第22話 舞台賭け事

文字数 4,915文字

 嵐山を堪能し、ついでに上半身がぴりぴりと痛むようになった後で、一行は次の目的地へ向かう。清水寺までの道は土産屋や食べ物屋がまるで古風な日本家屋に扮して立ち並んだような坂道だ。景観ももちろんだが、歴史上で誰が通ったとか、転んだら何年以内に死ぬとか、知識のない人が聞けばてんで脈絡のない話を楽しめる面白い場所でもあった。

 そして上り切った先には、各種ガイドブックに乗ってある有名な景色が見えてくる。もみじよりも赤い三重塔がそびえ立ち、前方の景色に御堂の数々が点在していた。最奥に見える本堂は入口からこそ小さく感じられるが、ぞろぞろと飲み込まれていく人の群れが壮大さを物語っている。

「いやぁ、とうとう来たね」

 健吾は外観を見ただけで既に感慨深くしていた。しかし、今回ばかりは気が早いというツッコミも喉奥に収まる。何せこの清水寺は、俺たち文学部にとって悲願と言っても良い場所なのだ。

「確か、修学旅行の時は台風のせいでこられなかったのよね?」

 後藤先生の質問に三人が揃ってうんうん頷いた。

修学旅行の自由時間。本来なら嵐山と清水寺を同じ日に訪れるつもりだったのだが、天候が急変してしまったために、先生から「即時ホテルへ撤収せよ」との命令を下されてしまったのである。その時ばかりは親切のはずの緊急用携帯電話がこの上なく恨めしかった。

「あの頃は、部活で清水寺が舞台の時代小説まで読んでたって言うのに……」

 事前に養っていた英気の発散先を失い、帰った後には茉莉菜のような落胆をさんざっぱら後藤先生に愚痴ったのである。俺はその時の気持ちを思い出すように話題を振ってみた。

「確か茉莉菜が持って来たんだよな。京都が舞台の時代小説」

「……そうね」

 しかし一緒にボートに乗っていた時のような会話を維持するには至らず。少しは心を開いてくれたと思っていたのだが、やはり軋轢なんてものは一時のテンションで取り除けはしない。話しかけることへの抵抗が薄くなっただけでも僥倖、と自分の中だけで納得することにした。

 落ち着いた彼女とは対照的に、体をうずうずさせる健吾は今にも駆け出しそうな勢いだ。俺の肩をばしんと叩いて、大勢の観光客が見下ろすお立ち台を指で示した。

「あそこからの景色が楽しみで仕方なかったんだ。一晴、いざ参らん!」

「走らねーよ。お前のテンションに付いて行けるか」

「つれないなぁ」

 そもそもマナー違反だろうに。観光客も大勢居る中で迷惑行為をしたらお待ちかねの景色の前に摘み出されてしまう。こっちがしたいはずのやれやれ顔をする健吾の肩を叩き返してやり、入場券を買いに観光客の列に並んだ。

 清水寺の境内に入り、三重塔を横目に何段もの石の階段を進んで行く。寺と聞けば賽銭箱が目立つ小ぢんまりとした地元の寺のイメージが強い。しかしこの場所ではあたかも歩いた経験のない城下町を歩いている気分になる。

やがて最も大きく、かつ有名な本堂に到着した。実際に踏み込むこととなった木造の階段は思ったよりもずっと頼もしい。もっとギシギシ軋むのかと思っていたけれど、一斉に数百人が乗る渡月橋と何ら変わらなかった。

「これが千年以上前から建ってるって言うんだから驚きだよな……」

「平安初期に完成した建物だから、今回の旅行じゃ京都御所と並ぶ訳だ」

 どうして寺の本堂をこんな高さに造ろうと思ったのか。その意図を探るのは金閣寺よりも難しいかもしれない。しかし現代でも高層タワーは世界中で建設されているのだし、案外シンボルマークにするためとか、シンプルな理由だったりするのではないかとすら思ってしまう。

「ちょっと待って二人とも。すずちゃんが少し疲れちゃったみたい」

 前へ前へと進んでいた足に茉莉菜がストップをかけた。彼女の隣で、手すりを掴んだ鈴涼が少しだけ息を荒くしている。

 嵐山から清水寺まではバスや電車を使えたとは言えそれなりの移動距離になっていた。そこに坂道を含む結構な歩行運動まで重なれば、小柄な鈴涼が根を上げてしまうのは仕方のないことだった。

 ゆっくり息をする少女の様子を見て、俺と健吾も戻ろうとする。しかし他の観光客の波があって逆流はできず、狭い通路であわや立ち往生になりそうになってしまった。そんな中で後藤先生が声を張る。

「人混みの中で大勢立ち止まるのは他の人たちの迷惑になってしまうわ。元気な男子組、先に行ってらっしゃい?」

「わかりました。行くぞ、健吾」

「最上さーん! 無理しないようにねー!」

 健吾の呼びかけに鈴涼はしっかりと頷いた。茉莉菜たちも居るから心配は要らないだろう。せっかくならば全員でゴールラインを切りたかったけれど、他人の迷惑になってまで待つのは思い出の後味も悪くなる。俺と健吾は先生の言う通りに前へと進み、観光客の波を分けた先に、かの有名なお立ち台があった。

「おぉ……」

 縁に身を寄せて、見上げた先と見下げる景色で風景はがらりと変わる。上は暖かな太陽が覗く青空。視界を段々と下へ移していくと、雄大な紅い木々が立ち並ぶ向こうにミニチュアのような京都の町並みが悠々と広がっていた。嵐山の魅力が自然の壮大さなら、清水寺は伝統と現代の人工物を織り交ぜた優雅な景色だと言えるだろう。

 もみじが色付いているのは偶然でもあり、狙っていた美景でもある。この京都旅行を計画し始めたのが九月。そこから方々の説得や準備等でかなりの時間を要した。一番の懸念点であった鈴涼の体調が万全に至ったのは十月半ば頃で、折角ならばと紅葉が見られるタイミングを見計らったのだ。

「つまらない感嘆で感想を終わらせるつもりかい? 他に何か言ってごらんよ」

 健吾の無茶振りが飛んで来たので、俺は魅入っていた景色に一番に思ったことを口にする。

「……外観の写真しか見たことなかった」

「……一晴。今のはオレが悪かったよ。ごめん」

 気の毒そうな顔でこちらを見るな、リポートなんてしたことないのだから当たり前だろう、と文句を呈すだけ虚しくなるような気がして口には出さなかった。

 今見ているのは大昔から語り継がれる景色。江戸時代に起きた大火災による全焼、再建後に起きた数多の戦火を乗り越えて、時代によって様変わりする京都の町を見守ってきた。そして現代では、争っていた世界中の人間がここから見える景色に欣羨していたかのごとく押し寄せる。

 何でもないと言えば何でもない。だけど俺たちが羨望した景色は、言葉にはならずとも確かに感慨深い思いにさせてくれた。

「この高さから落ちたら死ぬと思う?」

「は?」

 壮観な景色をじっくり堪能していると、横槍みたくタチの悪い質問が飛んできた。

「よく不謹慎な話題として上がるじゃないか。かつては飛び降りの名所だったって」

「それは知ってるけど……」

「デッドオアアライブ! 一晴が賭けるならどっちだい?」

 何とも嫌な質問をする男だ。聞いたことがあるのは、このお立ち台の下には木々や土があるおかげで意外にも命を落とすことがなかったという話だ。しかし純粋な高さとなれば話は別。子どもの頃に登っていた滑り台の比では無いのだから。

 ――そうだとしても。

「生きる方だな」

「おや、どうしてだい?」

「別に深い理由はねぇよ。ただ……」

 脳裏に焼き付く三年前の光景。学校の踊り場に横たわる漆髪に覚えた恐怖はいつまで経ったって取り除かれるはずもない。

「落ちて誰かが不幸になるなんて、二度と御免だからだ」

 健吾はぱちぱちと大きな瞬きをした後で、なるほどなるほどと実に納得した様子を見せた。

「じゃあオレはデッドに賭けるとしよう」

「聞いただけじゃないのか」

「言っただろ? 賭けるならどっちって」

「お前、まさか本当に飛び降りようと……」

「さすがにする訳ないだろ。第一、人目が多過ぎて無理だよ」

「人目が無くてもやるな」

 無論本気になどしていないが、妙に含みのある言い方をするやつだ。健吾はけらけら笑った後でお立ち台の縁に両肘をかけながら下を覗いた。

「実際高さは四階建てビルくらいなんだろ? 生きるか死ぬか、実に確証が持てないところだねぇ」

「やめだやめ。折角の良い景色が台無しになるような話題を出すな」

「はーい……そんな話をしていれば、ご到着のようだよ」

 突然大きく腕を振り始めた健吾の視線の先には、いつかの文化祭よろしく茉莉菜に手を引かれる鈴涼の姿があった。保護者二名も彼女らの後ろに付いて、鈴涼の警護は完璧である。

「お待たせ」

「……待たせて、ごめん」

 茉莉菜に合わせて申し訳なさそうに鈴涼が謝った。無論責任なんて感じる必要はなく、こういう時は軽薄そうな健吾がやぁやぁと進んで話しかけに行くのが頼もしかった。

「気にしないで! ちょうど暇潰しになる良い話題があったからさ」

「あんなもんを良い話題だなんて言うな」

「どんな話?」

 問い掛けてきたのは他ならぬ鈴涼だった。一番聞かせたくない相手に興味を抱かれてしまい、視線を外しながら「あー」と誤魔化しの声を出す。その様子に後から来た女性たちの表情まで懐疑的だ。ちら、と目を戻したら、少女は黒い瞳でこちらをじっと見据えていた。いつもなら断片だけでも教えるが、話題が話題なだけにそれすら憚られる。

「ここでは言えん」

 結局、俺は答えなかった。すると鈴涼の味方たる茉莉菜が疑問符を浮かべて問うてくる。

「何よそれ」

「岩本さん。男には、男にしかわからない下らない話があるのさ……」

 健吾が真に迫った演技を見せるものだから、茉莉菜が黙ったまま絶妙に嫌そうな顔を作った。

「言い方に悪意しかないだろ! 別にそんな話はしてない!」

「どーだか」

 いまいちピンときていない鈴涼はともかく、茉莉菜には必死の言い訳をしても取り付く島もない。俺は弁解する気のない男をキッと睨んだ。

「健吾、後でちょっと残ってろ」

「お、何だい。下らない話の続きでもするかい?」

「あぁ。お前のお望み通り、賭けの検証をしよう」

「……悪かったって」

 結局不謹慎な話題は明かせず、俺と健吾は「そういうお年頃」みたいな処理をされた。どちらに転んでも呆れられた表情しかされないだろうから、これ以上自らの傷口に塩を塗る必要もあるまい。

「……」

「鈴涼?」

 さっきの健吾みたく、お立ち台に手をかけて清水寺からの景観を望む。町並みも空も木々にもたっぷりと目を向けてから、思い出したように深呼吸をして言った。

「これが『私』の見たかった景色?」

「そうだな。みんなが見たかった景色だ」

 悪天候という不運に見舞われ、嘆き合った修学旅行。三年前から残る未練をようやく解消できた形だ。よもやまたこの四人が集まれるだなんて思ってもみなかったから、これだけでも奇跡という言葉を安直に信じたくなってしまう。

「わたしが見ても、良かったのかな」

 鈴涼の言葉にはどこか物悲しさを覚えた。無論、彼女には感慨深さこそ浮かばないはずだ。だけど過去の記憶を探る上で、この場所が他人事になるはずなんて無い。俺たち四人がずっと待ち望んでいたものなのだから。

「良いも悪いもあるもんか。お前だって見たかった景色だろ?」

 少女は「そう、だよね」と歯切れ悪そうに呟いた。飴を口の中で転がすみたく、言葉の味を慎重に選んでいた。

「わたしが『最上鈴涼』なんだもんね」

「……?」

 少女は確かに自分の名前を言った。揺れる髪と同じ色の瞳に映るのは、紅葉と読み取れない感情だった。俺はわからないそれを聞くことを躊躇う。鈴涼の中だけで完結したのなら、きっと誰かが出しゃばって良い場面ではない。

 横を見ると、そろそろと逃げ出そうとする影。抜き足差し足で歩くにはあまりにも目立ち過ぎる男のレザージャケットの後ろ襟を鷲掴みにしてやったら、わぁわぁと騒ぎ出した。

「何逃げようとしてるんだよ。健吾くん」

「助けて殺される!」

「お前っ……本当にふざけんなよ」

 健吾が言葉を選ばず騒ぎ立てるせいで周りの観光客がちらちらとこちらを見ている。憤慨やら羞恥やら色々な感情がもれなく襲いかかってきて、俺はそれ以上他の誰かの視線を気にすることをやめた。

 そのせいで気づけなかった。茉莉菜と話を続ける鈴涼が不自然なくらいいつも通りだったことに。
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