極上のスープ作りを手伝う(3)──チキンの皮と岩メロン

文字数 3,703文字

「もしやつらが隠れてておれが襲われたら、銃で反撃してくれるんだろうな?」
「銃なんて、どこにある?」ピッポは両手を広げた。「こののどかな我が庭に」
 レイノルドはキッパータックにくちばしを向けた。「この()抜けを大砲で打ち上げろ。ぶつけて相殺(そうさい)するんだ」
「どこの教室で日本語を習った」ピッポはやれやれと首を振った。
 レイノルドはぱたぱたと小さな脚を動かして体の向きを変えると、地面を蹴った。黒い羽を広げ、ぐんぐんのぼっていき、木のてっぺんの周りをくるくる飛び回った。安全を確信したのか、それから葉が生えているところへ一気に突っ込んでいき、姿が見えなくなった。
 ピッポは双眼鏡を目に当て、木を見、周囲も忘れず確認した。いつ大鴉(おおがらす)が戻ってくるかわからないからだ。
「キッパー君。僕がこうやってしっかり見張ってるから、君は木の根元へ行って実が落ちてないか見てきてくれないか? もしかしたら無傷のやつがいくつか見つかるかも。レイノルドもいくつ持ってきてくれるかわからないからね。大鴉のやつがいつもどおりコレクションしてくれてたら、袋一杯にはなるはずなんだけど」
 キッパータックは木に走っていった。根は土から()きだしている部分が多かったが、下生えがほとんどなかったので探すのに苦労はしなかった。オレンジ色を一つ拾いあげ、ぱっくり割れているのを見て地面に捨てると、もう一つ別のものをつまみあげた。楕円形(だえんけい)で淡い緑色のヘタがついている。どんぐりというより鳥が好みそうな小さな果実だった。
「これだけしかなかった」ピッポの下へ戻った。「これって、大鴉は食べるために巣に貯めてるんだよね?」
「いや」ピッポは双眼鏡を外す。「僕が知る限りカラスはこれを口にしない。なにがお気に()しているのか知らないけど、どこからか集めてきては巣に貯めるんだ。だから僕も、これがなんの木の実で、それがどこに生えているのかも知っていないんだ。まさに大鴉のみぞ知る、彼ら様様な食材なんだよね。ここでは僕もタム・ゼブラスソーンのごとく盗人(ぬすっと)さ。でもスープの為……それにここは僕の管理する大庭(だいてい)だし、許してもらうしかない」
 レイノルドが丸く張った袋を下げて戻ってきた。首尾(しゅび)は上々なようだ。
「大鴉さんはご健勝であられたかな?」着地したレイノルドにピッポが訊いた。
「佐藤家と鈴木家は相変わらずだったな」レイノルドは一仕事終えたという息と共に語を吐きだした。「田中家はなんかあったな。羽が抜け落ちてやがった。実も全然貯めてねーし。スランプかな」
 袋の中を覗いて、キッパータックが拾った物も含めて口を縛るピッポ。「よしよし、ここまで順調。助かったよ、レイノルド」
「礼はもらうぜ。コロッケの皮! チキンの皮! シャケの皮!」声と一緒に翼も上下に踊らせる。
「美食家過ぎて困るね」ピッポは肩をすくめた。「三つは無理だね。贅沢(ぜいたく)は体に悪い影響を与えるし。今回は、じゃあ、チキンの皮で頼むよ」
「うぅーい、やったぜー! 久々だよ、チキンの皮!」レイノルドは跳ねて喜んだ。
 ピッポは腕時計を見た。「さ、次の材料も行くぞ。あと二つだ」

 辿り着いたのは、岩山の(ふもと)に広がる岩だらけの河原だった。角が取れ、丸みを帯びた岩の欠片がか細く流れる川を圧迫するように積み重なっていた。平らな土の地面が途切れるところに四輪車を停め、歩いて河原に近づく。
 ピッポは四番目の材料について、「岩メロンの皮を()がして『(つる)せんべい』を作る」という独特の表現で紹介した。サッカーボールを少し膨張させたくらいの大きさの岩を、たしかに枯れた植物の蔓が覆っている――『岩メロン』。その蔓を剝がし、手で丸めて潰し、持ってきていた小型の壜の中身である塩水を染み込ませる。続いてそれをガーゼに挟むと、とりあえず近くの岩の上に置いた。
 それから、河原から少し離れた土の地面の上の、大きな石の円柱が横になって転がっているところへ行った。直径は幼児の背丈くらいある。円柱の側面にはなにやら矩形(くけい)で構成された文字に似たものが刻まれている。
「こいつはもしかすると歴史的建造物の成れの果て――貴重な品かもしれないが、観光局の職員さんが調べてもわからなかったらしく、結局誰か、ここを訪れた芸術家が図柄を刻んだだけなんじゃないかってことになってる。まだ世上(せじょう)にさらされていない古代文字だってあるかもしれないのにねえ」ピッポは円柱の図柄の溝に包帯の指を当てた。「で、今からこいつをえいやこら、と押さなきゃならない。……漬け物石代わりにしているからね」
 レイノルドはというと、積み上がった岩の上に止まって無関心に反対方向を見ていた。キッパータックとピッポは横に並んで円柱の腹に手を当てる。「よし、動かすぞ」
 腕押しすると――かなりの重さだったが――円柱はごろっと数十センチメートル移動した。ピッポは「ふぅー」と息をついた。「いつもはこれ、僕一人でやってるからね」
 足下に円柱に踏まれていたガーゼが現れた。ピッポがしゃがんで取りあげる。ぴったりくっついているのをなんとか剝がし、広げると、先ほど作ったものと同じ蔓の塊が、見事に薄い、パンケーキ色をしたせんべいになっていた。
「こうやって石で潰すことによって味が凝縮するんだ」
 キッパータックが先ほどのガーゼを取りにいって、先ほどのものがあった地面の同じ場所に置いた。そしてまた円柱を押し転がし、ガーゼを踏ませる。
「よし、これでいい。また数日後にはおいしい蔓せんべいができあがるだろう」
 二人はちょっとした労働をしたので一休みして水筒のお茶を飲んだ。心地よい冷気を含んだ風が川上から吹いてくる。
「さてさて、最後の、五番目の材料はここの近くだよ。助かるよね。このまま歩いて行こう」
 最後の材料の名前をピッポは「風の郵便」と言った。郵便? 食材らしくない。

 河原には、ごつごつとした岩を選ばなくても向こうへ渡っていけるように数か所、橋代わりの板が渡してあった。それを伝って林を抜け、ある空間に出た。盆地のような場所だった。やってきた背後だけ林、あとはぐるりと崖が囲んでいる。ピッポが、地面に適当な距離を取って置かれている鉄製の箱を指した。
「あれが郵便受けってわけ。全部で五つある。中にきっと『かたらぎ』っていう木の葉っぱが入ってると思う。それを回収すれば終わりさ」
 二人はそれぞれ別の箱へ向かって歩き、手に取った。レイノルドもぴょんぴょん跳ねてついてきた。キッパータックが拾ったのはステンレス製の箱で、前面上部が手紙を差し込めるよう開口していて、本物の郵便受けに見えた。口蓋(くちぶた)を開くと、中に二枚、黄色い(まる)い葉が入っていた。
 葉を回収したら郵便受けは元の場所に戻していたので、キッパータックもそうした。全部の箱を開け終わって、二人は盆地の中央で落ち合った。
 ピッポは両手に掴んだ葉を眺めた。「嵐があったからかな、結構な量が回収できたね。一つの箱には

(まぎ)れ込んでたけど――コオロギみたいなやつだよ――別に、巣にしてるわけでもないようだったし、(ふん)もしてなかったし」
「あの、」キッパータックはピッポに葉を渡してから言った。「この葉っぱ、風で飛んできてあの箱に入ったってことだよね?」
「そうだよ。だから『風の郵便』ってわけ」
「葉を集めたいなら、もっと大きなザルとか、そういうものを置いた方がいっぱい集められると思うんだけど」
「チッチッ、」ピッポはこれまでの作業で少し汚れて黒ずんだ人さし指を振った。「ザルなんかで受けちゃったら、雨に濡れるし、ゴミの付着も(まぬが)れないじゃないか。かたらぎの木はね、あの崖の向こうにあるんだ。とてもよじ登って採りにいくことはできない。だから、地球の偉大な語り()である風侍(かぜざむらい)様に、刀でバシッと切ってもらって、ここまで配達してもらわなきゃならないんだ。たしかに石蜜(いしみつ)石筍(せきじゅん)、蔓せんべいはほとんどの場合確実に手に入るが、こいつと(軸を摘まんでくるっと葉を回す)カラスどんぐりは他者の力によるところが大きい。もしかすると空振りになる。でもね、僕はそういう――芸術界におけるインスピレーション、偶成(ぐうせい)みたいな、奇蹟的ロマンも材料のうちと思って楽しんでるんだよ。郵便受けだってもっとあちこちに置けば木の葉が入る確率も増やせるだろう。でも風が、風侍が、僕の知らない真夜中や誰もいない世界で独り働いて、そっと木の葉を郵便受けに届けてくれる、このメルヘンがよかないか? もしなければないで木の葉抜きのスープを作ればいい。このスローライフ。このアルカディア。この文学的空想世界。僕のスープを口に運んでくれる人々にそんなロマンを、スープの外にもある味わいをも含めて、手渡せるようにしたいんだ。素人芸術家シェフとしてはね」
「ったく、」レイノルドが(あき)れた。「もう五つ(そろ)えたんだろ? 帰れるってのになに長話してんだよ。ピッポのキザ野郎。ロマンだの芸術だの、御託宣(ごたくせん)はもう聞き飽きた」
「僕は鳴らない楽器じゃないからね」ピッポはレイノルドにタクト代わりの指を振った。「心に楽譜が浮かんでいるのに歌わないでいることはできないんだよ、()しからず」
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登場人物紹介

ヒューゴ・カミヤマ・キッパータック。砂の滝がある第4大庭の管理人。好きな食べ物・魚の缶詰。好きな生き物・アダンソンハエトリ(蜘蛛)。清掃業も営んでいる。

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