神酒の失踪(8)──レイサ、洞窟
文字数 2,980文字
セリニ住宅公園は「三日月」型の大きなモニュメントを配し、パステルカラーに塗られた見晴らしのいい公園で、道路を挟んだ向かいに建て連ねられた集合住宅があった。
公園の駐車場に車を停めると、三人はさっそく福田江護 の家を訪ねる。不審がられてはいけないので、衣妻流亜から依頼を受けた大庭関係者だと名乗った。地下庭園の施設に関することで、そこを利用していたレイサと神酒に連絡を取りたいのだが不通である、ということにする。内容を告げると、新しい世話人の風見 純子 が扉を開けてくれた。風見は六十代くらいか。小柄でぽっちゃりとしていて、日本人形のように色白で小作りな顔をしていた。
「風見さんは前の介護士の方のことをなにかご存じですか?」
叶の質問に風見は朗らかに答える。「いいえ、なにもですよ。体調を崩されてやめた、ということくらいしか」
福田江はレースのカーテンを開け放った明るいリビングで車椅子に座したまま作業机に向かっていた。小型の鉛筆削り器に色鉛筆を差し込み、一本一本念入りに削っている。
「お話ししても大丈夫ですか?」と叶は風見に許可を取る。
「最近はずっと家の中で絵を描いてて」とキッチンのシンクで洗い物をしながら話す風見。「大好きな大庭にも行けないから退屈してるんじゃないかと思ってます。たまのおしゃべりも刺激になっていいかも」
「大庭に行けないって言うのは、タムを気にして、ですか?」
「それもあるし、サムソン神酒さんから、しばらくはじっとしているように言ってほしいと」
「神酒さんが?」
お盆に載せた湯呑みをキッチンカウンターに並べる風見。「レイサさんが倒れたことに護 さん、ショックを受けてるって。大庭に行くと思い出すかもしれないから心配だと」
「神酒さんとそのお話をされたのは、いつごろですか?」
「つい一週間前もここに来られて、話しましたよ」
「一週間前!」叶は驚いてから、馴鹿布と目で確認し合う。
神酒は元気でいるのだ。衣妻やキッパータックからの着信は無視している。それでも福田江のことは気にしているということか。
風見は福田江の息子・融 からの依頼で介護士事務所から派遣されたということだった。レイサの病状や入院先などについてもなにも知らないという。
三人はお茶に礼を述べて、それには手をつけずに福田江に近づく。
「福田江さん」叶が意識してやわらかい声色を作る。「レイサ・フルークさんのことを訊いてもいいですか?」
「レイサ!」福田江はその名前を聞くと、鉛筆から手を離し、はっと顔をあげた。
叶は逡巡したものの、言葉を継ぐ。「レイサさんは具合が悪くなって倒れたんですか? 地下庭園で?」
福田江は突然目の前に現れた三人の客の顔を不思議そうに見つめていたが、やがて「レイサ、洞窟」とつぶやいた。
「それは、地下庭園にある呑石洞 のことです?」
首を振る福田江。「違う……」
叶は馴鹿布に視線を送る。今度は馴鹿布が前へ進み出る。
「こんにちは、森林庭園の馴鹿布です。観光局で何度かお会いしましたが、憶えてらっしゃいますか?」
馴鹿布の顔にじっと眼差しを据える福田江。「憶えてる」と言った。
「サムソン神酒さんはお元気そうでしたか?」馴鹿布も非常に静かに、おとぎ話でも朗読しているような口調で言った。「私たちはずっと連絡が取れなくて。彼も地下庭園によく来てたんですよね? なんの植物の話をされていたのですか?」
「植物?」福田江が返事の後、ゴホゴホと咳をしだしたので、風見がストロー付きのコップを運んでくる。彼女に支えられながらお茶を飲む福田江。
叶と馴鹿布は目顔で意思をはかる。かつて元気だったころの福田江を知る馴鹿布には、彼がどれほど衰耗しているかがわかる。しかし、こちらの言葉の意味は理解できているようだ。
叶が数秒、間を置いてから、質問を続ける。「あの、地下庭園の立入禁止の場所。あなたがフィカス・グレープレインの林を作ろうと計画していた場所です。しょっちゅう訪ねてらっしゃったんですよね? あそこで、あなたと神酒さんはなにをしていました?」
「洞窟」と再びまっすぐな目で答える福田江。
「洞窟……」眉間に皺を寄せる叶。「呑石洞のほかに洞窟があるんですか?」
福田江は首を下げ、テーブルに広げた色鉛筆をじっと見た。今度は風見に顔を振り、「絵、見せる」と言った。
「あ、はいはい」タオルで手を拭くとリビングを横切っていく風見。「絵を見せるのね? えーっと、スケッチブックは……」
風見の手から渡ってきたB5サイズのスケッチブック。叶が開くと、馴鹿布と孫も一緒に覗き込む。
くねくねとした線が躍っていた。たしかに鍾乳石のように見える。絵は脳と行う伝言ゲームに次第に慣れてきた、というように、徐々に詳細な姿を表すようになっていった。半分以上のページでどことも知れない洞窟の内部が写し取られていた。
「洞窟がお好きなんですね。穹沙 市にある洞窟ですか?」微笑んで質問する叶。
「うん」と答える福田江。
植物を研究していたという割に、植物の絵はない──確認しながら残りのページを手早く送っていく。ふと、最後のページに女性の顔が描かれていた。
尖った鼻先とほっそりとした顎のライン、頭の上でまとめられた髪。
「これ、レイサさん?」
「レイサ」福田江はその名前を、放心気味に発した。「レイサ、かわいそうに……」
「かわいそう?」
「レイサ」福田江は唇を結ぶと、そこに指先を当て、目を伏せて固まってしまう。
叶も馴鹿布も、これ以上は無理か、と思う。レイサの身に不幸が襲ったことは間違いないのかもしれない。父親とタムとの関係、ルカラシーをいまだに恨んでいるかなどなにもわからなかったが、病気になって福田江の下を去ったというなら叶たちが関われることではない。神酒も失踪したわけでもなさそうだ──。
そろそろ暇 乞 いをしよう……そう思ったとき、孫友馬が「私も質問してよろしいでしょうか?」と口を開いた。
孫は福田江の隣に身を寄せ、腰を屈めて小声で発した。「レイサ・フルークさんとサムソン神酒さんは男女の関係ではなかったですか? 二人が親密ではないかと思ったことは?」
福田江のフリーズが一瞬で解け、孫のことをぽかんと見つめた。
「ええっ?」激しく反応したのは風見の方だった。「え? そうなの? 神酒さんとレイサさんが?」
「ごめんなさい!」叶は孫の下へ飛んでいくと、腕を掴んでリビングのドアまで引っ張っていった。「さぁーて、もう失礼しなきゃ……どうも、おじゃましましたー」
「なに考えてんの!」道路まで出ると叶は孫を叱りつけた。「それはあなたの勝手な想像でしょーが!」
まったく悪びれることなく、大手を振って車へと歩いていく孫。「想像もなしに推理するなど不可能! レイサさんはきっと、連日報道されるドルゴンズ庭園のニュースのたびにお父上のことを思い出して、その心労で倒れたのですよ。神酒氏はそんなレイサさんをつきっきりで看病しているのでは? 彼は恋人を捨てて、彼女を選んだのです」
「はあー……」長大息 する叶。ルカラシーさん、ほかにもっと優秀な探偵、いなかったの?
「一応、神酒氏のマンションへも行ってみるか?」と馴鹿布が車に乗り込みながら言った。
「そうですね」
叶は運転席に座ると、エンジンを始動した。
第14話「神酒の失踪」終わり
公園の駐車場に車を停めると、三人はさっそく福田江
「風見さんは前の介護士の方のことをなにかご存じですか?」
叶の質問に風見は朗らかに答える。「いいえ、なにもですよ。体調を崩されてやめた、ということくらいしか」
福田江はレースのカーテンを開け放った明るいリビングで車椅子に座したまま作業机に向かっていた。小型の鉛筆削り器に色鉛筆を差し込み、一本一本念入りに削っている。
「お話ししても大丈夫ですか?」と叶は風見に許可を取る。
「最近はずっと家の中で絵を描いてて」とキッチンのシンクで洗い物をしながら話す風見。「大好きな大庭にも行けないから退屈してるんじゃないかと思ってます。たまのおしゃべりも刺激になっていいかも」
「大庭に行けないって言うのは、タムを気にして、ですか?」
「それもあるし、サムソン神酒さんから、しばらくはじっとしているように言ってほしいと」
「神酒さんが?」
お盆に載せた湯呑みをキッチンカウンターに並べる風見。「レイサさんが倒れたことに
「神酒さんとそのお話をされたのは、いつごろですか?」
「つい一週間前もここに来られて、話しましたよ」
「一週間前!」叶は驚いてから、馴鹿布と目で確認し合う。
神酒は元気でいるのだ。衣妻やキッパータックからの着信は無視している。それでも福田江のことは気にしているということか。
風見は福田江の息子・
三人はお茶に礼を述べて、それには手をつけずに福田江に近づく。
「福田江さん」叶が意識してやわらかい声色を作る。「レイサ・フルークさんのことを訊いてもいいですか?」
「レイサ!」福田江はその名前を聞くと、鉛筆から手を離し、はっと顔をあげた。
叶は逡巡したものの、言葉を継ぐ。「レイサさんは具合が悪くなって倒れたんですか? 地下庭園で?」
福田江は突然目の前に現れた三人の客の顔を不思議そうに見つめていたが、やがて「レイサ、洞窟」とつぶやいた。
「それは、地下庭園にある
首を振る福田江。「違う……」
叶は馴鹿布に視線を送る。今度は馴鹿布が前へ進み出る。
「こんにちは、森林庭園の馴鹿布です。観光局で何度かお会いしましたが、憶えてらっしゃいますか?」
馴鹿布の顔にじっと眼差しを据える福田江。「憶えてる」と言った。
「サムソン神酒さんはお元気そうでしたか?」馴鹿布も非常に静かに、おとぎ話でも朗読しているような口調で言った。「私たちはずっと連絡が取れなくて。彼も地下庭園によく来てたんですよね? なんの植物の話をされていたのですか?」
「植物?」福田江が返事の後、ゴホゴホと咳をしだしたので、風見がストロー付きのコップを運んでくる。彼女に支えられながらお茶を飲む福田江。
叶と馴鹿布は目顔で意思をはかる。かつて元気だったころの福田江を知る馴鹿布には、彼がどれほど衰耗しているかがわかる。しかし、こちらの言葉の意味は理解できているようだ。
叶が数秒、間を置いてから、質問を続ける。「あの、地下庭園の立入禁止の場所。あなたがフィカス・グレープレインの林を作ろうと計画していた場所です。しょっちゅう訪ねてらっしゃったんですよね? あそこで、あなたと神酒さんはなにをしていました?」
「洞窟」と再びまっすぐな目で答える福田江。
「洞窟……」眉間に皺を寄せる叶。「呑石洞のほかに洞窟があるんですか?」
福田江は首を下げ、テーブルに広げた色鉛筆をじっと見た。今度は風見に顔を振り、「絵、見せる」と言った。
「あ、はいはい」タオルで手を拭くとリビングを横切っていく風見。「絵を見せるのね? えーっと、スケッチブックは……」
風見の手から渡ってきたB5サイズのスケッチブック。叶が開くと、馴鹿布と孫も一緒に覗き込む。
くねくねとした線が躍っていた。たしかに鍾乳石のように見える。絵は脳と行う伝言ゲームに次第に慣れてきた、というように、徐々に詳細な姿を表すようになっていった。半分以上のページでどことも知れない洞窟の内部が写し取られていた。
「洞窟がお好きなんですね。
「うん」と答える福田江。
植物を研究していたという割に、植物の絵はない──確認しながら残りのページを手早く送っていく。ふと、最後のページに女性の顔が描かれていた。
尖った鼻先とほっそりとした顎のライン、頭の上でまとめられた髪。
「これ、レイサさん?」
「レイサ」福田江はその名前を、放心気味に発した。「レイサ、かわいそうに……」
「かわいそう?」
「レイサ」福田江は唇を結ぶと、そこに指先を当て、目を伏せて固まってしまう。
叶も馴鹿布も、これ以上は無理か、と思う。レイサの身に不幸が襲ったことは間違いないのかもしれない。父親とタムとの関係、ルカラシーをいまだに恨んでいるかなどなにもわからなかったが、病気になって福田江の下を去ったというなら叶たちが関われることではない。神酒も失踪したわけでもなさそうだ──。
そろそろ
孫は福田江の隣に身を寄せ、腰を屈めて小声で発した。「レイサ・フルークさんとサムソン神酒さんは男女の関係ではなかったですか? 二人が親密ではないかと思ったことは?」
福田江のフリーズが一瞬で解け、孫のことをぽかんと見つめた。
「ええっ?」激しく反応したのは風見の方だった。「え? そうなの? 神酒さんとレイサさんが?」
「ごめんなさい!」叶は孫の下へ飛んでいくと、腕を掴んでリビングのドアまで引っ張っていった。「さぁーて、もう失礼しなきゃ……どうも、おじゃましましたー」
「なに考えてんの!」道路まで出ると叶は孫を叱りつけた。「それはあなたの勝手な想像でしょーが!」
まったく悪びれることなく、大手を振って車へと歩いていく孫。「想像もなしに推理するなど不可能! レイサさんはきっと、連日報道されるドルゴンズ庭園のニュースのたびにお父上のことを思い出して、その心労で倒れたのですよ。神酒氏はそんなレイサさんをつきっきりで看病しているのでは? 彼は恋人を捨てて、彼女を選んだのです」
「はあー……」
「一応、神酒氏のマンションへも行ってみるか?」と馴鹿布が車に乗り込みながら言った。
「そうですね」
叶は運転席に座ると、エンジンを始動した。
第14話「神酒の失踪」終わり