カジノへ行ってみませんか?(5)──薬奪還作戦

文字数 4,215文字

 三人はビデオポーカーのマシンが並ぶところへやってきた。背中に鷲の刺繍が入った黒いジャンパーが見える。後ろ姿だったが、ホールで出会った松平(まつだいら)に似ていた。遠くで見守りながら作戦を練る。
「でも、さっきは赤い上着を着ていませんでした?」と(かない)。「着替えたのかしら」
「どうしたら薬を返してもらえるでしょうか」キッパータックは弱り果てた。「松平さん、自分の薬だと思っていますからね」
「人が持っている物を取り返すなんて、スリじゃなきゃできないわ」
「いやー、蜘蛛が薬に変身するなんて、信じられないですよ」那珂戸(なかと)も一緒に考えながらつぶやいた。
 叶が言った。「キッパータックさんのおっしゃるとおりだとしたら、元はキッパータックさんの懐に入っていたものが、松平さんの『薬がほしい』という思念に反応して表に出てきて姿を変えたってことですよね? ということは、またなんらかのものを『ほしがれば』蜘蛛はそれに変身すると」
「多分、そういうことになります」
「私がやってみるわ」叶はそう告げると、松平が座っているビデオポーカーの隣の台ヘ向かった。空いているので座る。キッパータックのお金でチップを入れたストックカードを読み取り口にセットする。
 松平がちらと視線をくれたのを確認すると、叶はわざとらしい演技をはじめた。
「やだ、これ、どうやるのかしら? 持ってるチップ全部飲み込まれそうで怖いわ」
「ううん?」と松平が返事する。「教えてやろーかぁ?」
「お願いします。私、初心者なんです。百枚くらい入れたいんですが」
「たった百枚かよ! ケチだなぁ。一瞬で終わっちまうぞ?」
 ゲームが開始すると、叶はすぐさま「ああっ、頭が痛ーい!」と(うめ)きはじめた。「頭が割れそうに痛いわ! 持病の偏頭痛が急に。薬、薬がほしい!」
 すると松平がポケットから財布を取りだした。「薬なら持ってる。頭痛薬もあるよ。どれがいい?」
 両手で頭を押さえながら、横目をちらりと投げる。松平が手で広げていた財布の細かく分かれたポケットには薬がびっしり詰まっていた。
「どうしてそんなに薬をいっぱい持っているんです?」
 松平はハハハと笑った。「おれさ、こう見えて、結構繊細な質でね。昔、証券会社に勤めていたときにストレスで神経やられちゃって。まあ、仕事はビルの清掃だったんだけど。それで薬漬けよ。それからしばらくして漢方薬を売ってる店の娘とも恋仲になっちゃって、なんだかんだで薬三昧。でもおれの病気を本当に治してくれたのはカジノなんだ。カジノのおかげでストレス解消できて、今ではこんなに元気になっちまった。とはいえ、世話になった薬のことを忘れるわけにはいかないというのが人情というか」
「随分と依存傾向みたいですけど、大丈夫なんですか? ところで、鼻炎のお薬はお持ちですか?」
「鼻炎もあるよ」松平は今度は別のポケットから、薬のブリスター・パックを取りだした。「これはね、おれの主治医がおれに合わせて処方してくれたものだから、お嬢さんにはあげらんないよ。こっちの財布の中のやつは、市販の薬だから、どれも効き目は穏やかでおすすめだよ。依存が怖いなら強くない方がいいだろ? 添加物もいっぱい入ってるし、今じゃ売られていない古い薬ばっかだ」

 叶は諦めてキッパータックのところに戻ってきた。「だめです。薬は松平さんのズボンの右ポケットに入ってます。頭の中で念じてはみたのですが──本当に頭痛薬がほしいわけじゃないですからね──なかなか難しかったです。蜘蛛は出てきてはくれませんでした」
「今度は私にやらせてください」と那珂戸が申しでた。「本当にほしいものを念じればいいんでしょ?」
「船はだめですよ」と叶が心配して注意した。
 那珂戸も松平の隣へ向かう。叶から借りたストックカードをマシンにセットして、ゲームをやる振りをする。
「ああ、なんか小腹が空いたなぁ……」
 松平はその独り言に反応せず、自分のマシンを見つめている。
「熱々のラーメンが食べたくなってきた。東アジアにもラーメン、あるんだろうか」
「あんた観光客?」と松平が訊いてきた。
「ええ、そうなんですよ」那珂戸は蜘蛛が出てこないかと、ちらちらと松平の方へ視線を送る。
「こっちにもラーメンぐらいあるよ。日本人の店がやっぱり有名だね」
「そうなんだ! いやー、ますます食べたくなってきた。豚骨ラーメンもいいけど、塩ラーメンも捨てがたいですよねぇ」
「こらっ!」松平が突然怒って立ちあがった。「ラーメンラーメン言うなよ、おれまで食いたくなってくるだろーが! 今炭水化物は控えてるんだぞ」
「ああっ、す、すみません」那珂戸は予想外のことにびっくりし、松平がストックカードを取って席を変えようとしたので慌てて止めた。「ちょっと待って、行かないで、ここにいてください」
「はぁ?」松平は目を泳がせた。「あ、あんた、おれに……惚れたのか?」
 松平は逃げるようにしてどこかへ去っていった。那珂戸がキッパータックと叶の下へ戻ってくる。
「すみません、やっちゃった。松平さん、逃げていっちゃいました」
「なんか怒ってましたけど、なにを言ったんですか?」と叶が訊く。
「いや、ただラーメンが食べたいって言っただけなんですけど」
「それだけで人を怒らせるなんて、すごいですね」

 三人は完全に策が尽きて、頭を抱えていた。するとそこへ、勝負を切りあげたはずのユイザ・スワンが近づいてきた。
「あなた、さっき喫煙ルームに来てた人でしょ?」ユイザが尋ねてきた。
「わぁ! 日本語しゃべってる」と那珂戸が喫驚した。「日本語しゃべれる方でしたら、話しかけたらよかった! 私、あなたのファンなんですよ。オンラインカジノであなたに投資して、随分儲けさせていただきました」
「それは、どうも」ユイザは軽く微笑んだ。そしてビデオポーカーの奥の方へとまなざしを送る。「あなたたち、松平さんと話してたみたいだけど、なにかトラブルでも?」
 三人は話していいものかと顔を見合わせる。キッパータックが口を切った。「実は、僕の〈薬〉を彼が持っていってしまったんです。松平さんが愛用している薬にそっくりだったみたいで。でも間違いなく僕の薬だと思います。彼は、家に忘れてきた、と言っていましたから。とても大事な薬なので、ないと困るんです」
「……それって、やばい薬じゃないでしょうね?」ユイザが帽子の鍔を指で押しあげながら顔をしかめて言った。
「ただの鼻炎の薬です」
「ならオーケー」ユイザはピンと人差し指を立てて言った。「私が取り返してあげましょう。あの人、悪い人じゃないんだけど、トラブルメーカーなんだよね。いつもホールで見てるだけのお兄さんの方はいいんだけど、あの弟さんは本当、風変わりよ。変な話ばかりするしさ」
「え? ホールにいた人とは別人なんですか?」とキッパータックが驚く。
「そうよ、あの人たち、双子なの。ホールとフロアに分かれてはいるけれど、両方ともどうしようもないカジノ狂い」
 ユイザはそう言うと、身を翻す。そして歩いていこうとしたところでカジノ案内人のボゥビーンに出くわして、指でちょいちょいと招いて声をかける。
「ボゥビーン、いいところへ来たわ。ちょっと協力してくれない? こちらの方たちが松平さんに困ってるのよ」
 ボゥビーンは三人を見てにやっとする。「おやおや、カジノ初デートカップルと愛妻家さんじゃないですか」
「一緒に来て」ユイザはボゥビーンの腕を取って、ルーレットのコーナーへと歩いていった。
 三人も距離を置いてついていく。ルーレットのコーナーもなかなかの盛況ぶりだった。ディーラーになにか話しかけようと身を乗りだしている松平。彼の肩を指でつんつんするユイザ。
 ユイザの顔を見て、にっこり微笑んだ松平だったが、松平より頭二つ分は身長が上回るボゥビーンが彼の脇に腕を入れ、ルーレットから引き離す。暴れる間もなくボゥビーンに押さえつけられ、ユイザがズボンのポケットから薬を引き抜いた。
「な、なにすんだ!」松平は苦しげに言った。
「あなたこそなによ」とユイザ。「これ、私の薬よ」
「はあ? 冗談だろ?」
「冗談はあなたからしか聞いたことがないわよ。どこで

か言ってごらんなさい。言わなきゃ、カジノに出入りできないようにしてやるわよ? あ、前にもそうなったことがあったんだっけ?」
「うっ」松平は急に顔色を変えた。「うう……聞いてくれ。盗んだわけじゃないんだ。スロットの台の上に置いてあって、おれの薬にそっくりだったから、もらっただけなんだよ」
「あなたにしてはすばらしい回答じゃない。勝負の神様は正直者にしか微笑まないらしいわよ、憶えておいてね」
 ユイザは松平にウィンクし、ボゥビーンは自分たちを見ている客たちに軽く手を挙げる。二人ともディーラーに目顔(めがお)で挨拶すると松平から離れた。カジノの従業員がやってきて、どうしたんだ? と訊いてきたが、ユイザは「なんでもないの。もう解決済みよ」と言って、ルーレット・コーナーを後にした。

 
 二人が戻ってくると、那珂戸が拍手で迎えた。
「いやー、鮮やかでした」
 ユイザはキッパータックに薬を渡そうとしたものの、動きを止めて、ふと薬を指で押しはじめる。「この薬のパッケージ、なんか変ね。ぶよぶよしてるわ。妙に分厚いし」
「なんでもないんです」キッパータックは慌ててユイザの手から薬を引き抜いた。「ありがとうございました。なんて御礼を言ったらいいか」
「別にいいのよ」ユイザは後ろにいるボゥビーンに視線を渡す。「あなた方、多分ここのカジノに慣れていないんでしょう? せっかく来たんだし、ここから先はトラブルなしで楽しむといいわ。私は今日はついてないみたいだから、もう引きあげるわね」
 そのままユイザはボゥビーンの手にタッチすると、フロアのゲートに向かって歩いていった。
「かっこいいわー」とつぶやいて、(ほう)けたように見送っている那珂戸にボゥビーンがストックカードを返却する。
「ごめん、那珂戸。君のチップを少し減らしちゃったよ。僕もついてないみたいだ」
「いえ、いいんです」カードを受け取って枚数をチェックする那珂戸。「まだ遊びたいからキャッシャーへ行ってきます」
「私たちはホールに戻りますから。美鶏(みどり)さんがずっと待ってるかもしれないし」と叶は言って、歩きだす。
「まだいるのかな。もう帰ってるんじゃないです?」那珂戸も一緒についてきた。

 
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

ヒューゴ・カミヤマ・キッパータック。砂の滝がある第4大庭の管理人。好きな食べ物・魚の缶詰。好きな生き物・アダンソンハエトリ(蜘蛛)。清掃業も営んでいる。

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み