたしたちの会話に突然割って入って来た声があった。その正体はさっきまでカウンターで作業をしていたはずの後藤先生である。アドバイスでもくれるものかと思ったが、すぐにさっきのすずちゃんみたいに唇に指を添えて言った。
「でもちょっと元気過ぎるわよ? ここを守る前にルールを守らなくちゃ、ね?」
「うっ……」
あたしと一晴は同時に言葉に詰まり、すずちゃんと健吾は苦笑いを浮かべていた。一見後藤先生はにこやかに注意をしてくれているが、その表情にはどこか有無を言わせぬ迫力が貼り付いている。普段優しい人ほど怒った時が怖い……というのは定番なので、あたしはこの先生からだけは叱られたくないなぁと思っていた。
「で、でも後藤先生。健吾が名案を出してくれたんだよ」
「全部聞こえていたわ。だけど、それだけじゃちょっと駄目なのよね」
「足りないってことですか?」
あたしの言葉に後藤先生は首を横に振った。ならばどうしてなのだろう、と先生の否定に理解が追い付かなくなる。
計画としては悪くないはずだ。読み始めたばかりのあたしはともかく、すずちゃんは日頃からかなりの数を読んでいる。一晴と健吾もよく図書室に通っているらしいし、少なくともあたしよりは多いだろう。さらに彼らが自分のペースだけでなく、部活の時間でも読書に取り組もうと言うのだ。貸し出し冊数が増加するのは間違いない。図書室の利用者に関する問題は取り除けるはずだった。
「数の話じゃないのよ。それに、みんな部活なんてやらなくてもここに借りにくるでしょう?」
「え? あ。た、確かに」
言われてみればその通りだった。みんな好きでこの場所に来ている――それが前提なのだ。単純に数字だけで勝負するためには、あたしたちでは伸びしろが少ないと言わざるを得ない。むしろ必要なのは、図書室を利用したことがない人たちが本を借りにくることになってしまう。
「じゃあどうすんだよ。読書部なんだから、本を読むこと以外にすることねーよ」
一晴は頬杖でむすっとした顔を潰しながら先生を見上げる。子どもか、という言葉は無意味な火種を生まないために飲み込んだ。後藤先生はあたしたち全員が煮詰まる様子を見て、やがて用意していたのであろう台詞を放る。
「そこで、先生から提案があるのよ――あなたたち、小説を書いてみる気はない?」
「え?」
誰が発したのか、あたしたち四人は全員で困惑する。小説を書く。つまり自分で物語を考え、自分の文章でそれを伝えろと言うのだ。
「む、無理です!」
あたしはいの一番に先生に向かって言っていた。本は読み始め、加えて文章を書くことだって得意じゃない。小学校の読書感想文でさえ夏休みの終わり際まで残していた人間だ。そんなやつが書く小説なんて、目も当てられない結果になるに決まっている。しかし先生はあたしの心中を知ってか知らずか、あら? と大したことでもないように言う。
「難しいことじゃないわよ? それに、もしかしたらこれがきっかけで将来の小説家が生まれるかもしれないわ」
「す、少なくともあたしには無理です。書き方とか、わかんないし……」
第一自分で物語を考えるということがどうすれば良いのかわからない。日々何かを想像することくらいはある。しかしそれは日常の中で、こうだったら良いな、と思う程度のことでしかない。そんなものは一つのお話にするには到底ドラマの足りない些事だろう。
「ご、後藤先生。それは絶対しなきゃいけませんか? その……僕も、じ、自信無いです」
どうやら健吾も乗り気ではないようだ。やはりよく本を読む人間からしても、『書く』ということになると敷居が高いらしい。いや、むしろ本をよく読むからこそ、自分の文章の拙さがよくわかってしまうという部分もあるのだろう。
「そもそも、それをすることがどうして部の成立に繋がるんでしょうか?」
すずちゃんが質問をしてこの会議の本質を思い出す。あたしたちは文章を書くためではなく、読むためにここに集まったのである。それを聞いた先生は詳しく理由を説明してくれた。
「部として成立させるためには、どこかでその成果を発表する場が必要なのよ。運動部なら大会。文化部なら文化祭。本を読んでいるだけでは誰の目にも止まらないわ」
「つまり、私たちもどこかで成果を出す必要があるってことなんですね」
「それが小説を書くってこと……?」
あたしは先生に敬語も忘れて尋ねていた。
「そういうこと。だからあなたたちには、読書部兼文芸部をして欲しいの。もちろん無理強いはしないけど、その方が部の成立を認めさせやすくなるわ」
何とも話が大きくなってきてしまった。ただ本を読むだけという誘いだからこそ気軽に参加しようと思ったのに、あたしの手には負えない範囲に物事が飛躍し過ぎている。
正直に言えばお遊び感覚なのだ。一晴とすずちゃんが居るという理由だけであたしはこの場に居る。もちろん本が好きだという感情に間違いはないし、部活だってやりたい。しかし、あたしはここまでずっと流されて来ただけだ。大それた覚悟も無いのに我儘を言える立場ではなかった。健吾は俯いてしまい、すずちゃんは残念そうな顔であたしを見つめている。きっと彼女は優しいから、あたしが嫌だと言えばすぐに手を引いてくれるのだろう。
――あたしは、どうしたいんだろう。
一晴に追いつくために始めた読書が、すずちゃんや健吾、後藤先生との出会いを生み出してくれた。こうやってあたしたちが集まったことには絶対に意味がある。その意味を掴みたいなら、この一歩を踏み出さなくてはいけない。それが頭でわかっているから、あたしはあたしの背中を押してくれる『何か』を待っているのだ。
「やろう、それ」
しばらくの間沈黙を貫いていた一晴が決意の篭った声で言った。あたしはその言葉に戸惑いや驚き、そして少しの安堵があった。あぁ、やっぱり一晴は一晴なのだ。
「で、でも僕は無理だよ! 文章書くのは苦手だし、しかも人に見せるって……」
健吾は一晴に意志を伝えた。当たり前の反応だと思った。ここで健吾を責められる者は誰もいない。できないことをしろ、などと言うのはただの理不尽でしかないのだ。だからこそ、一晴は全部わかったような覚悟を決めていた。
「何も全員がやらなくても良いだろ? やらない奴が居るなら、俺がそいつの分まで書いてやるよ」
「そ、その人の分までって……もしかして、小説書いたことあるの?」
健吾は自信満々の一晴に聞いた。あまりに簡単そうに言ってみせる彼に期待しているのだろう。ただ、日向一晴という人間は基本格好つけたがりなだけだ。
「いや、無いけど」
あっさり言い切る彼に健吾が絶句する。相変わらず虚勢のくせによくもそこまで見栄を張れるものだ。その自信が、いつもあたしの背中を押してくれる。
「……仕方ないわねー。良いわ、あたしもやるだけやったげる」
「おっ、マジか茉莉菜!」
「ホント!? まりちゃん」
横に居たすずちゃんが大きく身を寄せるほど感激している。どうやら彼女の気持ちも決まっているらしい。
「で、でも、期待はしないでよ。あたしだって文章得意じゃないんだから」
「そんなことは問題じゃないわ。やるということが大切なの」
後藤先生はそう言ってあたしを肯定してくれた。言葉はさらに続く。
「だからと言って野沢くんに無理を言う訳じゃないわ。三人分あれば問題ないと思うし、足りなくても日向くんが書いてくれるんでしょう?」
「……」
「おう! 任せとけ」
健吾はやはり乗り気では無い様子だが、無計画なバカはやる気満々のようだ。一晴がこの様子ならおそらく大丈夫だろう。そんな安心感を与えられるのは、ひとえに長い付き合いがあるだけというわけではなくって、口にし難い感情が混ざり込んでいそうなのがむず痒かった。次いですずちゃんも意思表明をする。
「私もやります。日向くんだけに責任は負わせませんよ」
「お、頼もしいな最上。よろしくな」
「こちらこそ、よろしくお願いします」
一晴とすずちゃんは見合って笑う。元々この二人の熱意がこの部の設立の原動力なのだ。互いに断ることなどないことを、心のどこかで信じていたのかもしれない。
「ぼ、僕も!」
方針が決まりつつある中で、声を上げたのは眼鏡の少年だった。みんなの意外そうな視線を浴びながら、彼は遠慮がちに言う。
「や、やるだけ、やってみたい……です。できないかもしれないけど、ちょ、挑戦するだけでも許してくれるなら……やってみたい」
前置きは震えていたけれど、最後の言葉だけははっきりと伝わった。彼もまた、一晴たちの熱意に焚き付けられたのだ。
「い、良いかな……?」
「当たり前だろ! 頑張ろうぜ健吾!」
「嫌になったらいつでも言ってくださいね」
この二人に歓迎されて健吾は俯きがちな視線を上げた。その瞳は不安な表情の割に輝いていて、頼もしいバックアップにあたしまで安心する。
「みんな、よく言ってくれたわ。この話は私が責任を持って学校に通します。みんなの決意が無駄になるようなことには絶対しないから、期待しててね?」
「はいっ」
「頼もし過ぎるぜ先生!」
――熱は伝わる。熱ければ熱いほど、他の人にも。
先週すずちゃんが言っていたそんな言葉が脳裏をよぎる。その通りだった。一晴とすずちゃんの熱は、確かにあたしと健吾に伝わった。それはきっと、ここにいる全員のターニングポイントになるだろう。
その後、夏がやってくるよりも早く部活動は成立した。名称は『文学部』。読書部でも文芸部でもないのは、その両方を包括した活動をすることを学校側に示すためだったそうだ。そして紆余曲折を経て、なぜかあたしが部長になったり、全員で部誌を作成したりすることになるのだが、それはまた別のお話。
構成メンバーは四人。全員一年生で、部室は『図書室裏』という本来生徒立ち入り禁止だった部屋。ただ本が好きという理由だけで集まったそんな部活。
そんな経緯で、桃川中学校文学部は始動したのであった。
すずちゃんと一緒に一晴の家に訪問――もとい突撃した翌週の火曜日。都合四日後となる今日は、一晴によって図書室の一角に招集をかけられていた。
「紹介します! 一年三組の野沢健吾くんです!」
一晴の改まった口調で紹介されたのは、彼の横に座る小さな男子だった。小さな、というのは身長のことでもあるけれど、どちらかと言うと座っているその様子が俯きがちだからかもしれない。元気がウリの一晴とは正反対で、物静かな目立たないタイプの男子である。学ランのホックまで締めていて真面目な印象を受けるし、眼鏡をかけていることがその点をより助長していた。
「日向くん、図書室では静かにしないと」
人差し指を唇に当てて注意したのはあたしの隣に座るすずちゃんだ。一晴の席からは斜め前の位置で、少しだけ身を乗り出した時にふわっと黒束が動いた。わりぃ、と慌ててトーンダウンした一晴は隣の少年の背中を叩く。
「ほら健吾。お前が自分で自己紹介しないでどうすんだよ」
「ご、ごめん……」
促された男子生徒はもじもじと恥ずかしがりながら自己紹介をする。
「三組の野沢健吾……です。よろしくお願いします」
どうやら彼は初対面の人と話すのは苦手なようである。上がり症気味に喋る様子は、一晴の勢いに連れ込まれたクチだと理解する材料になった。あたしは一晴や海渡といった快活な人たちに引き摺られる感覚を思い出して同情し、すぐに助け舟を出す。
「よろしくね、野沢くん。あたしは岩本茉莉菜。あたしも健吾って呼んで良い?」
「あ、えと、はい……ご、ご自由に、どうぞ」
これは慣れるまでに少し時間が要りそうだ。しかし一晴がよく図書室で一緒に話していると言っていたし、多分悪い人ではないのだろう。別段会話を嫌がっている感じはしないので、根気良く付き合えばいずれは素の様子で話してくれるかもしれない。
「私は一組の最上鈴涼です。よろしくお願いします、野沢くん」
いつも通り丁寧な口調で挨拶をしたすずちゃんにも、健吾は少し緊張気味に「よろしくお願いします」と返す。初対面ならば同級生でも敬語になるあたり、二人は距離感の取り方が似ているのかもしれないと思った。一通りの顔合わせが終わると、一晴がわざとらしい咳払いをして本題に入る。
「今回集まってもらったのは他でもない! この図書室を守るために、俺たちで部活を作るって話だ」
それは接点の少ない四人の一年生が一同に会することとなった理由だ。やや大袈裟な表現な気もするが、あながち間違ってもいないのだろう。大きな作戦を前に、隣に座るすずちゃんなんかはうんうんと頷いて興味津々だ。こうして見るとちょっと子どもっぽい一面がある。
――ま、あたしもちょっとは楽しみなんだけど。
興味のある分野も無かったので、結局やることはないだろうと思っていた部活動。それがこんな形で実現しようとしているのだ。周囲には幼馴染みと仲の良い友達。さらにこうして新しい出会いもあった。それだけでも、あたしが今ここに居る意味はあると思う。
一晴がビシッと虚空に人差し指を立てた。
「内容は本を読むこと! とにかく俺たちで読んで読んで読みまくって、この図書室は生徒に使われてるってことをとにかくアピールするんだ」
「貸し出し冊数を増やせば良いってこと?」
「そーゆーこと。でも先生が言うには、ひたすら貸し借りをするだけの不自然なやり方はダメらしいんだ。だから、ちゃんと読んでから返す。これがルールな」
「まぁ、そりゃそうだよね。何かこう、本にも申し訳ないし」
先生が否定した理由は、図書室を冒涜してしまうやり方だからだろう。図書室を守ろうとする人間が施設から本質を取り上げてしまっては本末転倒だ。
「私も賛成です。それに、ここにいるみんなは本を大事にする人だから、そんな心配は要らないと思いますよ」
時折すずちゃんは相手のどこを見ているのか、断定的なことを言う時がある。根拠が無いと言ってしまえばそこまでだが、どうにも彼女は何かに確信を得ている気がするのだ。観察眼がある、と言ったところだろうか。
「そんで! 出てきたのが本を回し読みするって方法。全員が同じ本を読んで、感想を言い合う。これなら不自然に貸し出しの数も増えないし、みんなが読んだってことの証明にもなるわけだ」
「あ、それ良い! 一晴が考えたの?」
「いや、これは健吾の案。俺が昨日相談したら、すぐに思いついてくれたんだ」
へぇ、と思わず声を出して感心した。読書をするという大枠しかなかった計画だが、方針も決まっているとなれば学校側への申請も通りやすくなるだろう。あたしの隣ですずちゃんが正面の健吾を向き直り、素直な賞賛を送る。
「野沢くん、凄いんですね。私も何が良いか考えていたんですけど、全然思い浮かばなくて」
「い、いや……大したことじゃない、です。それに上手くいくかは実際にやってみないと……」
「どうだ、健吾はすげぇだろ! 伊達に本ばっか読んでねぇんだぜ」
「なんであんたが誇ってんのよ! 明らかに健吾のおかげでしょ! あと言い方失礼」
さも自分の手柄のように言う一晴に突っ込む。しかし別に健吾も嫌がっている様子ではないようだ。彼は影の参謀タイプ――と言うと格好つけ過ぎだが、裏方で本領を発揮できる人間なのかもしれない。
「元気ね? あなたたち」
あたしたちの会話に突然割って入って来た声があった。その正体はさっきまでカウンターで作業をしていたはずの後藤先生である。アドバイスでもくれるものかと思ったが、すぐにさっきのすずちゃんみたいに唇に指を添えて言った。
「でもちょっと元気過ぎるわよ? ここを守る前にルールを守らなくちゃ、ね?」
「うっ……」
あたしと一晴は同時に言葉に詰まり、すずちゃんと健吾は苦笑いを浮かべていた。一見後藤先生はにこやかに注意をしてくれているが、その表情にはどこか有無を言わせぬ迫力が貼り付いている。普段優しい人ほど怒った時が怖い……というのは定番なので、あたしはこの先生からだけは叱られたくないなぁと思っていた。
「で、でも後藤先生。健吾が名案を出してくれたんだよ」
「全部聞こえていたわ。だけど、それだけじゃちょっと駄目なのよね」
「足りないってことですか?」
あたしの言葉に後藤先生は首を横に振った。ならばどうしてなのだろう、と先生の否定に理解が追い付かなくなる。
計画としては悪くないはずだ。読み始めたばかりのあたしはともかく、すずちゃんは日頃からかなりの数を読んでいる。一晴と健吾もよく図書室に通っているらしいし、少なくともあたしよりは多いだろう。さらに彼らが自分のペースだけでなく、部活の時間でも読書に取り組もうと言うのだ。貸し出し冊数が増加するのは間違いない。図書室の利用者に関する問題は取り除けるはずだった。
「数の話じゃないのよ。それに、みんな部活なんてやらなくてもここに借りにくるでしょう?」
「え? あ。た、確かに」
言われてみればその通りだった。みんな好きでこの場所に来ている――それが前提なのだ。単純に数字だけで勝負するためには、あたしたちでは伸びしろが少ないと言わざるを得ない。むしろ必要なのは、図書室を利用したことがない人たちが本を借りにくることになってしまう。
「じゃあどうすんだよ。読書部なんだから、本を読むこと以外にすることねーよ」
一晴は頬杖でむすっとした顔を潰しながら先生を見上げる。子どもか、という言葉は無意味な火種を生まないために飲み込んだ。後藤先生はあたしたち全員が煮詰まる様子を見て、やがて用意していたのであろう台詞を放る。
「そこで、先生から提案があるのよ――あなたたち、小説を書いてみる気はない?」
「え?」
誰が発したのか、あたしたち四人は全員で困惑する。小説を書く。つまり自分で物語を考え、自分の文章でそれを伝えろと言うのだ。
「む、無理です!」
あたしはいの一番に先生に向かって言っていた。本は読み始め、加えて文章を書くことだって得意じゃない。小学校の読書感想文でさえ夏休みの終わり際まで残していた人間だ。そんなやつが書く小説なんて、目も当てられない結果になるに決まっている。しかし先生はあたしの心中を知ってか知らずか、あら? と大したことでもないように言う。
「難しいことじゃないわよ? それに、もしかしたらこれがきっかけで将来の小説家が生まれるかもしれないわ」
「す、少なくともあたしには無理です。書き方とか、わかんないし……」
第一自分で物語を考えるということがどうすれば良いのかわからない。日々何かを想像することくらいはある。しかしそれは日常の中で、こうだったら良いな、と思う程度のことでしかない。そんなものは一つのお話にするには到底ドラマの足りない些事だろう。
「ご、後藤先生。それは絶対しなきゃいけませんか? その……僕も、じ、自信無いです」
どうやら健吾も乗り気ではないようだ。やはりよく本を読む人間からしても、『書く』ということになると敷居が高いらしい。いや、むしろ本をよく読むからこそ、自分の文章の拙さがよくわかってしまうという部分もあるのだろう。
「そもそも、それをすることがどうして部の成立に繋がるんでしょうか?」
すずちゃんが質問をしてこの会議の本質を思い出す。あたしたちは文章を書くためではなく、読むためにここに集まったのである。それを聞いた先生は詳しく理由を説明してくれた。
「部として成立させるためには、どこかでその成果を発表する場が必要なのよ。運動部なら大会。文化部なら文化祭。本を読んでいるだけでは誰の目にも止まらないわ」
「つまり、私たちもどこかで成果を出す必要があるってことなんですね」
「それが小説を書くってこと……?」
あたしは先生に敬語も忘れて尋ねていた。
「そういうこと。だからあなたたちには、読書部兼文芸部をして欲しいの。もちろん無理強いはしないけど、その方が部の成立を認めさせやすくなるわ」
何とも話が大きくなってきてしまった。ただ本を読むだけという誘いだからこそ気軽に参加しようと思ったのに、あたしの手には負えない範囲に物事が飛躍し過ぎている。
正直に言えばお遊び感覚なのだ。一晴とすずちゃんが居るという理由だけであたしはこの場に居る。もちろん本が好きだという感情に間違いはないし、部活だってやりたい。しかし、あたしはここまでずっと流されて来ただけだ。大それた覚悟も無いのに我儘を言える立場ではなかった。健吾は俯いてしまい、すずちゃんは残念そうな顔であたしを見つめている。きっと彼女は優しいから、あたしが嫌だと言えばすぐに手を引いてくれるのだろう。
――あたしは、どうしたいんだろう。
一晴に追いつくために始めた読書が、すずちゃんや健吾、後藤先生との出会いを生み出してくれた。こうやってあたしたちが集まったことには絶対に意味がある。その意味を掴みたいなら、この一歩を踏み出さなくてはいけない。それが頭でわかっているから、あたしはあたしの背中を押してくれる『何か』を待っているのだ。
「やろう、それ」
しばらくの間沈黙を貫いていた一晴が決意の篭った声で言った。あたしはその言葉に戸惑いや驚き、そして少しの安堵があった。あぁ、やっぱり一晴は一晴なのだ。
「で、でも僕は無理だよ! 文章書くのは苦手だし、しかも人に見せるって……」
健吾は一晴に意志を伝えた。当たり前の反応だと思った。ここで健吾を責められる者は誰もいない。できないことをしろ、などと言うのはただの理不尽でしかないのだ。だからこそ、一晴は全部わかったような覚悟を決めていた。
「何も全員がやらなくても良いだろ? やらない奴が居るなら、俺がそいつの分まで書いてやるよ」
「そ、その人の分までって……もしかして、小説書いたことあるの?」
健吾は自信満々の一晴に聞いた。あまりに簡単そうに言ってみせる彼に期待しているのだろう。ただ、日向一晴という人間は基本格好つけたがりなだけだ。
「いや、無いけど」
あっさり言い切る彼に健吾が絶句する。相変わらず虚勢のくせによくもそこまで見栄を張れるものだ。その自信が、いつもあたしの背中を押してくれる。
「……仕方ないわねー。良いわ、あたしもやるだけやったげる」
「おっ、マジか茉莉菜!」
「ホント!? まりちゃん」
横に居たすずちゃんが大きく身を寄せるほど感激している。どうやら彼女の気持ちも決まっているらしい。
「で、でも、期待はしないでよ。あたしだって文章得意じゃないんだから」
「そんなことは問題じゃないわ。やるということが大切なの」
後藤先生はそう言ってあたしを肯定してくれた。言葉はさらに続く。
「だからと言って野沢くんに無理を言う訳じゃないわ。三人分あれば問題ないと思うし、足りなくても日向くんが書いてくれるんでしょう?」
「……」
「おう! 任せとけ」
健吾はやはり乗り気では無い様子だが、無計画なバカはやる気満々のようだ。一晴がこの様子ならおそらく大丈夫だろう。そんな安心感を与えられるのは、ひとえに長い付き合いがあるだけというわけではなくって、口にし難い感情が混ざり込んでいそうなのがむず痒かった。次いですずちゃんも意思表明をする。
「私もやります。日向くんだけに責任は負わせませんよ」
「お、頼もしいな最上。よろしくな」
「こちらこそ、よろしくお願いします」
一晴とすずちゃんは見合って笑う。元々この二人の熱意がこの部の設立の原動力なのだ。互いに断ることなどないことを、心のどこかで信じていたのかもしれない。
「ぼ、僕も!」
方針が決まりつつある中で、声を上げたのは眼鏡の少年だった。みんなの意外そうな視線を浴びながら、彼は遠慮がちに言う。
「や、やるだけ、やってみたい……です。できないかもしれないけど、ちょ、挑戦するだけでも許してくれるなら……やってみたい」
前置きは震えていたけれど、最後の言葉だけははっきりと伝わった。彼もまた、一晴たちの熱意に焚き付けられたのだ。
「い、良いかな……?」
「当たり前だろ! 頑張ろうぜ健吾!」
「嫌になったらいつでも言ってくださいね」
この二人に歓迎されて健吾は俯きがちな視線を上げた。その瞳は不安な表情の割に輝いていて、頼もしいバックアップにあたしまで安心する。
「みんな、よく言ってくれたわ。この話は私が責任を持って学校に通します。みんなの決意が無駄になるようなことには絶対しないから、期待しててね?」
「はいっ」
「頼もし過ぎるぜ先生!」
――熱は伝わる。熱ければ熱いほど、他の人にも。
先週すずちゃんが言っていたそんな言葉が脳裏をよぎる。その通りだった。一晴とすずちゃんの熱は、確かにあたしと健吾に伝わった。それはきっと、ここにいる全員のターニングポイントになるだろう。
その後、夏がやってくるよりも早く部活動は成立した。名称は『文学部』。読書部でも文芸部でもないのは、その両方を包括した活動をすることを学校側に示すためだったそうだ。そして紆余曲折を経て、なぜかあたしが部長になったり、全員で部誌を作成したりすることになるのだが、それはまた別のお話。
構成メンバーは四人。全員一年生で、部室は『図書室裏』という本来生徒立ち入り禁止だった部屋。ただ本が好きという理由だけで集まったそんな部活。
そんな経緯で、桃川中学校文学部は始動したのであった。