神酒の失踪(6)──馴鹿布の告白

文字数 4,434文字

 孫の頭がふらりと円を描き、テーブルに突っ伏しそうになる。「うっ。すみません、私、コーヒーのカフェインに異様に弱くて……はぁ……」
「びっくりした!」と叶は胸に手を当てた。「急に笑いだすから、仮面を剥がしてタムに変身するかと思ったじゃないの」
「おいおい」馴鹿布(なれかっぷ)が眉間に皺を寄せる。「先月襲われたばかりなのに『おかわり』はごめんだぞ」
「クックック」孫は再び笑いを洩らし、テーブルに載せた腕に額をぶつける。「酔っ払っちゃったかなー。うう、でも、大丈夫」
「どう見ても大丈夫じゃない……」と叶。立ちあがってキッチンへと向かう。「お水を持ってきましょうか? コーヒーで酔っ払う人、はじめて見たわ」
「いや、どうも、ありがとう」手だけを持ちあげて、ひらひらと振る孫。「へへへ……しかし、蜘蛛もコーヒーに弱いらしいですよ。蜘蛛もコーヒーで酔っ払っちゃうらしいです。ええっと、インターネットの記事かなんかで、読んだこと、あります……」
「蜘蛛!」叶はその単語に反応した。
「あれぇー」孫は腕から少しだけ顔をずらして、叶を上目で見る。「あなたさては、あの人気漫画『蜘蛛(ざむらい)』のキャラクター、赤色鳥(あかいろとりの)糞玉四郎(ふんだましろう)の大ファンだなぁ。ハハハ」
「そんな漫画知らないわよ!」叶は冷蔵庫から取ってきたプラスティック・ボトルの水を孫の前にトン、と置いた。      
「先生。彼の大丈夫は信用できますかね?」馴鹿布に意見を乞う。
「本人がそう言っているのだから、大丈夫だろう」答える馴鹿布。
 席に着き直す叶。「先生。ルカラシーさんにご指名いただいたわけで、なにか協力できるなら、協力したいなと思うんですが……。その、行方がわからないという介護士の女性。福田江さんに付き添って地下庭園に出入りしていたというなら、同じく衣妻(いづま)流亜(るあ)と親交のある宝石商のサムソン神酒(みき)さんがなにかご存じかもしれません。キッパータックさんがお見えになられたときに話していましたよね? 今ちょっと連絡が取れないみたいなんですけど、彼、宝石の買いつけやアピアンっていう不思議な石を探すのにしょっちゅう海外へも渡航しているみたいなので、戻ってきたら話が聞けると思います」
「戻ってくるかな、彼……」
「はい?」
 馴鹿布は空になったカップを自分のたもとに静かに着地させた。「叶君。実は君に内緒にしていたことがあってな」
「え?」
 隣でぽかんと口を半開きにして固まっている叶へ、体ごと向き直る馴鹿布。「私はそのサムソン神酒氏のことを調べていたんだよ。地下庭園へも行った。福田江さんの介護士だが、先々月から別の人に変わっている。レイサ・フルークさんは体調を崩して中央都の病院に入院したということだった」
「そ、それって……」
 馴鹿布はテーブルに突っ伏して静まり返っている孫にもちらりと視線を投げる。
「もちろん、孫さんの尾行に気づいて姿を消したという線もなくはない。しかし神酒氏の方も気になるんだ。衣妻流亜が言うにはしばらく地下庭園にも来ていないそうだし、電話も繋がらないと。彼の自宅マンションへも行ってみたが、帰っていないようだったよ。衣妻流亜も案じていた」
「あの人嫌いの衣妻流亜と……」突然知らされた情報に動揺する叶。テーブルを見つめ、スゥ、と鼻から息を出すと、言った。「どうして私に黙っていたんですか? 私もキッパータックさんも神酒さんと連絡を取りたがっていたのに。私がもう探偵業から離れたいと言ったから?」
「すまなかったな」馴鹿布は孫と自分のカップを取ると、キッチンのシンクへ運ぶ。「内緒にしていたのは、神酒氏のことで少し不審なことがあったからだ。そこを突き詰めていくと、場合によっては君が傷つくかもしれない、と考えた」
「…………」
 顔を強張らせている叶に、馴鹿布は静かに言う。「君は、キッパータック君とピッポ・ガルフォネオージ氏、神酒氏と一緒に大庭研究ツアーを回った。そこでルカラシーさんが提供したハーブティーを飲んで半睡状態となり、そのとき君と神酒氏だけがタム・ゼブラスソーンの名前を口にしたとかで呼びだされたんだったよな? その話を聞いたとき、当然神酒氏を疑ってかかるべきだろうと思った。彼は大庭調査会のメンバーで、大庭に関する知識も豊富だ。それなのに君は一言も、『神酒さんを調べよう』とは口にしなかった……」
 叶は俯いたまま、馴鹿布の言葉を浴びていた。テーブルに肘をつき、頭を支える。
「君を責めるつもりはない。これは職務怠慢ではないからな。私は君の中に、神酒氏への親愛の情があるのだろうと思った。ツアーを回った仲間としてな。だから君は、神酒氏を疑おうなんて思いもしなかったんだ。そうであるならば、私が代わりに調べればいいことだと──」
「そ、それで、」叶は微かに震えながら、老先生へと眼差しを返した。「神酒さんになにか疑わしいことでも?」
「私が調べたことをすべて話そう」馴鹿布は意を決したように、そう言った。


 馴鹿布はまず、神酒を調べるならやはり地下庭園だと、そこへ入り込む目的を捻出した。叶が調べ、リビングのテレビに映しだした画像の中で特に印象に残っていた、あの〈立入禁止〉区画。
 福田江護が大庭主だったとき、フィカス・グレープレインの林を作ろうと計画していた場所。そこで毒蛇〝ヤマカガシ〟を見たから人が近づかないよう立入禁止にしようと提案したのはサムソン神酒だったという。
 馴鹿布は「自分の大庭にもフィカス・グレープレインを植えたいので」という名目の下、くわしい話を聞きたいと衣妻流亜を訪ねてみた。
 衣妻は最初、面倒がって会おうとしてくれなかったが、「大庭の一部を立入禁止にしたまま放置している」ことに対して苦言を言いたい、と強気の姿勢に出ると、渋々姿を見せた。
 
 馴鹿布は叶の隣の席に戻り、自分の携帯端末に収めた「立入禁止区画」の画像を叶に見せた。
「君もたしか、写真に収めていたよな? 私が直接見に行って疑問に思ったのは、立入禁止とロープが張られているのに、草むらに誰かが立ち入った跡が見られたことだ。車椅子のタイヤの跡もあったよ」
「え?」叶は先生の手から端末を取ると、顔を近づけて画像をピンチアウトしてみた。「……たしかに。草が押し潰されたみたいに倒れていますね。私は全然気がつきませんでした。毒蛇って聞いて、怖さのあまり近づけなくて」
 腕を組む馴鹿布。「君の話によれば、福田江さんは自然を愛していて、それで事故後も地下庭園にしょっちゅう遊びに来ているということだったな。衣妻に聞いても同じだった。福田江さんと神酒氏は、めずらしい植物やら昆虫やらを調べているとかで、庭園内を、特にフィカス・グレープレインの予定地だった辺りをよくうろついていた、と」
「そうでした……」とつぶやく叶。「でも、毒蛇がいる場所に分け入ってまでとは」
「どの大庭に対しても平等に市民の代表として意見を述べなければならない大庭調査会のメンバーが、地下庭園に足繁く通って、大庭主と親しくしている。それがたとえ草や虫を見るだけだとしても、恩恵を受けていることには変わりない。苦情も実際あったらしく、それで神酒氏は大庭調査会から外れたのかもしれないな。とにかく、毒蛇がいるというのにこのまま放置もないだろうと、ちゃんと調べたらどうだ? と衣妻に勧めたところ、観光局の広潟(ひろかた)さんも賛成してくれ、専門家を呼んで調査することになった」
 馴鹿布は再び携帯端末をタップして、新しい画像を見せた。「それで現在、このようになった。生い茂っていた雑草はきれいに刈られ、立入禁止の札もロープも撤去された」
「ええっ!」叶は様変わりした土地の画像に喫驚する。「蛇は? 植物は?」
「なにもなかった」馴鹿布は静かに告げた。「ヤマカガシは餌としてカエルを好むので、どちらかといえば水辺にいることが多いそうだ。この場所は反対に荒涼とした山に近く、乾燥地帯でもある。フィカス・グレープレインも高温多湿が適しているので、植えるなら土壌改良などが必要だということだ。それから、昆虫や生き物の巣らしき穴はあったそうだが、蛇はいなかった、ということだった。植物にしても、それほどめずらしい種類のものはなかったそうだ。私は大麻を育てているんじゃないかと実は疑っていたが、それもなかった。専門家は牛頭鬼(ミノタウロス)地区に来るのは久しぶりで、なにか発見できるのだろうかとドキドキしていたそうだが、ちょっと肩透かしを食ったという顔をしていたな」
「じゃあ、神酒さんはなんでそんなことを。なんのために……」
「あそこに人を近づけたくない理由があった──といったところか」馴鹿布はキッチンから持ってきていた缶詰の蓋を開けると、ナッツを手に転がし、口に放り込む。
「それでも神酒氏と福田江さんは──もしくはレイサさんも含めて、あそこに

があった。なんのために、か。私がこの目で見て、くまなく調べても、あそこはただの『空き地』だった。本当に植物なんかを見るためだけに、何度も通うような場所なのか……(ぼりぼりぼり)」
「おおーっ!」突然顔をあげ雄叫びを発した孫探偵。
「はっ。この人、まだいたんだった」叶は馴鹿布から缶詰を渡してもらい、自分も食べながら孫を見やる。「コーヒーのおかわりはー……いらないか」
「うー」孫は顔をごしごしと擦った。「お二人はなにを深刻に話されていたんですか? 私は少しうとうとしてしまいました。いかんいかん」
 ポリポリ、カリカリ、と木の実を噛み砕く音が響く。
「私にもくださいっ!」孫は叶が抱いている缶詰に手を伸ばした。「ピーナッツ、大好きです!」
「今わかっていることをまとめると……」叶は缶詰をテーブルに置いて、携帯端末のメモ機能を起動する。「福田江さんは大庭主の役を衣妻の母親に譲った後、なにかの研究をしていて、その際に事故に遭って車椅子生活となったんでしたよね? それでレイサさんが住み込みで介護をするようになる。その後も地下庭園に出入りして、フィカス・グレープレインの林を作ろうとしていた土地は神酒さんが毒蛇が出ると言って立入禁止に。二人はそれでも中に分け入って、植物か昆虫を調べていた。レイサさんは体調を崩し、中央都の病院へ入院。これは二か月前ですか?──」
「そ、その話ー!」孫は興奮して椅子から立ちあがった。「私が眠っている間にそんなに調べがつくとは! 名探偵だ!」
「なわけないでしょう」叶は孫に白い目を向けてから、言った。「蛇の件といい、神酒さんはやはりなにかありそうですね。大庭調査会もやめて、恋人とも別れてる」
「ミキさん? 誰?」孫がきょとんとする。
「馴鹿布先生、もう一度地下庭園を調べられませんか? 私もきれいになった空き地を見てみたいんです」
「じゃあ、行ってみるか」と馴鹿布。
「私も行きます! ぜひ同行させてください!」テーブルにこぼしたナッツを床へと弾き飛ばしながら、孫は勢いよく言った。
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登場人物紹介

ヒューゴ・カミヤマ・キッパータック。砂の滝がある第4大庭の管理人。好きな食べ物・魚の缶詰。好きな生き物・アダンソンハエトリ(蜘蛛)。清掃業も営んでいる。

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