蜘蛛を数える(2)──馴鹿布、動く

文字数 4,581文字

 タム・ゼブラスソーンとその一味は、いたずら好きの子どもの暴走のような所業しか行っていないように見えて、実際入念な下調べをしている。防犯カメラの位置と数を把握し、庭主(ていしゅ)さえ普段忘れているような出入口のことも知っていた。やつらを甘く見ると危険だ。
 探偵改め大庭主(だいていしゅ)になっている彼はある意味大庭主に関する情報を入手しやすい。大庭主組合の組合員でもある。同じ手段で、いろいろ見聞きしたものをあのような不届きな小悪党に横流ししている者がいるとしたら、彼らの仲間に加わっているとしたら、許し難い。
 二本松は「大庭主がタムの情報屋」という話には興味を引かれているようだった。
「もう探偵ではないのだが、今まで世話になった社会への恩返しと思って、まだ無傷の大庭を守るためにも、動いてみようと思う」と老大庭主は言った。「何人か、気になる庭主がいる」
 馴鹿布(なれかっぷ)の独自の調査がはじまった。


 馴鹿布がピッポ・ガルフォネオージに目をつけたのは、なんと言っても顔に包帯を巻いているからである。一方のタムは人前に堂々と素顔を(さら)している。そのことから、普段の生活の方で変装している可能性がある、と噂されていた。
 「素顔を隠した謎の大庭主」。ピッポはタムともタムの仲間とも体つきが違っていたが、「もし包帯をはずした状態であちこちの大庭に現れたとしたら、一言もしゃべらなかったら、それが誰かはわからないだろう」と馴鹿布は言うのだった。
 しかし直接会ったことのある二本松は唇をひねった。
「彼はタムの仲間じゃないと思いますね」
「あんな怪しい風貌をしているのに、なぜそう思う?」馴鹿布は訊いた。

 二人はたびたび犯罪記念館のカフェで落ち合い意見を交換するようになる。東アジア警察・穹沙(きゅうさ)署にほど近い場所にあるために、ここを利用する警察官は多い。なので、怪しまれる心配もない。どれほどの数の市民がここに犯罪の歴史を観にやってきているものなのか。興味本位なのかなんなのか。不安を抱えた老人か、社会を知りたい若者か。それを確認できるこの場所は警察官として意味があるように思えた。
 二本松は耳を掻きながら答える。「ガルフォネオージ氏はタムに強い拒絶反応を表していました。私は彼に何度も会っていますし、話もしています。タムをずっと野放しにしている警察に対してもかなり、怒りをあらわにしていた」
 馴鹿布は探偵だった性格上、反対意見をもらうほど燃えるところがあった。人が目をつけないところを観なければならないし、人が(ふた)をしたいものさえも暴かなければならない。爽快な職業人生ではなかったが、感謝の言葉をもらえないところでの意義があると感じていた。人は本当に必要で大切なものすべてに関心を向け、言葉を吐くわけではない。心臓が動いていることに、呼吸をしていることに──。自分がそれらと並べられる存在であるわけがないが、この地球上では微細なものでさえ忘れられたままかけがえのない働きをしているものである。
「それ自体がフェイクという可能性は?」馴鹿布は平然と言い、目の前のコーヒーカップに手を移した。「タムに関係なくとも、顔を隠しているような人物は調べるべきだと思うけどな」
 二本松は頭を振った。「善良な市民ですからね、彼。大庭の管理は──あなたも同業だからご存じでしょう──厳しい人格審査に通った人間がやることになってる。そして一般人より一般に存在が知られやすく、目立ちやすい」
 二本松とは真逆な小さな目をしば叩かせる馴鹿布。「大庭主の個人情報は観光局に保管されている。私も写真を撮られたよなあ。……ということは、観光局は彼の素顔の写真を保管している可能性があるな」
「私は観光局にはつてはないですよ」二本松は笑った。 
「まあ、それは自分で調べるよ」
 物言い、動作一つ一つが(おそ)れを抱くにふさわしいくらいに堂に()っている。二本松は半ば感心して馴鹿布から見せつけられる貫禄に面を固定させていた。それでもこちらは現役の刑事。生きた犯罪記念館を一般人よろしく鑑賞している場合ではない。「……ガルフォネオージ氏のことはわかりました。しかし、ヒューゴ・カミヤマ・キッパータック氏をあなたが疑っているのはなぜです? 彼が驚異の芸を持つ蜘蛛(くも)を飼っているからですか?」
 馴鹿布はカップに落としていた視線をあげた。「彼を怪しんでいる理由は、清掃業者としていくつかの大庭に出入りしているからだ。大庭主は同じ大庭主に気を許し、彼になんでも話してしまう可能性がある。それからタムに二度襲われたというのも怪しい。あえて被害に遭ったと思わせることで疑いの目を反らそうとしているのかもしれない」
「なるほど……」
「実際、なにも盗まれてはおらんのだろ?」
「安物の壺と魚の缶詰以外は」二本松はつまらなそうな音色を吐いた。「一度目の盗難は彼の狂言というのもたしかに考えられなくはないですね。でも、二度目はティー・レモン氏の空中庭園からジャンプ紐で落とされているんですよ? あんなこと、フェイクでわざわざやりますかね?」
「まあ、とにかく調べてみることにしよう。なにか考えだしたら、すべての大庭主を疑わなければならなくなるかもだが。この私も怪しいって話になるかもしれないし」
 二人は軽く笑った。その笑いにさえも余裕と経験の違いが色となって表れているようだった。なんとしてもタムのしっぽを掴みたい。その思いだけ、二本松は老探偵に負けてはいられなかった。期待してみることにした。警察としては情けない話だが、彼の方が動きやすい種類の話になっているのである。


 ピッポ・ガルフォネオージの素顔を訪ねて、馴鹿布はまず観光局へ向かった。第五番大庭の担当者は久寿田(くすだ)という女。同じく担当している第七番大庭に行っているというので、戻るまでロビーで待たせてもらった。
 セージ色の作業ジャケットを着た数名が自動ドアを割って入ってくる。そのうち女はたった一人。頭髪はショートで、右側面の一部分だけ銀色の直線が光っている。それは老いを表すものでは到底ないというように、日焼けした健康そうな笑顔が左右に動いてあちこちにいる誰かに手早い応対をしながら近づいてくる。
 馴鹿布は時間を節約するフットワークで(たもと)へ滑り込む。「こんにちは、久寿田さん。お電話しました馴鹿布です」
「ナレカップ──さん?」久寿田は目を見開いた。「変わったご名字ですよねえ。日本の、北海道の方かしら?」
「先祖はそうかもしれませんねぇ」軽い笑みを浮かべておく。「お話しできますでしょうか?」
「あなたはたしか第八番大庭の庭主さんでしょ? 担当の笹見(ささみ)ではなにかご対応できないことでしょうか?」
「いえ、あなたが担当なさっている第五番大庭のことで」
「あら、ピッポさんの庭園。……どういった?」

 面談ルームに移った。相手に時間を取らせて悪い印象を与えると今後長きにわたって不利になる。馴鹿布は間をおかずに切りだす。
「私は庭主になって年数が浅いでしょう。大庭主制度にそれほどくわしくないところがありましてね。こんな年寄りではありますがね。それでも、大庭主という職業に誇りを持っています。我々はある意味、国民から選ばれた人間です。いえ、私が自分でこんな不遜(ふそん)なこと、言っているわけではないんですよ。私の友人が大庭巡りが趣味で、この前ガルフォネオージさんのお庭へ行ったそうなんです。そしたら、包帯を巻いた人間が出てきたって、驚いていましてねえ。ちょっと、普通じゃ言えないようなこともはっきり口にする友人でしてね。もしかすると、ガルフォネオージさんにも失礼なことを言ったかもしれません。……とにかく、彼が言うには、大庭主は国選ホストとして海外の方にも穹沙市の魅力をアピールする存在なのだから、あのように包帯で素顔を隠してお客さんに接するなど、失礼じゃないかと、そう言うのですよ」
「まあ」久寿田は少し体を反らせて驚きを表した。
「ええ、私もですね、友人に、なにかご事情があってのことだろうから、と言ったのですが、やはり友人は『気に食わない』と。もしかすると、彼は指名手配犯とかで、素性(すじょう)を隠しているのではないか、とまで言うのです」
「ピッポさんが犯罪者だなんて」久寿田の声はますます大きくなり、ほとんど笑いだしそうに表情が崩れた。「彼はとってもピュアですよ。話せば誰だってそう思うはずです。鬼も微笑む好青年って感じ。お手製の絶品『荒野製』スープでボランティア活動もされてるの、馴鹿布さんもご存じでは? ご友人様はお話はなさったのかしら?」
 馴鹿布は、はは、と笑う。「ろくに話さず怒って帰ってきたみたいですね。彼は若者に厳しいところがありますので」
「で、私にどうしろと?」
「こんなこと訊くのもなんなんですが、あれほどの好青年がなぜあのような奇抜な風貌をしているのかと、個人的に気になってしまって」
「そうですねえ、それこそ個人的なことになりますからね。私がお話しできることではないかと。彼、『自分は透明人間である』──この一点張りですね。本人がそうおっしゃるならば、それ以上追及する話ではないと思っていますし」
「観光客から苦情とかは? 友人と同じ疑念を抱く方もいるかと思いますが」
「彼、明るい性質ですからねえ。お客様もむしろおもしろがっているように思います。なによりまず大庭主であることが犯罪者の可能性を否定しますよね。あれは個性の一つだと、皆そう(とら)えておられるようです」
「なるほど、」頷く馴鹿布。「でも、大庭主の登録をするとき、審査がありますでしょう。写真も撮りますよね?」
「ええ、撮りますね」
「そのときは彼、素顔だったはずですよね?」
 久寿田のすべての動きが一瞬やんだ。「いえ、たしか、お会いしたときからあの格好をされていました。なんでも、十代のころからすでに包帯姿だったとか」
「はっ?」
 二人はしばし見つめ合った。
 馴鹿布。「では、包帯で顔を隠しているような男を大庭主に?」
「前庭主の推薦状もありました。審査に通ったのです。問題ないかと……」


 馴鹿布は観光局から出ると、公園に停まっていたミルクスタンドの車に寄って、ほかほかのミルクスープを注文した。店主が金おろしを手にチーズを削り落とそうとするのを断り、紙製カップをそろそろ運んで腰をおろせそうな場所まで移動する。
 もう冬に手が届きかけている秋だった。肌を刺すような冷たさはないものの、地面に落ちている陽だまりと交ぜ合わせればちょうどいいかもな、と思うような風を感じた。代わりにからっぽの胃にスープを送る。飲み下しながら真っ青な空を見上げた。
 (人間は一度全面的に信頼されると盤石らしいな……)そういう(いわお)に取り囲まれていた人間の信頼を崩してきたのも馴鹿布だった。職業として、やらざるを得なかったわけだが。
 この私が、大庭主の平和のために、大庭主の秘密のヴェールを()ぐというのか──。森林色の帽子をかぶって、ぽかぽかする日差しの下で余生を過ごすと決めた。馴鹿布の心はずきずき痛んで、カップの中の乳白色にしがない(なご)みを求めた。鳩が飛び立つ音がして顔をあげると、若いカップルと携帯端末を握りしめたビジネスマンが足早に去っていく。
(誰かが用意してくれる平和に甘えている場合じゃないな……)空のカップを潰すと、馴鹿布は立ちあがった。
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登場人物紹介

ヒューゴ・カミヤマ・キッパータック。砂の滝がある第4大庭の管理人。好きな食べ物・魚の缶詰。好きな生き物・アダンソンハエトリ(蜘蛛)。清掃業も営んでいる。

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