タムの結婚(7)──夢を見た

文字数 3,322文字

「ね、いいでしょ?」
「いや……」スニセは放心したように(おとがい)を落とすと、ちらとキッパータックに横目を投げる。「そうか。君はいつも天真爛漫で、日本のアニメーションに出てくる少女みたいに愉快な子だと思っていた。今もこうして思わぬ行動で驚かしてくれて、私も一緒に愉快な気持ちになろうと思ったけれど、まさか、人前で私に恥をかかせるとは」
「はあ? なんですって?」
「そうじゃないか! 私の仕事場まで来て微笑みながら絶縁を言い渡す……ひどい、ひどいよ。お客さんの前で」
「なにそれ! 私と結婚したくないってわけ?」
「……?」
 
 キッパータックも叶も、目の前で出し抜けにはじまった激しいやりとりに凍りついていた。草原やベンチで寛いでいた人々も大声量になにかを嗅ぎつけ、引き寄せられるように集まってくる。
「ど、どういうことだ?」スニセは顔を真っ赤にし、おたおたしだす。
「結婚したいからしたいと言ったの」エマの眉間に深い怒りの皺が刻まれた。「仕事場だってことはわかってる。でも忙しい忙しいって言われて全然会えないし、こうするよりほかないじゃない! のん気に寺なんて観てる場合じゃないって思ったのよ。お客さんと一緒にいても、割り込むしかないと思ったわ」
「私と……結婚すると?」
「当たり前じゃないの!」
 パチパチパチと、見物していた人たちから拍手が起こった。キッパータックと叶も慌てて一緒に拍手した。
「わ、私はてっきり、(別の誰かと)結婚したくなったから私とは別れると言われたんだと思った」スニセの赤面はエラーランプのようにずっと消えない。それが弱々しい皺くちゃに変わる。「忙しいと言い訳ばかりして現実から逃げていたのは承知していたし」
「もちろん振られる寸前だったとも言えるわ」エマは腕を伸ばしてスニセの顔をぎゅうっと掴んだ。「でもあなたは形勢逆転した──卑怯なくらい運のいい男よ」
 二人は興奮状態のまま、愛するが故に言わざるを得ないというセリフの数々を好き放題ぶつけ合い、それが尽きると、腕を開いて抱き合った。そしてエマは、その感動の対象を叶へと移動させ、「ありがとう!」と涙ぐんで叶とも抱擁した。
「わ、私たちはなにもしてないような気が──」
 それを見たスニセも感極まってキッパータックを抱きしめる。そして最後には磁石が全部くっつくみたいに四人で固い愛と友情のスクラムを組んだ。
 見物客たちは役者が四人に増えたので改めて温かな拍手を追加することになった。



 穹沙(きゅうさ)市に戻ってからというもの、キッパータックは悩みとともに過ごすことになった。ドルゴンズ庭園で目撃した劇的なシーン。あれは我が身にも起こり得ることなんだろうか? と考えた。たとえばキッパータックが、マーロンが心配したとおり、結婚の話を進めることなくのんべんだらりと構えていたとする。するとある日、仁科(にしな)まきえのアトラクション庭園の遊具を清掃しているときに、しびれを切らした叶が乗り込んできて、「結婚しましょう!」と突然宣言する。休憩のお茶を運んできた仁科家のハウスキーパーさんがそれを見て驚き、拍手をしてくれ、「もう一つお茶が必要だわ! いや、お祝いのケーキの方が……」と言うことになるのか。
 そんなことは起こりそうにない──とキッパータックは冷静に思った。となると、やはりマーロンが心配したとおり、元恋人ムタさんと同様に叶は「結婚を考えないキッパータック」を捨てて、「別の人、別の人生」を選ぶために離れていくのか。
 それが嫌なら自分から申し込まなければ! しなければならない? 結婚とは、そういうものなんだろうか?(二人の問題なのに、度々浮かんでくるマーロンが憎い……)
 キッパータックは仁科まきえに電話をし、「相談したいことがあるのですが」とおずおずと申しでた。キッパータックにとって、第二番大庭の庭主・仁科まきえは、先輩大庭主、清掃業のお得意先というだけでなく、「穹沙市の母」と言っていい存在だった。まきえは「ちょうどよかった。私もあなたの声が聞きたいと思っていたのよ」と言った。「よかったら夕飯を食べにいらっしゃい」

 閉園直後のアトラクション庭園はすでに物音一つしない静けさで、星と夢の世界までの案内役であるような外灯がともりはじめていた。
 まきえは以前、「ここでは毎日毎日、ハーメルンの笛吹き男が子どもを連れ去っていくのよ」と表現したことがあった。回転するサーターアンダギー、イエティ・ロブスターの深海巡り、シルワ・ホッピング等々──有名クリエーターたちの手による楽園の乗り物も夕方には凍結された都市の遺物のように深い眠りに入る。裏門から車を入れ、中心に位置する邸宅までの道を辿りながら、子どもたちを奪われたのではなく、遊びにさんざっぱらつき合わされて疲れて休んでいる「彼ら」を想像するのも楽しいものだった。
「住み込みのハウスキーパーさんが正月からずっと日本に帰っているの」とまきえは教えた。「昨夜、怖い夢を見てね、心細くて。誰かと無性におしゃべりしたかったから、電話をもらってうれしかったわ」
 ダイニングテーブルに着いたキッパータックに、まきえは温かいココアを渡した。
「プロポーズって、いつ言うものなんでしょうか?」キッパータックは前置きを無視して訊いた。
「私に言うつもりならいつでもオーケーだけど」まきえは笑って向かいの席に腰をおろした。「キッパータックさんにも好い人がいらっしゃるのね?」
 キッパータックは叶のこと、ドルゴンズ庭園でのことを話して聞かせた。
「お互い信頼を深めていって、自然にそういう話になっていくのかと思っていたのですが。兄は早い方がいいと言うんです。以前交際していたムタさんみたいに去っていかれたらどうするのだと心配しているようです」
「叶さんが去っていくかどうかは、なんとも言えないわね」まきえは伏し目を見せた。「私は(まもる)さんからプロポーズされたとき、すごくうれしかったわ。唐突に、ではなく、長年のいい友人関係だったのよ? 穹沙市の東の端と西の端のお互いの庭園を行き来しながら夫婦でいることもできたかもしれないけれど、私は結局、応えられなかった」
 キッパータックははっとなった。以前にも聞いた話ではあったが、今は事情が違っている。地下庭園の元庭主・福田江(ふくだえ)護は最近、行方知れずになったという報道があったのだ。
「護さん、牛頭鬼(ミノタウロス)地区の自宅からいなくなっちゃったらしいのよ。遠い親戚とかいう人が連れて行ったって、それがもしかするとタムの変装で、誘拐され、どこかに閉じ込められているのかもしれないと思うと、心が押し潰されそうになる」
「…………」
「ごめんなさい」まきえはやさしく微笑んだ。「キッパータックさんの話だったわね」
「怖い夢を見たというのは、福田江さんのことですか?」とキッパータックは訊いた。
「そう。護さんが怖い男たちに囲まれて、震えていたわ。それなのに、次の瞬間には一緒にサーターアンダギーに乗って笑ってるの。おかしいわよね。彼がどこかで怯えているかもしれないのに。なんて夢なの! って思ったけど、夢というのは自分の心が反映されたものだから、もしかするとつらくなり過ぎないように楽しい場面で終わらせたかったのかも」
 まきえは立ち上がると、グレーのレースのワンピースの上にエプロンをつけた。「そろそろ夕飯の支度に取りかかるわ。……そうだ、叶さんもご招待できたらうれしいわ。作るのが一人分増えたってどうってことないし、どうせなら二人ともここに泊まっていくのはどう? ご迷惑でなければ。私も寂しさが紛れるし、みんなでお酒も飲めるし、楽しく過ごせそうじゃない?」
「叶さんに電話して誘ってみます」
「慌ててプロポーズしちゃだめよ」まきえはウィンクした。「仕事場まで押しかけてプロポーズした案内人さんの彼女も、実際はじっくり考えたに違いないわ。特別な相手にだけ言える特別な言葉よ。叶さんもそれはよくご存じだと思う」
 叶は終業後に来てくれることになった。まきえは腕を振るってごちそうをたくさん用意して、叶がテーブルに参加するとポートワインを鍋で温め蜂蜜を加え、ホットワインを三人分耐熱グラスに注いだ。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

ヒューゴ・カミヤマ・キッパータック。砂の滝がある第4大庭の管理人。好きな食べ物・魚の缶詰。好きな生き物・アダンソンハエトリ(蜘蛛)。清掃業も営んでいる。

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み