タムの結婚(13)──ずっと探していた

文字数 3,193文字

「私の知っている人の絵にタッチがそっくりで……というより、サインの筆跡も」ルカラシーの声は震えていた。「本人が描いたものに違いありません」
 ワンと百木(ももき)は互いの顔を見合う。そしてワンはルカラシーに視線を戻すと、言った。「我々も、ジャックというのが彼の本名なのか、確信を持って言い切れないところがあります。彼とはこんなふうな出会いです──あるとき近くの林で倒れていましてね。我々は登山客が遭難したか浮浪者かと思いました。ケガはありませんでしたが衰弱しているようでしたので、ここへ連れてきて介抱しました。彼は自分の名前をジャックだと名乗り、職も住居もないのだと言ったのです」
「その人は……今はどちらに?」ルカラシーが上擦りながら訊いた。
 ワンは動くと、給湯室の棚から写真立てを取ってきた。「二年前ですかね、肺炎をこじらせて亡くなられました。それまでずっと、この研究所で働いてくれていたのですよ。そろそろ遺骨を霊堂に取りに行って、埋葬しなければと考えていたところです」
 写真には、ワンと百木とジャックの三人で一匹のヤギを囲んでいる様子が写っていた。真っ白な髪はボサボサで、頬も黒くこけていたが、葉野菜を手にヤギに食べさせている彼の微笑みはルカラシーのよく知るものだった。
「フルークさんだ、間違いない」ルカラシーの声の後、うたた寝から目覚めたキッパータックが何事かとやってくる。
「フルークさんというお名前で?」
「うちの庭園で働いていた庭園隠者のライス・フルークさんです」ルカラシーは重苦しげにその名を吐きだした。
 ワンによると、ジャックが現れたのは五年くらい前だという。行き場がないならここを手伝ってもらえないか? とワンが提案すると素直に受け入れ、それから亡くなるまでの約三年間をともに研究所で過ごした。名前も「ジャック」しか知らないし、過去のことも、家族がいたのかも聞いていない。ただ絵が好きで、かなりの腕前だった。一度見た興味深いものは頭に刻印されるのだと言って、それをスラスラと描写していた。
「ここに、私たちのほかに、そのジャックさんのことを訪ねてきた人はいましたか?」
 ルカラシーの質問に百木が首を振る。「知り合いがいたなら連絡を取っていたでしょうがね。そういう素振りはまるでなかったですよ。年末年始も我々と一緒にここで過ごしたくらいです」
「この写真、お借りできますか?」とルカラシーは申し出た。「もしかしたらご家族と連絡が取れるかもしれません」
 ワンは二重顎をやや浮かせた。そして指の腹で顎をさすりながら。「今となってはジャックさんの意向を伺うことはできません。となると、こちら側の思いで動くことになるわけです。我々の手で埋葬してやりたいと思うのも我々の勝手な意見であろうし、あなたがご家族に知らせた方がいいと思うのもあなたや世の中が思う最善、というわけだ」
 皆が皆、伏し目と沈黙のセットを余儀なくされる中、ワンだけがパッと微笑む。
「ただ、あなたはここに辿り着いた。ドルゴンズ庭園の大庭主でご多忙であるあなたが、こんな辺鄙な山の中にほぼ丸腰で来ている。もしかして、ライス・フルークさんのことをずっと探していらっしゃったのでは?」
「探していました」消え入りそうな声で、体を折り曲げながら、ルカラシーは告げた。
「ではご家族にご連絡ください」ワンはルカラシーが洗面台の壁から剥がして持ってきた絵も渡した。「ジャックさんが描いた絵はこれ以外にもいっぱいあります。全部ご家族にお渡ししても構いません。……その写真だけは、三人の思い出なので返していただけると助かりますが。もしご家族が引き取りたいとおっしゃらなかった場合は、私と百木で埋葬しますとお伝え願えますか?」
「願いを聞き入れてくださり、ありがとうございます」ルカラシーは深々と頭を下げた。

 一人研究所を飛びだしていったルカラシーを、キッパータックは追いかけた。
「ドルゴンズさん!」
「キッパータックさん」ルカラシーは立ち止まり、顔を返した。「あの洞窟へ続く通路に戻ろうと思います。タムに会わなければ」
「タムに!」キッパータックは驚き、うろたえた。「ジャックさんのご家族って、タム・ゼブラスソーンなんですか?」
「いや、娘さんがいて、レイサ・フルークさんとおっしゃるんですが、おそらく、泥棒たちはレイサさんを知っているんだ。短冊に名前があったでしょう?」
 自分が雇った探偵・(ソン)友馬(ユウマ)が調べたことを、レイサに送って無視された手紙のことを、ルカラシーは脳裏で思い返していた。
「一人で行くなんて危険すぎます。僕みたいに捕まるだろうし、それに、あの通路は潰されているかも」
「とにかくもう一度登ってみます」ルカラシーの決意は固かった。「あなたは研究所に戻って、迎えの車を待っていてください」
「警察に任せた方がいいと思います」キッパータックは必死に引き止めた。「ドルゴンズさん、タムはあなたを脅した悪党なんですよ? なにをされるか──」
「だから……」ルカラシーはキッパータックの肩に手を置き、開きかけた口を一度噤むと、首を振った。「キッパータックさん、私は大丈夫です。フルークさんのことについては私に責任があり、やるべきことがある。どうか、私が戻ってくるまで警察に連絡するのも待っていてくれませんか?」
「ええっ? どうして!」
「頼みます」ルカラシーは頭を下げた。「無事、レイサさんと連絡が取れたら、あなたに必ずお知らせしますから」
「でも、僕は携帯端末を持っていなくて……」
 ルカラシーはそれ以上は聞く耳を持ってくれず、ワンにもらった写真と絵を握りしめ駆け足で山へ向かっていった。キッパータックは立ちすくんだ。たしかにフルークという人間に関して、なにがルカラシーの心を動かしているのか、まったくもってわからない。それでも、あの恐ろしい洞窟に戻ってタムと対面するなんて無謀だと思う。黙って待っているわけにはいかなかった。

 キッパータックは研究所に戻り、ワンに電話を借りた。叶の携帯端末はガット・ピペリに奪われてしまったので、番号を記憶していない個人にはかけられない。キッパータックは百木に大庭の電話番号を調べてもらうと、第二番大庭・アトラクション庭園に発信した。
 思ったとおり、そこにはまだ叶がいて、話すことができた。
「ヒューゴさん、無事でよかった!」と叶の第一声。「今、どこにいるの?」
「今? ええーっと……」キッパータックの思考がぐるぐる回る。洞窟、ルカラシー、レイノルド、福田江(ふくだえ)(まもる)──次々浮かんでくる像。「洞窟でタムの手下に捕まっちゃったんだけど、ドルゴンズさんが助けに来てくれて」
「ドルゴンズさん?」
「それなのに、ドルゴンズさんがまたタムのところに行ってしまったんだ」
「もしかして、ルカラシーさんのこと? いつの間に──」
 叶の後ろで誰かががなり立てているのがわかった。二本松(にほんまつ)刑事だろう。
「ドルゴンズさん、会いたい人がいるみたいで、その人に会えるまで警察に連絡しないでほしいって言うんだよ。でもそういうわけにもいかないよなって」
「話が全然見えないんだけど……」
「僕も洞窟に戻るよ」唐突に決心が固まる。「ドルゴンズさんをやっぱり、一人で行かせるわけにはいかない。レイノルドもまだいるんだろうし……だから、僕にまたなにか危険なことがあったら、警察に知らせてほしい」
「危険があったらって、それをどうやって察知しろと? 警察にしても、もうすでにここに二本松さんがいるのよ? 私たちずっと心配して──」
魚人(ぎょじん)地区の巻蛙(まきあ)(ざん)という名前の山みたいだ。近くに〈ラクトゥーカ研究所〉という建物があって、そこの人たちにお世話になったんだ。もし僕たち二人がこの後連絡できないようだったら、助けに来てほしいって二本松さんに伝えて」
 それだけを言うと、キッパータックは電話を切った。
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登場人物紹介

ヒューゴ・カミヤマ・キッパータック。砂の滝がある第4大庭の管理人。好きな食べ物・魚の缶詰。好きな生き物・アダンソンハエトリ(蜘蛛)。清掃業も営んでいる。

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