タムの結婚(4)──一番仲のいい人

文字数 3,608文字

 歳末が鼻の先に迫る時期となると、日本人は家中ひっくり返して大掃除をはじめる。この時期いつまで仕事をし何日休むかは、東アジア国のように様々な国の文化が入り交じっている地域では皆それぞれ「自国の暦」に従うことになる。キッパータックの家では、両親の出身国が違うことから勤め先にいる人たちのしきたりや、そのとき住み着いた町の風土に合わせていた。彼自身それほどこだわりを持ったことがなく、「自営業」だったので顧客に合わせる形にしていた。十二月は年末大掃除を前倒しする日本人客からの依頼や相談が殺到し、クリスマス休暇前後に一旦途切れるのでそこで二、三日休暇を取る。自分が管理する日本風庭園では冬期にイベントは行わないので、ほかの大庭主(だいていしゅ)の手伝いとして駆りだされる以外は年末まで普通に働き、三十一日と一月一日のみ休む。

 その大晦日の夜のキッパータック邸。来客スペース兼居間となっている部屋のテーブルに彼なりのごちそうを広げて、もくもくと口を動かしていた。ポテトサラダを作り食パンに挟んでサンドウィッチとした。そんな簡単な料理でも追い風となり、いつも決まって魚の缶詰がメインという無芸から脱却できないかと、日本のレストランで出されるような〝ハンバーグ〟に挑戦してみる気になった。ワイン代わりのぶどうジュースを飲みながらキッパータックは、皿の上に並んだ肉の塊たちを眺めやった。不格好な楕円形が全部で八つ。スーパーマーケットで手に入れたミンチ肉は、平らなトレイに入っていたときはそれがいくつのハンバーグに化けるのかわかりかねるものだった。二パック購入し、ボウルにあけたときは頼りないものだったはずなのに、刻んだ野菜やつなぎやらが思わぬ増援隊となったようで、食べ切れない量に膨れあがった。それなら冷凍保存すればいい、などという知恵はキッパータックには湧かなかった。(かない)を招待すればよかったのかもしれないが、年末年始は極めてプライベートな領域である。まだそこに入り込むことに抵抗があった。
 
 地獄番(ケルベロス)地区の山で一緒にアピアン探しをやって以降、(かない)とは随分仲良くなった、とキッパータックは思っていた。クリスマス休暇中にも一緒にショッピングをした。キッパータックのような交際下手でも相和(あいわ)してくれる人たちはたくさんいて、そこに加わってくれただけでも喜ばしいのに、彼女の人を朗らかにさせる才が日に日に重要なポジションを占めるようになっていった。例えば、叶というピッチャーがいれば控え投手など全員いなくなってもいいという極論が浮かぶかもしれなかった。メンバーの誰が欠落してもいつでも入れますという万能選手が付いているような頼もしい感じとも言えるかもしれなかった。自分の下を去っていった人と孤独や享楽をトレードする人がいるけれども、そうせざるを得ないほどの大きな心の穴、悲しみも、叶の不在を想像すればわかるような気がしてくるのだった。
 その叶が神酒(みき)のことで、同情と疑惑が拮抗していて苦しんでいた。タム・ゼブラスソーンのこと、穹沙(きゅうさ)署の動きのことはキッパータックにはわからないので、なにか言葉をかけてやりたいと思っても、神酒の元恋人・成海(なるみ)に対してもなにもできなかったように蚊帳の外で、無力だった。

 仕事で使っているノート型PCをテーブルまで運び、電源を入れた。ディスプレイが、雪化粧の冬山や氷のように張り詰めた湖など次々に画像を切り替えて、キッパータックの無聊(ぶりょう)を埋めてくれた。いつも利用しているニュースサイトのサービス配信だったが、まるでおまえの心細さは承知している、という計らいのように感じた。叶は今どうしているのだろう、と考えながら四つめのハンバーグにフォークを立てる。
 テーブルに置いてあった携帯端末が鳴った。表示された名前を見て、キッパータックは微かに(ひる)んだ。
「も、もしもし……」
「ああ、私だ」
 静謐な晩餉(ばんしょう)が打ち砕かれる音がした。平和のためにと悪者をホールドするのが警察だとしたら、自分自身の平和のためにキッパータックをホールドする男──中央都に住む兄、マーロン・カミヤマ・キッパータック(四十四歳・会社員)であった。
「おまえの携帯端末は私からの着信をすべて消去する機能がついているのかな?」
 受話口に研ぎ上げたナイフが迫ってきていた。それではまるでギャングではないか! 
 キッパータックは震えながら答えた。「ええーっと、何度も電話をくれたのはわかってて、気にしてたんだけどさ、ずっとほかの大庭主(だいていしゅ)のイベントの手伝いや清掃の仕事で忙しくて。たしか二、三日前にメールを送ったはずだけど……」
「あんな消しゴムのカスみたいなメールはトラッシュ・ボックスに送ってやったわ!」
「ええっ?」
「『みんなと同じように僕も元気にやっています』──はっ!」マーロンは侮蔑を盛大に込めて言った。「おまえは先月、ブランドンにはたしかに会っているはずだ。それもブランドンが会いに行ったに過ぎないんだがね。何年も我々の顔を見ずに、ブランドンからの報告と電子上のやりとりだけで我々が元気でいるとお気楽に想像して済ませたいわけか」
「わ、悪かったよ」キッパータックは気弱な音色で反省を述べた。「兄さんは眼精疲労と頭痛がひどいんだって? 母さんはまた別の合唱団に入部したって聞いたけど、変わらずクラーラさんたちと仲良くやっているのかな?」
「母さんはおまえがクリスマスに帰ってくると信じて大量のじゃがいもを茹でて待っていたんだ」じゃがいもという生命体が葬り去られたことを告げているような冷たい声であった。
「じゃ、じゃあ、旧正月のときに帰るよ」キッパータックは明るいメッセージで塗り替えようとする。「こっちも休暇を取る人が多くて、清掃の依頼も少ないし、大庭は観光局の職員さんに頼むから」
「では、会えるんだな?」
「……?」
 兄の声色になじみのない人間的情緒が交じっていた。貸した金を根こそぎ回収しようとペタペタナイフを振っていたギャングが急に愛に目覚めるということが? それとも、母の「会いたい」という気持ちを彼の演技力が偶発的に再現できただけとか?
「あの……」
 マーロンは言い放った。「おまえの〝フィアンセ〟に会えるのか? と訊いておるのだ!」
「フィ……!」   
 その戦慄は耳、そして脳、さらに返す言葉へとビリビリ伝わっていった。「フィアンセって、それは──」
「ブランドンから聞いた。相手も大庭関係者ということじゃないか。ということは、その人も観光局の職員に仕事を頼んで休暇が取れるな?」
 観光局の職員をなんだと思っているのだ。
 ブランドン・カミヤマ・アルバレス。マーロンの息子でキッパータックのかわいい甥。進学先をよしなに決めたいということで、穹沙市にある鳳凰(ほうおう)大学のオープンキャンパスに行くと言いキッパータックの家に一泊していったのが先月のこと。たしかにそのとき叶も遊びに来て、互いを紹介する場面があった。叶が森林庭園に勤めていることは話した。しかし……。
「フィアンセって呼ぶのはどうかな? 僕たち結婚の話なんてしていないし」
「相手の自主性に任せるつもりか」マーロンが鼻で嗤う。「私が以前紹介したムタさんも将来を熟考した末、おまえの下を去っていった。ときにほかの人間が与えそうなものを先立って自分が与えてもいいのではないかと考えることも必要だと思う。結婚の早い遅いは相手が

とわかっているなら今年の二月でも五年後の六月でも好きに選べばいいさ。大事なのは、相手が変わればこっちだって気が変わる可能性があるってことだ。迷いや甘えを断ち切ることを自分だけ先延ばしにしておいて、それを相手にやれと要求するのは──」
「叶さんはたしかに今一番仲のいい女性ではあるよ」
「はっ、そういう女性がほかにもたくさんいるとでもいうような言い草だな」
「そうじゃないよ」キッパータックも自分の微妙な情緒というものを相手がギャングだろうがなんだろうが構わず伝えたいという気持ちになった。「たくさんなんていないし、女性も男性も僕の友人知人はすべて含めて、一番仲がいいって意味だよ」
「…………」
 そう言ってしまうと、ピッポや樹伸(きのぶ)を差し置いていることになるな、と思ったが、そうなっても吝かでないとあの二人なら言うだろう、とキッパータックは自分に言い聞かせた。
金井(かない)さんというんだな? 日本人か」マーロンはめずらしく弟の言葉が染みたように静かになった。「そんな仲なら母さんに会わせても構わないじゃないか。さっき言ったことが本当なら、相手も休みの予定の優先順位として、おまえを一番だと思うはずだからな?」

 ナイフがようやくしまわれ、緊張の時間が終わった。写真を見せるだけじゃだめなんだろうな……とキッパータックは急に気持ちが挫けてきた。そういえば写真なんて、ない。叶の貴重な休みを自分の家族のために割いてもらうということか。
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登場人物紹介

ヒューゴ・カミヤマ・キッパータック。砂の滝がある第4大庭の管理人。好きな食べ物・魚の缶詰。好きな生き物・アダンソンハエトリ(蜘蛛)。清掃業も営んでいる。

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