極上のスープ作りを手伝う(2)──石蜜とは

文字数 3,601文字

 枯れ草で覆われた丘に黒っぽい小さな(かたまり)が点在していた。塊の上部はナイフで切り取られたように平らで、中央にわずかな(くぼ)みがある。
 ピッポは四輪車を停めてリュックを(あさ)った。「石蜜(いしみつ)というものだよ。ほんとは石じゃなくて、石化した樹の切り株なんだけどね。窪みにあまーい蜜が溜まってるから、それを採る」キッパータックに蓋つきの(びん)とスプーンを渡す。「どれでもいいってわけじゃないよ。よーく見て、ゴミや虫が浮いてないもの、味見して、濃いのにすっきりしてる――ってのを選んで採ってほしい」
「量はどれくらい?」とキッパータックは質問した。
 ピッポは友が持っている壜に指を当てる。「半分くらいあればいいよ。僕も採るから。その前に、お楽しみの味見だ」
 すぐそばの(くいぜ)をいくつか覗いて、ピッポはスプーンですくった。それをキッパータックの手の甲に垂らし、残りを自分の開けた口の中に落とした。
 無色透明の液をまじまじ見てからキッパータックはなめてみた。「甘い。砂糖水みたいだけど、焦げたような香りがする」
「フフン、その香りに気づいたかい。この前来たお客さんは、中心にチョコレートが入った飴玉を思い出したって言ってたよ。僕は“大地の香り”と呼んでる。なんか、カブトムシになった気分だろ? とてもこんな炭みたいに黒く固まった切り株から染みだしたものとは思えない」
 キッパータックの脳には蜘蛛(くも)しか浮かばなかった。蜘蛛が帰ってきたら吸わせてあげたい。少し分けてもらえるだろうか。ピッポは腰をかがめて品定めに入っていた。キッパータックも丘を登って抵当に目星をつけた株を覗いて回る。
 味の違いはよくわからなかった。なので、きれいに澄んでいるものをすくって壜に流し込む。
 十分後、ピッポは二つの壜を満足そうにリュックにしまった。「あとで蜘蛛のおやつ分を渡してやるよ」と約束してくれた。
 電動四輪車のハンドルを握って、片足だけ乗せ、ピッポは遠くを指差した。「次はあの展望台の向こう。僕のプライベート・ケーヴがある」

 観光客のために設置したという展望台を通り過ぎて、大きな岩穴の前へ辿り着いた。「立ち入り禁止」の札。鉄柵で囲ってある。ピッポは柵の扉の南京錠(なんきんじょう)を開けた。
「小さな鍾乳洞(しょうにゅうどう)だよ。これこそ人に公開したらいいんじゃないかって思うかもしれない。ただ、中が結構もろいのと、凶暴な先住者がいるもんで、個人的空間としているんだ」
「なにが()んでるの?」ピッポの背中を追いながら、キッパータックは怖々暗い洞口(どうこう)を覗いた。
「なあに、心配いらないよ」
 洞口の横にあったスイッチをガチャリとおろし、洞窟内に明かりを灯す。次にピッポはリュックから小型のこぎりを取りだし、(さや)当てをはずした。「のこぎりは一本しかないから、二つめの材料は僕が採るね。君は漆黒の歳月の彷徨(ほうこう)へ向けて、幽遠なメロディーの鼻歌でも奏でてくれればいい。僕の作業がはかどるようにね」

 二人は奥へと進んでいった。中は結構窮屈で身を縮める必要がままあったが、ぶら下がった電球、鍾乳石の突起や段になった部分に置かれた様々な生活用品が、ここで過ごされる快適なひとときがあることを物語っていた。空っぽの菓子袋、亀裂の入ったバケツ(物入れになっている)、毛布、懐中電灯など。ピッポは悠久の時が創りだしたやわらかにうねった鉱物の肌を眺めまわし、天井へ向かって伸びている石筍(せきじゅん)の先を指でちょんと触ると、その根元をゴリゴリ切りはじめた。
「この石筍が、二つ目の材料だ」
「そんなものをスープの材料に?」キッパータックは驚く。
「深い深い味を出してくれるよ。鉄分もね」
 唐突に高いところではばたきの音が起こり、小石のような欠片がキッパータックに浴びせられた。
「わっ、コウモリだ!」キッパータックは発信元を(あお)いで岩壁に身を寄せた。
「ステレオタイプ」小さなおもちゃ箱から()れだしたようないたずらっぽい、わずかにひび割れた声が天井から降ってきて、着地した。それはカラスだった。
「洞窟イコールコウモリって、ステレオタイプだな」明らかにそのカラスが黒いくちばしから発していた。「ピッポの新しい友達か? 随分つまらなそうなやつ」
 キッパータックは息を飲んだ。「カラス……」
「不意の出来事に遭遇したとき、そいつの性格が表れるっていう。つまんねー。ぞっとするわ」
「レイノルド、キッパー君に軽口をたたくな。ちゃんと自己紹介しろよ」ピッポがのこぎりの手を止めて言った。
 新しい出会いを果たした一人と一羽は、しばらく黙って見つめ合っていた。カラスが先手を取った。
「おまえから名乗りやがれ。社交上、じゃましてるやつがへつらうのが礼儀だろ。おれのプライベートな時間が()かれてるわけだし」
「キッパータックです」キッパータックは鍾乳石に捕まったまま用心しながら名乗った。相手の態度から、くちばしで(つつ)かれそうな気がしたからである。「ヒューゴ・カミヤマ・キッパータック。天馬(ペガサス)地区で清掃業と大庭主を――」
「アアオオゥアー!」相手は大仰(おおぎょう)に叫んだ。「おまえ、大庭主かよ。観光局も地に落ちたな。で、なにが目玉なわけ? 貴様んとこの庭は」
「う……、砂の滝です。今のところ、それだけですが」
 レイノルドはぴょんと一歩近づいてきた。「貧乏神の住む藁葺(わらぶ)きの家とか、よく盗難に遭う北東の倉庫とか、髑髏(どくろ)の埋まった池とか、もう少しそういう気の利いたの考えろよ。砂の滝って、ただ流れ落ちてるだけだろ? 砂が重力に従ってるのを見てなにが楽しいわけ?」
 ピッポがリュックを背負って戻ってきた。「こいつ、レイノルド・カーテンレッドっていうんだ。生意気な、しゃべるカラス。この大庭(だいてい)に最初から住んでた。口が達者すぎるけど、よかったら仲良くしてやってほしい」
「ピッポの頼みでもおれは断るわ」レイノルドはぷいとそっぽを向いた。「おまえさんもちゃんと遠慮しろよ。コウモリと昵懇(じっこん)なやつなんか相手できねーよ。おれはいらねー」
「彼は蜘蛛と友達なんだ。すごい蜘蛛だぜ。あんな蜘蛛、誰も見たことないだろう」とピッポが教える。
「ふーん、意外に変わり者。たまたま言葉が通じたのが蜘蛛だったんだろうな」
「石筍も採れたことだし、外へ出ようか」ピッポが場を仕切り直すように言った。

 三番目の材料がある場所へ向けて、再び四輪車が地面を進む。レイノルドも二人の後を飛んでついてきた。
「変身する蜘蛛としゃべるカラス、どっちがめずらしいだろうね?」ピッポは楽しげにくすくす笑った。
「びっくりしたよ」キッパータックは後ろを振り返って言った。「最初からしゃべったの? ピッポ君が言葉を教えたわけじゃなくて?」
「どっかで習得したのかもね。木の葉をお金に変えて教室に通ったのかも。今度はマナー教室に通わせたいね。口の利き方がよくない」
 二人の会話を知ってか知らずか、レイノルドは急にスピードを上げて二人を追い越し、行く手に屹立(きつりつ)する喬木(きょうぼく)のそばまで飛んでいった。ピッポはそれを追いかけやがてゆっくりと旋回し、木からある程度距離を取って運転を止めた。
「あの木の上に三番目の材料がある」
 レイノルドも地面を跳ねながら二人の下へやってきた。ピッポはリュックから双眼鏡を取りだし、木の上を調べる。木は杉のようにまっすぐな幹で、暗い色の葉が先端にわずかに生えているだけ。ほとんど裸の木といった感じだった。
 ピッポはレイノルドに相槌(あいづち)を求めた。「いないみたいだよな。どうだ?」
「多分ね」カラスは首を二度ほど縦に振った。「静かだし、いないんじゃねーか?」
 ピッポの顔がキッパータックへ向く。「木の上に大鴉(おおがらす)の巣があってね――あ、レイノルドみたいにはしゃべらない普通のカラスだよ、サイズがビッグなだけで――彼らが巣に集めるオレンジの実があって、僕は『カラスどんぐり』って呼んでる。そいつが材料だ。ただ、大鴉たちがいる間はうかつには近づけない。いないのを確認してから()る」
 キッパータックは高みへと(あご)を持ちあげた。「双眼鏡で見える? レイノルドが飛んで見にいったらわかるんじゃないかな?」
「こいつ、なにぬかしやがる」レイノルドが鋭いくちばしを振り上げた。「大鴉がどれだけ野蛮な生き物か。この前ここへ来た観光客なんか、やつらに襲われて腕に七つも穴を開けられたんだぞ。……そいつは今では、一週間分の薬をその穴に入れてんだ」
「どこまで本当の話?」キッパータックは真面目に訊いた。
「チッ、」レイノルドは舌打ちした。「そんなに真実が知りたきゃ、おまえんちの米びつでも覗いてやがれ。それがおまえのリアルだからよ」
「彼はパン食らしいから、どうだろうね?」ピッポが教えた。「ともあれ、いつもなら木をゆすって落ちた物を拾ってるが、君がいるなら盗りに行ってもらうのがいいね。レイノルド――」
 馬の首につける(えさ)袋の小型版のようなものを取りだし、ピッポはレイノルドの首にかけた。「さ、頼んだよ」
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登場人物紹介

ヒューゴ・カミヤマ・キッパータック。砂の滝がある第4大庭の管理人。好きな食べ物・魚の缶詰。好きな生き物・アダンソンハエトリ(蜘蛛)。清掃業も営んでいる。

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