第14話 神酒の失踪(1)

文字数 4,098文字

 大庭(だいてい)研究ツアーの事件以来、〝庭荒らし〟タム・ゼブラスソーンに関する情報共有のために中央都へ何度も足を運んでいた二本松(にほんまつ)巡査長が、三日ぶりに穹沙(きゅうさ)署に戻ってきた。昼下がりの小会議室で、冷めたコーヒーの入ったカップを片手に、充血気味の目は壁にかかったテレビに注がれている。
 ドルゴンズ庭園にて十五年の間、執事として鞅掌(おうしょう)してきたザッカリー・ガタム氏が「七年前のドレス汚損事件の犯人が判明しました」とマスコミに告げているところだった。
 ガタム氏はおそらく五十代くらい。泥をかけられるのがドレスから自分に変わっても眉一つ動かさなさそうな、「不屈の巨人」といった風貌であった。のっぺりとした額の上にだけ見られる白髪(しらが)も、これ以上積もりもしなければ解けもしないという頑固な残雪のよう。

 犯人は従業員で、空から庭園に落ちてくる砂を美容目的で利用するため持ちだし、バケツに入れ水と交ぜたものを誤ってドレスに引っかけてしまった。ずっと黙っていたのは、この行為が悪意を持って行われたものと捉えられ騒ぎになり、ほかの従業員が犯人扱いされ身内で(いさか)いに発展し動転したこと、タムが「自分がやった」と言ってくれたので、タムのせいにしておこうと思ったことが理由で、ルカラシーの母親・セミル氏にはすでに告白して(ゆる)しを得ていることなどが、彼の口から澱みなく、積年の(ちり)(あくた)もここで一気に押し流してしまおうというような力強さで語られた。
 きっとその手際で数々の御家(おいえ)の騒動を片づけてきたのだろう、と二本松は苦虫を噛み潰す。今さらなんなんだ……と思うし、どこか白々しい空気を感じなくもなかった。しかし中央警察も、ドレス以外でトラブルを見つけられなかったようだ。

 結局、タムは犯人ではなかったということか。タムはどこかでドレス事件の話を入手し、犯人不明をいいことに売名のために利用したというところか。タムはタムで今ごろになってやはり「やっていない」と覆したくなったのだとしたら、そこにもなんらかの意図があるように思えるが……。
 執事に言わせるところもまったく気に入らない、と二本松は思う。従業員の不手際であり、ドルゴンズ家には落ち度はないのだ、と思わせたいのだろう。そりゃドルゴンズ庭園のここ最近の騒がれ方は目に余るものがある。それでもこの後マスコミがルカラシーやセミル氏へマイクを向けずに終わるとは思えないのに。

 ガタム氏は献身色に染まった両目で臆することなくカメラを見据えて、両肩もそのまままっすぐ空へと飛び立ってしまいそうなほどぴんと左右に張ったまま、二本松の前にいた。画面からまだ去っていなかった。マスコミはそう簡単には「それはよかった、これで解決ですね」とは言ってはくれないのだ。


 取材陣「その従業員は現在もドルゴンズ庭園を辞めていない?」

 ガタム氏「すみません、これ以上は……。使用人たちにそろそろ穏やかな日常を取り戻してほしいと思っています。今後はこの事件についてのご質問は控えていただけますでしょうか」

 取材陣「美容目的で砂を持ちだした──ということは、こっそり売るつもりだったとか? 犯人は女性?」

 ガタム氏「ですから、これ以上はなにもお答えできないと……」

 取材陣「内部の情報がどうやってタム・ゼブラスソーンに洩れたんでしょうね?」

 ガタム氏「それは私にはわかりかねます。もう……よろしいでしょうか?」

 取材陣「ちょっと待って。タムはルカラシーさん宛てにメッセージを残してたんでしょう? ドレス以外にもなにかあったのでは? ガタムさんはその辺、心当たりは?」

 ガタム氏「もうお答えできることはありません。かんべんしてください」

 取材陣「ルカラシーさんはなんて言ってます?」


 二本松は自分が取材に辟易(へきえき)している、というように疲れ目をぎゅっと閉じて視聴を終了させた。パイプ椅子を軋ませ、長テーブルの上にばらまいていた資料や写真に意識を戻す。脇にいつの間にか若手刑事が立っていた。彼もテレビから写真に視線を移したようだった。
 その八代(やしろ)という刑事が二本松の手元の写真を一枚抜き取る。「ドレスにうっかり砂を引っかけちゃった、か……それで七年もごたごたする名家って、すごいですよね。これ、従業員の写真?……こんな見窄(みすぼ)らしい男がドルゴンズ庭園で働いていたんですか?」
「庭園隠者だよ。見窄らしくて当然だ」二本松は八代が疑問を抱いた男の風貌を改めて見つめながら答える。髪が長く、痩せこけた、顔に深い皺が目立つ、中年の画家。ドレス事件のごたごたでドルゴンズ庭園を去っていった従業員が三名いると言われていて、画家はそのうちの一人だ。
「庭園に棲んで、質素な世捨て人のような役を演じなきゃならないわけだよ。決して楽な仕事じゃない。まあ、十八世紀に流行したらしい庭園隠者とは違って、彼の場合は単なる庭の世話人だったろうがね。貧しい絵描きだったのをルカラシーさんに気に入られ雇われたそうで。ドレス事件が起きたとき、腰を痛めて屋敷内で休んでいて、その部屋がドレスが飾ってあった場所に近かったこと、彼が絵を描くときに使っていたバケツがドレスのそばで発見されたこともあって犯人だと疑われ、それを苦にしてやめたということだ」
「さっきの、砂を美容目的で利用しようとしたってやつで? この人が美容なんて発想をしそうにありませんよね」ほぼ駄弁である感想を披露し、勝手に渋面を作る八代。「でもバケツを勝手に使われて、しかもドレスのそばで発見されたなんて……罪をなすりつけられたってことじゃないですか? 犯人なら証拠は隠すでしょう」
「まあ、その可能性はある。実際、彼の絵の才能や、ルカラシーさんに目をかけられていることに嫉妬していた連中もいたらしいからな」八代から画家の写真を取り返して、テーブルの資料と一緒に片づけにかかる二本松。
「こっちの若いのも犯人の容疑で?」八代はじゃまするように二人目の写真も拝借する。「使用人の制服を着てる……。しかし、こいつは横風(おうふう)な感じというか、ふてぶてしい顔をしていますね」
「見た目で決めつけるな……と言いたいところだが、まあ、そうだったらしいよ」二本松はついでに三人目の人物の写真も、八代が手を出す前に拾いあげて、彼に向けながら言う。「その若者はさっきの庭園隠者、画家の男のことを犯人じゃないか、と言いふらしたらしい。で、逆に使用人仲間から距離を置かれ、おもしろくなくなって屋敷を去った。それからこっちの女性は、セミルさんの衣装係の助手で、疑われた画家の男に同情して、屋敷内の不穏な空気を嘆いていたそうで、ふてぶてしい若者がやめた後、追うようにやめていったとか。若者と恋仲だったという噂もあったらしい」
「はあ、どっちなんですか?」八代は目を見開き、二本松から写真を奪って言った。「女は画家びいきなのか若者びいきなのか……複雑ですね。なかなかかわいい……愛嬌のある顔だ。しかし衣装係だったことを考えると、ドレスが(よご)されるなんて、ショックだったでしょう」
「犯人と疑われた人間、ショックを受けた人間……内々の出来事とはいえ、その内々にかなりの数の人間がいた」二本松はコーヒーを飲み干し、疲れた息を吐きだす。「だから、盗聴などせずともドレス事件の情報は外部の者も小耳に挟むことはできたかもしれん」
「酒場で憂さ晴らしに飲んで駄弁(だべ)っちゃった、とかですね」
 そのセリフは聞き捨てならない、という反応を見せる二本松。しかしどんな職業であれ、酔うこととしゃべることは免れない、と表情を戻す。「重要なのは、タムがルカラシーさんに求めた謝罪というのが、今回のようなことなのか、ということだ。ルカラシーさんは謝ってもいないしな。タムが犯人じゃないなら、七年前に屋敷に忍び込んだ事実はなかった、となる。しかしツアーの最中には犬と盗品は侵入させている──いまだ経路もわからずだ」
「うーむ。ドルゴンズ庭園、まだまだ叩けば埃が出てきそうな……。内通者が出てきてくれれば話が早いんだけど」


 そのドルゴンズ邸。マスコミ会見の発案者ザッカリー・ガタム氏が、疲労困憊の庭主(ていしゅ)ルカラシー・ドルゴンズに(いたわ)りの面を向けていた。そう、今回のことは真相でもなんでもない、ただタム・ゼブラスソーンがルカラシーに向けた謎の矛先と、世間とマスコミによるドルゴンズ庭園への異様な関心を躱すためのパフォーマンスにすぎなかった。
 犯人は適当に「従業員である」とでっち上げればいい、とガタム氏は提案した。多くの人間がドルゴンズ家に関わり、去っていった。その中に「不届きなことをした」人物がいたとしてもおかしくはない、と誰でも思う。たとえ架空であっても……。
「タムがこれで満足するかどうかわかりませんが」とガタム氏は細心の注意を払っているような音量で吐きだした。「少しは収まるかと。またタムがなにか言ってきたら、そのときに考えましょう。タムはたしかに、ドルゴンズ家に関わった誰かと繋がっているのかもしれません。大庭主制度や奢侈(しゃし)な庭園に対して『不好(ぶす)き』であるという意思表明でやっているのかもしれません。とにかく……」
 ルカラシーは木もベルベットもつやつやと光っている一人がけの椅子の中にいた。飾られている花、並べられたティー・セット、そして頼もしい執事。
「ザック、すまなかったね。こんな役目を負わせて」とルカラシーは言った。
「ルカラシー様、私はなにも……。どうか、あまり気を塞がれないようにしてください。悪が正しいというような世界を皆、受け入れはしないでしょう。そのうち平和を取り戻せます。タムは制裁を受けますよ。きっとです──」
 ガタムはそよ風のように動いて、部屋を去り際、年代物のレコードプレーヤーをかけていった。品のいいジャズピアノがこぼれはじめた。傷心に染み渡るような、安らい。それに心を許す前、ルカラシーは数秒間にわたって、優秀な執事の先の言葉を反芻(はんすう)していた。
 悪が正しいという世界は受け入れられはしない、悪は制裁を受ける、きっと──。

 ルカラシーは目頭を手で覆うと、音楽が流れる床に(こうべ)を垂れていった。
 
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登場人物紹介

ヒューゴ・カミヤマ・キッパータック。砂の滝がある第4大庭の管理人。好きな食べ物・魚の缶詰。好きな生き物・アダンソンハエトリ(蜘蛛)。清掃業も営んでいる。

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